2 名建築を訪ねるー1


・平成23年11月3日(木) 求道会館 


求道会館


 求道会館(きゅうどうかいかん)は、外観はキリスト教の会堂に見えるが、内部正面に銅板葺の六角堂を配している。六角堂には阿弥陀如来が安置されている。このことから仏教の施設であることが分かるが、内部はキリスト教会か学校の講堂のような造りである。


求道会館 内部


 大正4年(1915年)竣工。施主は真宗大谷派の僧侶・近角常観(ちかずみじょうかん)(1870〜1941)。設計は建築家・武田五一(たけだごいち)(1872〜1938)である。

 求道会館は現在、仏教講話、講演会、結婚式、琵琶等邦楽の演奏会を含むコンサート等に使用されている。
 毎月第四土曜日の午後、一般公開されているが、今日の文化の日、特別に一般公開された。東京都が行う「文化財ウィーク」があり、毎年、文化の日を中心にして約一週間、都内の文化財に指定されたものについて一般公開している。

 中に入って間もなく、今日2回目と思われる建物の説明を伺うことができた。
 ご説明くださった方は、建築家であり、大学の講師を務めておられる
近角(ちかずみ)真一先生であった。近角先生は、近角常観のお孫さんである。

 説明の主な内容を記す。

 近角常観は、大学卒業後2年間、ヨーロッパ、アメリカをまわり、宗教事情の視察をする。帰国後、学生寮である求道学舎を設立し、仏の教えを語り、寝食を共にして青年学生を育成する。
 キリスト教の日曜礼拝に倣って日曜講話を始めたところ、一般の人たちも大勢集まってくる。そこで、大きな建物を建て、大勢の人たちに説教を聴いてもらいたいと考え、建築を武田五一に依頼する。明治36年(1903年)のことであった。

 武田五一も同じ時期にヨーロッパ、アメリカに留学して帰国したばかりであった。
 従来の様式化された建築に疑問を抱いていた武田五一は、留学中、目的に適った建築をする近代建築を始めとして、アール・ヌーヴォー、ドイツのユーゲントシュティール、
イギリスのアーツアンドクラフツ、ウィーンを彩ったゼツェッション等の美術を学んだ。
 依頼を受けた武田五一は設計に12年を費やし、求道会館は大正4年に完成する。

 戦後、求道会館は使用されることなく閉鎖され、朽廃の道を辿っていた。
 平成6年、東京都有形文化財に指定される。指定を受け、平成8年、修復工事を開始する。平成14年、工事が完了する。求道会館は再生し、往時の姿を取り戻した。 

 2階の会衆席に場所を移動して説明を続けられた。

 天井と柱はなく、小屋組は木造トラス。正面のアーチは、光背(こうはい)をイメージしたものと思われる。模様はアール・ヌーヴォーである。



 2階会衆席の後に上げ下げ式の窓がある。上段に美しい半円形のステンドグラス5枚が嵌め込まれている。
 中央のステンドグラスの樹木は菩提樹である。お釈迦さまが菩提樹の下で悟りを得たことに由来する。菩提樹は枝を伸ばし、葉を茂らせている。薄紫色の小鳥たちが、オレンジ色の羽を広げ、お釈迦様の説教を聴きに集まっている。





 約1時間のご説明が終わった。温厚なお人柄を思わせる落ち着いた、穏やかな話し方であった。
 ご説明が終わったとき、約80名の聴衆が一斉に拍手した。
 建築の専門的なお話しを交え丁寧に分かりやすくお話ししていただいたことに対する、私も含めて皆の感謝の表れだったと思う。ありがとうございました。

 求道会館は、文化財建造物を再生し、動態活用を実現していることに優れていることが高く評価され、平成16年、「第45回BCS賞(建築業協会賞)」の「特別賞」を受賞した。

 武田五一が造りあげた、正確で美しいディテール(細部)を詳細に見る。19世紀末から20世紀にかけてヨーロッパで流行したデザインを見ることができる。

 正面のアーチ状の、山吹色の地に描かれている白い曲線は植物の蔓を図案化したものと思われる。
 2階会衆席の手すりの装飾は、「卍」の幾何学的なデザインである。1903年に創立されたウィーン工房封筒や便箋に印刷されたエンブレム(標章)に似ている。

 1階会衆席の椅子の肘掛に、焦げ茶色に塗装された細い角材が格子のように間を空けて縦に取り付けられている。階段の手すりも同じ色に塗装された細い角材が間を空けて縦に取り付けられている。昔の商家の連子(れんじ)格子のようである。
 これを見て、ウィーン工房の創立メンバーの一人であったヨーゼフ・ホフマン(1870〜1956)製作の椅子を思い出した。
 ヨーゼフ・ホフマン製作の椅子は、細い角材が格子のように縦に取り付けられ、肘掛と背もたれの三方を囲んでいる。

 建築家であったヨーゼフ・ホフマンは、ウィーン工房では建築の他に家具、食器、装身具等も製作していた。
 それらは、建築もそうであるが、ほぼ直線で構成され、あるいは直線が交差している。作品の中には、市松模様の物入れ、煙草盆のようなバスケット、行燈のような銀製の、花瓶のカバーがある。

 アーツアンドクラフツの推進者であったチャールズ・レニー・マッキントッシュ(1868〜1928)も同じようなデザインのテーブルや椅子を製作しているが、私の推測では、ヨーゼフ・ホフマンは、アーツアンドクラフツの他に、ジャポニスム(日本趣味)にも刺激を受けたのではないかと思う。日本の家屋の柱、障子、格子、梁、束柱(つかばしら)等の直線の美しさに魅せられたと思う。
 武田五一も留学中、ジャポニスムに影響を受けた作品を目にしたと思う。

 ウィーンから遠く離れた極東の地で、ほぼ同じ時期に同じデザインの家具が造られたことに驚嘆する。

 理想を語った近角常観と、それを可能にした武田五一の二人の幸福な出会いがあった。
 その後、近角常観と武田五一の遺したものを、ディテールに至るまで正確に
甦らせたことは、近角真一先生が建築の専門家であったから実現できたことと思う。


 東京都文京区本郷6−20−5
 地下鉄南北線東大前
駅 地下鉄丸の内線本郷三丁目駅 都営地下鉄春日駅下車


・同年11月5日(土) 自由学園明日館講堂

 旧帝国ホテルを設計したアメリカ人建築家フランク・ロイド・ライト(1867〜1959)と彼の弟子だった遠藤新(あらた)(1889〜1951)の合作になる建物が東京都豊島区に建っている。自由学園明日館(みょうにちかん)である。
 (フランク・ロイド・ライト、遠藤新、自由学園明日館については、「奥の細道旅日記」目次6、平成12年8月16日参照)

 帝国ホテルの設計のために来日していたライトは、自由学園の校舎の設計も引き受ける。
 ところが、ライトは、帝国ホテル、自由学園の校舎の、いずれも工事半ばにして帰国する。帝国ホテルの工事費が着工時の予算の6倍になったことと工事の遅延の責を負わされたのである。

 遠藤新は、帝国ホテル、自由学園の校舎の工事を引き継ぎ、いずれも完成させる。
 大正10年(1921年)、自由学園中央棟、西教室棟が竣工、大正14年(1925年)、東教室棟が完成する。
 道路を隔てた反対側に建つ、遠藤新が設計した
自由学園講堂は、昭和2年(1927年)に完成する。

 昭和9年(1934年)、自由学園は、東京都東久留米市に移転する。以後、この校舎は明日館と命名され、卒業生の活動の拠点として使われている。

 自由学園明日館(以下、明日館と称する。)、自由学園明日館講堂(以下、講堂と称する。)共に平成9年、国の重要文化財に指定された。

 講堂は一部二階建である。屋根や軒を深く張り出し、水平線を強調している。
 玄関の脇に、垂直線に斜線を組み合わせたデザインの照明器具が立っている。大谷石の上に設置され、屋根を支えている。これは、明日館と同じである。


自由学園明日館講堂


照明器具


 講堂内部の壁と天井に張られたモールディングがアクセントとなって全体を引き締めている。瀟洒で気品がある。


講堂 正面


 垂直線と水平線に斜線を組み合わせた幾何学的なデザインがパターンとなって繰り返され、デザインが少しづつ変化して、洗練された美しい部屋を作った。




 内部の柱と暖炉にも大谷石を使っている。大谷石は温かみがあり、気持ちを落ち着かせる。
 2階へ上がる。両側に、垂直線に斜線を組み合わせたデザインの照明器具が設置されている。これも明日館と同じである。


 東京都豊島区西池袋2−31−3
 JR池袋駅 地下鉄丸の内線池袋駅下車


・同年11月13日(日) 法隆寺宝物館 表慶館

 先月の10月8日、山形県酒田市で土門拳記念館の建物を見て、その美しさに圧倒された(目次1、平成23年10月8日参照)。
 設計は、建築家・
谷口吉生(たにぐちよしお)氏である。谷口吉生氏の他の作品も見たいと思い、東京国立博物館へ行く。

 上野公園内にある東京国立博物館の敷地内に、谷口吉生氏設計の法隆寺宝物館がある。
 最初の法隆寺宝物館は、昭和37年(1962年)に建てられていたが、平成11年、現在の法隆寺宝物館に建て替えられた。

 法隆寺宝物館は、明治11年(1878年)、法隆寺から皇室に献納され、戦後、国に移管された「法隆寺献納宝物」300点余りを収蔵、展示している。

 常設展の安い料金で、平成館で行われている特別展以外の全ての展示物を見ることができる。
 博物館の入り口を入って、左へ曲がる。80m程歩く。法隆寺宝物館が建っている。


法隆寺宝物館


 法隆寺宝物館を見たとき、土門拳記念館を見たときと同じ深い感動があった。

 壁板は薄く、柱は細い。重量感がなく、軽やかである。水を前面に配置し、建物が水に浮いているように見える。縦と横の直線が美しい。昔の日本の家屋にある直線の美しさを感じる。
 シンプルだけれども殺伐としていない。研ぎ澄まされた美がある。典雅で気品のある建物である。

 中に入る。手前の全面がガラス張りになっている。ガラスの継ぎ目を見て驚いた。継ぎ目が目立たないような技術でガラスが張られている。全面が一枚のガラス張りか、あるいは、遠くから見ると何もないように見える。

 外に出て、元に戻る。左手に、表慶館が建っている。


表慶館


 明治33年(1900)年、皇太子殿下・嘉仁(よしひと)親王(後の大正天皇)(1879〜1926)のご成婚を記念して明治41年(1908)に建てられた。
 設計は、
片山東熊(かたやまとうくま)(1854〜1917)である。片山東熊は宮廷建築家と呼ばれた。旧東宮御所(現・迎賓館)他の作品がある。鹿鳴館を設計したイギリス人建築家・ジョサイア・コンドル(1852〜1920)の弟子である。

 中央と左右に銅板葺の美しいドーム屋根をいただくネオバロック様式の壮麗な建物である。煉瓦造石張り2階建。昭和53年(1978年)、国重要文化財に指定された。

 



 中に入る。中央ドームの天井を見上げる。
 様式に忠実な設計がなされて完成された華麗な宮殿建築を見ることができるのはありがたいことである。

 



 東京都台東区上野公園13−9
 JR上野駅 地下鉄日比谷線上野駅下車





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