メディアとつきあうツール  更新:2003-06-16
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<ジャーナリスト坂本 衛のサイト>

Nステ所沢ダイオキシン報道
最高裁判決を撃つ!

―Nステ報道から最高裁判決まで

―「判決の陥穽」はここだ!/倒錯し矛盾した判決

≪はじめに≫
ニュースステーションの所沢ダイオキシン報道(1999年2月放送)で農家がテレビ朝日らを訴えた裁判で、2003年10月の最高裁判決は下級審の判断を覆しました。ここでは最高裁判決に至る経緯の解説と、判決を批判する論考を掲載しています。

≪このページの目次≫

≪GALAC発表時の目次≫
特集 ダイオキシン報道 最高裁判決を撃つ!
Nステ報道から最高裁判決まで/編集部
テレビ局の見方、考え方
  日本テレビ/林隆一郎
  フジテレビ/本間正彦
  NHK/石村英二郎
「判決の陥穽」はここだ!
  木を見て森を見ず/清水英夫
  倒錯し矛盾した判決/坂本衛

注)NHKと東京キー5局の報道責任者(報道局長など)あてに局の見解(それが難しい場合は「個人の見解」と断った見解)を寄せてくれるよう頼んだが、目次の3者以外は「他局の問題」「係争中の問題」「時間がない」などの理由で回答せず。

(「GALAC」2004年02月号 特集「ダイオキシン報道 最高裁判決を撃つ!」)

≪参考リンク≫

Nステ報道から最高裁判決まで

 テレビ朝日の看板番組「ニュースステーション」が一九九九年二月に放送した所沢ダイオキシン問題の特集報道についての訴訟で、二〇〇三年十月十六日、最高裁判所の判決が下された。

 放送――とりわけテレビ報道のあり方や、言論・表現の自由をめぐる考え方に、大きな影響を与える判決だ。

 発端となった番組の主な内容から、社会に及ぼした影響、さいたま地方裁判所の一審判決、東京高等裁判所の二審判決、最高裁判所の上告審判決に至るまでの経緯を、概観しよう。

発端――Nステ「ダイオキシン報道」
野菜をめぐるやりとり

 一連の騒動に火を着けたのは、一九九九年二月一日にテレビ朝日が放映したニュースステーションの「ダイオキシン汚染―農作物は安全か?」(これは画面右肩に出た通しタイトル。冒頭で画面全体に出たタイトルは「汚染地の苦悩〜農作物は安全か?〜」)と題する特集だった。

 この特集は全体で約十六分と、番組としては比較的長い。さまざまな内容が盛り込まれていたが、テレビ報道や新聞記事などが繰り返し伝え、裁判でも大きな争点となったのは、特集後ろ三分の一に流れたスタジオでの生のやりとりである。前の三分の二はVTR構成で、さまざまな視点からダイオキシン問題に光が当てられた。

 スタジオでは、キャスター久米宏が民間調査機関である環境総合研究所長の青山貞一を紹介。二人の会話の中で「野菜のダイオキシン濃度」と題するフリップ(説明板)が示された。これには「全国 厚生省調べ…0〜0・43ピコg/g 所沢 環境総合研究所調べ…0・64〜3・80ピコg/g」とハッキリ書かれていた。

 久米と青山所長のやりとりを、当時のVTRから再現しておく。

久米「(JAや市役所から)ちゃんとした数字が出てこないんで、実は青山さんの研究所で所沢の野菜の調査をしました。そのダイオキシンの数字を今夜はあえてニュースステーションで発表しようと思います。調査の結果、数字が出ました」

(大写しフリップの主要数値を読んだあと、「所沢」の文字を指さしながら)

久米「この野菜というのはホウレンソウと思っていいんですか」

青山「ホウレンソウがメインですけれども、葉っぱものですね」

久米「葉もの野菜」

青山「ダイコンの根っこのほうはありません。みんな葉っぱものです」

久米「所沢の葉ものは0・6から3・8。これはどの程度ひどいんですか」

青山「ま、一〇倍。日本の平均の大気汚染に対して、所沢のは四〜五倍高いと思うが。日本はさらに諸外国より一〇倍くらい高いんですけれども、所沢はやはり全国と比べて五倍から一〇倍高いということが、私たちのいままでの調査でわかりました」

 さらに青山所長は、
「(所沢の数値は)突出して高い」
「WHO(世界保健機構)が去年の春に一日の摂取量っていう厳しいのを出しました。四〇kgくらいの子どもさんがホウレンソウを二〇gくらい食べるとその基準値にほぼ達してしまう、高いものを食べた場合。低いものでも一〇〇gくらい食べるとWHOの基準に軽く及んでしまうということですから、あまり安全とはいえないですね」
 などと述べた。

 久米宏は「JAは数値を発表しない。農水省はこれから調べると寝ボケたことをいっています」とコメントして、特集コーナーを終わった。

データ説明の誤りが発覚
テレビ朝日は所沢農家に謝罪

 ニュースステーションがダイオキシン特集を報じた翌日から翌々日にかけて、埼玉県内の青果市場や大手スーパーの西友、イトーヨーカ堂などは、所沢産野菜の入荷を拒否。ホウレンソウを中心に、その価格は暴落した。

 所沢市の調査によれば、放送から一週間後、所沢市内の八七店舗のうち大型スーパー一一店、青果店一店の一二店が所沢産野菜の取引を停止した。

 この騒ぎに、番組で対応が遅いと批判された行政も重い腰を上げ、四日には農林水産省が埼玉県に農産物のダイオキシン濃度調査を指導、同省も実態調査を行う方針を表明。五日には環境庁が所沢産農産物のダイオキシン濃度を緊急調査すると発表。埼玉県は県内全域の農産物の調査をすると決定。

 一方、所沢JA(農協)関係者らから番組が伝えた「3・8ピコグラム」の数値は高すぎるのではとの疑念が漏らされ、二月八日には所沢市の農民有志ら三〇人以上がテレビ朝日を訪れて質問状を提出した。

 九日、所沢JAは九七年に独自に調査した野菜のダイオキシン濃度を公表し、「安全」をアピール。中川昭一農水相は会見で「仮に事実と違うなら完全な風評被害」とニュースステーションの報道を強く批判。同日、テレビ朝日広報部は「最高値を野菜と断定するような表現をしたのは間違い」と認めるに至った。

 このあたりから新聞各紙、テレビ朝日以外の放送局、行政、農協、農家らの「二月一日のテレビ朝日によるダイオキシン報道は、野菜以外から検出されたダイオキシン汚染数値をホウレンソウを中心とする野菜の数値として報じた問題報道であった」との見方が、勢いを増してくる。

 二月十八日には埼玉県が「最高値は煎茶の数値」と発表。同日、ニュースステーションは、久米宏が所沢の農家に対して謝罪。二十三日にはテレビ朝日の伊藤邦男社長が定例会見で「データの説明が不十分だったため、農家のみなさまにご迷惑をおかけした」と謝罪した。ただし、誤報との認識はないと述べている。

 テレビ朝日批判の急先鋒となったのは自民党で、三月二日の総務会では、
「ヤクザな話し方の解説委員が一方的に発言するのはけしからん」(元建設相・中尾栄一)
「党通信部会では、ダイオキシン報道で農家に生じた損害を局に賠償させよとの意見が出ている。放送法を改正し規制強化すべきだ」(山口俊一)
「椿発言の際にも衆議院逓信委員会で証人喚問を行った。今回も迅速な対応が大事だ」(元郵政相・自見庄三郎)
 といった強硬論が続出した。

 三月十一日には衆院逓信委員会が伊藤邦男社長、早河洋報道局長、清水英夫BRC(放送と人権等権利に関する委員会)委員長らを参考人招致した。

 テレビ朝日側の発言要旨は「表現や説明が不十分だったことは確かで、すでに番組で訂正し謝罪した。農家に迷惑をかけたことを重ねてお詫びし、今後繰り返さないようにしたい。ただし番組として誤った報道をした(誤報)とは考えていない」というもの。委員(国会議員)からは「まだ反省が足りない」「今後も十分自覚して報道せよ」など、説教調の発言が目立った。

一審は農家の請求を棄却
二審も農家の控訴を棄却

 その後、所沢市でホウレンソウなどの野菜を生産する農家の三七六名は、テレビ朝日と環境総合研究所を相手取って、報道された内容は真実でなく、所沢産野菜の安全性に対する信頼が傷つけられ、農家らの社会的な評価が低下したと主張し、不法行為に基づいて告訴。謝罪広告掲載のほか精神的苦痛や経済的損害などの損害賠償(総額約二億円)を請求した。

 報道による名誉毀損についての判例・学説を簡単に紹介しておく。一般的には、報道が、公共の利害に関することについて、もっぱら公益を図る目的でなされたときは、大綱(根本的な事柄)において真実の証明がなされれば不法行為が成立しない。また真実の証明がなされなくても、報道側が真実と信じるについて相当な理由がある場合(たとえば警察当局の発表をそのまま記事にしたときなど)には、免責されるとされている。さいたま地方裁判所は二〇〇一年五月十五日、第一審判決を下した。

 第一審判決は、九九年二月一日のニュースステーションの放送が農家らの名誉を毀損したと認めたが、報道は公共の利害に関し、もっぱら公益を図る目的からなされたものであり、主要な部分において真実であるとして、テレビ朝日の不法行為責任を否定した。環境総合研究所についても、その情報提供行為は不法行為に当たらないとし、テレビ朝日に対する請求を棄却した。

 判決を受けて、所沢農家の三〇〇人以上が裁判の継続を諦めたが、原告のうち四十一名が控訴。これに対して、東京高等裁判所は二〇〇二年二月二十日、第二審判決を下した。

 第二審判決は、第一審判決とほぼ同様で、(1)放送が所沢農家の名誉を毀損した、(2)ただし放送が公共の利害に関しもっぱら公益を図る目的でなされた、(3)主要な部分――所沢産の野菜から3・80ピコg/gのダイオキシン類が検出されたとの報道は、所沢産の白菜から高濃度の検出結果が得られた事実がある以上、真実の証明があった、などと認めて控訴を棄却した。

 この判決は、
「報道から一般視聴者が受ける多種多様な印象全般についてまで、報道機関側に厳格な真実性の立証を負担させることは可能ではないし、(中略)相当でもない」

「映像により画面に映し出された事実、ナレーションの内容、アナウンサーや出演者の発言、画面上のテロップ等によって明確に表示されたところから一般視聴者が通常受け取る事実ないし論評が、真実性の立証の対象になると解するのが相当」

「一般視聴者がテレビ報道を視覚と聴覚でとらえたことによって受ける印象は、千差万別であって、これを客観的に分類ないし識別(中略)することはほとんど不可能事に属することに鑑みると、仮に、控訴人が主張するテレビ報道の印象というものを真実性の立証の対象とするとしても、立証の対象事項が極めて不明確になることは明らかであり、ひいてはテレビ局の報道による表現行為を客観的基準なく著しく規制することになりかねない」

 と述べ、「所沢産野菜がダイオキシンで汚染され、食べたら危険だ」という印象の真実性の立証が必要である」という農家側主張を退けた。

上告審は控訴審判決を破棄
高裁に差し戻し

 二度の裁判で主張が入れられなかった農家側はさらに原告の数が減り、二九人が謝罪広告と約二六〇〇万円(一人あたり二〇万円の慰謝料と野菜が売れなかった損害分の合計)の賠償を求めて、最高裁に上告した。

 これに対して、最高裁判所第一小法廷(横尾和子裁判長)は二〇〇三年十月十六日、控訴審判決のうち請求に関する部分を破棄し、東京高裁に差し戻すという判決を下した。

 最高裁判決は、第二審判決の(1)と(2)の判断は是認できるが、(3)の「真実の証明があった」から「名誉毀損については、違法性が阻却され、不法行為は成立しない」との判断は是認することができない、とした。

 判決では、摘示(=具体的に人の社会的評価を低下させるに足りる事実を告げること)示された事実とは何かについて、こう述べる。

「当該報道番組の全体的な構成、これに登場した者の発言の内容や、画面に表示されたフリップやテロップ等の文字情報の内容を重視すべきことはもとより、映像の内容、効果音、ナレーション等の映像及び音声に係る情報の内容並びに放送内容全体から受ける印象等を総合的に考慮して、判断すべきである」

 そのような見方からは、ニュースステーションの報道によって摘示された事実の重要部分は「ほうれん草を中心とする所沢産の葉物野菜が全般的にダイオキシン類による高濃度の汚染状態にあり、その測定値が1g当たり『0・64〜3・80pgTEQ』もの高い水準にあるとの事実であるとみるべきである」という。

※TEQ=毒性等価量。ダイオキシン類に含まれる化合物群には同族体・異性体があり、毒性の強弱が異なるため、毒性等価係数を乗じた換算値で表す。

 そのうえで、それが真実であることの証明があったか否かについては、環境総合研究所の調査結果からも、所沢産の白菜わずか一検体からも「真実であるとの証明があるとはいえない」と結論している。

 この判決は、テレビ朝日側の実質敗訴と考えられる。

 判決を受けてテレビ朝日は、
「当方の主張が認められず残念。本日の最高裁の判決は、人びとの生命や健康にかかわる事項について、国民の知る権利や報道の自由を制約する可能性を含んでいると考える。引き続き差し戻し審で当社の考えを主張していく」
 とのコメントを発表した。

 最高裁の差し戻し判決を受けて、東京高裁では二〇〇三年十二月にも口頭弁論が始まり、二〇〇四年の早い時期にも判決が出される見込みである。

「判決の陥穽」はここだ!
倒錯し矛盾した判決

≪リード≫
テレビ朝日のダイオキシン報道が、所沢産野菜が売れないという大混乱を招いてほぼ四年。農家がテレビ朝日を訴えた訴訟は、一審二審こそ局側の勝訴に終わったものの、上告審では一転、差し戻し判決が出る波乱の展開となった。今回の最高裁判決の意味は? それはテレビ報道にどんな影響を与えるだろうか?

一審二審の判決は
常識的で妥当だ

 テレビ朝日ダイオキシン報道訴訟の最高裁判決が出た。高裁への差し戻し判決は、実質的に放送局の敗訴である。しかし、私の基本的な考えは、「ニュースステーション」(以下Nステ)が問題を報じた一九九九年二月当時と、あまり変わらない。

 九九年以前の段階で、所沢の農作物が、畑の周囲に存在する焼却炉の排煙により、焼却灰が降り注がない畑の作物よりもダイオキシン類に汚染されている危険性が高い状態にあったことは、証明もへったくれもない事実である。

 証明が必要なら、Nステも紹介した「九七年に排煙中のダイオキシン濃度が所沢市西部清掃工場が12000ナノg/m3、日本の緊急対策値が80ナノg/m3、ドイツ規制値が0・1ナノg/m3」という数字を挙げれば十分だろう。

 この状況を招いた責任を負うべきは、第一にダイオキシンを排出した産廃などの業者、第二に信頼できる安全基準をつくり焼却炉の排煙その他をチェックすべき自治体や政府、第三に自らがつくる農作物の安全性に責任がある地元農協・農家という順序だ。しかし、焼却灰が畑に直接降り注いでいるにもかかわらず、所沢市役所や所沢JA(農協)はダイオキシンに関する情報を積極的に公開しようとせず、農林水産省も手をこまねいていた。

 ならば、所沢の問題を取り上げてダイオキシン汚染についての警鐘を強く鳴らしたNステの報道は、高く評価するに値する。報道には十分な「大義」があったというほかはない。

 確かにテレビ朝日の初期報道には、フリップの数字の誤り、不明瞭な表現、誤解を招きかねない映像の使い方があった(別稿参照)。

 司会者である久米宏ほかの番組スタッフは放送時点で、フリップに書かれた「3.8ピコグラム」がホウレンソウをメインとする野菜(葉っぱもの)の数値と誤解していたことは明らかだ。それは実は煎茶の数値だったのだから、こうしたデータの不備は徹底的に批判され、糾弾されてしかるべきである。

 だが、データの扱い方で大きなミスを犯したテレビ朝日がどれほどダメで許し難い存在だとしても、焼却灰を排出していた業者、何もしなかった市役所や政府、自らのつくる農産物の安全性を確保できない農協(農家を含む)よりはましであると、いわざるをえない。それは世の中の当然の常識だ。大きなミスはあっても、報道の大義は失われていない。

 そして、その大義がある――公共の利害に関し、もっぱら公益を図る目的からなされた報道は、大筋で真実の証明があれば不法行為が成立せず、真実の証明がない場合でも報道側が真実と信じる相当な理由があれば免責されるというのが、報道と名誉毀損に関するほぼ一致した判例・学説なのだ。

 さいたま地裁の第一審判決も、東京高裁の第二審判決も、右の考え方に基づいて、テレビ朝日の報道は名誉毀損に当たるが、免責されると判断した。これは、まっとうな判決であると私は信じる。

全体から受ける印象などを
総合的に考慮して判断

 ところが二〇〇三年十月十六日に出た最高裁判決は、Nステの報道は、公共の利害に関し、もっぱら公益を図る目的からなされたものだったが、大筋で真実の証明がないから不法行為が成立する、と判断した。

 その理由として判決が掲げたのは、次のような考え方である。判決が「摘示された事実」(=具体的に人の社会的評価を低下させるに足りる事実が告げられたときの、その事実)とは何かについて述べた部分を引用しよう。

「テレビジョン放送をされた報道番組によって摘示された事実がどのようなものであるかという点についても、一般の視聴者の普通の注意と視聴の仕方とを基準として判断するのが相当である。テレビジョン放送をされる報道番組においては、新聞記事等の場合とは異なり、視聴者は音声及び映像により次々と提供される情報を瞬時に理解することを余儀なくされるのであり、録画等の特別の方法を講じない限り、提供された情報の意味内容を十分に検討したり、再確認したりすることができないものであることからすると、当該報道番組により摘示された事実がどのようなものであるかという点については、当該報道番組の全体的な構成、これに登場した者の発言の内容や、画面に表示されたフリップやテロップ等の文字情報の内容を重視すべきことはもとより、映像の内容、効果音、ナレーション等の映像及び音声に係る情報の内容並びに放送内容全体から受ける印象等を総合的に考慮して、判断すべきである」

 長い引用になったが、縮めていえば、テレビ番組の内容が名誉毀損に当たるかどうかは、放送内容全体から受ける印象などを総合的に考慮して判断すべき、という主張だ。

 判決のこの部分を、最高裁がテレビ報道による名誉毀損の成否について新しい判断を示したと指摘する専門家が多い。専門家がいうのだから、そうなのだろうと思うが、「視聴者のテレビ番組の受け止め方一般」という意味では、この部分はとくに新しいことをいっているわけでも、突飛な見方を示しているわけでもない。

 視聴者が一瞬一瞬で消えていくテレビ番組の内容を、極めて印象的、情緒的に受け取っていることは、さまざまなテレビ研究からも明らかだろう。たとえば、政見放送を見た視聴者は、演説の中身にはあまり関係なく、手の振りの大きさや表情の豊かさに応じて、政治家への信頼性を判断する傾向がある、というような知見がそうだ。

 これは、テレビの弱点や視聴者の問題点とされることが多いが、一概にそうともいえない。

 政治家が論理的に弁明をしているのに、視聴者の多くが印象的、情緒的にウソをついていると思い、結果的にそれが当たっていたというようなことは、しばしば起こる。ベルリンの壁の崩壊で東側のテレビ(注:西側の衛星放送を受信できた)が果たした役割を見れば、人びとの印象や情緒面に訴えることは、テレビの明らかな強みともいえる。

 だから、最高裁判決のこの部分については、私は別に文句はない。

 Aという人物を名誉毀損していると疑われる番組(たとえば、断言はしていないものの、さまざまな仕掛けによってAはバカだと印象づけるような番組)を平均的な日本人一〇〇人に見せたとして、八〇人や九〇人が「Aはバカだ」と思ったら、その番組は「Aはバカだ」と伝えている番組というべきだ。

 ただし問題は、五〇人は「Aはバカだ」と感じるが五〇人は「Aはバカではない」と感じるような番組がありうることである。つまり、一〇人中六人がバカと受け止めたから名誉毀損が成立などと、単純には判定できない。

 いうまでもなくテレビから受ける印象は、誰が見るかによって大きく変わってくる。視聴者の印象は、それこそ十人十色。同じNステの報道を見ても、都市部のサラリーマン、家庭の主婦、郊外の農家などによって、受ける印象は千差万別のはず。だから、実際の判断が極めて慎重に行われるべきであることは当然だ。

 裁判官というのは――とりわけ最高裁の裁判官というのは、極めて特殊な人びとだから、彼らの受けた印象だけで判断すると、世間一般の印象と途方もなくズレることも十分考えられるだろう。最高裁の判決は、こうした実際上の問題に触れておらず、話が単純すぎ現実離れしていると感じるが、基本的な考え方としては間違っているとは思わない。

三分の二を占めるVTR構成
全体が大事なのに、なぜ無視?

 ここまではよい。問題はその先である。

 最高裁判決は、テレビは「情報の内容並びに放送内容全体から受ける印象等を総合的に考慮して、判断すべき」なのだから、ニュースステーションの報道によって摘示された事実の重要部分は「ほうれん草を中心とする所沢産の葉物野菜が全般的にダイオキシン類による高濃度の汚染状態にあり、その測定値が1g当たり『0・64〜3・80pgTEQ』もの高い水準にあるとの事実であるとみるべきである」という。

 この理屈が、私は、まったく承伏しかねる。

 全体から受ける印象をも含めた総合的な判断が重要ならば、そのように二〇〇三年二月一日のテレビ朝日「ニュースステーション」のダイオキシン問題特集十六分の映像を、一般的な視聴者の目で見てみるべきだろう。

 すると、番組は時間にしてほぼ三分の二を占める前半、主としてVTR構成の部分で、

 などを、伝えていることがわかる。

 繰り返すが、ここまで特集全体の三分の二、時間にして十分以上である。久米宏と環境総合研究所長のやりとりの中で、3・80ピコg/gのフリップが示されるのは、この後である。

ミスした部分だけを見て「真実の証明がない」
倒錯した論理、議論のすり替え

 最高裁判決がいうように、テレビは「情報の内容並びに放送内容全体から受ける印象等を総合的に考慮して、判断すべき」なら、以上のVTR構成部分を見ただけでも、視聴者は、「所沢の農産物はダイオキシン汚染が心配される状況」「農林水産省、所沢市役所、所沢JAなどは何ら有効な対策を講じていない」と受け止めるのは当然と思われる。

 そして、消費者が、番組で紹介されたような焼却灰が降りかかる白菜を買って食べようと思わないことは、正常な人間であれば、まったく当たり前の判断である。白菜に限らず所沢の野菜が危ないと思うのも、常識的な判断だ。

 現実として以上のような多様な報道がなされ、さらにスタジオでやりとりがあった。それら全体を見て視聴者の印象は決まるのだから、摘示された事実の重要部分を「ほうれん草を中心とする所沢産の葉物野菜が全般的にダイオキシン類による高濃度の汚染状態にあり、その測定値が1g当たり『0・64〜3・80pgTEQ』もの高い水準にあるとの事実」だけに限定した最高裁の判決は、明らかにおかしい。

 これでは、テレビ朝日がミスした部分だけを恣意的に「摘示された事実」と矮小化した判決と取られても、反論できないのではないか。

 報道はさまざまな事実を取り上げ、ダイオキシン汚染の危険性を訴えた。その結果として、所沢の農民に対する名誉毀損があったことも確かだと思う。だが、さまざまな事実の中の特定の事実だけを取り上げて「真実の証明がない」と決めつけたのは、私は倒錯した論理であり、議論のすり替えであると思う。

 判決は「全体を総合的に判断すべき」といいながら、「3・80ピコg/g」の最高数値だけにこだわって「部分を断片的に判断した」わけだから、この意味で大きな矛盾を抱えた判決であるとも思う。

 特集全体、とくに前三分の二のVTR部分を見れば、報道側が真実と信じる相当な理由があるようにも思われる。高い数値を示した白菜が一個では不十分として退けられたが、これも相当な理由に含めて考える余地がありそうだ。

 いずれにせよ、テレビ朝日「ニュースステーション」のダイオキシン報道は、所沢の農産物が危ないと問題提起した。たとえば「森が汚れている」と強い警鐘を鳴らしたわけだ。対する今回の最高裁判決は、「桜の木と桃の木を間違えたからダメ」と断罪するようなものだ。

 木を見て森を見ず、倒錯し矛盾したこの判決を、社会は強く批判すべきである。

ダイオキシン報道
差し戻し控訴審で
テレビ朝日と農家が和解(2004年6月16日)

テレ朝が和解金1000万円支払い
改めて謝罪して経緯を放送

 所沢市の農家がテレビ朝日に損害賠償と謝罪を求めた訴訟は、最高裁判所差し戻し後の東京高等裁判所(大藤敏裁判長)で2004年6月16日にも和解が成立する見通しとなった。新聞報道その他によれば、和解の条件には(1)テレビ朝日が農家側に和解金1000万円を支払う、(2)テレビ朝日は放送を通じて改めて責任を認め謝罪する、の2点が盛り込まれる模様。詳しくは16日午後に開かれた和解協議後の記者会見で明らかになる見込み。(詳報は追って掲載)

 その後、明らかになったところでは、(1)和解金を受け取った農家側は900万円を「1日も早く農業に従事できるよう役立てて」と三宅島の農家に、100万円を「子どもたちの食農教育のため」所沢市に寄付する。また、(2)は「謝罪放送」を行うのではなく、テレビ朝日が農家側に「フリップ(図示板)の記載の誤りや説明に不適切な部分があり、視聴者に誤解を与えた」と認め、「所沢産の葉物野菜の安全性に疑いを生じさせ、所沢市内の農家に多大な迷惑をかけたことを心よりおわびする」と謝罪し、そのことを16日夜の「報道ステーション」など放送で詳しく伝える。【この段落は6月16日20時30分追記】

和解に逃げ、最高裁トンデモ判決の踏襲は回避
早い段階で、もっとよい解決方法があったはず

 テレビ朝日「ニュースステーション」の報道には、重大なミスがあったものの、公益の増進を図る「大義」があったことは明らか。裁判所が名誉毀損を認めれば、過去の判例を覆《くつがえ》し、報道そのものの意義を否定する結果となったところだから、東京高裁が両者を和解へと導いたことは(差し戻されて和解に「逃げた」気配が濃厚であるものの)妥当であり、それに応じた農家とテレビ朝日もよい判断をしたと思う。

 そもそも裁判所というのは、もめ事が起こっているときに、世間の多くの人びとが納得できるような当たり前の判断を下すところであるはず。ところが、今回の最高裁や、週刊文春の出版差し止めの東京地裁は、そのような信頼を大きく損なう判断を下した。この責任は極めて重大である。

 欠陥を隠してクルマを売った三菱自動車が糾弾され、そのクルマが売れないように、焼却灰が降り注ぐ中で作った野菜を売れば農協も農家も糾弾され、その野菜は売れない。だから農協や農家は、ダイオキシン汚染の原因者である廃棄物処理業者と戦うべきであり、そのためにテレビを味方につけるべきだった。また、テレビ朝日も、農家こそ被害者であり自分たちはその味方であることを、もっとアピールすべきだった。

 報道で誰かがヒドい目にあったのなら、裁判でではなく、報道でその者を救済すべきであることは当然である。たとえば、その後の取材で所沢の野菜が安全であるとわかれば、「所沢野菜のいま」というような特集を組み、安全を大々的にPRすればいい。農家側も「土下座せよ」というのではなく、「そのような救済策を講じよ」と申し入れるべきだった。本来ならば、農家の意を汲んだ政治家がそのような仲介に乗り出す場面があってもよいはず。ところが今回は、久米憎しの政治家たちが、農家を煽《あお》りに煽ってしまった。それが問題の解決を遠のかせたことは否めない。

 所沢ダイオキシン報道が引き起こした騒動は、テレビに大きな反省材料を突きつけた。しかしそれに留まらず、農家や農協にも、行政にも、裁判所にもさまざまな反省点をもたらした事件であったといえるだろう。【6月16日15時記】