2015.10.30

「聖書と典礼」の編集長、ブニーニ大司教を誉める

“狐狸庵先生(こと)遠藤周作。違いがわかる男のゴールドブレンド”

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しかし、「わかる」って何でしょうね。

(例えば、池長大司教様は「わかる」の大家 だったわけですが)

以前触れた「聖書と典礼」の編集長・石井祥裕[よしひろ]という学者さんが次のようにブニーニ大司教を誉めています。

2015年9月23日 於:岡山カトリック教会
動画 01:12:50~

それから(典礼憲章実施)評議会の秘書はブニーニさんという人ですけれども、この方はピオ十二世の典礼改革の委員会の時から秘書で、ですから公会議前の改革の仕事から更に公会議後の改革の仕事まで続いた人ですけれども、彼は、さっきの大きな枠、典礼の促進の精神というものでの典礼が作られるということの大切さをわかっていた人ですし、それを実務的に担ってった人です。今日イタリア人が初めて出て来た、二人出て来た〔うちの一〕人ですけども、それが直接われわれの今行なっている典礼の元になったということですね。

動画 < 資料室 < 大阪教区典礼委員会

また、同じ動画でブニーニの前に、「二人出て来たイタリア人」のうちの最初の方、ジャコモ・レルカーロ(Giacomo Lercaro)という枢機卿のことも、次のように誉めています。

2015年9月23日 於:岡山カトリック教会
動画 01:12:00~

この評議会、典礼憲章実施評議会の主要な人を見ると、やっぱり典礼運動から直接続いてることがわかります。レルカーロ枢機卿っていう人がその評議会の議長でしたけれども、まあ、今までイタリアの運動のことを述べませんでしたけど、一人、イタリアっていうのは司教さんが中心になって典礼運動を推進した。彼はボローニャの大司教として50年代から自らの中で典礼運動を推進した人ですね。他にも、労働者司牧を重点に置いたし、あと、カリタス活動ですね、様々なカリタス活動にも重要視した人ですけども、そういうやっぱり司牧と典礼っていうのが結び付いてるってことがわかってた人ですね。その人が典礼憲章実施評議会のリーダーだったっていうこともすごく重要なことだと思います。

動画 < 資料室 < 大阪教区典礼委員会

まあ・・・(時にはこういう言い方をしてみます)
石井さんはこのような信念をお墓まで持って行って下さい。

しかし、一言だけ言っていいですか?

もし . . もしですよ?. . 石井さんが、「私は未信者にも御聖体を与える」と公言している司祭参照をカトリックの雑誌が一年に亘って特集するなどということ参照はトンデモナイことだとわからないならば、石井さんから「彼はわかっていた人です」とお認め頂くことに何か意味でもあるのでしょうか?

注)「『聖書と典礼』と『福音宣教』は担当が別です」なんて、簡単に言わないで下さいね。

「罪の概念は中世の哲学が聖書の内容を悲観的に解釈したものである、という考えを徐々に刷り込むことによって」

フリーメイソンの雑誌『Humanisme』1968年11月/12月号 より

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