税金とは?

 税金について、皆さんの会話の中で良く耳にするのは、いかに払わずにすましたかや、税務調査を上手く受けた、失敗した云々。でも、その前に、ちょっと税金のことを理解してみてはどうでしょう。

政治と税金の深い関係

 払わなくても良いものを多く払いたい人などはいません。それが税金でなければ、たとえば、寄付や募金であれば自分の意思でその金額を決め、気分良く払うことができます。しかし、税金だけは「取られる」という感覚がつきまとうのが人情のようです。
 ここで考えなければならないのは、民主主義の時代であれば、特に、国や地域で「お金を集めて、集めたお金を使う」ということが行われているということです。もっと小さなことで言えば、町内会や○○同好会でも会費を集めお金を使います。もし、同好会で決められた会費を払わずにいたら最後には除名されてしまうことでしょう。
 日本では、国という感覚をどちらかといえば否定的にとらえがちです。いろいろな考え方がありますが、今の現実の社会では、国や地域の存在を否定できません。ですからこれを前提として考えるなら、その集団の構成員としては、「会費を支払う」ことに対しての感覚を持ち合わせたいものです。
 「誰からいくら集め、誰にいくら使うか」、が政治になります。集め方が不公平だから、使い方が悪いから払いたくないという意見も耳にします。でも、それは、集め方や使い方について、納税者が政治を監視し、改善していかなければならない、ということではないでしょうか。
 できるだけ「調度良い」そして「納得のゆく」税金を負担したいものです。

税の論理と平等

 税金を集める上で、枕詞のように使われる言葉があります。担税力、応能負担、課税公平の原則などです。税金は法律で決まっていますが、その趣旨説明に良く使われる言葉です。
 所得税法や法人税法というように法律があり、これを政令、規則や、通達が肉付けしています。これらには、何もそんなことは書かれていませんが、作られる前提でのル-ルなのです。担税力は税金を負担する能力、応能負担は担税力に応じて負担すべきであるという考え方で、課税公平は平等に課税しなさいということです。
 では、担税力に応じて負担するということと、平等に課税するということには矛盾が無いのでしょうか。応能負担に対比される言葉として応益負担という考え方もあります。受ける利益に応じて負担すべきであるという考え方です。
 会費を集めるル-ルが平等であるべきことは、誰もが皆賛成することですが、では「平等」とは一体何でしょうか。
 ある人は「同じ」額を、ある人は「所得に対して同じ率」の額を、またある人は「所得が大きければ大きい程高率」の額をいい、そしてまたある人は「享受する利益に応じた」額を平等だと考えます。
 私も含めてなのですが、その都度、都合の良い平等を使っています。誰もが納得する平等はなかなか見つからないような気がします。
 ただ、最近、私が税理士として税制に対して感じるのは、「平等に集める論理」ではなく、集める段階で、「集めた税をいかに使うか」という場面で考慮されるべきことが影響している、集めやすいところから集めている、目先の付け焼き刃、長期的視野に欠ける、国益に反するなどなどの気配があることです。残念ですね

税金の種類

直接税と間接税

この区分は、税金を負担すべき人と、実際に税金を納付する人が、同じであれば直接税、異なっていれば間接税という見地からの区分です。

 事業を営んで利益が上がった、その利益を所得と呼び、その所得に対して税が課される、儲けた人がその一部を取り上げられるのが直接税です。儲かっているんだからその一部は税として召し上げられてしまうということです。
 所得税や法人税、住民税や事業税などが直接税です。相続や贈与で税がかかるのも先代から財産を貰ったという利益や所得とみなして税がかけられているとも言えます。財産はあくまでも個人の所有で、家や家系の所有物では無いということです。
 固定資産税や償却資産税、自動車などは、一定の財産を継続して所有していることで課税されます。所有しているとなぜ課税されてしまうのか、それは、日本で土地を保有すると有益だからその見返りとして税を課そうと考えられているか、不動産を保有し自動車を利用する場合には、その価値を維持向上させる為に上下水道の整備や道路や橋といった公共財に負うところが大きいので、その見返りとして税を課しても問題ないと考えられているのでしょう。

 間接税で主なモノは、消費税、酒税、たばこ税、ガソリン税、ゴルフ場利用税、そして印紙税、登録免許税、関税などです。

 前者は、モノの値段に転嫁されているということです。消費税は課税事業者が順番に課税して最終的には消費者が負担しています。酒税などは蔵出し税ともいわれ酒造業者が払っています。その昔は比較的高額な商品等に課税された物品税や料理飲食税という仕組みもありましたが、消費税の導入でほぼ無くなりました。
 また、後者の間接税については、その取引が出来るのならこの位の税は負担できるだろう、役所の事務手数料的なモノ、そして国内産業の保護といった観点から設けられています。
 モノの値段に含まれている税で外圧が掛かって改正されたモノがあります。酒税です。海外ではアルコールの度数に比例した税が一般的でしたが当時日本ではそうなっていなかったからです。ウィスキーやブランデーの値段が下がり焼酎の値段が上がったことがありました。
 また、値段の中に含まれる間接税では、たばこや酒類の増税の際には、卸売業者や小売業者も在庫の増税分を申告して納税することになります。棚卸をして税を納めさせられています。
 ありとあらゆる場面で何らかの税を負担する仕組みが出来上がってきています。ちなみに印紙税ですが、印紙を購入すると納税になりますが、その印紙は取引相手に差し出すことになります。消印して2度と使えない状況を作ります。
 印紙が無い書類は別に無効ではありませんが納税されていないということになります。契約書では2通作って保管すると納税したモノは相手にあり、手元にある契約書は相手の納税した印紙が貼られているという理屈になります。
 契約書は1通作って印紙の負担は折半、1通はコピーで済ますというようなことも世の中では行われているようです。

国税と地方税

 この区分は、誰が税を手にするかということです。国に税を払うのか地方公共団体に税を払うのかということです。国には国の業務があり地方には地方の業務があるという建前になっています。
 しかしながら、国の税収の内から地方交付税交付金などという訳のわからない名目で国が収納した税が地方に分配されて久しいのでは無いでしょうか。国に納める特別地方法人税、地方特別消費税なるものも仕組みとして出来上がっています。
 以前の法人税を地方にも分配する、消費税も事業税も分配する、それを地方が国にお願いして獲得するのでは無く、また大都市圏の富める地方から貧しい地方へ再分配するといった、簡単には理解しづらい制度が確立してしまっています。
 国の仕事と地方の仕事はバランスの問題なのでしょう。共和国や合州国、連邦、連合王国などはそれぞれの地域で異なった政治や税金が確立されているようです。日本の場合は明治維新のときに富国強兵政策で強力な中央集権体制が出来上がり、それが大戦後に改められる方向に動き、現在はまだ国と地方の分捕り合いがなされて少し地方に傾いていると理解しています。なお、ふるさと納税も国と地方の税収の取り合いのような意味合いがあります。
 現在は、国が使っているお金の半分が税収、残りの半分は国債という名の貨幣を、国と地方で捕り合いをしなから、地方は地方で地方債を発行しながらやっています。
 どうして通貨の価値が落ちてインフレにならないのでしょうかね、不思議ですね。世界中似たようなモノでの為替バランスもあるでしょうか、またその影響以上に供給過剰が起きてモノの値段が下がってしまっているとしか考えられないですね。

税金の歴史

 組織にはリーダーがいます。自然発生か家系なのか果たし合いなのかは別にして、グループの中にはそれなりの序列が出来上がってきます。その組織がどんどん大きくなると、王様や貴族、君主、皇帝や法王、大統領などと選び方や呼び名は違えど権力者が統治するということになります。内閣総理大臣は仕組みの上では一番権限が少なそうです、三権分立で権力全部の三分の一しか持っていないのですから。
 まあそれは別にして、とにかく権力者は統治という名の下に経済力が必要になります。そこでは歴史的に、獲れるところから反乱が起きないように最大限取り立てていたのだと思います。外敵から組織を守る軍事、揉め事を解決する警察や秩序の維持に出生記録や人別帳を作って管理するといったことでしょう。また権威をあからさまに見せつけるための努力もなされていました。
 権力者が自分の田畑でこれを賄える時代はあまり長続きしていないようです。西暦700年頃の飛鳥時代には租庸調という税が制度としてあったことが解っています。収穫の約3%、都での労働、特産物を納めるなどの税だったようです。
 平安・鎌倉時代には領主に年貢や夫役が課せられていました。塩や酒、煙草などは、「ご禁制」という名の権力者の独占事業でとても経済力があったのでしょう。
 安土桃山時代からは収穫の半分以上を年貢として納め、江戸時代には運上金、冥加金なども集められていました。飢饉や一揆などという言葉も歴史に出てきますね。戦国時代では武力を存亡のために使っていたので課税はより厳しいモノになっていたことが想像できます。軍事費は食い扶持を含めて武器製造やら経済力が必要です。そのしわ寄せが下々の生活者に回ってきます。
 明治、大正、大戦前の昭和は、やはり戦費調達のために色々な税制が工夫されました。源泉徴収制度が採用されたのもこの時期で、給与所得者が税を給料から横取りされるシステムです。

戦国時代の税

 世界各地で色々な時代に戦国時代があったように歴史で習います。小国が群雄割拠して互いに覇権を争う時代です。城が造られ関所が設けられ富国強兵のために様々な制度があったようですが、基本的な仕組みは軍事力を維持するための予算を捻り出すということでしょう。
 権力者の収入は領土を護る予算となるので自ら産業を興すか、領地・領民から徴収する以外に手立てはありません。ご禁制の領主のみの独占事業や年貢・労役といった税金です。その収入が予算となり権力の維持になるのですから、効率よく予算を拡大するためには、領地の拡大です。
 ヨーロッパの古城などもそういった戦国時代の名残のようです。元々都市国家などとも呼ばれる地域性があります。川沿いの古城は関所と化して、域内を安全に通行させる名目で通行料という税を課していたとのことです。悪く言えば山賊の親分が大きくなったという意味合いでしょうか。
 戦国時代という小国の群雄割拠とは、絶対的な強者がいない、ないしは現れる前のドングリの背いくらべの時代が続いたとも言えますね。絶対的強者が出現したときには、その強者が絶対的な中央集権として治めるのか、小国の連合組織として治めるのかに違いが出てきます。

大航海時代の税

 大航海時代には海外に植民地が維持されていました。これは経済的には宗主国が搾取したという言い方になりますが、別の言い方をすれば、領主がとんでもなく重い税を課していたとも言えなくもありません。砂糖や塩、胡椒や茶、貴金属や麻薬などの専売事業をしていた、またはそれから利益を上げている層から税収を上げていたということになります。

シャウプ勧告とは?

 日本では何かあるとシャウプ勧告だのシャウプ税制だのと言われます。日本での有名人です。それが引き合いに出されるときには、税制に関して無条件に何か正しいことを言うときに根拠のように利用されています。では本家米国では有名人なんでしょうかね・・・
 戦後の日本の税制を、米コロンビア大学の租税学のシャウプ博士が意見したものです。それまでの日本の戦費調達色が強かった税制を、戦後の占領政策の一環で、直接税中心に総合課税、累進課税、地方分権の財政などに簡素化しましょうという内容です。
 当時はGHQ様がこう言っている程度のモノだったと想像しています。税は公平で平等であるべき、理想そのものを勧告したのでしょうから。
 現在の米国でも日本でも、世界中で直接税の総合課税による累進課税の平等は守られていません。直接税にしても総合課税で無い分離課税での低・定税率が導入され、消費税が大きな地位を占めています。当時の学者が民主的な理想に燃えて行った勧告とも言えます。

現代の国際間における税の引き下げ競争

 相続時の課税についてですが、相続税や贈与税がとても低い、ないしは無いという税制も世界にはあるようです。そして資産を保有していて得る利息や配当という収入に対しても分離課税制で低い税が課されている国が多くなってきています。これは世界各国を行き来する投資マネーを呼び込むための国際競争の結果です。
 投資マネーを保護すると投資資金は呼び込めてその地域や国の経済や産業の発展に貢献き
ます。投資資金は人々の年金資金を運用する基金だから公共性が高い意味もありますが、莫大な資産を保有してしまった経済的成功者や資産家を保護してしまうという意味にもなります。
 一度成功した家系を子々孫々まで保護するということは、ある意味経済的な貴族制度の維持になります。初代は努力の結果か運に恵まれたのかは別にして、その続く世代は本人の意思や能力にかかわらず生まれたときから死ぬまで経済的に総て保障されているということになってしまいます。
 ある程度の競争社会で無いと活力ある社会と言えませんので、ここには累進課税を効かせてある程度の格差是正の仕組みがあるべきだと思います。

誰が課税するのか

 国と地方の役割や仕事は予算で決まります。予算は税収です。道州制のような特色のある自治が行われる地方と防衛や外交を専門とする国といったような基本で仕事を分け、どこからどういう税をどの位取るのかを見直すべきなのでしょう。経済政策を手助けするような税制も簡素化と単純化を歪めている気がします。
 民主主義の成功する前提という言葉を聞いたことがあります。選挙民は皆等しく理知的で無ければならないという前提です。国会議員を選ぶのに地方の財政について交付税等を国からせしめてくるというのは変な話です。ばらまきを約束しないと選挙に通らないというのはおかしな話ですが、EUでの財政の危機的なラテン系の国々でも、世界基軸通貨での特権でのドルのばらまきでも、世界中が民主主義の弊害に直面しているような気がします。
 政権は必要悪と言われることもありますが、必要だけれど悪さが出来ないように、タガをはめておくために法律や宗教がある、権限を小さく分けて何かをすぐに出来ないようにしておく、それが人々にとって為になる政治だと聞いたことがあります。同意です。

投票率を上げたければ税額控除

 投票率が低いのは、有権者が誰が何をやっても大して変わらないと思っているからでしょう。大事なことを決めていると理解していないからです。今日では政治の世界に本当に大事で無いこと位しか残っていないのかも知れません。投票したら税額控除をするなんてことになれば、投票率だけは上がるのではないでしょうか。
 税を負担していない人の投票、特に18歳以上という年齢には違和感があります。そのほとんどが学生で経済的に社会に参加していない、社会経験が無く十分に理知的でもないからです。

私の税に対する感想

 理屈をこねると色々と言えますが、私自身は、社会は私を取り巻く環境だと思っていますので、特に何かしたいわけではありません。そんな風に考えられるというお話です。この時代のこの場所に生まれ育ったのは自分で選んだわけでもなありません。何かの縁で今ここにこうしている、与えられた環境の中で縁あって税を通してお付き合いする人がいる。その中で私と関わる人が何か得てくれれば良いかなとは思っています。
 簡素化と単純化はとても正しいと思います。所得の再配分や累進課税も必要だと思います。しかし現状の累進税率については如何なモノかと思います。現実的に下が低すぎて上が高すぎるような気がします。貨幣価値の異なる時代の税率を適宜改正してこれなかったからのようです。政策的な減税措置や○○優遇税制は簡素化と単純化に反しますので程々にすべきでしょうね。
 直接税は政治と直結していてその税を負担する納税者の投票で決まるのでしょうから政権が標榜する政策の予算に使われるのが正しいと思います。間接税は社会のインフラや公共一般が正しいのでしょうか。投票していない人も税を負担させられているのですから。