千葉市の沿革 千葉氏について

千葉市の開祖「千葉氏」


中世に房総半島北部を中心に活躍した関東の名族「干葉氏」。一族の歴史の中で特に輝きを増す期間は、1126(大治元)年に干葉城に本拠を移してからの約330年間であり、その間に、今日の千葉市の礎が築かれたといっても過言てはないでしょう。本年は干葉開府875年にあたります。

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紙本著色千葉妙見大縁起絵巻

はじまり

千葉氏は、桓武天皇のひ孫高望王の子平良文を始祖とする関東の名族で、平将門の乱を契機として下総国相馬所領(現在の柏市、我孫子市や茨城県北相馬郡など)を獲得しました。そして、良文の孫平忠常は、香取郡東庄町の大友城などを拠点として活躍しました。
その子孫は、上総の国(千葉県の中部)・下総国(千葉県の北部)一帯に勢力を広げることに成功しました。
忠常のひ孫常兼は、千葉市緑区の大椎城に移り、ここを本拠地として下総各地を支配しました。


干葉開府875年

常兼の子常重は、平女時代末期の1126(大治元)年に大椎城から中央区の干葉城に本拠地を移し、新たな武士団を形成しました。こうして生まれた干葉氏は、干葉介常胤の代に石橋山の戦いに敗れて安房に逃れて来た源顛朝にいち早く参陣することを告げました。
また、源平合戦・奥州合戦などにも参加し、鎌倉幕府の創設に大きく貢献しました。この功績によって常胤は上総国・下総国を中心に全国に20数力所といわれた多数の所領を獲得し、幕府の中でも屈指の御家人に成長しました。