「聖書と典礼」の現編集長である石井祥裕[よしひろ]さんがこの人のことを「ものをわかっていた人です」という感じで言っていたので(参照)、私の関心の目が少しばかりこの人のところに行きました。
相手はイタリア人、しかも少し古い時代の人なので、「十分に調べた」とは言えません。今回ここに提出する記事も、その主要なものは、今回と次回のたった二つだけです(三番目の記事は、まあ、おまけです)。が、日本では彼についてはほとんど知られていないので、何もないよりはマシかと思います。
私の受けた印象を結論的に言うなら、「この人は悪い人ではなかったかも知れないが、しかし決して “しっかりした人” ではないなぁ」というものです。気は悪くなくとも判断力の甘い人というのは、この世にいっぱい居るものです。私の目には、彼もそのうちの一人のように映ります。
石井さんはこの人のことを高評価したわけですが、それは私の目には、しっかりしていない人が同じようにしっかりしていない人のことを「この人はしっかりした人だ」と誉めているように映ります。──これは私の勝手な主観でしょうか? 読者はそれを以下でお確かめ下さい。
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初めにこんなところから見てもらいましょう。
あなたは「建物」に関連した次のような形象を見たら何を連想するでしょうか。( “実物” としてでなく “イメージ” として)
私は「工場」を連想します。
これはイタリアの或る建物を写したものなのですが。
そこで、果たしてイタリア人も、日本人である私と同じように、このような形象を見た時「工場」を連想するものであるかを、画像検索によって探ってみました。検索語はイタリア語で「工場」を意味する「Fabbrica(ファブリカ)」としました。イメージを探るのが目的なので、検索対象はクリップアートとしました。分かりやすいように「Fabbrica」という語が入っているものを選びました。全てイタリアのサイトからです。画像にリンクあり(一つを除いて)。
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と云うわけで、私は、冒頭の形象がイタリア人に「工場」を連想させても不思議はないと思います。
では次に、その建物の全体を見てみましょう。
左側の三枚の板状のものを含めて全体を見た時、この写真は上のあれらのイラストに、なにか「怪しからぬほどドンピシャ」だと思いませんか?
で、この建物(教会なのですが!)を作ったのは、レルカーロ枢機卿なのです。
1965年の写真。この教会の模型を見て御満悦のレルカーロ枢機卿。横に居るのはこの教会を設計した建築家アルヴァ・アールト。 参照元 同様 同様
そして、石井さんが彼について言っていたことの中にこういうのがありました。
彼〔レルカーロ枢機卿〕はボローニャの大司教として50年代から自らの中で典礼運動を推進した人ですね。他にも、労働者司牧を重点に置いたし、(…)
そして次は、レルカーロ枢機卿のお墓に刻まれている言葉から。
PROMOTORE DELL ASCESA DEI PICCOLI E DEI POVERI
(小さな人々と貧しい人々の上昇の推進者)
だから私は、この教会の形が「工場」を意味していたとしても不思議ではないと思うのです。
教会名: Chiesa di Santa Maria Assunta(聖マリアの被昇天教会)。
場所: イタリアはエミリア=ロマーニャ州ボローニャ県のヴェルガート(Vergato)というコムーネの中のリオーラ(Riola)という村。
もしこの教会が私の勘の通りレルカーロ枢機卿の中で「工場」を意味していたのだとすれば、カトリック聖職者として感覚が非常におかしなことだと思います。
そして、もし私の勘が外れていて、この教会が「工場」をイメージしてのことでなかったとしても、やはりおかしなことには変わりはないと思います。
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磔刑像や聖像のない寒々とした光景(写真は Wikipedia から)
私たちの崇拝と崇敬の対象(天主、聖人)の像(image)─ 想起の “よすが”、祈りの助け ─ のこれほど希薄な聖堂を、典礼学者たち、祈りの意匠係たち(?)はどう思うのでしょうか。「いやいや、そのようなものに “頼る” のでなしに、もっと “自立” した、“成熟” した信仰を持つことが必要ですね」とでも言うのでしょうか。(「言葉」というものはどこにでも、どうにでも立つものですよね。レトリック)
「罪の概念は中世の哲学が聖書の内容を悲観的に解釈したものである、という考えを徐々に刷り込むことによって」