13 吹浦〜象潟(秋田県) 鶴岡〜酒田


・平成14年5月25日(土) 吹浦〜象潟

 山形新幹線に乗り新庄駅で降りる。陸羽西線に乗り換え酒田駅で降りる。羽越線に乗り吹浦(ふくら)駅で降りる。
 国道7号線を歩く。左手に吹浦漁港が見える。漁船が停泊している。防波堤で釣りをしている人達がいる。


      あつみ山や吹浦(ふくうら)かけて夕すずみ


 国道は日本海に沿って左に大きくカーブする。両側は松並木が続く登り坂になる。「あつみ山や」の句碑が立っている。
 1キロ程歩く。国道の崖から砂浜に続く岩に十六羅漢と仏像が22体彫られている
十六羅漢岩がある。

 海難事故で亡くなった人の供養と海上の安全を祈り、近くの海禅寺の21代住職・石川寛海和尚が彫ったものである。寛海和尚の発願(ほつがん)は元治元年(1864年)、4年後の明治元年(1868年)に完成する。

 砂浜に降りて近くで見る。表情がよく分かる。
 時折突風が吹き、波が岩に当たって砕け散る中、岩場で釣りをしている人がいる。

 2キロ程歩く。湯ノ田温泉の前を通る。旅館が2軒建っている。
 歩道を高い場所に設けているので眺めがよくなる。視野一杯に日本海が見える。水平線まではっきり見える。

 4キロ程歩き、有耶無耶(うやむや)の関跡の前を通り秋田県象潟町に入る。遂に秋田県まで歩いた。東京を出て、寄り道を含めて67日目だった。

 小砂川(こさがわ)の集落を通る。国道の下の美しい砂浜に松林が続き、波が静かに打ち寄せている。「夕日のポイント」と書かれた案内板が立っている。
 反対側からバイクの一団が現れて、轟音を響かせて去って行く。サイクリングのグループは、笑顔で手を振ってくれる。JR弘前駅と東能代駅を結ぶ五能線沿線の国道を、日本海を右に見ながら走って来たのだろうか。

 10キロ程歩き象潟(きさかた)駅に着く。上りの特急に乗る。右手に日本海に落ちる太陽が見える。海が黄金(きん)色に煌めいている。

 1時間後に鶴岡駅に着く。予約していた東京第一ホテル鶴岡にチェックインする。


・同年5月26日(日) 酒田

 朝、ホテルの大浴場で風呂に入る。

 羽越線に乗り酒田駅で降りる。駅を出て200m程歩く。八雲神社の角の十字路を越えて真っ直ぐ歩く。1キロ程歩き左へ曲がる。500m程歩いて、日本海が望める日和山(ひよりやま)公園に着く。
 日和山は、漁師や船頭が海上の空模様を見て天候を予測した丘である。

 少し下った場所に、白い木造六角洋式灯台が立っている。明治28年(1895年)最上川河口に建てられ、昭和33年移築、保存された。



 公園内に、市の有形文化財に指定されている白い板壁の旧白崎医院が建っている。大正8年(1919年)に建てられた木造洋風建築である。解体移転し、昭和55年復元保存された。外科専門の医院で、当時の手術室を見ることができる。元は、広い入院棟を併設していた。

 15分程歩き、山王山として親しまれている森の中の下日枝(しもひえ)神社に着く。鳥居は、山王鳥居であるが、左右に副柱を配した両部(りょうぶ)鳥居を合わせている。
 輝く若葉に包まれて、明治36年再建の
随神門(ずいしんもん)が立っている。門を潜り右へ曲がり、長い参道を歩く。天明4年(1784年)建築の本殿の前に出る。




下日枝神社 




随神門


・同年8月14日(水) 余目

 山形新幹線に乗り新庄駅で降りる。陸羽西線に乗り換え余目(あまるめ)駅で降りる。
 駅前の静かな通りを200m程歩く。国道47号線を反対側に渡り右へ曲がる。200m程歩く。左側に、
「生活センター梵天(ぼんてん)」が建っている。3階建ての建物の上に3層の天守閣を造っている。1階に余目温泉の共同湯がある。
 浴室は広くて明るい。微かに硫黄の匂いがする。汗を流してゆっくり休む。

 羽越線に乗り鶴岡駅で降りる。東京第一ホテル鶴岡にチェックインする。4泊予約していた。


・同年8月15日(木) 鶴岡〜酒田

 今日、月山の8合目まで登り、明日は、8合目から頂上を越えて湯殿山に下りる予定を立てていたが、雨が降っている。月山に登ることは中止して、歩き残していた鶴岡から酒田までを歩くことにする。

 芭蕉は鶴岡から酒田までは舟で移動している。

 ホテルを出て500m程歩く。国道7号線に入り羽越線の線路を越える。3キロ程歩き、赤川に架かる長さ308mの蛾眉橋(がびきょう)を渡り三川町に入る。
 気
温は25度位だが湿度が高くなっているようで蒸し暑い。雨が降ったり止んだりを繰り返し、その都度傘を開いたり閉じたりする。空は黒い雲に覆われ、田畑は雨に煙る。

 12キロ程歩き、国道7号線と別れて最上川沿いに歩く。日本海に近くなり、川幅が広くなった最上川は滔々と流れている。
 田畑を潤し、水の恵みを与えてくれた最上川は、229キロの長い旅を終えようとしている。


      暑き日を海にいれたり最上川(もがみがわ)


 2キロ程歩き最上川に架かる出羽大橋を渡る。左手に山居倉庫を見ながら3キロ程歩く(山居倉庫については、目次11、平成13年10月8日参照)。
 酒田駅に着く。羽越線に乗る。砂越(さごし)駅、余目駅、鶴岡駅の近くに米の貯蔵庫がある。切妻屋根の倉庫が並ぶ景観は、山居倉庫に似ている。


・同年8月16日(金) 象潟

 今日も雨が降っている。象潟(きさかた)へ行く。羽越線の下りの特急に乗り、1時間後に象潟駅に着く。
 駅を出て200m程歩く。国道7号線に入り右へ曲がる。雨は降ってはいないが曇っている。時々、雲の切れ間から薄日が射す。
 1キロ程歩き、右へ曲がり羽越線の線路を越える。蚶満寺(かんまんじ)に着く。

 芭蕉は、6月16日(陽暦8月1日)象潟に着き、翌17日舟を雇って見物している。


 「その朝(あした)、天よく霽(は)れて、朝日はなやかにさし出づるほどに、象潟に舟を浮かぶ。まづ能因島に舟を寄せて、三年幽居の跡を訪(とぶら)ひ、向かうの岸に舟を上がれば、『花の上漕ぐ』とよまれし桜の老い木、西行法師の記念(かたみ)を残す。江上(かうしやう)に御陵(みささぎ)あり、神功后宮(じんぐうこうぐう)の御墓(みはか)といふ。寺を干満珠寺(かんまんじゆじ)といふ。この所に行幸(みゆき)ありしこといまだ聞かず。いかなることにや。この寺の方丈に座して簾(すだれ)を捲(ま)けば、風景一眼の中(うち)に尽きて、南に鳥海、天をささえ、その影映りて江にあり。」『おくのほそ道』


      象潟や雨に西施(せいし)がねぶの花

      汐越(しおこし)や鶴はぎぬれて海涼し


 象潟は、大小の島々が点在する入り江であった。松島と並び称される景勝の地であったが、芭蕉来遊から115年後の文化元年(1804年)6月、大地震が起きる。海底が隆起し、海は田圃となり、島は丘になった。

 蚶満寺の参道を歩く。松並木が続く旧参道に入る。旧参道の正面に、江戸時代中期建造の山門が建っている。旧参道の左手に弁天島が見える。




蚶満寺 参道


旧参道


山門


弁天島


 駅の観光案内所でいただいた観光マップを見ながら、現在は、丘や小山になっている島を見て回る。
 500m程歩いて能因島に着く。古墳のような形の丘に松が生えている。

 マップには名前が付いている島が100近く載っているが、全部は回れないので、そのごく一部を見る。
 1時間程、田圃の畦道や細い道を歩いて、松が生え、草が繁る島巡りをする。田圃の向こうに、鳥海山が秀麗な姿を見せる。山腹に雲が棚引いている。
 田植の前に田に水が張られた時、往時を蘇らせるといわれている。多数の島の間に広がる水を湛えた水田は、海に見え、昔日の情景を彷彿させるのだろう。

 線路を越えて「道の駅 ねむの丘」に行く。鮑と帆立の串焼きを食べる。

 鷹放島は、日本海を眺める展望台になっている。右に海を見ながら海岸沿いに歩く。一里塚と見紛う島が道路脇にある。
 1キロ程歩き小澗漁港の前に出る。出漁の準備をしている漁師の周りにカモメが群がり、上空を数十羽のカモメが鳴きながら旋回している。

 500m程歩き遠浅の象潟海水浴場に着く。曇っていて、気温が高くないためか人は少ない。500m程歩いて象潟駅に着く。


・同年8月17日(土) 月山ビジターセンター〜月山8合目

 朝、ホテルの窓から外を見る。曇っているが、雨は降っていない。今日、月山の8合目まで登る。
 鶴岡駅を6時2分に発車するバスに乗る。6時40分頃、停留所「荒沢寺」に着く。バスを降りる。ここから、8合目まで続く道を登る(
この時、羽黒山からここ迄を歩いてなかったことをすっかり忘れていた。これを思い出して、この区間の旧月山登拝道を歩いたのは、5年後の平成19年5月4日だった)。

 横をバスや乗用車が登って行く道路を歩く。3キロ程歩き、1合目の海道坂(かいどうざか)に着く。右手眼下に、月山広域放牧場の淡い緑色が美しく広がる。
 2キロ程歩き、
2合目の大満原(だいまんばら)に着く。3キロ程歩き、3合目の神子石(みこいし)に着く。「3合目小屋跡」の表示がある。

 因みに、「合(ごう)」について、小学館発行の『日本大百科全書8』では次のように説明されている。

 「合は一升の十分の一であるところから、他の量の単位の十分の一にも用いられる。また山の高さにも用いられ、富士山の登山路を十分して、下から2合目、5合目、8合目などとよぶ。初めは富士山だけであったが、他の高山にも用いられるようになった。」

 3合目から道は九十九折の急坂になる。鬱蒼としたブナ林が現れ、暗くなった道を登る。2キロ程歩き、4合目の強清水(こわしず)に着く。

 2キロ程歩き、5合目の狩籠(かりごめ)に着く。高い樹木がなくなり見晴らしがよくなる。左手の遥か下に、立谷沢(たちやざわ)川と麓の集落の家が見える。
 急坂を2キロ程登り、
6合目の平清水(ひらしず)に着く。ススキの穂が風に揺れ、秋の気配が漂っている。

 急坂で、左右に急カーブが続く道を登る。霧が出てきた。3キロ程歩き、7合目の合清水(ごうしず)に着く。
 雨が降り出した。傘を差して登っていると、横を走っている乗用車が停まって、車の中から「乗りませんか」と声をかけてくれる。お礼を言って、「あと少しで8合目に着きますから歩きます」と話す。しばらく登っていると、また、後から来た乗用車が停まって「乗りませんか」と言ってくれる。お礼を言って同じことを話す。雨や霧で服が濡れているのに、親切な人たちだなと思う。

 霧が濃くなり、5m先が見えなくなる。雨は止みそうにない。2キロ程歩き1、440mの8合目に着く。


      雲の峰いくつ崩れて月の山


 広い駐車場がある。鶴岡駅行きのバスが40分後に出る予定になっているので、確認するためにバスの停留所へ行く。バスは既に停まっていて、30代と60代と思われる二人の男性乗務員が外に立っている。私の顔を見るなり、60代の男性が、「いやー、よく歩くもんだね。どれくらいかかった?」と聞く。歩いている横を登って行ったバスの中から見たんだなと思いながら、「4時間かかりました」と話すと、二人で顔を見合わせて笑っている。

 発車するまでの間、駐車場の上にある湿原の弥陀ヶ原(みだがはら)で高山植物を見ようと思い、駐車場の前に建つ月山レストハウスの横の石段を登る。湿原に着いたが、霧が深く立ち籠めて、3m先が見えない。駐車場に戻り、バスの中で発車を待つ。

 30代の男性が運転する。60代の男性は「安全指導員」で、運転手の横に立ち、前方を注意して運転手に運転を専念させる。
 山を降りるまで道路は一車線である。濃霧の中から突然、乗用車のボンネットが現れるとドキットする。安全指導員が乗用車を待避所までバックさせる。時にはバスから降りて誘導する。バスは、カーブが連続する場所では警笛を鳴らして走る。

 約2時間後に鶴岡駅に着く。
 9月に、8合目から頂上を越えて湯殿山に下りることにする。(ところが、天候や私の怪我等により中止が続き、月山を越えて湯殿山に下りることができたのは、4年後の平成18年9月17日だった。)

 夜、鶴岡駅前の食堂「千草」に行く。
 女性2人でやっている。オムレツと餃子を食べる。オムレツは、ひき肉とタマネギのみじん切りを炒めたものが入っている、家庭で作るオムレツである。餃子も自家製でおいしい。漬物の中に、鶴岡特産の
「民田(みんでん)なす」の一夜漬けがある。小粒で、一口で食べられる。皮は少し硬いが、噛むとパリット割れて、味はサッパリしている。


・同年8月18日(日) 鶴岡

 朝、ホテルの大浴場で風呂に入る。

 ホテルを出て右へ曲がり2キロ程歩く。鶴岡公園(鶴ヶ岡城址)に建つ大寶館(たいほうかん)に着く。
 大寶館は、大正天皇の御即位を記念して建設され、大正4年、完成した。昭和56年、鶴岡市の有形文化財に指定されている。

 木造瓦葺2階建て、屋根は入母屋造りの擬洋風建築である。白壁に、窓の上部のぺディメント(破風、三角形の部分)に赤いドームを載せた華麗な建物である。
 1階、2階とも展示室になっている。鶴岡市の発展に貢献した人物と鶴岡市ゆかりの作家である高山樗牛、横光利一、藤沢周平他の資料が展示されている。




大寶館





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