エジプト遠征といえば1798年ナポレオンが総司令官としてフランス軍を率いたエジプト・シリア戦役がどうのと授業でやったような話。 このエジプト遠征に同行していた29歳のぴちぴち動物学者で将校でもあったエティエンヌ・ジョフロワ・サン=ティレール(Etienne Geoffroy Saint-Hilaire, 1772-1844)はナイル川流域で奇妙で不思議なサカナを発見します。

今世紀 最大の魚類発見

フランスとイギリスの歴史的背景は置いといて、遠征目的は侵攻の他にも エジプトの考古学・美術・博物学などあらゆる側面について研究・調査する任務も含まれていたため、学者・画家など総勢175人もの調査団が同行していました。 そのメンバーの1人、フランス国立自然史博物館の動物学者であり将校でもあったジョフロワはナイル川流域の魚類調査で「ナポレオンのエジプト遠征の最も大きな功績の一つ」とか「19世紀最大の魚類の発見」とも言われる学術的に貴重なサカナを発見します。

Etienne Geoffroy Saint-Hilaire

しかしカイロでの暴動やペスト菌の感染流行やイギリス艦隊にボコられるなどすったもんだあって、1799年ジョフロワを含むフランス軍を残しナポレオンはエジプトから撤退してしまい、2年後にフランス軍は降伏します。 在任期間に学者たちが収集したものは捕虜に関する協定に基づいて全て没収されることになっていましたが、あの不思議なサカナの標本を渡すくらいなら燃やしてやる的な脅しに似たジョフロワの頑張りによって、 イギリス軍の手に渡ることもなくフランスまで無事に持ち帰ることができました。

帰国後の研究によって不思議なサカナのエラ構造が特徴的なこと、普通なら硬骨魚類の浮力調節機関=ウキブクロは単独に存在しているところ このサカナには1対の食道につなった空気で満たされるウキブクロがあることを確認します。さらに最も注目したのは肉質の胸ビレでした。

ポリプテルス 博物篇

この当時、四肢動物の四肢とヒレは外見の違いから相似性の考えはありませんでしたが、胸ビレが腕に相当すると推論しました。 この考えが評価されたかは別として、とりあえずジョフロワは背部に小さなヒレがたくさん並んでいることから、そのサカナにポリプテールPolyptèreと名付け、1802年にはナイル川流域に生息する魚類の自然史と解剖学的な記述の研究結果を発表します。

後にフランスの動物学者ラセペード(Bernard Germain de Lacépède)がPolyptèreをラテン語化してPolypterusと改め、不思議なサカナをPolypterus bichir bichirとして論文発表したことにより、 魚類が両生類へ進化した過程を裏付ける極めて貴重な魚として学会に知れ渡ります。

ナポレオンのエジプト遠征は軍事的には望ましい成功を収めることはできませんでしたが、同行調査団による功績は素晴らしいものでした。 得た数多くの情報は収集してまとめられ、1809年から14年間の歳月をかけて「エジプト誌」として「古代篇」「現代篇」「博物篇」「地図篇」に分けられ刊行されました。ポリプテルスの原記載図は博物篇に収められています。

学名の由来は?

学名のPolypterusとはギリシャ語由来の2つの単語を合わせ「多くのヒレ」という意味を持っています。 背部に連なる特徴的な小離鰭(しょうりき)から名付けられたもので、古称も同じ理由から多鰭魚(たきぎょ)と呼ばれています。中国語も多鰭魚と書くけど発音は分からん。

小離鰭poly 多くの、たくさんのなど
原意は古典ギリシア語で πολύς、polús
英語の接頭辞polyにあたり、複数を表すために使われます。多数の島々からなるポリネシア(Polynesia)、赤ワインに含まれるポリフェノール(polyphenol) プラスチック製品はポリエチレン(polyethylene)、ペットボトル(Polyethyleneterephthalate)などポリが付くプラスチック製品はほぼ同意味。
pterusヒレ
原意は古典ギリシア語の接頭語 πτερόν、pterón
現代英語でwing 、翼・羽・翅 などの意味があります。pteronを使って付けられた有名どころは翼竜プテラノドン(Pteranodon)とかヘリコプター(helico-pter)とか。これらはヒレでなく翼を意味しています。

プレート上のポリプテルスとその起源

地球内部のマントルの温度差で引き起こした対流が表面の大陸を移動させるプレートテクトニクス。

生命が存在しいたのか いなかったのかくらい遥か昔、地球上には巨大な大陸がありました。 三葉虫が登場したあたりには地球上には大陸がいくつかあり、次第にそれらは合体しはじめ全体的に集まり一続きの超大陸ができあがりました。再び 超大陸は北半球と南半球に分かれます。やがて現在で言うところの南北アメリカ大陸・ユーラシア・アフリカ大陸に分かれて大西洋ができ、 さらに南アメリカ大陸・アフリカ大陸・南極大陸・オーストラリア大陸・インド大陸・マダガスカル島に細分化して、移動と合体しつつ現在の大陸になった…という20億年くらいを さらっと斜め読み説。

シルル紀
シルル紀の大陸
白亜紀
白亜紀の大陸

ポリプテルスの化石種の多くは現生種と同じアフリカ大陸から、近縁種や類縁種では南アメリカ大陸のボリビアやブラジル、オーストラリア大陸や南極など 現在ではそれぞれ遠く離れた大陸からも化石が発見され、プレートテクトニクス説とこれら発見地を照らし合わせると、ちょうど大陸が一続きになっていた時代まで遡ることができます。 また、ポリプテルスのように海水耐性がない純淡水魚や、両生類・カタツムリ類・哺乳類など海を渡る能力の低い生物が離れた大陸に分布している理由も、地質時代から大陸の存在位置の裏付けにされています。

最初期の魚類にはアゴが無かったためプランクトンを吸い込む濾過食を行っていました。アゴの進化が起こると より大きな獲物を捕食できるよになって多様性が生まれ、棘魚類・板皮類・軟骨魚類・硬骨魚類の魚類群に派生し それぞれが独特な進化をはじめます。プレートテクトニクスの感じで言えば、だいたい超大陸が北半球と南半球に再び分かれはじめたあたり。 ポリプテルスを含む硬骨魚類はすぐに俊敏で巧みな遊泳力を防御として極める条鰭類と、湿地帯を掻き分け這いまわる遊泳移動の手足をもつ肉鰭類の2つに分かれて進化をはじめ、肉鰭類から両生類へと進みました。

ポリプテルスの胸ビレは四肢動物の腕と相当すると発見者ジョフロワが推論したように、肉鰭類と同じような胸ビレを持ちますが、これは外見上のみで内部構造が条鰭類の特徴そのまんまなので残念なことに現在では肉鰭類から外されています。 しかし、それ以外の特徴に初期の条鰭類と肉鰭類、そこから進化した両生類との類似点も多くみられ、両者の進化の過程を関連付けられることが多々あります。そして謎も生まれます。 両生類が登場したのは中生代 デボン紀後期。ポリプテルスの最古の化石記録は中生代 白亜紀中期までしか遡ることができず、すでに爬虫類や哺乳類が自由闊歩している時代。 両生類までの進化の過程がといった話から気の遠くなるような長い空白期間を経てポリプテルスの化石登場となります。そこまでの系統樹が謎すぎます。 中生代 三畳紀の原始的な条鰭類 スカニレピス目Scanilepiformesとも比較されることがありましたが、その類似性は表面的なものでした。

古生代 中生代 新生代~現在
カンブリア紀 オルドビス紀 シルル紀 デボン紀 石炭紀 ペルム紀 三畳紀 ジュラ紀 白亜紀 古第三紀 新第三紀 第四紀
硬骨魚類

ポリプテルス最古化石

両生類

ところが最近の論文によれば、スカニレピス目の1種Fukangichthysの化石標本をCTスキャンで解析し さまざまな近縁種と比較した結果、ポリプテルスは実際にスカニレピス目に属することが明らかになったとの事です。 つまり起源は古生代 デボン紀ではなく中生代 三畳紀で、さらにはクラウン群条鰭類の進化もデボン紀ではなく石炭紀というより新しい年代に起きたことが分かりました。 簡単に言うとポリプテルスの特徴はミッシングリンクではなく原始的風に特殊化したものらしい。

オックスフォード大学のSam Gilesによると「ポリプテルスは進化において いくつか逆転をしているように見え、これは魚類の系統樹における彼らの立場を曇らしています。それが最新の携帯電話であることは分かっていても、その特徴は古いモデルだと思うかもしれない」と述べています。

Nature 549, 7671

2017年9月14日

Nature Japan 論文:進化学:ポリプテルス類の起源を紐解く

doi: 10.1038/nature23654

この論文の中でクラウン群条鰭類としたものはCrown=肉鰭なので肉鰭類のことかと思う。

とりあえず、この先それぞれ遠く離れた大陸から化石が発見される近縁種や類縁種との関係も解明されてるといいなと期待。