1 羽黒山 土門拳記念館 田麦俣 湯殿山(山形県)


・平成23年10月8日(土) 羽黒山 土門拳記念館 

土門拳記念館


 上越新幹線に乗り、新潟駅で羽越線の特急に乗り換える。鶴岡駅に近づくにつれて、右側の車窓から月山と鳥海山が見えてきた。
 鶴岡駅に10時27分に着く。駅前から10時42分発の「羽黒山頂」行きのバスに乗る。

 (鶴岡市については、「奥の細道旅日記」目次13、平成14年8月18日、同目次14、同年9月16日及び9月23日、同目次16、同年11月24日参照)

 30分程乗っていると、右側の車窓から、庄内平野の向こうに、なだらかな山容の月山が見えた。
 バスは、高さ20m、幅15mの朱塗りの巨大な両部鳥居の下を潜って走る。鳥居は昭和4年(1929年)に寄進されたものである。

 鳥居を潜ると緩やかな坂になる。道路はきれいに掃き清められ、厳粛な雰囲気に変ってくる。
 羽黒町
手向(とうげ)の宿坊街に入る。建物も庭木もよく手入れされている。辺りが清浄なものに満たされている。
 (羽黒山、手向の宿坊街については、「奥の細道旅日記」目次11、平成13年9月23日、同年10月6日及び10月7日参照)

 11時35分に羽黒山頂に着く。
 4年前の5月、羽黒山頂から、新緑の中、鶯の声を聞きながら旧月山登拝道を歩いた(「奥の細道旅日記」目次35、平成19年5月4日参照)。
 旧月山登拝道を歩いて、「ぶな」の林の中を通った。未だ早いと思うが、あるいは、あのとき萌黄色に輝いていた「ぶな」の林が黄金(きん)色に変っているかも知れない。そう思って、今日、旧月山登拝道を歩くことにした。

 ところが、旧月山登拝道の入り口に行くと、「7月に崖崩れが発生。現在修復中につき立ち入り禁止」と書かれた標識が立っていて、ロープが張られていた。

 旧月山登拝道は断念しなければならないが、以前から行きたいと思っていた、酒田市の土門拳記念館へ行くことを思いついた。
 バスで鶴岡駅に戻り、羽越線の下り、各駅停車の電車に乗る。約35分で酒田駅に着く。
 コミュニティーバスがちょうど出た後だった。次のバスは2時間ほど待たなければならないので、タクシーで行く。

 (酒田市については、「奥の細道旅日記」目次11、平成13年10月8日、同目次12、平成14年3月17日、同目次13、同年5月26日、同目次14、同年9月21日参照)

 タクシーは、最上川に架かる長さ1、250mの出羽大橋を渡る。約15分で土門拳記念館に着いた。

 写真家・土門拳(1909〜1990)は、酒田市に生まれる。
 数多くの業績により、昭和49年(1974年)、酒田市名誉市民第1号となる。土門は、それを徳として、自身の全作品を酒田市に寄贈する。
 酒田市は、昭和58年(1983年)、土門拳記念館を建設し、土門の全作品約70、000点を収蔵し、保存している。

 入館する。内部は広々としている。膨大な作品の中から順次公開している。
 入り口に近く設けられているスペースに『ヒロシマ』が展示されている。

 次に広い展示室に入る。『古寺巡礼』と、土門拳の原点だったと言われている『室生寺』の、いずれも大きな写真が並べられている。ゆったりとした場所だから、落ち着いてじっくりと鑑賞することができる。
 対象に真正面から向き合って、技巧を凝らさずそのまま写し撮っている。
 室生寺金堂十二神将の一部は、憤怒の形相で手を振りあげている。東大寺戒壇院四天王は表情が豊かで、今にも声を張り上げそうな気配がある。
 寺の屋根の反りや山門の上部が切り取られ、全景が写されてない写真もある。むしろ、この方が、枠内にきちんと納まったものよりも見る者にその存在が迫ってくる。 

 外に出て、記念館の前に広がる湖の周囲を歩く。
 記念館のちょうど反対側まで歩いて来たとき、湖を隔てて見る記念館の美しさに陶然となった。
 建物が水面に映り、水に浮かんでいるように見えた。端正で気品がある。紙と木でできていた昔の日本家屋の直線の美しさと軽やかさを思い出した。

 土門拳は、被写体を凝視し、写すべきものの本質を理解するまでシャッターを切らなかった、自分が納得がいく写真が撮れるまでお金と時間を惜しまず何度も同じ場所に通った、といわれている。
 凛とした佇まいのこの記念館は、土門拳の完璧を求めた作品を収蔵し、展観するのにとてもふさわしいと思った。

 設計は、建築家・谷口吉生(たにぐちよしお)氏。こんなにも美しい現代建築が存在していたことを初めて知った。
 これから機会あるごとに谷口吉生氏の作品を見学しようと思う。


・同年10月9日(日) 田麦俣 湯殿山

 朝、昨日チェックインした鶴岡駅前のホテルを出る。2泊予約していた。
 駅前から9時17分発「湯殿山」行きのバスに乗る。

 車窓から眺める風景が懐かしい。
 10時13分に
田麦俣に着く。バスを降りる。兜造り多層民家をまた見ようと思った(田麦俣、兜造り多層民家については、「奥の細道旅日記」目次14.平成14年9月22日及び9月23日参照)。


田麦俣 兜造り多層民家


 現存している兜造り多層民家は僅か3棟である。田麦俣に2棟残っている。もう1棟は、昭和40年(1965年)、田麦俣から鶴岡市内の致道(ちどう)博物館に移築され、保存されている。移築された旧渋谷家住宅は文政5年(1822年)に建築されたものである。国重要文化財に指定されている。

 元は田麦俣の民家も茅葺の寄棟造りであったが、明治になって養蚕が盛んになると、通風と採光のために妻側を切り取り、兜を載せたような形に改造した。平側も通風と煙出しのために窓を造った。

 バスの停留所から見ると、右側に旧遠藤家住宅が建っている。江戸時代後期の文化文政年間に建てられたと推定され、明治10年代に兜造りに改造された。県指定文化財である。一般公開されている。
 左側の兜造り多層民家は、「かやぶき屋」という名前で民宿を営んでいる。

 「かやぶき屋」でチケットを買い、旧遠藤家住宅の建物の内部と外側を見学する。

 約2時間後に来た12時33分発の「湯殿山」行きのバスに乗る。
 12時56分に停留所「湯殿山」に着く。湯殿山神社の朱塗りの巨大な鳥居が立っている(湯殿山については、「奥の細道旅日記」目次15、平成14年10月13日参照)。

 鳥居の下にある駐車場は車で一杯である。バスも乗用車もここから先には行けない。ここからは湯殿山神社本宮入り口まで専用の参籠バスが往復している。

 参籠バスに乗らないで歩く。鳥居を潜ると急な坂道になる。
 10分程上ると、梵字川に架かる朱塗りの御沢橋が見えてきた。御沢橋の手前右側から湯殿山神社に向かって上る参道があるが、橋が出来てからは危険なため一般の人は立ち入り禁止になっている。橋を渡りながら梵字川の渓谷を見る。橋を渡ると坂道がなお急になった。


御沢橋


 8年前に来たときに比べると、紅葉の見頃は一週間後くらいに思われたが、それでも美しく色づいている。
 それに何と美しい秋の空だろう。きれいな青い空がどこまでも広がっている。紅葉を見るのが目的で来たが、こんなに美しい空を見ることができるとは思ってもみなかった。








 紅葉と空を見ながらゆっくり坂を上る。
 50分程で湯殿山神社本宮入り口に着く。今回はお参りはしないで、ここまでにする。山から引いた水が鉄製の龍の口から出ている。柄杓に受けて飲む。冷たくておいしい。
 少し休んで、帰りもゆっくり歩いて坂を下った。


・同年10月10日(月) (帰京)

 ホテルで朝食後、すぐ帰る。





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