海風通信 after season...

FLIGHT RECORDER #002 『海軍道路とジンジャエール』

FILE No.060-15.12.14


▲おっさん ジンジャエールしかねぇの?
現地調査日:2015年12月08日
対象所在地:横浜市瀬谷区瀬谷町
調査の目的:海軍道路調査
備    考:カブのイサキ第03話『しょうが屋』参照のこと


◆内陸部にある海軍道路??

 今回のネタは連載当時、けっこう早い段階で場所が特定されていたようですね。けれど私は07〜08年代、ネットからしばらく距離を置いていた時期でもあったので、この事実を知ることなく今回(15年)の調査へと至ることとなりました。だからその時まで、まさか『海軍道路』なるものがホントにあるなんてことを知りもしなかったのです。「海軍」と名が付くくらいだから、なんとなく海沿いにある、例えば金沢区あたりを走る産業道路がそうなのかな?くらいにしか思ってなかったのですが、実際は全然違いましたね。(作品中に「内陸部」と書いてあるじゃないか!と突っ込みを入れられそうですが、この時点では完全に失念してたのです。)
 では、どうしてここを『海軍道路』と呼ぶのでしょうか?ここでちょっと概要の説明を。

【海軍道路とは】
 瀬谷中学校前交差点から、旧国道16号線(八王子街道)までの約3kmにわたる直線道路。戦時中、上瀬谷原に旧日本海軍の補給工場・火薬庫が作られ、この物資輸送のために建設された、文字通り『海軍用』の道路でした。直線的に、かつ周囲より1mほど高く作られているのは、のちに飛行機の離着陸も可能なようにとの考えもあったからだということ。また、同時に引き込み線としての鉄道路線が、瀬谷駅からこの直線道に沿う形で敷設されていました。
 この海軍道路自体は通行自由なのですが、東側に拡がる広大な敷地や施設は一部を除き立ち入りが制限されています。これらの敷地は戦後、在日米軍の海軍上瀬谷通信施設、その後海軍上瀬谷支援施設となっていましたが、2015年6月30日、当施設を含めた土地全体が日本へと返還されました。
 ちなみに「海軍道路」という名称は1978(昭和53)年、横浜市道路局が「愛称道路」として命名したものです。
 というわけで、この場所に海軍の補給工場があったことから『海軍道路』と呼ばれるようになったのです。でも、何故にこんな内陸部に海軍の施設を置く必要があったのでしょう?陸軍とか空軍なら解らなくもないのですけどね。
 その謎は、当時の日本の軍事形態を知ることで理解することが出来ました。かつての日本には、軍種としての独立空軍というものは存在しなかったのです。言われてみれば、『旧日本空軍』とかって呼び方、聞いたことありませんよね?空軍は陸軍・海軍の隊の一部として編成され、それぞれが『陸軍飛行戦隊』・『海軍航空隊』と呼ばれていたのだそう。ここで『横浜・瀬谷地図くらぶ』がまとめた報告書「地図で辿る瀬谷の移り変わり」を見ると、どうやらこの瀬谷補給工場は、『厚木海軍航空隊』への補給基地として設置されたらしいとのこと。そう考えると、ここは紛れもなく海軍の施設であるということに合点がいきます。そしてその直線道は、滑走路に転用できるという思惑も含んでいたという情報も浮かび上がりました。おぉ、これはまさに作品設定そのままの状況ではありますまいか!?『カブのイサキの』の序盤では、このようにけっこう現実世界と具体的な事実が合致している傾向が見られますね。あまり軍事施設には興味のない私ですが、今回ばかりはかなり気になったので、遅ればせながら現地検証に向かうことにしました。
▲桜並木の続く直線道路、これが『海軍道路』です。 ▲取材当時、路名標識板はボロボロでした。
 まずは八王子街道より海軍道路に入り、瀬谷中学校前交差点へと南下して行きます。左手は軍事施設、右手は農地の平原が広がり、道はひたすら一直線。時折り見られる標識板には英字が見られ、確かにここは普通の道路とは異質の感覚を覚えます。さらには道の両サイドにはソメイヨシノの並木が続き、桜の時期はさぞかし見事なものでしょう。なんでこの時期に合わせなかったのかな?と自分でも迂闊に思いましたが、まぁ、イキオイで来ちゃったものはしょうがないですね。
 この両側の桜並木が片側だけになるポイントが、海軍道路のおよその中間地点。ここより先は軍事施設も無くなり、商店や民家などの一般施設も見え始める通常区域となるため、直線道路は続くものの、雰囲気はまるで変ります。というか、ここより南は良くあるフツーの直線道路と何ら変わらなくなるので、ひと通りバイクで流して見るだけにして、今回は中間地点より北側部分に注目することにしました。
 とは言え、前述したように、あるのは平原と直線道路と桜並木だけ。もちろん「しょうが屋」なんてモノは存在しようもありません。敢えてランドマークと呼べるべきものを挙げるとすれば、軍施設の上瀬谷ゲート入口の守衛所か、先程の海軍道路の中間地点にある消防署(中瀬谷消防出張所)くらいのものでしょうか。どちらも平原をバックに建つという条件を満たすくらいで、あとは似ても似つかぬようなシロモノですね。
 それにしても、芦奈野センセイは何故こんなにも「しょうが」もしくは「ジンジャエール」をフィーチャーしたのでしょう?この横浜市瀬谷区というエリアは、別段、しょうがが特産品というわけでもないんですよね。さらに「ジンジャエール」に至っては、以後のエピソードにもちょこちょこ登場してくることになります。それもけっこうコアな場面において。これはイサキの記憶と何か関係あるのかな?(←超意味深)
 さてお次は、そんなジンジャエールについての考察です。
▲上瀬谷ゲート前。近づくと何か言われそうなので、引きです。 ▲中瀬谷消防出張所。ランドマークとしては十分だけど…。
 このジンジャエールの元ネタになったものがウィルキンソンのジンジャエールの瓶であろうということは、もう多くの皆さまが周知の事実であり、また認めるところでもあるでしょう。緑色のガラス瓶に茶色い三角形のマーク、その中央に筆記体で『g』と記された作中のデザインは、まさにそれを意識して描かれたと言っても過言ではないと思います。そのスタイリッシュさから、カブのイサキのファンならずとも現物を手に入れてみたいと思うのではないでしょうか?良く分かりませんが、冷蔵庫にこの緑色の瓶がズラリと並んでいたら、なんかオシャレな感じもしないでもありません(←そうか?)。ちなみにこの瓶入りジンジャエール、カクテルなどの割り材を多く扱っている酒屋さんなどに行くと、けっこうカンタンに見つけられますよ。
 余談ですが、ウイルキンソン(WILKINSON)て、海外の飲料メーカーのブランドのようなイメージがありますが、実は日本の会社のブランドだということを知ってました?クリフォード・ウヰルキンソンという人が日本で良質の炭酸水を見つけ、炭酸水製造の会社を興したという、れっきとした国産製造飲料なのですよ。なんかね、『シュウェップス』みたいにイギリスっぽいイメージを私は持っていたのですが、意外な事実に驚かされました。それから、ブランド名もそれまでは『ウヰルキンソン』としていましたが、平成元年に『ウイルキンソン』と表記の見直しをした際、『ジンジャエール』も『ジンジャエール』となったようですよ。なんか…こう、もっと深いコダワリがあるのかと思ったら、理由も歴史もけっこう新しかったのですね……。
 ところで本題のお味の方はというと、皆さん一様に「辛い、辛い」と言いますが、私はそれほど辛いとは感じませんでした。ただ、確かにしょうがの風味はしっかりと効いていて、良く目にするジンジャーエール飲料とは明らかに違い、「しょうが炭酸水」を飲んだ感があります。私は断然こちらの方が気に入りましたが、量をたくさん飲むのはツラいかも?その点、瓶入り190mlという容量は、最適設定かも知れません。お値段も優しいです。
 あ!それから、この瓶入りジンジャエールには三角マークの部分がオレンジ色をしていて『Dry』と書かれた商品もあり、こちらの方が辛口のように思えるかもしれませんが、何故か甘口なのでご注意を。まぁそれ以前に、芦奈野ファンならば迷わず『g』のデザインボトルを取るでしょうけどね。
参考文献:地図で辿る瀬谷の移り変わり/横浜・瀬谷地図くらぶ 編著
アサヒビール社史(WILKINSON関連)/アサヒビール株式会社社史資料室 編
ウィルキンソンタンサン鉱泉株式会社 宝塚工場調査報告書/西宮市教育委員会 発行