45 田麦俣 注連寺~十王峠 羽黒山宿坊街 松根庵 最上院 湯殿山(山形県)


・令和元年7月30日(火) 田麦俣

 東京駅6時8分発上越新幹線「とき301号」に乗る。8時13分、新潟駅に着く。ホームの反対側に停まっている新潟駅8時22分発羽越本線特急「いなほ1号」に乗り換える。
 村上駅を過ぎて、左手に、ライトブルーの美しい日本海が見えてきた。明るい黄色の美しい砂浜で海水浴に興じている人たちがいる。
  10時16分、鶴岡駅に着く。

 駅前の観光案内所で、今回訪ねる場所について尋ね、湯殿山、六十里越街道の観光パンフレットをいただく。
 11時30分になったので駅の構内にある食堂で昼食を摂る。食後、駅の待合室で休む。

 一昨年、昨年と続いて路線バスの大幅な廃止が行われた。一時は驚いて、湯殿山方面へ行くことは困難になったと思ったが、複数の路線のバスの時刻表とバスが運行する曜日などを調べて、バスの便に合わせて予定を変えることで出かけることができた。
 今回も昨年の夏と同じ松根と湯殿山を訪ねる。今年もバスの運行が、一部だけだったが変わった。

 鶴岡駅前13時19分発「朝日庁舎前行き」の庄交バスに乗る。13時53分、停留所「朝日庁舎前」に着く。降りるときに料金を払う。そのとき運転手さんに鶴岡市営バスに乗り継ぐことを話して、「乗り継ぎ割引券」をいただく。
 14時9分発「旧田麦俣分校口行き」の鶴岡市営バスに乗る。14時28分、停留所「田麦俣口」に着く。降りるときに料金を払う。料金と一緒に「乗り継ぎ割引券」を渡す。100円、割り引いてもらった。

 民宿・田麦荘の女性が停留所に車で迎えに来てくださっていた。またお世話になることを話して挨拶する。
 平成27年8月4~6日(目次22参照)、同28年8月9~11日(目次28参照)、同29年8月4~6日(目次34参照)、同30年7月31日、8月1~2日(目次40参照)、それぞれ2泊3日で田麦荘に宿泊して、今回は5回目の宿泊になる。

 2階の部屋へ案内される。部屋は冷房で冷やされていた。
 4時に風呂へ入る。6時に食事処である和室へ入る。テーブルが並べられている。自分の名前があるテーブルの前に座る。

 部屋の片方は全面ガラス窓になっている。月山が見えるが、今日は曇っていて山の上は霧に覆われている。
 何度も乗り物を乗り換えて、今日は移動するだけで終わったが、夕食の時間が来てテーブルの前に座るとき、今年もまた、ここへ来ることができた、いつも変わらない暖かいもてなしを受けて、月山を眺めながら、おいしい食事をいただけると思うと嬉しくなり、ああ、いいな、としみじみと思う。

 今回、予約したとき、民宿の女性が、観光目的の宿泊客はいなくて、近くの工事現場で作業をしている人たちが長期に宿泊しています。それで1日目の夕食は、その人たちのためにお出ししているのと同じ家庭的な料理になりますがそれでいいですか、その分、割引させていただきます、2日目は通常の食事になります、と言った。私は、それで結構です、と申し上げた。

 ところが、出された料理は家庭料理を越えた豪華なものだった。

 ・お造り二種 鯛と鮪
 ・帆立、厚揚げ、ナス、ピーマンの寄せ煮
 ・ピーマンの肉詰め
 ・ワラサのカマ焼き
 ・カレイの煮つけ
 ・人参と玉ねぎのかき揚げ天ぷら
 ・多彩な種類のキノコが入った味噌汁

 料理を運ぶ従業員の女性が、明日はきちんとした料理をお出しします、と言ったので、びっくりして、今日もすごい御馳走ですよ、と言った。


・同年7月31日(水) 注連寺~十王峠  

 朝6時30分に起きる。朝食の時間の7時に食事処へ行く。テーブルの上に予め頼んでおいた弁当が載っていた。

 昨日、民宿の女性から今日の予定を聞かれたので、六十里越街道の内、注連寺から十王峠までもう一度歩くことを話したら、注連寺まで車で送りますよ、と言ってくださった。以前と比べて歩くのが遅くなっているので、バスの停留所「大網」から注連寺まで歩いて約1時間かかる。注連寺まで送っていただいたら、その分、時間が短縮できて、帰りのバスの時間まで余裕ができるので、ありがたくご親切をお受けする。

 時過ぎに民宿を出て、15分程で注連寺の石段の下に着いた。お礼を言って車を降りる。
 
石段を上がって境内に入る。注連寺に寄っていると遅くなるので、外側から本堂を拝観するに止める(注連寺について、目次28、平成28年8月10日、「奥の細道旅日記」目次14、平成14年9月15日参照)

 今から12年前の平成19年5月5日、注連寺から十王峠(じゅうおうとうげ)を越えて松根まで歩いた(「奥の細道旅日記」目次35参照)。今日、また注連寺から十王峠まで歩く予定である。
 境内を横切って注連寺の左手の坂道を上る。杉とブナの林の入り口の左手に、湯殿山の石碑群が立っている。



 石段が現れる。新山(にいやま)神社の参道の石段である。石段を上る。道が左右に別れている。右へ曲がり、樹木や丈高い草が生い茂る間の急斜面を上る。ここで道を間違って新山神社の前に出なかったことに気がついた。新山神社は前回拝観したので、後戻りせず斜面の上に見える六十里越街道の幟り旗を目指して上る。上に上がると畑が広がり、六十里越街道の道標が立っていた。道が上の道と下の道の二つに別れ、どちらの道もブナの森へ通じている。

 森の中に、湧き水の「イタヤ清水」がある。前回は、ちょうど畑仕事をしていた人がいたので、「イタヤ清水」のことを尋ねたら、下の道を行くように言われた。下の道を歩いて森の中へ入った。藪の中をかき分けるようにして進んだが、思ったよりも早く「イタヤ清水」に着いた。

 今日は、道標に従って、畑の横に延びている上の道を歩いてブナの森の中へ入った。



 歩いていて気がついた。この道が六十里越街道の正式な道である。前回歩いた下の道は、「イタヤ清水」への近道だったのだろう。私が「イタヤ清水」の場所を聞いたから近道を教えてくれたのだと思う。

 1時間程歩いて幅の狭い急斜面を下った。「イタヤ清水」に着いた。
 湧き水が石の樋を伝って流れている。傍に小さな岩が立てかけられている。岩には小さなお地蔵さんが6体彫られている。岩は苔むして、風化が進んでいる。お地蔵さんの顔も定かではないが、小さなお地蔵さんが体をくっつけているのが可愛い。


イタヤ清水


六地蔵


 柄杓が備えられていたので、流れてくる水を柄杓で受けて、六回、6体のお地蔵さんにかける。以前、地元の人に、「イタヤ清水」の水を飲むときは、先に六地蔵に水をかけてから飲むのが習わしになっている、というお話を伺っていた。
 前回来た時よりも水量が少なくなっているような気がしたが、水は柄杓にすぐいっぱいになる。柄杓に受けて水を飲む。冷たくておいしい。用意していた空のペットボトル2本に水を詰める。

 横に説明板が立っている。全文を記す。

 「イタヤ清水の水は、近くにイタヤの木があるからとも、水が冷たくて飲むと歯が痛くなるからともいわれている。すぐ脇に小さな石の六地蔵が祀られている。六地蔵に水を六回かけて飲むのが習わしであった。」

 湯殿山詣での人たちなど多くの旅人が旅の途中、この水で手や顔を洗い、喉を潤したことだろう。

 前回歩いたのは5月だった。森の中は未だ雪が残っていた。雪の重みで枝が折れたり木が倒れたりしたのだろう。杉の木の枝や倒木が行く手を阻んで歩きにくく、枝や倒木を跨ぎながら歩いた。
 今日は、横から飛び出していた枝が伐られ、下草も刈られて整備されているようで歩きやすくなっていた。



 20分程で森を抜けて市道に出た。市道が六十里越街道を分断している。反対側へ渡り、丈高い草が生い茂る間の坂を上る。ここも歩きやすくなっていた。10分程で十王峠の頂上に着いた。赤い衣装を着せられた3体の石造のお地蔵さんが立っている。
 案内板に次のことが書かれている。全文を記す。


 「昔、ここは内陸と庄内を結ぶ旧六十里越街道があった所です。この峠には、閻魔大王(えんまだいおう)など十数体の木彫の仏像があったことから十王峠と呼ばれました。この峠道は湯殿山へお参りする人たちで大へん賑わい、大日坊と注連寺の茶屋もありました。
 夏には、昼の暑さを避けて夜に旅をする人が大勢いました。明治13年からは、夜に行き来する人々の便利をはかって、頂上の二か所に明かりをともしました。」


 横にもう一つの案内板が立っていた。この案内板は前回見た記憶がない。そのため、この案内板に書かれていることは今回初めて知った。

 「現在の十王峠には三基の地蔵尊が建つが、往時の峠は左側の鉄塔の建つ山頂にあった。」

 送電線の鉄塔は見えるが、この場所からは直線距離にして500m以上離れている。戦後、鉄塔を建て、車が通れる道路を造ったとき、十王峠をこの場所に変えたのだろう。

 12年前の5月に、この峠の向こうの下り坂を下りて松根まで歩いたことを思い出した。

 帰りは森を囲むようにして造られた九十九折(つづらおり)の市道を下る。1時間近く下っても注連寺が見えない。
 畑仕事をしていた60代位の女性が市道に停めている車に戻ってきたので、挨拶をして、ここをまだ下ったら注連寺の前に出ますか、と尋ねた。女性は、ええ、もう少し下りると注連寺の前に出ますよと言った。
 私が、今、十王峠から下りてきました、と言って10分程お話をした。女性が、ここ七五三掛(しめかけ)地区は、10年前に大きな地滑(じすべ)りが続いたために住民が引っ越してしまって建物らしい建物は注連寺だけになりましたと話された。

 お礼を言って下ろうとしたら、女性が、トマトは嫌いじゃないですか、と聞いたので、トマトは好きですと言った。すると、女性が、これ食べてと言って、ネットを掛けた囲いの中で育てているトマトの囲いの中に入り、トマトを4個もいで持ってきてくれた。私は1個で充分だと思ったけれどもお礼を言っていただいた。ありがとうございます。もぎたてのトマトはおいしいだろう。

 10分程下ると注連寺の前に出た。更に1時間程歩いてバスの停留所「大網」に着いた
 日陰になっていて、座れる場所を探して弁当を開いた。おにぎりだった。いただいたトマト4個も食べた。皮が厚いが柔らかい。水分をたっぷり含んで甘くてとてもおいしいトマトだった。



 14時21分発「旧田麦俣分校口行き」のバスが来たので乗る。14時28分、停留所「田麦俣口」に着く。田麦荘の男性の従業員が車で迎えに来てくれていた。

 6時に食事処である和室へ入る。既に前菜が半月盆に載っている。

 ・枝豆
 ・よく冷やされた「もずく」
  小鉢に入っている。摺り下ろした生姜をのせている。
 ・冷たいカボチャのポタージュスープ

 料理が運ばれてきた。

 ・お造り三種
  マグロ スズキ アカイカ
 ・イカ焼き
  バジルソース ミニトマト、ミニコーンが添えられている。
 ・甘鯛の焼き物
  潰したトマトと、細かくちぎった大葉で作られたソース
 ・ニシンの甘辛南蛮
  おかかがのっている。
 ・シロギスとトビダケの天ぷら
  トビダケは夏に採れるキノコという説明があった。ししとうを添えている。
 ・スズキのサラダ 香味野菜ソース
 ・ポークの焼き肉
  土鍋の中に、ポーク、玉ねぎ、ししとう、ミニコーンが入っている。その上に、ニンニク味噌を載せて、蓋をして火をつける。
  香り高い、おいしい焼き肉ができあがる。

 ・そば
  円い笊に入ったそばが出された。癖がなく清新な味わいのおいしいそばだった。大盛りで2人前の量だった。

 「田麦荘」は民宿の他に、隣接して「ななかまど亭」という名前で蕎麦屋を営業している。案内書によると次のように紹介されている。

 「当店のそばは、地場産の『常陸秋(ひたちあき)そば』を使用した外二です。石臼でゆっくり丁寧に自家製粉した新鮮なそば粉と清らかな月山の名水を使い、全て手作業で打ち上げています。」

 インターネットで見ると、食事した人の感想はみんな好評である。遠くから、そばを食べることだけが目的で日帰りで来る人たちもいる、というお話を昨年伺った。
 朝、食事をしているときに、そばを打つバタン、バタン、という音が聞こえることがある。

 今回も豪華でおいしい料理をいただいた。

 隣のテーブルに座っていた若い男性2人が、料理を運んできた従業員の女性に、もう1人が仕事中に熱中症になって病院へ連れて行った、入院することになった、と話している。
 
昨夜と今朝、3人の若い男性が食事をしていた。近くの工事現場で仕事をしている人たちだと思った。入院するほどの容体はよほど重症なんだろう。


・同年8月1日(木) 羽黒山宿坊街

 朝食の時間の7時に食事処へ行く。テーブルの上に予め頼んでおいた弁当が載っていた。
 民宿の女性が、バスの停留所まで車で送ってくださった。また来てくださいと言って帰った。3日間とも民宿とバスの停留所の間を送り迎えしていただいた。おいしいご馳走をいただいて今回もお世話になった。ありがとうございました。

 停留所「田麦俣口」9時2分発「朝日庁舎前行き」の鶴岡市営バスに乗る。
 運転手さんは3日間とも同じ60代位の男性だった。他に乗客がいないこともあり、バスに乗るたびに大網や田麦俣の話をしてくださった。
 私が、昨日、注連寺から十王峠まで歩いたことを話したら、湯殿山のことを話された。東の湯殿山、西の伊勢参り、と言われていましたから湯殿山参りも盛んだったんでしょうが、参拝の旅も困難なものだったと思いますよ。一生に一度のことだったでしょうね、と言われた。
 
講(こう)について話をした。講という同じ信仰を持つ仲間の組織があり、講の仲間が湯殿山参りの代表者を選ぶ。仲間がお金を集めて、選ばれた者に旅の費用として渡す。代表してお参りをした者は、代わりに仲間全員のお札をもらって帰郷する。
 互助会の役割を持つ講は、現代でも機能している地域があると伺った。

 今から16年前の平成15年の5月に、新潟県の勝木(がつぎ)から村上まで歩いた(「奥の細道旅日記」目次17、平成15年5月4日参照)。
 勝木駅を出て、
11キロ程歩き国道7号線と別れ左へ曲がる。旧道の出羽街道に入った。出羽街道は、鶴岡と村上を結ぶ街道であり、湯殿山詣での道でもあった。芭蕉もこの道を歩いたといわれている。山間の集落を通ると、芭蕉の句碑があり、湯殿山碑が立っていた。湯殿山から遠く離れた所にも湯殿山碑が立っていることに驚いた。

 9時21分、停留所「朝日庁舎前」に着く。9時35分発「鶴岡駅方面行き」の庄交バスに乗る。10時10分、停留所「鶴岡駅前」に着く。今日から3泊予約している駅の近くのホテルへ行き、荷物を預かってもらう。
 10時42分発「羽黒山頂行き」のバスに乗る。11時14分、停留所「羽黒案内所」に着く。

 停留所「羽黒案内所」の辺りから随神門までの約4キロは、手向(とうげ)の宿坊街である。今年の5月16日、この宿坊街を歩いた(目次44参照)。今日は、通りに面して建つ宿坊の裏側の道を歩く予定である。

 羽黒随身門へ向かって歩き、右側の最初の小路へ入る。正面に、天台宗来迎山千勝寺金剛樹院が建っている。端正な建物で境内も庭園も整然としている。


金剛樹院


 左へ曲がる。板壁の家並は現代を感じさせるものはなく、古い時代に後戻りして歩いているようである。人の声も車の音も聞こえない。



 黒門と黒塀の前に出る。宿坊街の表通りから見て、いつも懐かしい気持ちを起こさせる光景である。「自坊(じぼう)小路」へ入り、黒門と黒塀を正面から見る。江戸時代か明治初期を彷彿する光景である。黒門と黒塀の内には以前は屋敷が建っていたようであるが、現在は空き地になっている。

 

自坊小路


 蛇行する道をゆっくり歩く。1時間程歩いて表通りへ出た。静かで、落ち着いた宿坊街を歩く。
 宿坊の中には
受け入れる地域が決まっているようで、地域名が玄関に表示されている宿坊がある。「手向(門前町)詳細図」によると、現在の宿坊は27軒である。そのうちの19軒が個人対応可能となっている。それ以外の8軒が受け入れる地域を限定しているのだろう。講が現代も機能していることが考えられる。

 1時間程歩いて随身門(ずいしんもん)の前に着く。おおぜいの参拝客が随身門を潜って行ったり、また戻って来たりしている。
 随身門の前にテントが張られ、椅子が置いてある。椅子に座って鶴岡駅方面行のバスが来るのを待つ。

 随身門の方から涼しい風が吹いてくる。
 随身門を潜って、
継子坂(ままこざか)と名付けられた約200段の石段を下ると、谷底を流れる、月山を源流とする祓川(はらいがわ)が見える。秡川から冷気が吹き上がってきているのではないかと思った。


・同年8月2日(金) 松根庵 最上院

 昨日、チェックインしたホテルで朝食後、鶴岡駅前8時47分発「上松根行き」のバスに乗る。9時31分、終点の二つ手前の停留所「下松根」に着く。
 昨年8月1日、松根を訪ねた(目次40参照)。この日は前日から泊っていた田麦俣の民宿を出発して訪ねたが、バスの本数が少なく、停留所から松根まで予想していたよりも時間がかかり、予定の半分も回れなかった。
 そこで、今回は、昨日、鶴岡駅の近くのホテルに泊まり、鶴岡駅と松根を結ぶバスを利用して訪ねた。因みに、この路線のバスは土、日、祝日、5月のゴールデンウイーク、年末年始は運休している。

 後戻りする。民家がなくなり、一面、黄緑色の稲田が広がっている。昨年と同じ場所に立って美しい風景を眺める。稲田の向こうに山が連なっている。空が広く見える。美しい青い空である。



 500m程歩き、左手に建つ曹洞宗松根庵(しょうこんあん)の境内に入る。
 本堂の裏にまわる。広い敷地の端に、古い墓石3基と新しい墓石3基、他に古い石碑が建っているだけである。これから墓地として整備していくのだろうか。敷地の向こうに、先ほど見たものと同じ美しい稲田が広がっている。


松根庵


 昨年、松根を訪ねたとき、六十里越街道の起点であった「弘法の渡し」の場所を、50代後半くらいの男性に尋ねた。男性は車庫兼物置き場と思われる建物の前で、小型のトラックの荷台に載せた農業用機械を点検していた。「弘法の渡し」の場所を伺って、帰りのバスの時間までに余裕がなさそうだったので、私が今回は中止して来年また訪ねることを申し上げたら、男性が親切に小型のトラックに乗せてくれて「弘法の渡し」へ連れて行って下さった。帰りも元の場所まで送っていただいた。

 戻る途中、車庫兼物置き場の建物に隣接する2階建ての大きな家の前を通り過ぎるとき、ここが僕の家ですと仰った。屋根瓦が目を引いた。瓦の表面を「うわぐすり」で化粧した釉薬瓦(ゆうやくがわら)だと思った。高価なものだろうに、屋根を覆う瓦が全て艶があり、黒光りしていた。

 車を降りて、少し話をした。男性は、城が好きだから、よく全国の城をまわっている、と話された。ただ、仕事の関係で秋か春先の間でしか旅行できない、と言った。米作りをやられているようなので、稲刈りが終わった秋か、田植えの準備が始まる前の春先ということだろう。お礼を言って別れた。

 今日、昨年お世話になった男性に改めてお礼を申し上げようと思って来た。
 初めに車庫兼物置き場を訪ねたら入り口が開いていた。ごめん下さい、と2回ほど声をかけたが、誰もいないようだった。それから隣接するご自宅の門を入り、玄関のインターホンを押したが、やはりどなたも出て来られなくて留守のようだった。

 道路を隔てた反対側に酒屋さんが建っている。ガラス戸を開けて、ごめん下さい、と言ったが、こちらも誰も出てこない。店を出たところで、お待たせしました、と言って高齢の男性が店の横から出てきた。
 前の家のことを話して、みなさんお留守ですか、と伺ったら、昼、食事に戻ってきますよと言われた。農作業をやられているので昼は戻って来るのだろう。また12時頃伺おうと思って、もう一つ、今日訪ねる予定の最上院へ行くことにする。

 三叉路を右へ曲がり1キロ程歩く。昨年も訪ねた曹洞宗最上院(さいじょういん)が建っている。
 最上院は、
山形藩初代藩主・最上義光(もがみよしあき)(1546~1614)の長男・義康(よしやす)(1575~1603)の菩提を弔うために建てられた菩提寺である。


最上院


 松根庵も最上院も内部を拝観することはできなかった。

 炎天下の道をゆっくり歩いて戻る。日差しは強く、気温も相当高そうだが、日陰に入ったり、雲が太陽を隠すときは風が爽やかに感じられる。
 12時少し前に戻り、また玄関のインターホンを押した。応答がない。お礼の品を持ってきていたので、みなさん留守だったら玄関先にでも置いといて、夜、電話しようと思った。玄関の戸を引くと開いたので、少し開けて、ごめん下さい、と声をかけた。

 はい、という声が聞こえて女性が出て来られた。奥さんだった。挨拶をして、ご主人はおられますかと伺った。
 奥さんが「今日、主人は親戚の家の手伝いで草刈りに行っていて、帰りは午後遅くになります」と言われた。農作業に出かけているんだったら昼、ほぼ決まった時間に戻られるんだろうに、うまくいかないなと思った。私の名前を言って、昨年のちょうど今頃、ご主人に親切に車で「弘法の渡し」へ案内していただきました、今日、また松根に来ましたので、お礼のご挨拶に伺いましたと言ったら、奥さんが、「その話は主人に聞きました」と言われた。
 それで、お礼の品をお渡しして、ご主人によろしくおっしゃといてくださいと言った。

 奥さんがお礼を言って、「これからのご予定は」と聞いたので、松根庵と最上院を訪ねて今日の予定は終わりましたので、帰りの鶴岡駅行きのバスを待ちますと言った。更に奥さんが、「バスは何時ですか」と聞いたので、2時21分ですと答えると、「まだ2時間半ありますね、バスの時間まで中でお待ちになりませんか」と仰った。

 ご主人が留守の家に上がるわけにはいかない。バスの停留所は三叉路の近くにある。三叉路に、六十里越街道の案内板が立っていて、公園ではないが、案内板の前に複数の木製の椅子が設置されている。そこはちょうど日陰になっている。それらを話して、そこでバスを待ちますと言って、お礼を言って辞した。

 椅子に座って涼しい風にあたりながら、写真をチェックしたり、明日の予定を確認したりした。
 30分程たって、奥さんが出て来られて、「今、主人が帰ってきました。どうぞ中へお入り下さい」と言った。奥さんがご主人に連絡してくださったんだろうなと思った。

 玄関を上がった廊下に立っておられたご主人が、昨年と同じようにニコニコして、やー、よく来てくれましたね、さー、上がってください、と言って、出迎えてくださった。
 広い家だった。昨年、2階建ての大きな家を見たときに想像した通りの広さだった。広い玄関を上がると、幅の広い廊下が奥へ続いて両側に部屋がある。
 通された部屋は12畳敷きの和室だった。隣の部屋も12畳敷きの和室で、部屋の間の襖が両側に寄せられているので、広々としている。天井が高く、幅の広い縁側が部屋の周りを巡っている。部屋の戸は開け放たれ、開放的で明るい。 

 奥さんが冷たい飲み物と、冷たい水で絞ったタオルを持って来てくださった。それから「今朝、家(うち)の畑で採れたものです」と言って、胡瓜と枝豆を持ってこられた。胡瓜の皿には味噌が添えてある。胡瓜はパリッとした歯触りで水分が多い。

 お仕事を中断されたんじゃないんですかと伺ったら、ご主人が、仕事はどうにでもなるんですよと言って笑った。
 ご主人と2時間程、城や旅行、歴史の話をした。昨年、上越市の高田城を訪ねたと言った。私も今から16年前の平成15年9月、奥の細道を歩いていたとき、高田城を訪ねたので、城と、濠を埋め尽くすほど咲いていた蓮の花のことなどを話した。
 これまでに訪ねた城の写真集を持ってこられた。パソコンで整理した写真を上質の用紙にプリントして、説明と感想を添えて作られた写真集だった。全国を回っておられる。好きな城は松本城と彦根城で、彦根城は何度も行ったと話された。

 興味を持つ対象が同じだからか自然に話ができた。ご主人もリラックスされている様子で、途中から畳に寝転がって話された。
 
他の部屋には冷房が入っているけれども、この部屋には冷房は入っていない、と言われたが、部屋が広く、天井が高いからだろう、どこからか入ってきた外の風が、家の中を回っているような涼しさを感じた。

 バスが来る時間になった。お礼を言って外に出た。暑いのにご主人がバスの停留所まで送ってくださった。バスに乗る。バスが動き出すとニコニコしながら手を振ってくれた。玄関でお礼のご挨拶ができれば、と思って伺ったが、こんなに歓迎していただけるとは思ってもみなかった。ありがとうございました。


・同年8月3日(土) 湯殿山

 朝食後、鶴岡駅前7時30分発「湯殿山仙人沢行き」の鶴岡観光シャトルバスに乗る。
 昨年8月2日、湯殿山を訪ねた(目次40参照)。この日は前日から泊っていた田麦俣の民宿をチェックアウトして出発したが、湯殿山は荷物を預けるコインロッカーや荷物を預かってくれる所がなく、旅行の荷物を全部背負って回ることになった。
 歩いているうちにひどく疲れて、予定の全部を中止して、湯殿山の駐車場の前に建つ休息所の2階に無料の休息所があるので、そこへ上がって休んだ。そのため、その日は休息所で休んで、秋風を思わせる湯殿山の涼風を感じるだけで終わった。

 旅行するとき重い荷物を背負って長い距離を歩くことが無理だということが分かったので、部屋に荷物を預けることを考えて、ホテルを予約した。
 また、昨年は、「湯殿山仙人沢行き」の鶴岡観光シャトルバスの一番早い一便は、
停留所「月山あさひ博物村(道の駅 月山)」に停まったが、今年は停まらなくなった。
 鶴岡観光シャトルバスは、6月1日から11月3日までの土、日、祝日と8月の限定された日に運行される。
 乗車するときに、全区間乗り放題の1日乗車券3、000円を買う。

 8時10分、停留所「羽黒随神門」に着く。ここからバスは終点の「湯殿山仙人沢までノンストップで走る。9時10分、終点の停留所「湯殿山仙人沢」に着く。
 バスを降りて、
今、バスに乗って通った湯殿山有料道路を後戻りする。 

 7年前の平成24年10月7日、初めて田麦俣から湯殿山まで六十里越街道を歩いた(目次7参照)。
 その日、有料道路へ出る前に、「湯殿山本宮参道」の標識が立ち、短い距離だったが、旧参道と思われる石灯籠が並ぶ平らな道を歩いた。旧参道をもう一度歩きたいと思って、昨年と一昨年の8月5日に探したが、見つけることができなかった(目次34参照)。

 今日は、昨年と一昨年よりも距離を長く後戻りして、旧参道を探そうと思っている。
 1時間程後戻りする。右側に、六十里越街道の案内の「六十里越街道」とプリントされた幟旗が立っていて、平らな道が森の中へ入っている。昨年、帰りのバスの車窓から、この平らな道を見て、この道が「湯殿山本宮参道」に続いていると思ったが、今日、見ると、ロープが張られていて立ち入り禁止になっている。
 立ち入り禁止の理由は分からないが、今、歩きながら思ったのは、バスの終点からここまでの距離が遠すぎることである。7年前は、「湯殿山本宮参道」を歩いて有料道路へ出て、道路の反対側から始まるザンゲ坂の入り口にすぐ着いた記憶があった。今、ザンゲ坂の入り口はとっくに通り過ぎてきた。

 いずれにしても、立ち入り禁止になっている道は「湯殿山本宮参道」ではないだろう。しかし、せっかくここまで来たから、すぐ近くにブナの森の中へ延びている道があるので、そこを歩いてみることにした。
 ブナの森の中へ入る。急な下り坂が続く。1時間程も下ったが、それらしい道を見つけることはできなかった。1年に1日を当てて3年間探したが、「湯殿山本宮参道」を再度見ることはできなかった。いつまでもこればかりを探している場合ではない。諦めるしかない。
 ブナの森の中の斜面を上がって有料道路に戻る。
  



 有料道路の坂を上がっていると、木立の間から湯殿山神社大鳥居が見えた。


湯殿山神社大鳥居


 昨年、大鳥居の近くに地下水を汲み上げている所があり、水が鉄管から噴き出していることに初めて気がついた。今日も傍に置いてある銅の柄杓に受けて水を飲む。とても冷たくておいしい。2本のペットボトルに水を入れて持って来たが、その水がぬるくなっていたので、2本とも空にして冷たい水を詰める。



 駐車場の横に、2階建ての休息所が建っていて「2階無料休息所」の看板が掛かっている。1階はお土産屋さんと食堂があり、2階は広い部屋に畳が敷かれていて無料の休息所になっている。バスを待つ間いつもそこで休んでいるので、今日も休もうと思って2階へ上がった。
 窓が閉められていて誰もいない。変だなと思っていると、若い男性が現れて、ここは使えなくなったんですよ、と言う。無料休息所の看板が出てますねと言ったら、それは自分には分かりませんと言う。話していても仕方ないので、休息所を出て日陰がある所を探して腰を下ろす。

 時間が経つにつれて晴れていた空に雲が多くなってきた。月山の方角から霧が湧き出ている。霧は次第に朝日連峰の山々を覆う。それと共に気温が下がってきたようで風が冷たくなってきた。 


朝日連峰


 停留所「湯殿山仙人沢」16時50分発の最終のシャトルバスに乗る。このバスは鶴岡駅前までノンストップで走る。田麦俣から高速道路へ入り、17時40分に鶴岡駅前に着いた。


・同年8月4日(日) (帰京)

 朝食後、鶴岡駅9時23分発「いなほ6号」に乗る。新潟駅に11時9分に着く。ホームの反対側に停車している新潟駅11時19分発上越新幹線「とき318号」に乗り換える。13時28分、東京駅に着く。





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