34 本明寺 田麦俣 湯殿山(山形県)


・平成29年8月4日(金) 本明寺 田麦俣

 東京駅6時8分発上越新幹線「とき301号」に乗る。新潟駅に8時13分に着く。新潟駅8時27分発羽越本線特急「いなほ1号」に乗り換える。
 村上駅を過ぎて、左手に日本海が見えてきた。美しい砂浜に、日除けのパラソルや簡易なテントを立てて、家族で海水浴に興じている。

 鶴岡駅に10時18分に着く。駅前の観光案内所で、湯殿山、六十里越街道の観光パンフレットをいただき、待合室で見る。
 
11時30分になったので、駅の構内にある食堂で昼食を摂る。食後、駅の待合室で休む。

 鶴岡駅前13時22分発「上松根行き」のバスに乗る。
 今年の4月1日付で路線バスの大幅な廃止が行われた。この「上松根行き」のバスは平日のみの運行である。また、停留所「上松根」で降りて、本明寺を拝観した後、停留所「沖田」から「田麦俣行き」のバスに乗る予定であるが、このバスも平日のみの運行である。しかも運行するのは1日2本だけである。

 バスの変更が大きかったので、一時呆然としたが、あちらこちらに問い合わせて調べた結果、バスの路線と時間、運行する日を優先して予定を立て直した。
 最初の予定を変更することになったが、田麦俣の民宿に泊まり、湯殿山へ行き、帰りも鶴岡駅に戻ることができる方法が見つかった。その方法は、その都度、記述する。

 14時8分、終点の停留所「上松根」に着く。バスを降りて、緑色の美しい田圃の間の道を2キロ程歩く。十字路を左へ曲がり500m程歩く。真言宗不動山本明寺(ほんみょうじ)に着く。
 10年前の平成19年5月5日、大網(おおあみ)注連寺(ちゅうれんじ)から十王峠(じゅうおうとうげ)越えて松根(まつね)まで六十里越街道(ろくじゅうりごえかいどう)を歩いた(「奥の細道旅日記」目次35参照)。
 そのとき、本明寺の近くを通ったが立ち寄らなかったので、今日、訪ねた。

 注連寺については、目次28、平成28年8月10日、「奥の細道旅日記」目次14、平成14年9月15日及び同35、平成19年5月5日参照。
 六十里越街道については、目次7、平成24年10月6日、7日、目次22、平成27年8月4日、5日、目次28、平成28年8月9日、10日及び「奥の細道旅日記」目次35、平成19年5月5日参照。

 長い石段を上る。石段の両側は杉林になっている。杉林の中は空気がひんやりとしている。暑い日差しの中、汗をかきながら歩いて石段を上がって来たので、杉林の中は気温が低くなっているのが分かる。
 本明寺の拝観は予約が必要である。

 60代くらいの女性が出て来られて、今日、息子の住職が出かけているので、代わりに私が説明します、と言って、拝殿の前を通り、また石段を上がり、即身仏堂(そくしんぶつどう)へ案内された。


本明寺 即身仏堂


 即身仏堂の中へ入り、説明を受けた。
 本明寺は、文禄元年(1592年)、不動寺として心月上人により開山された。一時は多くの信者や弟子に恵まれたが、50年後には荒廃の一途を辿っていた。
 その後、注連寺で出家した本明海上人(ほんみょうかいしょうにん)(1623~1683)が復興し、往時の繁栄を取り戻した。

 延宝元年(1673年)、本明海上人は、即身仏になるべく即身仏堂を建立し、10年間の荒行を続け、天和3年(1683年)、61歳で土中入定(にゅうじょう)した。
 本明海上人の遺言に従って3年3ヶ月後に塚を開いた信徒により、本明海上人は即身仏となって掘り出された。

 即身仏堂の奥にある厨子に安置されている即身仏を参拝する。

 あとはご自由にご覧になってください、と言われた。
 入定塚の場所を伺い、即身仏堂を出る。

 上がってきた石段とは別の石段を下りて、左へ曲がる。鬱蒼とした杉並木で暗くなった道を30m程歩く。
 杉並木が尽きて明るくなった所に、入定跡の案内の白い柱が立っている。
左へ曲がり石段を上がる。勢いよく水が流れている用水路に架かる鉄板を渡り、また石段を上がる。 

 杉林に囲まれ、玉垣の内に入定塚が立っていた。


入定塚


 私は、これまで即身仏を4体拝観している。
 
大日坊(だいにちぼう)で1体、注連寺(ちゅうれんじ)で1体、山形県酒田市の海向寺(かいこうじ)で2体、拝観したが、入定跡を見たのは初めてだった。

 大日坊については、「奥の細道旅日記」目次14、平成14年9月15日、
 注連寺については、同平成14年9月15日、目次28、平成28年8月10日、
 海向寺については、「奥の細道旅日記」目次14、平成14年9月21日参照。

 山の斜面を利用した広大な敷地に、即身仏を安置する即身仏堂が本殿とは独立して建っていて、入定跡も残っている。杉林に囲まれた境内は静謐に満ちている。入定されたときの当時の情景とそれほど変わってないのではないかと思った。

 私が帰ることが気配で分かったのか、石段を下りようとしていたら、案内していただいた女性が玄関から出て来られて、「本堂で冷たい麦茶をいかがですか」と仰ったが、「田麦俣行き」のバスの停留所が気になっていたので、お礼を言って石段を下りた。ありがとうございました。

 バスの停留所「沖田」はすぐ分かった。先ほど通った十字路の近くだった。時間があるので、通りの反対側にコンビニがあり、店の前に椅子があったので、バスが来るまで椅子に座って休んだ。

 17時31分発「田麦俣行き」のバスが来る。
 停留所に着くたびに乗客が降りていく。停留所「上名川」で降りる客がいて、乗客は私1人になった。
 上名川からバスは山間に入っていく。バスに乗って、ここを通るとき、いつも異界に入り込んで行くような感覚を覚える。他の土地では、どんなに辺鄙な所を通ってもこういうふうに感じることはない。

 17時56分に、終点の停留所「田麦俣」に着く。
 今日と明日、2泊予約している民宿・田麦荘の男性の従業員が車で迎えに来てくださっていた。男性は車の外に出て、待ってくれていた。
 宿泊を予約したとき、バスの停留所まで迎えに行きます、と言っていただいたが、食事どきの忙しい時間だから辞退したのだが、迎えに来てくださっていた。ありがとうございます。 

 「かやぶき屋」と、県有形文化財指定の旧遠藤家住宅の兜造り多層民家が2棟並んでいるのが見える。兜造り多層民家は何度も見ているが、茅葺の民家が2棟建つ風景は優しく、何度見ても心が和む。

 田麦俣、兜造り多層民家については、目次1、平成23年10月9日、目次7、平成24年10月6日、目次22、平成27年8月4日、目次28、平成28年8月9日及び「奥の細道旅日記」目次14、平成14年9月22日、23日参照。

 車は約5分で田麦荘に着く。
 昨年8月9~11日、一昨年8月4~6日、それぞれ2泊3日で田麦荘に宿泊したためか、田麦荘の女性も従業員の方々も私のことを憶えてくれていた(目次28及び目次22参照)。

 夕食が始まっていたので、風呂に入るのは食事の後にして、先に食事をいただく。
 食事処である和室に入る。テーブルが並べられている。自分の名前があるテーブルの前に座る。

 部屋の片方は全面ガラス窓になっていて、月山がよく見える。ああ、今年もまた、ここへ来ることができた。なだらかな山容の月山を眺めながら、豪華でおいしい食事ができると思うと、うれしくなる。 

 既にテーブルに並べられている料理がある。

 ・マトウダイの肝と卵
  肝はフォアグラに似た味でねっとりしている。
 ・味噌を巻いた大葉の天ぷら
  何も付けずに
そのままいただく。
 ・枝豆
  枝豆は山形の特産品である。

 料理が運ばれてきた。

 ・お造り三種 スズキ、マトウダイ、殻付きのサザエ
 ・サザエのつぼ焼き

 ・穴子の蒸し物
  蒸した穴子を巻いたお握りの甘酢あんかけ。酢は控えめにしている。
 ・夏イカ、大葉、トウモロコシの天ぷら
  夏イカは夏に獲れるスルメイカのことだろう。とても柔らかい。
 ・舌平目のバター焼き 
  グレープフルーツのソース。香草とじゃがいもを添えている。
 ・ポークの焼き肉
  土鍋の中に、ポーク、椎茸、玉ねぎ、ササゲが入っている。
  その上に、ニンニク味噌、チーズを載せて、蓋をして火をつける。
  香り高い、おいしい焼き肉を味わう。

 ・デザート 分厚く切った庄内砂丘メロン
  甘く、果汁もたっぷりとしている。

 今日もおいしい食事をすることができた。


・同年8月5日(土) 湯殿山

 朝6時30分に起きる。朝食の時間の7時に食事処へ行く。テーブルの上に、予め頼んでおいた弁当が載っていた。

 従来のバス路線が廃止になったために、鶴岡市がシャトルバスを運行している。但し、土、日、祝日のみの運行である。このバスで田麦俣から湯殿山へ行くことができる。
 シャトルバスが停まる停留所は、「田麦俣」ではなく、「田麦俣口」である。

 民宿の女性の従業員が車で停留所まで送ってくださった。9時55分にバスが来る。10時14分に停留所「湯殿山」に着く。
 バスを降りて、今、バスに乗って通った湯殿山有料道路を後戻りする。蝉が鳴き、頭上に、おびただしい数のトンボが飛んでいる。私の頭にぶつかるトンボもいる。
 30分程歩く。右側に、六十里越街道の案内の「六十里越街道」とプリントされた幟旗が立っていて、六十里越街道が通っている。右へ曲がり六十里越街道に入る。 

 5年前の平成24年10月7日、初めて田麦俣から湯殿山まで六十里越街道を歩いた(目次7参照)。
 仙人沢に架かる橋を渡り終わって、しばらくして辺りが暗くなり、雨が降り出した。それから急いで歩いたので周囲をよく見ないで通り過ぎた。そのため、もう一度、仙人沢から湯殿山まで歩き直したいと思っていた。そこで今日、仙人沢まで下りて行って、そこから湯殿山まで歩き直す予定である。

 始めは緩やかな坂だったが、途中から急坂になった。所々横木で止めて、段々を造っているが、段差が高く、踏み外したり、滑ったりしないように慎重に下りて行く。

 30分程下る。狭い幅の切り通しの急坂の前に出た。この坂を上った記憶がない。坂の上から見ると、坂を下った先は草に覆われて道が見えない。水音は聞こえるが、沢らしいものは見当たらない。
 5年前に、逆から、しかも急いで上ったから記憶がないのかと思ったが、念のために少し後戻りして左右を歩いてみたが、水音は小さくなっていく。
 ともかく、この坂を下りて、水音の聞こえる方向に近づくことにする。滑らないように腹ばいになって両手も使い、ゆっくりと下りる。

 下に下りたら、叢(くさむら)の間に道があった。平坦な道を歩いて、大きな石が積み上げられてできた道を上がる。
 
仙人沢(せんにんざわ)に着いた。5年前にこわごわと渡ったH形鋼が架かっている。5年前は、沢から有料道路まで30分で上ったが、今日は下りるのに約1時間かかった。


仙人沢


 ここから後戻りする。石でできた道を下る。幅が狭い流れがあり、きれいな水が流れている。両岸に板を渡している。流れに手を浸すと冷たい。掌にすくって一口飲んでみる。おいしい水である。
 500mlのペットボトルを2本持って来ているが、1本は中身が少なくなっているので、それを空にして、冷たい水を詰める。

 左手の高台に、巨大な湯殿山碑が立っている。


湯殿山碑


 説明板の全文を記す。

 「湯殿山信仰の聖地で、行人たちは即身仏を志して厳しい修行を積んだ。信者らは行人たちを称えて湯殿山碑を建てたという。この湯殿山碑は、明治14年(1881年)建立で『二千日山篭日参光道海』と刻まれている。」

 叢の間の道を歩く。先ほど慎重に下りてきた急傾斜の切り通しを上がる。両手も使い、這うようにして上がる。

 40分ほど急坂を上がる。旧薬師小屋跡がある。


旧薬師小屋跡


 説明板に、「賄い小屋があったところといわれている。石積みの跡が往時の面影を残している。」と書かれている。

 周囲は美しいブナの林である。林の中の細い道を上がる。



 20分程上がる。湯殿山有料道路に出た。仙人沢から有料道路まで約1時間かかった。予想以上に時間がかかってしまった。
 有料道路が六十里越街道を分断している。道路の反対側からザンゲ坂が始まる。今、ザンゲ坂を上がり、湯殿山神社大鳥居まで歩いたら、最終のバスに乗り遅れる虞があるので、今日はこれで止めることにする。

 ザンゲ坂から湯殿山神社大鳥居まで歩き直すのは来年に延ばすことにする。また、5年前、有料道路へ出る前に、「湯殿山本宮参道」の標識が立ち、短い距離だったが、旧参道と思われる石灯籠が並ぶ平らな道を歩いたが、今回は見なかった。どこかで道を間違ったのだろう。あるいは、有料道路を更に下ると、「六十里越街道」の幟旗は他にも立っているから、朝、湯殿山本宮参道へ向かう入口を間違ったのではないだろうか。次回は、湯殿山本宮参道も探そうと思っている。

 有料道路を30分程歩いて、大鳥居の前に着いた。


湯殿山神社大鳥居


 湯殿山休息所の横にベンチがある。休息所の屋根で日陰ができていたので、2年前と同じようにベンチに座って、遅くなったが民宿で作ってもらった弁当を食べる。おにぎりだった。

 太陽が動いて日陰がなくなった。休息所の2階に無料の休息所があるので、そこへ上がって休む。畳が敷かれている広い部屋だった。開けはなしている窓から涼しい風が入ってくる

 16時15分発の鶴岡市の最終のシャトルバスに乗る。停留所「田麦俣口」に16時34分に着く。民宿まで歩く。民宿に着いたのは午後5時だった。先に風呂へ入る。

 6時に食事処へ行く。半月盆に前菜が4品並べられている。

 ・もずく
  グラスに入っている。もずくの上に、しょうがをすりおろしている。
 ・胡麻豆腐
 ・トウモロコシを摺り下ろして冷やしている。
  小鉢に入っている。トウモロコシのババロアのようなものである。
 ・枝豆

 料理が運ばれてきた。

 ・お造り三種 ワラサ、スズキ、イワシ
 ・かつおのタタキ サラダ風

 ・煮物盛り合わせ バイ貝、イカ、茄子、シシトウ
 ・天然イワナの天ぷら
  骨が頭から食べられるほど柔らかい。肉は微かに甘味がある。
  他に、トマトとシシトウの天ぷらが添えてある。
 ・鯛の奉書蒸し
  鯛、玉ねぎ、トマト、ミニコーンを月山ワインの白で浸し、蒸している。包みを開けると、ワインの芳香が立ち上る。
 ・庄内豚のソテー 黒ゴマあえ
  南瓜、茄子の輪切りをソテーしたものと香草が添えてある。
 ・デザート 庄内砂丘メロン

 今回も豪華でおいしい料理をいただいた。次の機会が楽しみになる。


同年8月6日(日) (帰京)

 7時に食事処へ行く。テーブルの上に、頼んでおいた弁当が載っていた。

 田麦俣から鶴岡駅へ行くバスはない。替わりに、土、日、祝日のみに運行する鶴岡市のシャトルバスに乗る。停留所「田麦俣口」に、10時54分発のバスが来る。このバスは、「羽黒山頂行き」のバスである。停留所「羽黒山頂」に11時40分に着く。11時55分発「鶴岡駅方面行き」のバスに乗り換える。遠回りになるが、今日まで田麦俣から羽黒山までは通ったことがなかったので、車窓の風景が楽しみになってくる。

 昨夜、民宿の女性に伺ったが、午前と午後、鶴岡市のバスと庄交バスが、田麦俣と鶴岡駅の間を鶴岡市役所朝日庁舎を中継点にしてリレー式に運行している、ということである。私が市役所や庄交バスに問い合わせたとき、そういうバスがあることは教えてもらわなかった。このバスは土、日、祝日も運行しているのかどうか、聞いてみようと思う。

 チェックアウトは10時だけれども、10時半頃までいさせてもらった。
 民宿の女性が停留所まで車で送ってくださった。いつも送っていただいている。ありがとうございました。





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