35 函館 トラピスト男子修道院(北海道北斗市)


・平成29年9月4日(月) 旧丸井今井百貨店函館店 金森赤レンガ倉庫(函館市)

 東京駅6時32分発北海道新幹線「はやぶさ1号」に乗る。昨年8月に続いて今年も函館とトラピスト男子修道院を訪ねる(目次29参照)。
 昨年は台風と伴に函館に着いたような具合になり、最初の予定を変更することになったが、今回、天気予報では函館市も北斗市も晴天が続くので予定通り回れそうである。

 10時57分、新函館北斗駅に着く。11時10分発はこだてライナー快速に乗り換える。11時25分、函館駅に着く。
 駅の構内にある観光案内所へ行き、函館市内観光について尋ねる。
 函館バス指定区域内で4回以上バスに乗ると得な函館バス専用一日乗車券「カンパス」800円を買う。今日、昼食後、海岸通りの赤レンガ倉庫群他を見て、夜、函館の夜景を見るために函館山へ行く予定である。二ヶ所とも指定区域内に入っている。

 昨年、駅前のロワジールホテル函館でランチバイキングの昼食を摂った。今日も同じようにランチバイキングで食事しようと思っていたところ、ロワジールホテル函館が他のホテルに替わっていた。替わったホテルはランチバイキングもディナーバイキングもやっていない。
 ロワジールホテル函館はランチバイキングもディナーバイキングも値段の割に豪華でおいしい食事だった。楽しみにしていたのでホテルが替わったことにがっかりした。

 仕方なく駅の構内の2階にあるレストランで海鮮ちらし丼を食べたが、予想に反しておいしかった。丁寧に作られていて上品な味である

 食後、函館駅前バスターミナルの4番乗り場へ行き、「元町ベイエリア周遊号」に乗る。約10分乗って、停留所「十字街」で降りる。
 
旧丸井今井百貨店函館店(現・函館市地域交流まちづくりセンター)が建っている。風格のある建物である。
 平成元年、函館市景観形成指定建築物に指定された。


旧丸井今井百貨店函館店


 旧丸井今井百貨店函館店の前身は、札幌が本店の丸井今井呉服店の函館店であった。大正12年(1923年)建築、鉄筋コンクリート造3階建、塔屋部分5階建の建物である。
 昭和44年(1969年)まで百貨店として営業していたが、昭和45年(1970年)から平成14年までは、市の分庁舎として使用された。その後、平成17年から19年まで改修が行われた。

 中へ入る。大理石の階段やエレベーターに百貨店だった頃の華やかさを想像することができるが、地域交流まちづくりセンターとしての必要からか、過剰な飾りや、たくさんの展示物、掲示している物などが百貨店当時の雰囲気を損なっているように感じられた。

 停留所「十字街」から「元町ベイエリア周遊号」に乗る。バスは急坂を上り、山手を巡って約10分で海岸通りに下りる。停留所「ベイエリア本店前」で降りる。

 函館港の海岸通り、かつての外国人居留地跡に金森(かねもり)赤レンガ倉庫が建ち並んでいる。巨大な赤レンガの倉庫が並ぶ景観は壮観で、往時の函館の繁栄と賑わいを彷彿させる。
 この地域は国重要伝統的建造物群保存地区、街並みは北海道遺産にそれぞれ選定されている。


金森赤レンガ倉庫



 渡邊熊四郎(1840~1907)は、明治時代に開業した金森洋物店を母体として倉庫業も始めた。現在建ち並ぶ倉庫群は明治末期に建てられたものである。
 現在、倉庫は、レストラン、ショップ、ホールなどに活用されている。

 停留所「ベイエリア本店前」から「元町ベイエリア周遊号」に乗り、函館駅に戻る。駅前のホテルにチェックインする。4泊予約していた。

 5時頃ホテルを出て、駅前バスターミナルの4番乗り場へ行く。
 昨年も函館山へ夜景を見に行ったが、展望台におおぜいの人が集まって夜景を見ていた。それで、今年は昨年より1時間早くバスに乗り、早く函館山に着こうと思っている。

 5時30分発のバスに乗る。バスは乗客を定員いっぱいになるまで乗せる。
 バスは、海岸通りを走り市街地に入る。登山口から標高334mの函館山へ上っていく。山の樹木の間から、函館港と市街地のH形の地形が見えてきた。バスは九十九折りの山道を上がる。

 約30分で函館山の頂上に着く。
 バスを降りて驚いた。既に昨年と同じように展望台におおぜいの人たちが立って日没を待っている。
 集まっている人の半分は中国人のようであるが、カメラを三脚に据えて、用意万端整えて立っている日本人の男性や、身じろぎもしないで立ち尽くしている日本人の若い女性、展望台の柵に何重にも重なってじっと立っている人たちは、早くから来て場所取りをしていたと思われる。昨年も思ったが、動かない人たちを見ていると異様な感じがした。

 アナウンスがあった。展望台付近はたいへん混みあっています。ロープウェイ下の「いさりび公園」は比較的空いているので、そちらでご覧になることをお勧めします、という内容だった。
 警備員に「いさりび公園」の場所を聞いて移動する。「いさりび公園」は、ロープウェイの乗降口の下にあった。
 確かに人は少ないし、夜景を間近に見ることができるが、夜景を部分的にしか見ることができず、いわゆるH形の夜景を望むことはできない。
 今回も写真を撮ることは諦めて、夜景を鑑賞する。気のせいか昨年より光の量が少ないように感じられた。

 帰りのバスに乗る。車窓から思いがけない美しい光景を見た。
 漆黒の海にイカ釣り船の漁火が点々と光っている。上空から満月が暗い海上に光を落としている。月の光は放射状の筋を見せて、海面とイカ釣り船をぼおっと照らしていた。
 

 函館駅に戻り、駅の近くの「どんぶり横丁市場」の中にある食堂へ入る。
 ウニ、甘エビ、ホタテの三種盛りの丼とイカの刺身を食べる。イカは朝獲れのイカである。


・同年9月5日(火) トラピスト男子修道院ー2(北斗市)

 早朝ホテルを出て、昨日食事をした「どんぶり横丁市場」の別の食堂へ入り、イカ、ホタテ丼を食べる。

 食後、駅へ行き、函館駅7時4分発道南(どうなん)いさりび鉄道に乗る。上磯(かみいそ)駅を過ぎてしばらくすると、左手の車窓から津軽海峡が見えてきた。
 昨年は灰色の海だったが、今朝の津軽海峡は美しい青い色を湛え、朝の光に輝いている。海の向こうに函館山が見える。

 7時44分、渡島当別(おしまとうべつ)駅に着く。無人の駅である。
 昨年8月29日に訪ねたトラピスト男子修道院を今日、再度訪ねる(目次29参照)。

 駅を出て国道228号線に入り、右へ曲がる。線路に沿って200m程歩く。二つ目の信号を右へ曲がり、線路を越えて急な坂を上る。道が平らになった。右側に畑があり、左側に石別中学校が建っている。100m程歩く。

 左手に、「ローマへの道」と書かれた柱が立っている。修道院の敷地に入ったと思われる。そこから一本道が真っ直ぐに延びて、ポプラとスギの美しい並木道になった。
 真っ直ぐの道が延びた500m程先の正面に、
トラピスト男子修道院の赤煉瓦の門と本館が重なって見えた。


トラピスト男子修道院


 この地域は、トラピスト修道院環境緑地保護地区である。説明板が立っている。説明の一部を記す。


 「この地区は、昭和35年頃に、トラピスト修道院の正面に通じる道路両側に植栽されたポプラとスギの並木で、面積は約3、175平方メートルの地域です。
 周辺のなだらかな牧草地の景観と調和した左右対称の整然とした美しい並木を形成しています。」


 両側の並木の向こうに広大な牧草地が広がっている。


牧草地



 美しい並木道を歩いて、修道院の門を見上げる坂の下に着いた。修道院の門に至る急な坂を上る。赤煉瓦の門に着く。門は鉄格子の扉で閉じられている。



 鉄格子の間から本館を見る。本館は簡素な美しい建物である。ああ、また今年も美しい建物を見ることができた。簡素だけれども荘厳で、気高さを湛えている。


本館


 トラピスト男子修道院(正式名・厳律シトー会灯台の聖母大修道院)の本館は、煉瓦造一部3階建。明治41年(1908年)に再建された。

 昨年は修道院の本館の内部を見学したが、今日はこれから、修道院の裏に聳える丸山(標高482m)の中腹に、平成元年、場所を変えて新しく造り直された「ルルドの洞窟」を訪ねる。
 「ルルドの洞窟」は、フランスの南、ピレネー山脈の麓にある「ルルドの洞窟」を再現し、ルルドに現れたと言われる、白い衣に水色の帯を締めた「聖母マリア」の像が立てられている。
 それに、「ルルドの洞窟」が再現された場所は展望台になっている。

 1858年2月11日、14歳の少女ベルナデッタの前に、白い衣に水色の帯を締めた聖母マリアが初めて出現し、以後、18回、現れる。その間、聖母マリアが指差した洞窟から水が湧きだした。その後、ルルドの泉の水によって不治の病の治癒例が多く報告される。
 聖母マリアの出現とルルドの泉によって、ルルドはカトリック教会の巡礼地となった。
 ベルナデッタ・スビルー(1844~1879)は、後にヌヴェール愛徳女子修道会の修道女になった。1933年、列聖された。

 門の前の坂を下る。案内板に従って、門の前の坂へ向かって左側に延びる坂道を上がる。並木道から左側に見た牧草地を90度曲がった角度から見る。並木道から見るよりも牧草地がはるかに広いことに気がつく。牧草地の向こうに真っ青な津軽海峡が見えた。


牧草地


 坂を上る。右側に、今も使用されているサイロとオランダ式牛舎が建っている。牛舎は、修道院創立間もない明治34年(1901年)に完成した。
 因みに、サイロは、家畜の飼料とするために牧草やトウモロコシなどを発酵させて貯蔵する倉庫である。


サイロとオランダ式牛舎


 500m程坂を上がる。製酪工場を過ぎると、左側が杉林になり、辺りが暗くなる。100m程歩く。杉林を抜けると明るくなり、視界が開けた。
 青空に夏雲を思わせる白雲が湧きたっているが、風は乾いた爽やかな秋の風である。


牧草地



 坂を上り左へ曲がる。平らな道が続く。


ルルドへの道


 修道院の鐘の音が聞こえた。時間は11時である。修道院は11時に午前の仕事を終わり、短い6時課の祈りの後昼食となっている。

 平らな道が終わると、また左側が杉林になっている急坂が始まる。200m程上がり右へ曲がる。「ルルドの洞窟」に着いた。 
 「ルルドの洞窟」は、フランスのルルドの洞窟と同じ寸法で洞窟を造ったと思われる。水は出ていない。洞窟の右上の、岩に穿たれた中に
ルルドの聖母マリアの像が立てられている。


ルルドの洞窟


ルルドのマリア像


 洞窟の前から石段を5段ほど上がった場所に展望台が造られている。
 眼下に、修道院の本館が見える。その向こうに津軽海峡が広がっている。左手に目を転じると、修道院の広大な敷地の樹海の向こうに津軽海峡が見える。津軽海峡を挟んで函館山が見えた。


修道院


函館山遠景


 洞窟の前の日陰になっている場所に長椅子があったので、しばらく椅子に座って休んだ。辺りは静寂に包まれている。鳥の声も聞こえない。風に揺れる葉擦れの音がときおり聞こえるだけだった。

 下へ下りて、美しい並木道をゆっくり歩いて駅へ向かった。並木道の先に津軽海峡が見えた。


・同年9月6日(水) トラピスト男子修道院 

 早朝ホテルを出て、「どんぶり横丁市場」の昨日の朝、食事をした同じ食堂へ入り、「本日の刺身定食」を食べる。イカ、ホタテ、甘エビ ウニ、カニが盛られている。

 食後、駅へ行き、函館駅7時4分発道南いさりび鉄道に乗る。7時44分、渡島当別(おしまとうべつ)駅に着く。
 今日もトラピスト男子修道院を訪ねる。修道院の門から左右に修道院の塀が延びている。今日は、塀に沿って左右に歩く予定である。

 門に向かって左側へ歩く。200m程歩くと、昨日、「ルルドの洞窟」へ行くとき歩いた道に合流した。門に戻る。次に、塀に沿って右側へ歩く。しばらく歩いたが、塀はどこまでも続き、風景に変化は見られなかった。


修道院 門


本館


 今日も、美しい並木道をゆっくり歩いて駅へ向かった。



・同年9月7日(木) 旧亀井喜一郎邸 旧佐田作郎邸 函館海産商同業協同組合事務所(函館市) 

 ホテルで朝食後、ホテルを出る。
 駅前バスターミナルの4番乗り場から9時始発の「元町・ベイエリア周遊号」に乗る。15分程乗って停留所「ロープウェイ前」で降りる。バスが去っていく方向へ歩く。

 昨年8月31日、山手を散策した(目次29参照)。今日は山手の元町と海岸に近い末広町を散策する予定である。

 200m程歩く。日本聖公会函館聖ヨハネ教会が建っている。礼拝堂は昭和54年(1979年)に再建された。
 聖ヨハネ教会の前を右へ曲がり、坂を50m程下る。十字路に出る。左へ曲がり50m程歩く。十字路に出る。

 左側に「チャチャ登り」と名付けられた急坂がある。100m程上がり右へ曲がる。
 そこから港を背景にしたハリストス正教会の四つの塔とカトリック元町教会の尖塔が見える。



 しばらく美しい風景を眺めていた。坂を下りるとき、坂の途中に建つ、白壁と緑の屋根のハリストス正教会を見る。大正5年(1916年)、ハリストス正教会の聖堂はロシア風ビザンチン様式で再建された。


ハリストス正教会


 十字路に戻る。石畳の大三坂(だいさんざか)の途中に、カトリック元町教会が建っている。現在のゴシック様式の聖堂は大正13年(1924年)に完成した。


カトリック元町教会


 大三坂を下る。カトリック元町教会に隣接して旧亀井喜一郎邸が建っている。


旧亀井喜一郎邸


 亀井喜一郎は、以前から住んでいた現在地に、大正10年(1921年)、自邸を新築した。設計は、関根要太郎(1889~1959)と、彼の実弟・山中節治(1895~1952)の二人が行った。
 木造モルタル2階建、褐色の屋根、薄いピンク色の外壁である。

 関根要太郎と山中節治は、亀井邸を、ドイツのユーゲントシュティールで造り上げた。
 前面に円弧状に張り出した窓(ベイウィンドウ)、波打つ妻面(つまめん)の軒の稜線、暖炉の煙突などの美しく、柔らかな曲線は、19世紀末ドイツやウィーンの町に建つ建物のような優雅な邸宅を生み出した。

 文芸評論家・亀井勝一郎(1907~1966)は、亀井喜一郎の長男である。明治40年生まれの亀井勝一郎は、旧制函館中学から旧制山形高校(現・山形大学)を経て大正15年(1926年)、東京帝国大学文学部美学科に入学する。
 亀井勝一郎は、14歳の多感な時期から旧制中学を卒業するまで、美しい教会群の景観の町に建つ優美な邸で少年時代を過ごしていたのだろう。

 旧亀井喜一郎邸は、函館市伝統的建造物に指定されている。

 大三坂を上がり、十字路に戻る。右へ曲がる。
 ここ函館市元町末広町は、国重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

 200m程歩く。八幡坂(はちまんざか)の上に出た。


八幡坂


 坂の上から、遮るものが何もなく函館港を見ることができる。
  かつての連絡船の桟橋として使われていた旧函館第二岸壁に係留、保存されている青函連絡船・2代目摩周丸が見える。2代目摩周丸は、昭和40年(1965年)から昭和63年(1988年)まで22年間、3月13日の連絡船廃止の日も津軽海峡を就航した。

 途中、元町公園の中を通り、八幡坂から数えて七つ目の幸坂(さいわいざか)まで坂を渡り1キロ程歩く。
 幸坂を反対側に渡り左へ曲がる。急坂を100m程上る。右手に
旧ロシア領事館が建っている。

 案内板が立っている。長い説明だが、全文を記す。


 「安政元年(1854年)12月の日露修好通商条約に基づき、安政5年(1858年)9月初代ゴシケーヴィチ一行が着任、実行寺に領事館を置いた。万延元年(1860年)、元町の現ハリストス正教会敷地内に領事館を建てたが、隣の英国領事館の火災で被災した。
 明治36年(1903年)、現在地で領事館の建設が始められたが、翌年の日露戦争で中断し、完成したのは明治39年であった。この建物は明治40年の大火で焼失する。その直後から同じ場所で再建工事が始まり、同41年暮れに完成した(現在の建物)。

 ロシア革命後、大正14年(1925年)からはソ連領事館となったが、最後の領事ザベーリエフが本国に引揚げた翌日の昭和19年(1944年10月1日、領事館は閉鎖された。

 昭和39年(1964年)に外務省から函館市が建物を購入、翌年5月から『函館市立道南青年の家』として近隣町村を含めた青少年宿泊施設として使用されたが、平成8年(1996年)7月『函館市青少年研修センター』の開館により、その機能は終了した。

 設計はドイツ人建築家のR・ゼールで、レンガ造り2階建ての本館は、玄関に唐破風を用い、日本的な意匠が加味されている。」


 R・ゼールは、リヒャルト・ゼール(1854~1922)である。彼の日本国内に残存する他の作品に、同志社大学クラーク記念館、明治26年(1893年)竣工。日本基督教団千葉教会、明治28年(1895年)竣工の二つがある。

 旧ロシア領事館は華麗な建物であるが、老朽化のためか内、外部ともに一般公開されていない。

 後戻りして、元町公園に戻る。公園内に、明治42年(1909年)建築の旧北海道庁函館支庁庁舎が建っている。現在、1階は元町観光案内所として利用されている。
 あと二ヶ所訪ねたい建物がある。旧佐田作郎邸と函館海産商同業協同組合事務所である。予め調べて大体の場所は分かっているが、観光案内所で尋ねたら、なお正確な場所が分かるのではないかと思い職員に尋ねた。

 職員は、プリントされた「元町散策マップ」を出して、丁寧に説明しながら二ヶ所の場所に印を付けて、そのプリントを私にくださった。これで迷わずに行くことができる。ありがとうございました。

 観光案内所を出て八幡坂の方向へ歩く。八幡坂の一つ手前の日和坂(ひよりざか)に入り、左へ曲がり坂を下る。
 右手の一つ目の小路に入る。両側に建つ家がいずれも瀟洒な佇まいである。小路の突き当たり左手に
旧佐田作郎邸が建っている。


旧佐田作郎邸


 旧佐田作郎邸は、昭和3年(1928年)建築、木造2階建、鉄板葺である。
 設計者は、
田上義也(たのうえよしや)(1899~1991)、アメリカ人建築家・フランク・ロイド・ライト(1867~1959)の弟子である。
 田上義也は、大正8年(1919年)、フランク・ロイド・ライトの帝国ホテル建設事務所に入所し、ライトに師事した。
 大正12年(1923年)、関東大震災を機に北海道へ移り、北海道の地で作品を発表する。作品には、ライトの設計の
特徴である、いわゆる
ライト式を取り入れる。





 この建物もライト式が見られる。
 屋根の軒を深く張り出す。開口部の高さを抑えて、玄関ポーチの庇を同じように深く張り出して水平線を強調する。2階の出隅(ですみ)に矩形(くけい)を組み合わせたディテールは、ライトの作品によく見られる。
 窓ガラスの幾何学的な桟割、庭園へ入る門の幾何学的な扉が端正な印象を与える。気品のある建物である。

 旧佐田作郎邸は、国登録有形文化財及び函館市景観形成指定建築物に指定されている。

 (フランク・ロイド・ライトについては、目次9、平成25年1月5日、目次19、平成26年12月26日参照)

 ボー、ボーと港から汽笛が聞こえてきた。正午だった。汽笛が終わると、カラン、カラン、カランとカトリック元町教会の鐘の音が聞こえた。

 後戻りする。日和坂へ入り右へ曲がる。坂を下り、市電の線路を反対側に渡り、海岸通りに出る。末広町へ入り右へ曲がる。
 
ホテルニューハコダテ(旧安田銀行函館支店)が建っている。


ホテルニューハコダテ


 昭和7年(1932年)建築。円柱が並ぶ石造の、かつて銀行であったことをうかがわせる重厚な建物である。
 昭和43年(1968年)、ホテルに活用されることが始まった。

 400m程歩く。函館海産商同業協同組合事務所が建っている。


函館海産商同業協同組合事務所


 大正9年(1920年)建築、木造モルタル3階建。この建物も旧亀井喜一郎邸と同じく、関根要太郎、山中節治兄弟の共同作品である。
 正面両翼円弧状の張り出し窓と波打つ軒の稜線にドイツのユーゲントシュティールを見ることができる。美しい曲線によって建物全体に優雅な雰囲気が漂っている。函館市景観形成指定建築物である。


・同年9月8日(金) (帰京)

 朝食後、ホテルを出る。
 函館駅8時45分発はこだてライナー快速に乗る。9時4分に新函館北斗駅に着く。新函館北斗駅9時31分発、東京駅14時4分着の北海道新幹線「はやぶさ16号」に乗り換える。





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