40 田麦俣 弘法の渡し 湯殿山(山形県)


・平成30年7月31日(火) 田麦俣   

 東京駅6時8分発上越新幹線「とき301号」に乗る。新幹線は空いていた。新潟駅に8時13分に着く。
 新潟駅は、今年4月、高架駅第一期が開業して、新幹線と羽越本線の特急のホームが同じになった。新幹線を降りると、ホームの反対側で待っている羽越本線の特急に乗り換えることができるようになった。新幹線と在来線のホームが同じ駅は新潟駅だけではないだろうか。
 しかし、今日は、乗客が少なかったためか、新幹線の扉は特急が待っている側とは反対の扉が開いた。エスカレーターを下りて、乗り換え改札口を通るとすぐ右に羽越本線のホームへ上がるエレベーターがある。

 新潟駅8時22分発羽越本線特急「いなほ1号」に乗り換える。特急は、もっと空いていて、一車両に10人ほどしか乗っていなかった。
 村上駅を過ぎて、左手に日本海が見えてきた。美しいライトブルーの海と明るい黄色の砂浜が続く。

 鶴岡駅に10時15分に着く。駅前の観光案内所で、今回訪ねる場所について尋ね、湯殿山、六十里越街道の観光パンフレットをいただく。
 
11時30分になったので、駅の構内にある食堂で昼食を摂る。食後、駅の待合室で休む。

 昨年の4月1日付で路線バスの大幅な廃止が行われた。鶴岡駅から田麦俣へ行くバスは、夕方2本だけになり、しかも、土、日、祝日は休みである。バスの変更が大きかったので、市役所の観光課に電話をして、バスの路線と時間、運行する日を優先して予定を立て直した。
 最初の予定を変更することになったが、いつものように田麦俣の民宿・田麦荘
に泊まり、湯殿山へ行った。

 ところが、田麦荘に泊まったとき、田麦荘の女性に伺ったが、午前と午後、鶴岡市の市営バスと庄交バスが、田麦俣と鶴岡駅の間にある鶴岡市役所朝日庁舎を中継点にして田麦俣と鶴岡駅をリレー式に運行していることを知った。私が市役所の観光課に問い合わせたとき、そういうバスがあることは教えてもらわなかった。

 それで、今年の4月に、再度、市役所の観光課に電話をして、それらのバスがあることを確認した。但し、田麦俣と鶴岡市役所朝日庁舎の間を走る市営バスは平日のみの運行である。
 更に、今年の6月から、鶴岡駅と湯殿山を結ぶバスが停留所「田麦俣口」、「田麦俣」のいずれにも停まらず、田麦俣は通過することになった。
 これには驚いたが、これも、バスの停留所や時間、運行する日を調べて、いつもは田麦荘に2泊して、湯殿山を訪ねる旅をしていたが、鶴岡駅前のホテルに1泊することを増やすことによって、いつものように田麦荘に2泊して、湯殿山へ行く方法が見つかった。
 この方法は、その都度、述べることにする。

 鶴岡駅前13時19分発「朝日庁舎前行き」の庄交バスに乗る。13時54分、停留所「朝日庁舎前」に着く。降りるときに料金を払う。そのとき、運転手さんに鶴岡市営バスに乗り継ぐことを話して、「乗り継ぎ割引券」をいただく。
 ここに、13時57分発の市営バスが待っているはずであるが、バスは停まっていない。プラスチックの屋根が熱くなっている待合所でバスを待つ。30分程も待たされて、やっとバスが来た。
 若い女性が運転していて、遅れましてすみません、と言ったが、市営バスの運行区間は約20分で結ぶ区間である。その区間を車が渋滞しているわけでもないのに30分も遅れることは、出発の時間を間違ったとしか思えない。

 約30分遅れて午後3時頃に停留所「田麦俣」に着く。降りるとき料金を払う。料金と一緒に「乗り継ぎ割引券」を渡す。100円、割り引いてもらった。

 「かやぶき屋」と、県有形文化財指定の旧遠藤家住宅の兜造り多層民家が2棟並んでいるのが見える。兜造り多層民家は何度も見ているが、茅葺の民家が2棟建つ風景は何度見ても心が和む。

 田麦俣、兜造り多層民家については、目次1、平成23年10月9日、目次7、平成24年10月6日、目次22、平成27年8月4日、目次28、平成28年8月9日及び「奥の細道旅日記」目次14、平成14年9月22日、23日参照。

 平成27年8月4~6日(目次22参照)、同28年8月9~11日(目次28参照)、同29年8月4~6日(目次34参照)、それぞれ2泊3日で田麦荘に宿泊して、今回は4回目の宿泊になる。

 兜造り多層民家とは反対の方向へ六十里越街道を歩く。急坂を上る。日射しが強く、汗みずくになる。鳥の囀り、蝉の鳴き声、虫の音の合唱を聞きながら上がる。20分程上がって国道112号線へ出る。右へ曲がる。今日と明日、2泊予約している民宿・田麦荘に着く。

 田麦荘の玄関の前から、重なる山の奥に、裾野を長く引いた月山のなだらかな姿が、くっきりと見えた。


月山


 民宿の女性が出迎えてくれる。またお世話になることを話して、挨拶する。
 田麦俣と湯殿山を旅行するときは、一週間の天気予報を調べて、晴であることを確認してから一週間前に予約している。今回、電話で予約したとき、民宿の女性が私のことをすぐ分かって、今回は他にお客さんはいませんから貸し切り状態ですよ、と言って笑った。

 2階の部屋へ案内される。部屋は予め冷房で冷やされていた。
 隣の部屋に名札が出ていた。急遽予約が入ったのだろう。
 

 4時に風呂へ入る。
 民宿の女性が、お客さんが少ないから従業員の人たちには休んでもらいました、と言った。家族だけでやっているのだろう。

 夕食の時間である6時に食事処である和室へ入る。テーブルが並べられている。自分の名前があるテーブルの前に座る。
 部屋の片方は全面ガラス窓になっていて、月山がよく見える。

 今年もまた、ここへ来ることができた。月山を眺めながら、豪華でおいしい食事ができる。 

 既にテーブルに並べられている料理がある。

 ・枝豆
  枝豆は山形の特産品である。
 ・よく冷やされた「もずく」
  小さいガラスのグラスに入っている。摺り下ろした生姜をのせている。
 ・サザエのつぼ焼き  

 料理が運ばれてきた。

 ・イカそうめん
 ・マトウダイのお造り
  ポン酢でいただく

 ・「はも」の唐揚げ 甘酢あんかけ ししとうが添えてある。
  「はも」は普段なかなか食べられない。
 ・イカの「げそ」と「腸(わた)」の奉書蒸し
  イカそうめんの残りで作ったのだろう。イカの「腸」がとてもおいしいものに変化している。
 ・鯛のチーズグラタン
 ・ポークソテー 梅のソース フライドポテトが添えてある。

 民宿の女性の娘さんが料理を運んで料理の説明をしてくれる。私が、いつもながら凄いご馳走ですね、と言ったら、いいえ、ご飯のおかずにならないでしょう、と言って笑った。

 デザートは、熟したメロンだった。
 今回もおいしい料理をいただいた。明日の夕食が楽しみである。


・同年8月1日(水) 弘法の渡し  

 朝6時30分に起きる。朝食の時間の7時に食事処へ行く。テーブルの上に、予め頼んでおいた弁当が載っていた。
 隣の部屋の客が食事処へ入ってきた。初めて顔を合わせた。若い男性2人だった。挨拶する。

 出発しようとしてロビーにいたら、男性2人も下りてきた。2人とも作業服を着ている。技術者のようだった。

 民宿の女性が、停留所「田麦俣口」へ車で送ってくださった。「田麦俣口」9時2分発の市営バスに乗る。9時33分に停留所「朝日庁舎前」に着く。降りるときに料金を払う。そのとき、運転手さんに庄交バスに乗り継ぐことを話して、「乗り継ぎ割引券」をいただく。
 庄交バスが待っている。庄交バスに乗り換える。9時35分に発車する。
 9時44分に停留所「板井川」に着く。降りるときに料金を払う。料金と一緒に「乗り継ぎ割引券」を渡す。100円、割り引いてもらった。

 帰りの「田麦俣行き」に連絡するバスで、停留所「板井川」を通るバスの最終は13時43分であるから、停留所に戻る時間も考えて、今日の目的である「弘法の渡し」を訪ねる。

 11年前の平成19年5月5日、大網(おおあみ)注連寺(ちゅうれんじ)から十王峠(じゅうおうとうげ)を越えて松根(まつね)まで六十里越街道(ろくじゅうりごえかいどう)を歩いた(「奥の細道旅日記」目次35参照)。そのとき、松根の櫛引橋を渡って、停留所「板井川」からバスに乗り鶴岡駅に戻った。
 櫛引橋から六十里越街道の起点になる「弘法の渡し」まで歩き残していたので、今日、これから「弘法の渡し」まで歩くことにする。

 注連寺については、目次28、平成28年8月10日、「奥の細道旅日記」目次14、平成14年9月15日及び同35、平成19年5月5日参照。
 六十里越街道については、目次7、平成24年10月6日、7日、目次22、平成27年8月4日、5日、目次28、平成28年8月9日、10日及び「奥の細道旅日記」目次35、平成19年5月5日参照。

 停留所「板井川」から櫛引橋までは、地図で見ると、約1、5キロの距離である。11年前は、櫛引橋を渡ってから停留所「板井川」まではすぐ着いた記憶があった。
 それが、歩いても歩いても、なかなか櫛引橋が見えない。歩いていて、ひどく疲れを覚えた。日射しが強いからだけではない。体力と脚力が衰えていて、歩くのが遅くなっている。

 緩やかな坂を上り、やっと赤川(あかがわ)に架かる櫛引橋(くしびきばし)に着いた。赤川は大河の風格を漂わせて滔々と流れている。


赤川


 櫛引橋を渡って松根へ入る。11年前に、初めて松根の町へ入ったとき、道路幅が広く、両側に広壮な家が建ち、家と家の間隔が離れている、広々とした場所を歩いた。ゆったりとして、おおらかで、老杉が聳える美しい町だった。

 松根は元和元年(1615年)から元和8年(1622年)まで僅か7年だったけれども、松根城が築かれていた。松根は松根城の城跡に造られた町である。城の遺構は何もないが、風格のある町のたたずまいが松根城の名残りではないかと思う。
 松根は六十里越街道の要衝の地であったため、山形藩重臣・松根光広(1589~1672)が一万石の領主となって、この地を守った。

 橋を渡って最初の角に、曹洞宗最上院(さいじょういん)が建っている。丸い石を積み上げた石塀が美しい。


最上院


 山形藩初代藩主・最上義光(もがみよしあき)(1546~1614)は、長男・義康(よしやす)(1575~1603)が謀反を企てていることを聞き及び、慶長8年(1603年)、家臣と他の者に義康を襲撃させる。義康は自刃する。
 義康が謀反を企てているという情報は、義光、義康親子を不仲にして敵対させることを目論んだ義光の近臣による讒言(ざんげん)であることを義康没後、義光は知る。義康は、父に対しては、生涯、孝心を持っていた。

 義康の従者だった一人が、我が子に命じて、義康の菩提を弔うために菩提寺を建てさせた。それが最上院である。

 最上院の内部を拝観する時間はなかった。
 最上院の角を左へ曲がる。緩やかに蛇行する道を500m程歩く。三叉路へ出る。左へ曲がる。

 市販の地図と六十里越街道の略図を持って歩いている。「弘法の渡し」は、略図によると、現在歩いている六十里越街道から左斜めに入っていくようだが、その入り口が分からない。誰かに尋ねようと思ったが、熱い陽が照り付ける時間に外に出ている人はいない。

 しばらく歩いていると、左側の小路を入った場所で、男性が小型のトラックの荷台に載せた農業用機械を点検していた。
 私が挨拶して、お仕事中すみません、と言って、「弘法の渡し」の場所を尋ねた。

 50代後半と思われる男性だった。男性は、車庫兼作業場と思われる建物の前にできている日陰へ入るように言って、作業場の中へ入り、ビール瓶のプラスチックケースを持って来て、それを引っ繰り返し、私にその上に座るように言った。私が疲れていると察してくださったのだろう。親切な人だなと思った。

 略図を見ていただいた。男性が、「弘法の渡し」は、ここから1キロありますよ、それに、「弘法の渡し」に植えられていた2本の松の木は、2年前に2本とも枯れてしまって、今は木はないですよ、と言った。

 「弘法の渡し」は、写真で見ると、2本の松の木がバランスよく左右に枝を広げて立っている。その松の木がなくなった、と伺って、がっかりした。距離もあと1キロということだから、暑いし、疲れているので、行くのは止めようと思って、そのとおり、男性に話した。
 すると、男性が、車で案内しましょうか、帰りも送りますよ、と仰ったので、びっくりして、お仕事中にそんなことをやっていただいたら悪いですよ、行ける所まで行って、帰りのバスのこともありますから、時間を見ながら引き返します、と言った。

 男性は、城が好きだから、よく全国の城をまわっている、と話された。ただ、仕事の関係で秋か春先の間でしか旅行できない、と言った。米作りをやられているようなので、稲刈りが終わった秋か、田植えの準備が始まる前の春先ということだろう。
 それから、少し、城と旅行の話をした。

 教えていただいたことのお礼を申し上げて、六十里越街道に戻り左へ曲がる。民家がなくなり、両側に、黄緑色の美しい稲田が現れた。
 
100m以上先に曹洞宗
松根庵(しょうこんあん)の建物が見えた。「弘法の渡し」は、松根庵の先を左へ入る。

 やはり、「弘法の渡し」へ行くのは諦めて、目の前に広がる美しい風景を眺めた。稲田の向こうに山が連なっている。空が広く見える。青い空に、白い雲が帯状に延びている。美しい夏の風景である。



 美しい風景をカメラに収めて、振り向くと、先ほどの男性が、道路に停めたトラックの前に、ニコニコして立っておられた。
 男性は、「弘法の渡し」へ案内しますよ、と仰った。私は、すっかり恐縮してしまったが、お言葉に甘えて、案内していただくことにした。

 「弘法の渡し」に着いた。2本の松の木の根元はまだ残っていた。ある程度、生育した松の木を植え直すという予定はないのだろうか。男性が、枝が横に広がったいい松だったんですけどね、と言った。


弘法の渡し


 渡し場にしては、赤川から離れている、と思っていたら、男性が、赤川は、現在、河川敷になっている所も当時は水が流れていたんですよ、と説明された。その説明で、ここに渡し場が設置されていたことが分かった。
 「弘法の渡し」は、
六十里越街道の起点であった。公用や湯殿山詣でなどの物資の輸送のため、当時は荷馬や人夫や駕籠などが常備されていた。

 戻る途中、先ほどの小路の前を過ぎて、男性が、ここが僕の家です、と仰った。右手に、2階建ての大きな家が建っていた。

 屋根瓦が目を引いた。黒光りしている瓦の波が美しい。瓦の表面を「うわぐすり」で化粧した釉薬瓦(ゆうやくがわら)だと思う。高価なものだろうに、屋根を覆う瓦が全て艶があり、光っている。
 新潟駅発羽越本線特急が村上駅を過ぎると、線路と、左手の海岸に沿って走る国道の間に、寺院や民家の全てが黒光りする屋根瓦を持つ集落が忽然と現れる。今回も車窓から眺めたが、いつも、その素晴らしい景観に圧倒される。男性の自宅の瓦も、そこで使われているのと同じ美しい瓦である。

 三叉路まで乗せていただいた。車を降りて、また少し、城と旅行の話をした。
 もっと話したかったのだが、男性は仕事中だったし、私はバスの時間が気になっていたのでお礼を申し上げて別れた。ありがとうございました。

 バスの停留所に戻りながら、来年、また、松根を訪ねて、次回はゆっくり最上院と松根庵を拝観したいと思った。
 鶴岡駅と松根を結ぶバスは、平日のみだけれども往復それぞれ4便ある。これだと、松根でゆっくりできる。そのときは、前日に鶴岡駅前のホテルに泊まらなければならない。

 停留所「板井川」13時43分発の庄交バスに乗る。13時54分、停留所「朝日庁舎前」に着く。昨日と同じ要領で13時57分発市営バスに乗り換える。今日は時間通りに市営バスが来た。運転手さんは50代くらいの男性だった。

 市営バスは、定員9名のジャンボタクシーを使用している。
 昨日は、乗客は私を含めて3名だった。今朝は5名だった。今日の下りは4名だった。市営バスは、地元の住民が病院や役所の他、是非必要な用事を行うための足として運行しているのだろう。私のような旅行者が多数乗り込んできて、住民が利用できない、ということはあってはならない。私は一人だったけれども、外部からの旅行者が2名以上になったら自分たちで移動の手段を考えなければならないと思う。

 14時28分に、停留所「田麦俣口」に着く「田麦俣」の一つ手前の「田麦俣口」で降りる。
 降りる前に、運転手さんが、ここで降りてどちらへ行くんですか、と聞いたので、昨日から田麦荘に泊っているんですよ、と話した。運転手さんが、田麦荘は料理の評判が良いですね、と言ったので、私も田麦荘で食事をしたくて来ているようなものですよ、と言った。
 

 昨日、停留所「田麦俣」で降りて、急坂を20分程上がって、すっかり疲れたので、今日は、「田麦俣口」で降りた。「田麦俣口」だと、田麦荘まで平らな道が続いている。しかし、「田麦俣」だと車の心配はないが、「田麦俣口」で降りると、車に気をつけなければならない。
 国道112号線を横断しなければならない。横断歩道などない。車が左右からスピードを上げて走ってくる。国道を渡ったら、次に高速道路の出入り口の前を横断する。渡り終わって左へ曲がる。約30分歩いて田麦荘に着いた。

 部屋は冷房で冷やされていた。
 4時に風呂へ入る。6時に食事処である和室へ入る。今日は一人だけの食事になった。

 民宿の女性が、明日は休みにします、と言った。私が予約しなかったら、昨日から休んでいたのかも知れない。明後日から複数の予約が入っているようである。
 また、女性は、前の国道で工事をやっていて蕎麦屋もお客さんが入らないから、明日は蕎麦屋も休みにします、と言った。
 「田麦荘」は民宿の他に、「ななかまど亭」という名前で蕎麦屋を営業している。インターネットで調べると、次のように説明されている。

 「当店のそばは、地元産の『常陸秋(ひたちあき)そば』を使用した外二です。石臼でじっくり丁寧に自家製粉した新鮮なそば粉と清らかな月山の名水を使い、全て手打ちで打ち上げています。」

 食事した人の感想はみんな好評である。遠くから、そばを食べることだけが目的で日帰りで来る人たちもいる、というお話を伺った。
 朝食をいただいているときに、そばを打つバタン、バタン、という音が聞こえることがある。

 食事をするのは私一人だけだったけれども、有り合わせの材料ですませるということはなく、いつもと同じ手がかかったご馳走だった。また、いつも料理の品数が多いと思っているが、今日の夕食はいつもよりもっと品数が多いような気がした。

 ・ししとうの天ぷら
  中に味噌が入っている。そのまま食べる。味噌が熱いので、味噌の香ばしさが際立っている。

 ここからメバル尽くしの料理だった。

 ・メバルの酢の物
  山芋を短冊にしたものと「もずく」がかかっている。
 ・メバルのお造り
 ・メバルの焼き物
 ・メバルの奉書蒸し
  玉ねぎ、ミニトマトを入れて一緒に蒸している。

 ・マトウダイの煮物
 ・えんしょうカレイの煮物 焼き茄子が添えてある。
 ・ポークの焼き肉
  土鍋の中に、ポーク、玉ねぎ、ししとう、ミニコーンが入っている。
  その上に、ニンニク味噌を載せて、蓋をして火をつける。
  香り高い、おいしい焼き肉を味わう。
 ・浅利汁
  たくさんの浅利の他に、大きくカットした豆腐、ホウレンソウが大ぶりの器に入っている。
  田麦荘の料理は、どれも量が多いが、この浅利汁も優に3人分はあった。

 デザートは、分厚く切ったスイカだった。尾花沢のスイカです、と言って出された。山形県尾花沢はスイカの名産地である。甘くておいしい。


・同年8月2日(木) 湯殿山

 朝6時30分に起きる。朝食の時間の7時に食事処へ行く。テーブルの上に、予め頼んでおいた弁当が載っていた。

 今年の6月から、鶴岡駅と湯殿山を結ぶ鶴岡観光シャトルバスが停留所「田麦俣口」、「田麦俣」のいずれにも停まらず、田麦俣は通過することになった。そこで市営バスとシャトルバスを組み合わせることによって湯殿山行きを可能にすることができた。
 市営バスは、土、日、祝日は運行しない。シャトルバスは、6月から11月3日までは、土、日、祝日の運行である。但し、7月20日(土)から8月20日(月)までは毎日運行する。
 シャトルバスの、湯殿山行きは3便、帰りは4便である。

 鶴岡駅を8時45分に出発したシャトルバスが10時30分、停留所「月山あさひ博物村(道の駅 月山)」に停まる。停留所「田麦俣口」発9時2分の市営バスに乗ると、停留所「月山あさひ博物村」に9時12分に着く。1時間余り、鶴岡駅から来るシャトルバスを待つことになるが、これで湯殿山へ行くことができる。
 帰りのバスの2便は湯殿山発が12時20分。3便は15時に発車するが、2便、3便ともに羽黒山方面へ回り、終点が「羽黒随神門」である。
 最終の便は17時20分で、湯殿山から鶴岡駅までノンストップで50分で走る。湯殿山で過ごす時間もちょうどいいので、このバスに乗ることにする。
 以上の状況を考えて、今回の予定を立てた。

 一昨日、田麦荘に着いて、今回の旅の予定を民宿の女性に話したら、「道の駅」は、車で送ります、と言っていただいた。それが、今朝、娘がこれから鶴岡駅の近くに行きますから娘に送らせます、ということになり、娘さんの運転で送っていただくことになった。
 運転しながら娘さんが、今は何にもないんですよ、6月になると月山筍が採れるので、軽くあぶったり、天ぷらにしてお出しするんですよ。冬は寒鱈がおいしいですよ、と話した。私はいつも、豪華でおいしい食事をいただいているが、もっと、おいしい料理を食べていただこうと思っておられるんだな、と思い、その心遣いをありがたいと思った。

 車は10分程で「道の駅」に着いた。気をつけて行ってらっしゃいの言葉に送られて、お礼を言って車から降りた。今回も、ご馳走をいただいて、みんなに親切にしていただいた。ありがとうございました。

 湯殿山行きのシャトルバスが来るまで時間が30分以上あったので、観光案内所へ行き、観光パンフレットを見ていた。

 シャトルバスが10時30分に着く。乗車するときに、全区間乗り放題の1日乗車券3、000円を買う。片道2、000円だから片道づつ買うよりも1、000円得になる。11時に、停留所「湯殿山仙人沢」に着く。

 6年前の平成24年10月7日、初めて田麦俣から湯殿山まで六十里越街道を歩いた(目次7参照)。
 その日、仙人沢に架かる橋を渡り終わって、しばらくして辺りが暗くなり、雨が降り出した。それから急いで歩いたので周囲をよく見ないで通り過ぎた。そのため、もう一度、仙人沢から湯殿山まで歩き直したいと思っていた。
 昨年、湯殿山有料道路から仙人沢まで下りて、湯殿山まで歩き直していたが、歩くのが遅くなったために、予想以上に時間がかかってしまった。有料道路まで戻ったときに、最後の坂道になるザンゲ坂を上がっていたら湯殿山発の最終のバスに乗り遅れる虞があったので、ザンゲ坂は次回に来たときに上がることにした(目次34、平成29年8月5日参照)。

 また、6年前、有料道路へ出る前に、「湯殿山本宮参道」の標識が立ち、短い距離だったが、旧参道と思われる石灯籠が並ぶ平らな道を歩いたが、昨年は見なかった。どこかで道を間違ったのだろう。次回は、「湯殿山本宮参道」も探そうと思った。

 バスを降りて、駐車場の端に建つ湯殿山休息所へ行く。湯殿山参拝バスのチケットの販売所があり、男性が座っていた。その男性に「湯殿山本宮参道」について尋ねたが、分からないと言われた。
 また、荷物を預けるコインロッカー又は預かってくれる所があるかどうか伺ったが、ありませんね、と言われた。それから、男性が、ここで預かりましょうかと言ってくださったが、短い時間だったらお願いできたが、「湯殿山本宮参道」を探すのに時間がかかりそうだったので、お礼を言って販売所を出た。

 旅行するとき重い荷物を背負って長い距離を歩くことが無理になったので、旅先へ着いたときは、宿泊を予約しているホテルへ預けたり、コインロッカーを使ったりしている。今日、これから旅行の荷物を全部背負って歩けるかな、と自信がなかったが、今、バスに乗って通った湯殿山有料道路を後戻りする。

 30分程歩く。右側に、六十里越街道の案内の「六十里越街道」とプリントされた幟旗が立っていて、六十里越街道が通っている。昨年と同じように右へ曲がり六十里越街道へ入る。
 しばらく、険しい山道を上ったり、下ったりして「湯殿山本宮参道」を探したが見つけることができなかった。
 入口が違ったのだろうと思い、有料道路に戻り更に30分程後戻りした。

 それでも見つけることができなかった。そのうちに暑さと荷物の重さにくたびれてしまった。湯殿山休息所に戻ることにした。ザンゲ坂の案内板が立っている前を通ったが、疲れてしまって、ザンゲ坂を上がる体力も気力もなかった。来年の夏、また訪ねて、ザンゲ坂だけでも歩き直そうと思った。

 市街地に比べると温度は10度は低いようである。日射しの強さは他と同じだが、風は熱風というのではなく、乾いたからっとした風である。日陰に入ったり、陽が雲に陰ったりすると、風は爽やかに感じられる。

 有料道路の坂を上がっていると、木立の間から湯殿山神社大鳥居が見えた。


湯殿山神社大鳥居


 湯殿山は何度も訪ねているが、大鳥居の近くに地下水を汲み上げている所があり、水が鉄管から噴き出していることに初めて気がついた。傍に銅の柄杓があったので、飲んでみた。とても冷たくておいしい。5杯飲んだ。今朝、民宿で、2本のペットボトルに水を入れてもらったが、その水がぬるくなっていたので、2本とも空にして冷たい水を詰めた。



 湯殿山休息所の横にベンチがある。休息所の屋根で日陰ができていたので、いつものようにベンチに座って、民宿で作ってもらった弁当を食べる。おにぎりだった。

 休息所の2階に無料の休息所があるので、そこへ上がって休む。広い部屋に畳が敷かれている。流しがあり、水道がある。水道の上に、次のような掲示がある。「月山のおいしい水です。ご自由にお飲みください。」

 クーラーはないけれども、開けはなしている窓から涼しい風が入ってくる秋風を思わせる爽やかな風だった。畳の上に横になって3時間ほども休んでいた。
 今日は、湯殿山で涼風を感じるだけで終わってしまった。

 停留所「湯殿山仙人沢」17時20分発のシャトルバスに乗る。進行方向の右側に座ったので、窓から右側を注意して見ていた。
 有料道路の先ほど戻った地点から更に1キロ程下った右手に、「六十里越街道」とプリントされた幟旗が立ち、森の中に続く平らな道が見えた。あの道が「湯殿山本宮参道」の旧参道ではないかと思った。6年前に歩いた距離が、昨日の松根と同じように遠い距離に感じられたのだろう。

 来年の夏、また訪ねたとき、あの道を歩いてみようと思った。荷物を預けた方がいいから、これから湯殿山を訪ねるときは、昨日の松根と同じく、前日に鶴岡駅前のホテルに泊まらなければならない。

 バスは田麦俣から高速道路へ入り、18時10分に鶴岡駅に着いた。鶴岡駅前の、予約していたホテルにチェックインする。


・同年8月3日(金) (帰京)

 ホテルで朝食後、鶴岡駅9時23分発羽越本線特急「いなほ6号」に乗る。約5分遅れて新潟駅に着いた。今度は降りたホームの中央に設置されている自動改札を通り、同じホームの反対側で待っていた上越新幹線「とき318号」にすぐ乗り換えることができた。
 
新幹線は11時19分に発車する。満席だった。13時28分、東京駅に着く。





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