千葉市の沿革j 昭和~現代

昭和20年代から現代へ

戦後、千葉市は復興への足がかりを海岸埋立による工場誘致にも求めました。特に、1953(昭和28)年の川崎製鉄誘致と1954年(昭和29)年の千葉港の開港により、消費都市から生産都市へ転換を図りました。
昭和30年代に入り、戦災復興事業が進むにつれ、戦争の傷跡も次第に癒え、市民のくらしも徐々に活気を取り戻していきました。
1964(昭和39)年10月10日から2週間にわたり世紀の祭典「大18回オリンピック東京大会」が開催されました。10月15日、千葉市の東京大学検見川総合運動場では近代五種競技の1種目「クロスカントリー(4,000m)が行なわれました。
昭和40年代に入り、日本経済は史上まれな高度成長を続けた結果、大都市に人口が集中しました。
千葉市は東京に隣接しているため、そのベッドタウンとして大規模団地が次々と造成され1965(昭和40)年には33万人の人口でしたが、1975(昭和50)年には66万人と、10年間で人口が倍増したため、市政の重要課題は人口急増対策でした。


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住宅団地の造成



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京葉道路幕張インターチェンジ開通(1966年)

政令指定都市への移行

1991(平成3)年10月15日、本市の政令市移行が閣議決定され、1992(平成4)年4月1日、政令指定都市・千葉市が誕生し、大都市として新たな歩みを始めました。