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戦後の主なバラバラ殺人事件

「八つ切り」「コマ切れ」から、「バラバラ」という表現になったのは、1932年(昭和7年)3月7日、東京の下町でバラバラになった遺体が発見された玉の井バラバラ事件からで、『東京朝日新聞』(現・『朝日新聞』)が初めて、この表現を用いている。いかにも、斬新で単純明快だった。

「バラバラ」にする理由として、持ち運びに便利だから、収納の場所を取らないから、憎悪のあまり、被害者の身元が判りにくくなるから(実際は、むしろ、逆に判りやすくなってしまうケースも多い)、そうすることで興奮するから、嗜食するため・・・。

このページでは「バラバラ」にした事件の他に「体の一部を切断」した事件も数件取り上げています。

[ 荒川放水路バラバラ死体事件 ] 1952年(昭和27年)5月10日、東京都足立区の荒川放水路で、若い男の胴体だけの死体が発見された。15日には対岸で首、16日には両腕が見つかり、被害者は志村署の伊藤忠夫巡査(28歳)と判明。犯人は内妻で小学校教諭の宇野富美子(当時26歳)で、夫を絞め殺したあと、母親のしづ(当時51歳)と共謀して死体をバラバラに切断した。5月7日、宇野は夫の酒癖の悪さと暴力に耐えかねて夫を殺害したと供述。死体の始末に困り、バラバラに切断して棄てることになり、母親と2人で関節ごとにひとつ切っては新聞紙に包むというやり方で2時間で終え、「案外簡単でしたよ」と冷ややかに述べた。10月、東京地裁は、富美子に懲役12年、しづに懲役1年半の判決を下した。しづは翌1953年(昭和28年)、獄中で病死した。

[ SM妻バラバラ事件 ] 1953年(昭和28年)3月13日、神戸市灘区で、SM愛好夫婦の愛欲が昂じて、麻薬常用者の内縁の夫(当時35歳)が妻(32歳)をセックスの最中に殺害した。死体を出刃包丁でコマ切れに切断し六甲山山中に遺棄した。夫は「いつもは首を絞めても元気なのに、あのときはちょっと絞めただけなのに静かになった」と供述した。過失致死で、懲役1年6ヶ月。
人違いバラバラ殺人事件
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人違いバラバラ殺人事件 ] 1954年(昭和29年)9月5日、埼玉県入間郡高階村(現・川越市)で、古屋栄雄(当時29歳)は、4年前から親しくしていた7歳年下の女性を、フラれたあともストーカーまがいに追いかけ回した挙句、殺害し、ジャックナイフとボンナイフ(軽便カミソリ)で死体をバラバラにして肥溜めに遺棄した。だが、被害者は古屋の勘違いで一面識もない別人の女性(19歳)だった。逮捕後、古屋は、かつての彼女との関係を明け透けに話したり、1955年(昭和30年)8月20日の控訴審で法廷の証言台に立った彼女を隠し持っていた竹べらで刺すなど、狂気じみた行動をしたため、裁判官の心証を悪くし、1審では無期懲役だったが、8月30日の2審での判決公判では死刑判決が下された。1956年(昭和31年)7月の最高裁でも上告が棄却されて死刑が確定した。1959年(昭和34年)5月、死刑が執行された。

関連書籍・・・
『殺人全書』(光文社/岩川隆/1988)

『バラバラ殺人の系譜』(青弓社/龍田恵子/1995)
『戦後死刑囚列伝』(宝島社/村野薫/2002)
大西克己事件
[ 大西克己事件(特別手配1号) ] 1955年(昭和30年)6月1日、山口県下関市で、大西克己(当時27歳)が養父母の福松(66歳)夫婦を青酸入りジュースで毒殺して九州に逃亡。別府に住み、偽名で食料品の販売などをしていたが、ケンカをして警察の取調べを受け、別府地区検察に送検された。大西はこのままでは養父母殺しがバレると東京へ高飛びし、追われる身から逃れるため、他人になりすます計画を立てる。カモを探し、知り合った函館生まれの三浦和夫(26歳)を騙して戸籍妙本、転出証明書を取り寄せさせ、1956年(昭和31年)2月、岡山県倉敷市まで連れ出して、青酸カリを飲ませて殺害し、死体はガソリンをかけて焼き、身元の確認もできないように偽装した。こうして、他人になりすまして結婚し真面目に運転手として働いていた。1957年(昭和32年)12月、大西は酒に酔って住居侵入で現行犯逮捕された。警察で写真、指紋を取られ即日釈放された。バレるのをおそれた大西は第3の殺人を計画する。ひとまず北海道に行くと言って妻をあざむき蒸発、その足で山谷へ行き、なりすます相手を物色、佐藤忠(30歳)に目をつけ、再び同じ手口で戸籍謄本、転出証明書を取り寄せさせ、1958年(昭和33年)1月、水戸市の千波(せんば)湖畔に誘い出して手ぬぐいで絞殺した。身元の分かりそうな手がかりを一切消すため、全裸にしてナイフで鼻頭、左指、ペニスを切断、顔面、両手指に線状のキズを多数つけ、死体をバラバラにした。さらに、念を入れて、翌日、濃硫酸(500グラム)を持って現れ、死体の頭部、顔面にふりかけて判別を不能にした。警察庁は千波湖畔事件を凶悪犯全国公開捜査第1号に指定。同年7月15日、大西が逮捕される。1959年(昭和34年)12月、水戸地裁で死刑判決。その後、控訴審、上告ともに棄却され、1961年(36年)3月、死刑が確定した。2審担当の国選弁護人は「あまりに残酷な犯行なので死刑になるのは当然」として弁護を拒否したが、これについては1963年(昭和38年)11月、東京地裁民事部は弁護を拒否した弁護士に対し、「弁護放棄は義務を怠った不法行為として、3万円の賠償を命じる判決を下した。1965年(昭和40年)、大西の死刑執行。

[ 人肉ホルマリン漬け事件 ] 1957年(昭和32年)4月2日、東京都中野区の林邦太郎(当時26歳)がプロレスラーである清美川の中学1年生になる息子を殺し、死体をコマ切れにして、熱帯魚の水槽ふたつにギッシリ詰め込んでホルマリン漬けにし、フタはパテで完全に密閉していた。さらに、少年の衣類や肉片を風呂敷で包み裏庭に埋めた。邦太郎は以前に、2度ほど精神病院に入院歴があり、風呂屋やそろばん塾で男の子を誘ってはイタズラや乱暴をしていた。また、この犯行の過程を詳細に日記に付けていた。

[ 愛知バラバラ殺人事件 ] 1959年(昭和34年)9月25日、愛知県西尾市の矢作川で、バラバラにされた上、乳房や陰部をえぐり取られた若い女性の死体が発見された。犯人は軽飲食店主(当時42歳)で、被害者の少女(17歳)に、「就職を世話する」と言って近づき、肉体関係を迫ったが、拒否されたので殺害した。その後、5日間、死体をドライアイス詰めにして姦淫して遺棄した。これまでにも、犯人と過去に関係のあった女性3人の行方が分からなくなっていた。

[ 床屋店主バラバラ殺人事件 ] 1960年(昭和35年)3月3日、前年4月19日に、石井アイ(当時27歳)が雇い人の職人(当時21歳)と共謀して、夫の理髪店主の石井金蔵(34歳)を腰ひもで絞殺した。約10ヶ月間、居間の床下に埋めていたが、悪臭がするので、2月8日に掘り起こして死体をバラバラにし、荒川河川敷などに埋めた。同日、雇い人が血の付いた寝巻きなどを包んだ異臭のする風呂敷を持ってうろついていたところ、不審に思った警察官に職務質問され事件が発覚した。

[ 銀座バーマダムバラバラ事件 ] 1967年(昭和42年)11月6日、金融業兼芸能ブローカーの伊藤和義(当時23歳)が、金銭上のトラブルから“銀座の女王” と呼ばれたナイトクラブのマダムの山崎美智子(28歳)を東京都港区赤坂のマンションの一室で絞殺して、風呂場でバラバラにし、千葉県銚子海岸と隅田川に遺棄した。

山口洋子の小説 『夜の底に生きる』のモデルになった。

[ 高校生首切り落とし事件 ] 1969年(昭和44年)4月25日、川崎市向ヶ丘で高校1年生(当時15歳)が同級生の悪ふざけに腹をたて登山ナイフでメッタ突きにしたあと、首を切り落とした。首を切断した理由について「生き返ったら自分の犯行だと分かってしまう」と供述。

関連書籍・・・
『心にナイフをしのばせて』(文藝春秋/奥野健司/2006)
 この書籍によると、加害少年はその後、弁護士になったようです。

2007年(平成19年)6月2日午後7時から約1時間に渡って、『心にナイフをしのばせて』を原作としたドラマがテレビ朝日系列の『特捜!』の番組枠で「もう一つの酒鬼薔薇事件」と題して放送された。

[ 主婦の手首切り落とし事件 ] 1976年(昭和51年)1月28日、東京都練馬区の都営住宅で主婦(当時47歳)が日頃より家の増築などでもめていた隣家の主婦A(40歳)を文化包丁でメッタ切り、両手首を切り落として殺害。手首を切り落としたことに関して「頼みもしないのにAさんが自分の家の前のドブを掃除したり、自分が自転車に乗れないことを知って、Aさんが自転車のベルを家の前で2回ならしたりする。手がなくなればドブ掃除もできない、自転車にも乗れないと思ったため」と供述。

[ 手首ラーメン事件 ] 1978年(昭和53年)7月5日、東京都中野区の暴力団員が、同じ組の兄貴分(29歳)を殺害し、バラバラにして兵庫県赤穂郡と岡山県和気郡の山中に埋めた。そのとき切断した手首は「屋台のラーメンのスープのダシに使った」と自供したためパニックになった。

関連書籍・・・
『倉田辯護士事件簿』(コスモヒルズ/倉田哲治/1997)

福岡病院長殺人事件
[ 福岡病院長殺人事件 ] 1979年(昭和54年)11月4日、釣具店店主の杉本嘉昭(当時33歳)とスナック経営者の横山一美(当時27歳)が共謀して、北九州市小倉北区の津田薫病院長(61歳)を、女性歌手とのデートをエサに誘い出し、横山の経営するスナック「ピラニア」で監禁、翌日殺害した。モーテルでバラバラにして、フェリーから遺棄した。149日目に解決。1982年(昭和57年)3月16日、福岡地裁小倉支部で死刑判決。1984年(昭和59年)3月14日、福岡高裁で控訴棄却。1988年(昭和63年)4月15日、最高裁で上告棄却で死刑確定。1996年(平成8年)7月11日、2人の死刑が執行された。2人で1人を殺して2人ともに死刑判決が下るという珍しいケースとなった。

関連書籍・・・
『捜査 北九州病院長バラバラ殺人事件』(トクマノベルズ/新書/中村光至/1983)

[ バラバラ死体と2年同居事件 ] 1980年(昭和55年)1月15日、異臭がすると通報を受けた警察が、新潟県三条市の衆議院議員元私設秘書(当時32歳)の部屋を調べたところ、押入れの天袋の衣類箱の中から、同居していた元ホステス(当時30歳)のなかば白骨化したバラバラ死体を発見した。殺してから2年間、放置してあった。犯人は異臭に対して「臭いには慣れっこになって何ともなかった」と供述した。
パリ人肉嗜食事件
[ パリ人肉嗜食事件 ] 1981年(昭和56年)6月11日、パリ第3大学で学ぶ留学生の佐川一政(いっせい/当時32歳)は、自分のアパートに、同じ大学で学ぶオランダ人留学生のルネ・ハルテヴェルト(25歳)を呼び出し、関係を迫ったところ、彼女から強く拒否されたので、カービン銃で背後から射殺。尻、太ももなどをナマで食べたあと、死姦。死体を運搬するために解体。その間にも人肉をビフテキのように焼いて食べ、冷蔵庫に死体の一部を保存していた。13日、スーツケース2個買い、ひとつには頭部と手足、もう一方には、胴体を詰めて、タクシーでパリの西方にあるブローニュの森の湖畔に棄てた。同日夕方、スーツケースが発見される。15日、パリ警視庁により逮捕され、アッサリと犯行を自供。1983年(昭和58年)4月、フランスの予審裁判所は、医師の鑑定の結果、事件当時、佐川は心神喪失状態であったとして不起訴を決定した。ルネの遺族は控訴したが、12月、不起訴が確定した。佐川は4月から、パリ郊外のアンリ・コラン精神病院に入院していたが、1984年(昭和59年)5月、帰国すると同時に、東京都世田谷区の精神病院である都立松沢病院に入院した。1985年(昭和60年)8月、松沢病院から退院。

この事件を元に書かれた小説に『佐川君からの手紙』(唐十郎/河出書房新社/1983)がある。この作品は第88回芥川賞を受賞した。

関連書籍・・・
『狂気にあらず!? 「パリ人肉事件」佐川一政の精神鑑定』(第三書館/コリン・ウィルソン&佐川一政&天野哲夫/1995)

佐川一政の著書・・・
『霧の中』(話の特集/1983)

『生きていてすみません 僕が本を書く理由』(北栄社/1990)
『サンテ』(角川書店/1990) / 『蜃気楼』(河出書房新社/1991)
『カニバリズム幻想』(北栄社/1991)/ 『喰べられたい 確信犯の肖像』(ミリオン出版/1993)
『華のパリ 愛のパリ 佐川君のパリ・ガイド』(アイビーシー/1994)
『饗(カニバル)』(竹書房/コリン・ウィルソン共著/1996)
『少年A』(ポケットブックス社/1997)
『殺したい奴ら』(データハウス/1997)
『パリ人肉事件 無法松の一政』(河出書房新社/根本敬共著/1998)
『まんが サガワさん』(オークラ出版/2000
『霧の中の真実』(鹿砦社/2002)

[ 練馬一家5人殺し事件 ] 1983年(昭和58年)6月27日、東京都杉並区の不動産鑑定士の朝倉幸治郎(当時48歳)は、東京都練馬区大泉学園在住の洋書販売会社課長の白井明(45歳)が貸借して住んでいた家と土地が東京地裁の競売にかけられているのを知り、同年2月、約1億円を支払って所有権を得るとともに、別の会社と転売契約を結び、6月末までに、引き渡す約束をしたが、明渡し交渉がうまくいかず、このままだと、転売先に3000万円の違約金を支払わなければならなかった。この日の午後2時45分ごろ、白井宅を訪ね、顔を見せた妻の幸子(41歳)をいきなり金づちで殴り殺し、続いて次男(1歳)、三女(6歳)を殴殺、絞殺し、間もなく帰宅した次女(9歳)も絞殺した。長男は次男と双子として生まれ、翌年の誕生日を過ぎてまもなく死亡している。午後9時半過ぎ、主人の明が帰って来た。朝倉は明の腹を拳で殴り、持ってきたマサカリで切りつけ、失血死させた。翌日、明の死体をバラバラにし、肉挽機を使ってミンチ状にした。長女(当時11歳)だけは林間学校に出かけて命拾いをしている。「骨まで粉々にしてやりたかった」などと自供。1985年(昭和60年)12月20日、東京地裁で死刑判決。1990年(平成2年)1月23日、東京高裁で控訴棄却。1996年(平成8年)11月14日、最高裁で上告棄却で、死刑が確定した。2001年(平成13年)12月27日、死刑執行。

関連書籍・・・
『バラバラ殺人の系譜』(青弓社/龍田恵子/1995)

[ 新潟ラブホテル肉片バラバラ殺人事件 ] 1986年(昭和61年)5月15日、香川県高松市の元工員(当時37歳)が、年上の妻(49歳)に乱れた女性関係を非難されて、カッとなって妻を殺害し、バラバラにして車に積み、各地の山や海に遺棄した。最後は新潟市内のラブホテル「パパイヤ」のトイレから流したところ、浄化槽にスライスした肉片40個以上が浮かんだ。後日、別のホテルの浄化槽からも肉片が発見された。

[ 藤沢悪魔祓いバラバラ殺人事件 ] 1987年(昭和62年)2月22日、神奈川県藤沢市で、ロックミュージシャンの茂木政弘(32歳)が従兄弟の不動産業者のS(当時39歳)と茂木の妻のM(当時27歳)の2人によって殺害された。「政弘に憑いた悪魔を祓うため」に犯行に及んだとし、Sが「首を絞めて殺さなければ悪魔は出ていかない」と首を絞めて殺したもの。通報を受けた警察が現場に駆けつけたところ、2人はかつて同じ新興宗教の信者で、犯行当時はSを「教祖」とする3人だけの宗教集団を結成していた。加害者2人は「体内に住む悪魔を追い祓えば、そのうち政弘が復活する」と信じていた。1992年(平成4年)5月13日、横浜地裁はSに懲役14年、Mに懲役13年を言い渡した。

関連書籍・・・
『バラバラ殺人の系譜』(青弓社/龍田恵子/1995)

『極悪人』(ワニマガジン社/1996)
『実録 戦後殺人事件帳』(アスペクト/1998)
『明治・大正・昭和・平成 事件・犯罪大事典』(東京法経学院出版/事件・犯罪研究会編/2002)

[ コインロッカーバラバラ事件(広域重要「準指定3号」) ] 1987年(昭和62年)12月18日、東京駅八重洲口のコインロッカーから、6個の袋に詰められた手首のない両腕など、男性のバラバラ死体の一部が、翌年1月17日には胴体部が埼玉県大宮市(現・さいたま市)のコインロッカーで発見された。1989年(平成元年)10月13日、広島県呉市の詐欺の容疑者(当時49歳)の自宅から、コンクリート詰めの頭部が見つかった。病死した京都の詐欺仲間を解体したと自供した。
宮崎勤幼女連続殺人事件
[ 宮ア勤幼女連続殺人事件警察庁広域重要指定事件「117号事件」) ] 1989年(平成元年)7月23日、東京都五日市町(現・あきる野市)の印刷業手伝いの宮ア勤(当時26歳)は、当時6歳の女の子を自分の車に乗せ、八王子郊外の山林に連れ込み、裸にしてビデオを撮ろうとしていたところを、尾行してきた、この女の子の父親に捕まった。1988年(昭和63年)8月22日、埼玉県入間(いるま)市内の歩道橋を歩いていた今野真理ちゃん(4歳)に、涼しいところに行こう、と声をかけ、車に乗せて東京都八王子市内の山林に連れ込んだが、真理ちゃんが泣き出したので、押し倒して絞殺し、遺体をビデオに撮ってから、衣類を持ち帰った。10月3日、埼玉県飯能(はんのう)市の小学校の傍らで遊んでいた吉沢正美ちゃん(7歳)に、道を教えてと近づき、誘拐して殺害した。12月9日、埼玉県川越市の自宅の団地の傍らで遊んでいた難波絵梨香ちゃん(4歳)を温かいところに行こう、と声をかけて誘い殺害した。翌1989年(平成元年)2月6日、骨片や歯を入れた段ボール箱を今野真理ちゃんの家の玄関に置いた。2月10日、朝日新聞東京本社宛てに、「所沢市 今田勇子」で、真理ちゃんの顔写真を添付し、コピー用紙3枚の犯行声明文を入れた封書が届く。2月11日、真理ちゃん宅に、「所沢市 今田勇子」で、朝日新聞社に送ったものと同じ文面の犯行声明文のコピーと真理ちゃんの顔写真入りの封書が届く。6月6日、東京都江東区の公園で遊んでいた野本綾子ちゃん(5歳)を誘拐して悪戯し殺害した。このときは遺体を自宅に持ち帰ってビデオ撮影した。2日目になると悪臭がひどくなってきたので、遺体の頭部、両手足を切断、髪の毛や歯を抜いたりしたあと、飯能市の宮沢湖霊園などに棄てた。宮アが一連の事件の被疑者として正式に逮捕されたのは、1989年(平成元年)8月11日。1992年(平成4年)、6人の慶応大学グループによる鑑定で、「人格障害」、1994年(平成6年)、3人の東大グループによる鑑定で、「多重人格」と「精神分裂病(統合失調症に名称変更)」という3つの結論が出た。同年11月21日、宮アの父親が東京都青梅市の多摩川に架かる橋から投身自殺した。1997年(平成9年)4月14日、東京地裁で死刑判決。2001年(平成13年)6月28日、東京高裁で控訴棄却。2006年(平成18年)1月17日、最高裁で上告棄却で死刑確定。2008年(平成20年)6月17日、死刑が執行された。45歳だった。

関連書籍・・・
『宮ア勤裁判 上』(朝日文庫/佐木隆三/1995)
『宮ア勤裁判 中』(朝日文庫/佐木隆三/1995)
『宮ア勤裁判 下』(朝日文庫/佐木隆三/2000)
『宮ア勤事件 塗り潰されたシナリオ』(新潮社/一橋文哉/2001)
『M/世界の、憂鬱な先端』(文春文庫/吉岡忍/2003)
『ドキュメント 消えた殺人者たち』(ワニマガジン社/1999)
『<物語>日本近代殺人史』(春秋社/山崎哲/2000)
『明治・大正・昭和・平成 事件・犯罪大事典』(東京法経学院出版/事件・犯罪研究会編/2002)

[ バラバラ死体をプランターに埋めて7年 ] 1989年(平成元年)8月15日、7年前に元小学校教員(48歳)を殺したとして千葉県市川市の主婦(当時26歳)が自首。主犯の内縁の夫(当時30歳)は、被害者に借金返済を催促されたことから、主婦と共謀して刺殺し、死体を解体した。その後、一度は離婚したが、再び同居するようになった2人は引っ越すたびに、バラバラ死体詰めのプランターを持ち歩いていた。自首をした動機は内縁の夫から「再婚しなければ事件をバラす」と脅かされたためだった。 

[ 福岡美容師バラバラ殺人事件 ] 1994年(平成6年)2月27日、福岡市の美容院で、邪推から生まれた恋敵の美容師の岩崎真由美(30歳)を経理担当の江田文子(現姓・城戸/当時38歳)が出刃包丁で刺殺。自宅マンションでノコギリを使ってバラバラにし、福岡県山川町のゴミ集積場や熊本県のコインロッカーなど、九州各地に遺棄。3月15日、逮捕。1995年(平成7年)8月25日、福岡地裁で懲役16年の判決。1997年(平成9年)2月3日、福岡高裁で控訴棄却。1999年(平成11年)9月3日、最高裁で上告棄却で、懲役16年が確定した。

1994年(平成6年)はバラバラ殺人事件の頻度が高く、この福岡美容師バラバラ殺人事件を始めとして年間を通して10件に及んだ。

関連書籍・・・
『バラバラ殺人の系譜』(青弓社/龍田恵子/1995)

『隣りの殺人者たち』(宝島社/1997)
『<物語>日本近代殺人史』(春秋社/山崎哲/2000)

[ 1級建築士バラバラ殺人事件 ] 1994年(平成6年)4月23日、東京都三鷹市の吉祥寺にある井の頭公園の園内にあるゴミ箱から両手首、両足のスネ、右肩とあばら骨の肉片、足首などが、それぞれバラバラに包まれた塊で27個発見されたが、頭部や胴体、性器は未だに発見されていない。鑑識の結果、身元は公園近くに住んでいる1級建築士の川村誠一(35歳)と判明したが、2009年(平成21年)4月23日、時効になった。

関連書籍・・・
『殺人者はそこにいる 逃げ切れない狂気、非情の13事件』(新潮文庫/「新潮45」編集部/2002)

[ 埼玉愛犬家連続殺人事件 ] 1995年(平成7年)1月5日、埼玉県熊谷市で、「アフリカケンネル」の経営者で、犬猫繁殖販売業の関根元(げん/当時53歳)と前妻でペット販売会社社長の風間博子(当時38歳)が、経営難で資金繰りに困り、愛犬家を次々に殺害し、死体を遺棄した容疑で逮捕された。1993年(平成5年)4月、金銭のトラブルから産廃処理会社役員の川崎明男(39歳)に硝酸ストリキニーネ入りのカプセルを飲ませ殺害。7月21日、川崎明男を殺害したことをネタに金を要求してきた暴力団幹部の遠藤安亘(やすのぶ/51歳)と運転手の和久井奨(すすむ/21歳)を殺害。8月26日、主婦の関口光江(54歳)に犬の売却代金の返還を求められ殺害。いずれの事件についても、犯行後、群馬県片品村に遺体を運び、関根と風間の2人でバラバラにしてから、ペット販売会社の元役員の山崎永幸(当時38歳)に手伝わせて、コマ切れにした肉片を川に棄て、骨はドラム缶で焼き、残った骨灰は近くの山林などに棄てていた。毒殺に使った「硝酸ストリキニーネ」は関根が知人の獣医に、「大型犬数匹を安楽死させたい」と頼み、5グラムを譲り受けていた。共犯で元役員の山崎永幸は3年の刑を終え、1998年(平成10年)8月28日、出所した。2001年(平成13年)3月21日、浦和地裁(現・さいたま地裁)は関根と風間両被告に対し、死刑を言い渡した。両被告は控訴した。2005年(平成17年)7月11日、東京高裁で両被告に対し控訴を棄却。即日上告。2009年(平成21年)6月5日、最高裁で上告棄却で関根と風間の2人の死刑が確定した。2017年(平成29年)3月27日、東京拘置所で関根元が病死した。75歳だった。

共犯の山崎永幸の著書に 『共犯者』(新潮社/1999)がある。翌2000年(平成12年)、志麻永幸のペンネームで角川書店から文庫本として 『愛犬家連続殺人』と改題し刊行。さらに、2003年(平成14年)、山崎永幸のゴースト・ライターとして執筆した作家の蓮見圭一が 『悪魔を憐れむ歌』(幻冬舎)と改題の上、大幅に加筆訂正して刊行した。

この埼玉愛犬家連続殺人事件や他の猟奇殺人事件からヒントを得て制作された映画作品に『冷たい熱帯魚』(DVD/監督・園子温/出演・吹越満&でんでん他/2011)がある。
大阪連続バラバラ殺人事件
[ 大阪連続バラバラ殺人事件(警察庁広域重要指定事件「122号事件」) ] 1995年(平成7年)5月12日、大阪市西成区に住む無職の鎌田安利(当時54歳)が、5件の殺人を自供。1985年(昭和60年)5月、大阪市東住吉区の主婦の東富佐枝(46歳)を絞殺し、神戸市西区の山林に遺棄。同年6月、富田林市の知的障害者施設の寮生の知念みどり(19歳)をデートに誘った後、自宅に連れ込み口論になって絞殺し、奈良県広陵町の山林に遺棄。1987年(昭和62年)1月、大阪府豊能町で小学3年生の辻角公美子ちゃん(9歳)にイタズラしようとして誘ったが、暴れたため絞殺。1993年(平成5年)7月、大阪市西成区の飲食店員の須田和枝(45歳)を絞殺。1994年(平成6年)4月、大阪府箕面市で、大阪市中央区の飲食店員の中野喜美子(38歳)を絞殺し、箕面市の山林に遺棄。いずれも、鎌田の自宅マンションで殺害し、持ち運びやすいように、辻角公美子ちゃん以外の死体をバラバラにしたと自供。第一の犯行後には、グリコ・森永事件をまねて、「怪人22面相」の署名入りの挑戦状を奈良県警に郵送していた。1999年(平成11年)3月24日、大阪地裁で死刑判決。2001年(平成13年)3月27日、大阪高裁で控訴棄却。2005年(平成17年)7月8日、最高裁で上告棄却で死刑確定。2016年(平成28年)3月25日、大阪拘置所で鎌田安利の死刑が執行された。75歳だった。

[ 小野悦男事件 ] 1996年(平成8年)4月21日、東京都足立区の幼女(当時5歳)がわいせつ目的で誘拐され、首を絞められ意識を失い、そのまま放置されていたところを通行人が発見、一命を取り留めるという事件が発生した。目撃証言から足立区の清掃作業員の小野悦男(当時59歳)が殺人未遂容疑で逮捕された。小野は1974年(昭和49年)に松戸市で起きた信用組合職員の宮田早苗(19歳)の殺害事件(松戸OL殺人事件)で容疑者として逮捕されており、1986年(昭和61年)9月の1審で、無期懲役の判決だったが、1991年(平成3年)4月の2審で、人権派の弁護士の活躍などで、無罪を勝ち取り、「冤罪のヒーロー」として祭り上げられていた。また、1996年(平成8年)1月7日、足立区の駐車場で首のない女性の焼死体が見つかった事件(殺害は1月6日)についての捜査で、その女性の焼死体が発見された現場近くに捨てられていた布団から検出された体液が小野のものと一致。また、5月2日の家宅捜査で、裏庭に埋めてあった首なし遺体と切断面が合致する頭蓋骨とノコギリが発見され、小野を追及したところ、犯行を自供。焼死体は茨城県出身の無職の宮内良江(41歳)で、小野と4ヶ月ほど同居していたが、家事をしない宮内と口論となりバットで殺害し、近くの駐車場で、ゴミと一緒に焼いてから頭部を切断。小野は遺体を焼いた理由について「骨を実家に返したいと考え、焼いたが骨にまでならず、頭蓋骨だけでも実家に返したいと思い持ち帰った」と供述。また、松戸の事件に関しては「無罪になった事件は、絶対にやっていない」と話しているという。1998年(平成10年)3月27日、東京地裁で無期懲役の判決。1999年(平成11年)2月9日、東京高裁で控訴棄却。

小野悦男の著書に『でっちあげ 首都圏連続女性殺人事件』(社会評論社/1979)がある。

[ 神戸須磨児童連続殺傷事件 ] 1997年(平成9年)2月10日、神戸市で中学3年のA(当時14歳)が小学6年生の2人の女児に対して、背後から頭を狙って次々とハンマーで殴った。このとき、そのうちの1人は殴られた際に柱に頭を打ち付けて2週間のケガを負った。さらに、3月16日、Aは小学校4年生の山下彩花ちゃん(10歳)の頭をハンマーで殴った。彩花ちゃんは脳挫傷で1週間後に死亡した。続けて、小学3年生(当時9歳)の女児をナイフで腹部を刺し、2週間のケガを負わせた。5月24日、小学6年生の土師淳君(11歳)の首を絞めて殺害。翌25日、淳君の首を胴体と切断。27日、中学校の正門の前にその頭部を置いた。6月28日、Aが逮捕された。10月17日、神戸家裁でAを医療少年院送致とする処分が決定した。

関連書籍・・・
『地獄の季節 「酒鬼薔薇聖斗」がいた場所』(新潮文庫/高山文彦/2001)

『「少年A」 14歳の肖像』(新潮文庫/高山文彦/2001)
『「少年A」 この子を生んで・・・・・・ 父と母 悔恨の手記』(文藝春秋/「少年A」の父母/2001)
『少年A 矯正2500日 全記録』(文藝春秋/草薙厚子/2004)
『FBI心理分析官』(早川書房/ロバート・K・レスラー/1994)
『快楽殺人の心理』(講談社+α文庫/ロバート・K・レスラー/1998)
『殺人者のカルテ 精神鑑定医が読み解く現代の犯罪』(清流出版/福島章/1997)

[ 大阪マンションバラバラ殺人事件 ] 1997年(平成9年)8月12日、大阪府交野(かたの)市のマンションの浴室から手足が切断された遺体が、冷蔵庫の中からは切り取った遺体の一部が発見された。遺体はその部屋の住人でアパレル会社社員の円山裕昭(51歳)と判明。8月20日、円山の後妻の迫(旧姓・西原)栄(当時45歳)が逮捕された。未発見だった遺体の一部が迫の自供通り、交野市内の雑木林と転居先の京都市左京区の住宅床下から発見された。前年の2月ごろ、金銭上のトラブルから犯行に及んだと自供。また、犯行後、迫は円山名義の保険金1600万円を解約し、貯金110万円も引き出し、パチンコや旅行に充てていた。2001年(平成13年)4月20日、大阪地裁で懲役20年の判決。2002年(平成14年)3月27日、大阪高裁で1審判決を破棄、無期懲役を言い渡した。

[ インストラクター殺人事件 ] 1999年(平成11年)7月10日、名古屋市中村区の名城大学3年生(休学中)のY(当時22歳)が、両親の経営する同市西区の居酒屋の2階で、岐阜県墨俣(すのまた)町のスポーツインストラクターの福田智佳(26歳)の首に右腕を巻きつけて窒息死させた。そのあと、遺体を包丁などで切断し、胴体部分を箱根峠近くの山林に運び、ガソリンをかけて燃やし、頭と両腕、両足を名古屋港に遺棄した。2人は共にパワーリフティングの選手で、Yは1997年(平成9年)と翌1998年(平成10年)の全日本パワーリフティング大会で連覇を果たすなど、この競技の有望選手だった。2人は競技を通じて知り合い交際していた。1998年(平成10年)10月、福田はYに暴行を加えられ左腕を骨折したことから、損害賠償を請求、調停が成立したものの、1999年(平成11年)4月、Yは福田に貸したバイクが盗まれたと福田を相手に損害賠償請求を行うなど、2人の間でトラブルが相次ぎ、一時は交際が途絶えていたが、5月ごろから再び付き合い始めていた。9月20日〜23日、被疑者を特定しないまま、Yの自宅などを家宅捜査していたが、9月22日、Yの父親(50歳)が自宅で首を吊って自殺した。9月29日、Yが逮捕される。10月6日、Yが神奈川県警留置所内のトイレで左手首をかんで自殺を図った。その後、病院に運ばれたが、軽い傷で済んでいる。10月21日、DNA鑑定により、居酒屋の2階から検出された血液と福田の血液とが一致した。2000年(平成12年)9月5日、横浜地裁はYに対し懲役14年(求刑・懲役18年)を言い渡した。

[ 交際女性2人殺人事件 ] 1999年(平成11年)8月、元外食会社部長の兼岩幸男が愛知県蟹江町のパート従業員の渡辺愛子(43歳)の首を手で絞めて殺害。また、2003年(平成15年)5月、同県一宮市の会社役員村井栄子(49歳)の首を手で絞めて殺害後、遺体を大型のカッターナイフなどで切断し、岐阜県柳津町(合併で岐阜市)の境川などに遺棄した。兼岩は公判で、村井の殺害や遺棄を認めているが、渡辺の殺害は「自殺だった」として無罪を主張。渡辺の遺体も切断し遺棄したことは認めたが、時効が成立している。2007年(平成19年)2月23日、岐阜地裁は、「いずれも確定的な殺意に基づく犯行で、冷酷かつ残酷」として求刑通り死刑を言い渡した。2008年(平成20年)9月12日、名古屋高裁で控訴を棄却。2011年(平成23年)11月29日、最高裁で上告棄却で死刑確定。

[ 織原城二事件(ルーシー・ブラックマン事件) ] 2000年(平成12年)5月4日、イギリスから友人とともに元英国航空会社客室乗務員のルーシー・ブラックマン(死亡時22歳)が来日した。入国資格は観光目的の90日滞在だったが、東京都港区六本木のクラブで働き始めた。6月下旬、六本木のクラブでルーシーが不動産会社社長の織原(おばら)城二(逮捕時48歳)を接客。7月1日、「男の子と海にドライブに行く」などと友人に連絡後、行方不明になった。7月3日、タカギアキラと名乗る男がルーシーの友人に「ルーシーは千葉県で新興宗教の修業をしている」と電話。7月4日、友人が麻布警察署に捜索願を出す。7月12日、警視庁捜査1課が公開捜査に踏み切った。ルーシーの父親や妹が来日し、ホットラインを開設して有力情報に約1600万円の懸賞金を出すと発表した。10月12日、織原がカナダ人女性に対する準強制わいせつ容疑で逮捕される。10月16日、織原が他の女性にもわいせつな行為を繰り返していた疑いが強まり、警視庁が麻布署に特捜本部を設置。10月27日、イギリス人女性に対する準婦女暴行容疑で再逮捕。11月17日、日本人女性に対する準婦女暴行容疑で3度目の逮捕。12月8日、日本人女性に対する準婦女暴行容疑で4度目の逮捕。12月14日、カナダ人とイギリス人に対する準婦女暴行罪の初公判。織原は「同意を得ていた」と否認。2001年(平成13年)1月4日、日本人女性に乱暴してけがを負わせたとして、準婦女暴行傷害容疑で5度目の逮捕。1月26日、オーストラリア人女性のカリタ・リジウェイ(21歳)にクロロフォルムを使って乱暴し死亡させたとして、準婦女暴行致死容疑で6度目の逮捕。2月9日、神奈川県三浦市の海岸で切断された女性の遺体を発見。翌10日、発見された女性の遺体がルーシー・ブラックマンであることが確認される。4月6日、ルーシーに対し乱暴して死亡させた準婦女暴行致死や死体遺棄容疑などで7度目の逮捕。4月28日、ルーシーに対する準強姦致死、死体損壊などの罪で追起訴。織原は調べに対し、「都内から逗子のマンション自室にルーシーを連れて行った」ことは認めたが、起訴事実は否認した。2006年(平成18年)9月30日、織原の弁護人は織原がルーシー・ブラックマンの件については無実であることを主張しながら、ルーシーの遺族に見舞金として1億円を支払ったことを明らかにした。2007年(平成19年)4月24日、東京地裁(栃木力裁判長)は、起訴された10件の事件のうち9件については有罪と認め、織原に求刑通り無期懲役を言い渡したが、ルーシーの事件については、「直接的な証拠は一切ない」と述べ、無罪とした。被告側は東京地裁での判決を不服として即日控訴した。4月27日、検察側もルーシー事件で無罪を言い渡した東京地裁での判決を不服として控訴した。2008年(平成20年)7月4日、織原の弁護人は織原がオーストラリア人女性のカリタ・リジウェイの遺族に見舞金として1億円支払ったことを明らかにした。織原はカリタ・リジウェイと性的関係をもったことは認めているが、死亡については「関係ない」と主張している。2008年(平成20年)12月16日、東京高裁(門野博裁判長)は起訴された10事件のうちルーシー事件を唯一無罪とした1審判決を破棄し、改めて無期懲役を言い渡した。12月18日、被告側が東京高裁での無期懲役判決を不服として上告。2010年(平成22年)12月7日、最高裁で上告棄却で無期懲役が確定。

関連書籍・・・
『ルーシー事件の真実』(飛鳥新社/ルーシー事件真実究明班[編]/2007)
『ルーシー事件 闇を食う人びと』(彩流社/松垣透/2007)
『刑事(デカ)たちの挽歌 警視庁捜査一課「ルーシー事件」ファイル』(財界展望新社/高尾昌司/2010)
『黒い迷宮 ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実』(早川書房/リチャード・ロイド・パリー他/2015)

[ 大宮看護婦バラバラ殺人事件 ] 2001年(平成13年)4月7日、大宮赤十字病院(現・さいたま赤十字病院)に勤務する看護婦の金田朋子(当時23歳)が同僚看護婦の永田悦子(よしこ/23歳)を1人の男をめぐる三角関係のもつれから金田朋子の自宅アパートで絞殺したあと風呂場でバラバラに解体して2ヶ所のゴミ集積場に棄てた。金田朋子と永田は1996年(平成8年)4月、大宮赤十字病院看護専門学校に入学し、クラスメイトになった。家が近かったことから親しくなり、映画やカラオケに行く仲になった。2人は金田朋子の自宅アパートで一緒に看護婦国家試験の勉強をした。その後、揃って試験に合格し、看護婦として大宮赤十字病院に勤務。その後も一緒に旅行に出かけるなどの交際を続けていた。だが、金田朋子と交際していた男が永田と親しくなっていったのをきっかけに2人の仲に亀裂が入るようになっていった。やがて金田朋子に殺意が芽生えて、永田を殺害してしまう。2003年(平成15年)2月28日、さいたま地裁は金田朋子に対し懲役16年(求刑・懲役18年)を言い渡した。

関連書籍・・・
『殺ったのはおまえだ 修羅となりし者たち、宿命の9事件』(新潮文庫/「新潮45」編集部/2002)

看護婦・・・保健婦助産婦看護婦の一部を改正する法律(改姓保助看法)が2001年(平成13年)12月6日に成立、12月12日に公布、翌2002年(平成14年)3月1日に施行された。これにより、保健婦・士が「保健師」に、助産婦が「助産師」に、看護婦・士が「看護師」に、准看護婦・士が「准看護師」となり、男女で異なっていた名称が統一された。
北九州監禁連続殺人事件
[ 北九州監禁連続殺人事件 ] 2002年(平成14年)3月6日、北九州市小倉のマンションで監禁されていたA子(当時17歳)が祖父に助けを求めてきたことから事件が発覚した。翌7日、元会社経営の松永太(当時40歳)と松永の内縁の妻で元幼稚園教諭の緒方純子(当時40歳)が逮捕された。当初は松永と緒方の2人による「A子への傷害と監禁事件」と思われた。その後、A子の証言により、松永と緒方は、A子の父親B(当時34歳)の知り合いで、5〜6年前から4人で暮らすようになったが、暮らし始めて約1年後に父親Bが行方不明になり、その後は3人で暮らしていたことが分かった。後日、別の場所で4人の子どもが発見される。A子は、この4人の世話をさせられていた。4人のうち、発見された双子の子どもの親は、ここに預けられていたことすら知らなかった。残り2人については後日、DNA鑑定で被疑者の子どもと判明した。数日後、A子が「自分の父親Bは松永と緒方に殺された」と証言したことから、事件は大きく動くことになる。さらに、A子は、「緒方の父親の譽(たかしげ/61歳)、母親の静美(58歳)、妹の理恵子(33歳)、妹の夫の主也(かずや/38歳)、めいの彩(10歳)、おいの優貴(ゆうき/5歳)の6人が殺害され、遺体は解体されて海などにばらまかれた」と証言した。2005年(平成17年)9月28日、福岡地裁小倉支部は松永と緒方に対し、求刑通り死刑を言い渡した。6件については共謀による殺人罪の成立を認め、1件は傷害致死罪を適用した。その後、両被告は控訴した。2007年(平成19年)9月26日、福岡高裁は松永の控訴を棄却し、緒方に対しては1審での死刑判決を破棄し無期懲役を言い渡した。裁判長は「緒方被告は松永被告の虐待により強い支配や影響を受け、正常な判断力がある程度低下していた。松永被告を恐れて追従的に関与し、事件後は真摯に反省している」と述べた。10月5日、松永が1審の死刑判決を支持し控訴を棄却した福岡高裁判決を不服として上告。10月9日、緒方について、福岡高検は福岡高裁が1審死刑判決を無期懲役判決としたことについて「死刑回避は判例違反」として上告した。2011年(平成23年)12月12日、最高裁で松永太の上告を棄却し死刑確定。緒方純子についても上告を棄却し、無期懲役が確定。

関連書籍・・・
『消された一家 北九州・連続監禁殺人事件』(新潮社/豊田正義/2005)
『なぜ家族は殺し合ったのか』(青春出版社/佐木隆三/2005)

『人殺しの息子と呼ばれて』(KADOKAWA/張江泰之/2018)

[ 「セレブ妻」夫バラバラ殺人事件 ] 2006年(平成18年)12月16日、東京都新宿区西新宿7丁目の路上で、腰から下や頭部が切断された男性の胴体部分がごみ袋に入れられた状態で見つかり、続けて、同月28日、東京都渋谷区神山町の民家の庭で男性の遺体の下半身が見つかった。翌29日、新宿と渋谷で発見された双方の遺体のDNA型が一致し、腰の骨の切断面が合致したことから同じ人物と断定。さらに、遺体の身元を渋谷区富ケ谷1、外資系証券会社社員の三橋(みはし)祐輔(30歳)と特定。2007年(平成19年)1月10日、妻の歌織(当時32歳)が死体遺棄容疑で逮捕され、祐輔殺害も認めた。同日、捜査本部は供述に基づき町田市原町田4の公園で見つかっていなかった祐輔の頭部を発見した。調べに対し「12月12日早朝、酒に酔って帰宅した夫が寝た後、ワインのびんで頭を殴り殺害した。その後、渋谷区の雑貨店でのこぎりなどを買い、自宅で遺体を切断した」と供述。切断した遺体について「胴体は旅行用キャリアーケースに入れ、タクシーで棄てに行った。下半身は同じケースに入れて台車で運んだ。頭部は電車で運び、町田市の公園に穴を掘って埋めた」と供述。2人は2003年(平成15年)3月に結婚し、マンションで2人暮らし。動機について「結婚半年後から口論するようになり、生き方が合わなかった。夫から自分を否定することを言われ、暴行も受けたことから殺意を抱いた」と供述し、犯行時は心的外傷後ストレス障害(PTSD)だったとして、心神耗弱か心神喪失の疑いを主張。2008年(平成20年)3月10日、検察側の鑑定医は公判で、歌織の意識障害や幻覚を認め、犯行時は「心神喪失」状態だったと認めた。3月24日、完全に責任能力があったと主張する検察側は地裁に再鑑定を請求したが、27日、地裁は公判でその請求を却下した。これに対し、各紙が歌織は無罪となる可能性が高いと報じた。4月10日の公判で、検察側は論告で「精神鑑定の結果は全く信用できない。被告には完全な責任能力があった」と主張し懲役20年を求刑した。弁護側は「被告に責任能力はなかった」と無罪を訴え結審した。4月28日、東京地裁は歌織に対し懲役15年を言い渡した。5月9日、弁護側が東京地裁での判決を不服として控訴。2010年(平成22年)5月18日、東京高裁で控訴審第2回公判が開かれ、検察側は東京高裁が行った精神鑑定で三橋の責任能力を認める判断が出たことを明らかにし、控訴棄却を求めた。これに対し、弁護側は「犯行時は心神喪失状態だった」として改めて無罪を主張し結審した。6月22日、東京高裁で弁護側の控訴を棄却。6月29日、弁護側が上訴権を放棄。検察側は1審判決に対し控訴していないため、2審判決の懲役15年が確定した。

関連書籍・・・
『法廷ライブ 「セレブ妻」夫バラバラ殺害事件』(扶桑社/産経新聞社会部/2008)

『セレブ・モンスター 夫バラバラ殺人犯・三橋歌織の事件に見る、反省しない犯罪者』(河出書房新社/橘由歩/2011)

[ 女子短大生切断遺体事件 ] 2007年(平成19年)1月3日夜、東京都渋谷区の歯科医師(当時62歳)宅でバラバラに切断された長女で短大生の武藤亜澄(あずみ/20歳)の遺体が見つかった。翌4日、次男で兄の予備校生の勇貴(当時21歳)が死体損壊容疑で逮捕された。勇貴は受験に3度失敗し、私大歯学部への進学で苦しむ中、不仲になっていた亜澄に「勉強しないから夢がかなわない」「(親に迷惑を掛けている)受験生のくせに」などと最も触れられたくない部分を指摘され、勇貴が逆上したとみている。2月9日、警視庁捜査1課は犯行に使われた木刀や遺体を切断したのこぎりなど証拠品4点を紛失したと明らかにした。他の廃棄物とともに誤って捨てた可能性が高いという。2008年(平成20年)5月27日、東京地裁(秋葉康弘裁判長)は武藤勇貴に対し懲役7年(求刑・懲役17年)を言い渡した。死体損壊罪については「解離性同一性障害(多重人格)で生じた別人格に支配され心神喪失状態だった」として無罪とした。多重人格を理由に心神喪失を認めた司法判断は極めて異例。6月4日、東京地検は死体損壊罪について無罪とし、殺人罪についてのみ懲役7年とした東京地裁判決を不服として控訴。6月6日、弁護側も東京地裁判決を不服として控訴した。2009年(平成21年)4月28日、東京高裁は懲役7年とした1審・東京地裁判決を破棄し、懲役12年を言い渡した。1審は殺人の成立のみ認め、死体損壊を無罪としたが、2審は両罪の成立を認めた。5月9日、弁護側が懲役12年とした東京高裁判決を不服として上告。9月15日、最高裁第2小法廷(竹内行夫裁判長)が弁護側の上告を棄却。これで懲役12年が確定。

[ 会津若松母親殺人事件 ] 2007年(平成19年)5月15日午前7時ころ、福島県立高3年の男子生徒(当時17歳)が「母親(47歳)を殺した」と切断された人間の頭部を持って、福島県警会津若松署に自首した。同署員が少年の住むアパートを確認したところ、首のない女性の遺体と凶器とみられる刃物があった。少年は殺人容疑で緊急逮捕された。少年は自首する直前の約2時間、署から数百メートルの場所にあるインターネットカフェで過ごしていた。米国の人気バンドのDVDを借り、携帯電話でタクシーを呼び、警察に向かった。少年は長男で、通学のため、別の県立高校に通う次男と会津若松市内のアパートで暮らしていた。実家は同県金山町にあり、母親がたびたび様子を見に来て家事などの世話をしていた。少年は学校を休みがちだったといい、精神科に通院中という。少年が調べに対し「不登校について母に注意され、うざかった(うっとうしかった)」と話していることが分かった。頭部と右腕の切断については、「弟と母親への憎しみを隠すために、マスコミにセンセーショナルに取り上げてほしかった」とも供述している。2008年(平成20年)2月26日、福島家裁会津若松支部は加害男子生徒に対し、医療少年院送致とする保護処分を決定した。
フィリピン人女性2人殺人事件
[ フィリピン人女性2人殺人事件 ] 2008年(平成20年)4月3日、東京都港区台場1のマンション26階の一室でフィリピン人女性のカミオオサワ・ハニーフィット・ラティリア(22歳)の腰や腕が見つかった事件で、4月7日、同居していた職業不詳の野崎浩(当時48歳)が死体損壊の疑いで逮捕された。野崎は1999年(平成11年)4月にも埼玉県草加市内で失跡したフィリピン人女性のヨネダ・ロンガキット・エルダ(27歳)の遺体を横浜市内でバラバラにして棄てたとして逮捕され、死体遺棄・損壊罪での懲役3年6ヶ月の有罪判決が確定していた。4月6日午後9時前、野崎は埼玉県川口市本町の路上で、手首を切って自殺を図り、駆け付けた救急隊員に「ロッカーに遺体が入っている」というメモを手渡した。港区のJR浜松町駅前のビル内のコインロッカーを調べた結果、4月7日未明、ビニール袋にくるまれてスーツケースに入っていた胸など十数個の遺体の一部を発見した。頭部はなかったという。野崎はラティリアと交際していたとみられ、関係者の話では野崎がラティリアと家賃分担を巡りトラブルになっていたことが分かっている。6月24日、9年前の事件に関して野崎の供述に基づいて横浜市内の運河を捜索したところ、人骨のようなものを発見された。2009年(平成21年)7月23日、東京地裁(登石郁朗裁判長)で初公判が開かれ、野崎は2つの事件の殺人と死体遺棄などの罪について起訴内容を認めた。12月16日、東京地裁で判決公判が開かれ、裁判長は「冷酷かつ残忍な犯行。反省の態度もうかがえない」として、2008年のカミオオサワ・ハニーフィット・ラティリアの殺人、死体損壊・遺棄事件については無期懲役(求刑・死刑)を、1999年のヨネダ・ロンガキット・エルダの殺人事件については懲役14年(求刑・無期懲役)を言い渡した。1999年のエルダ殺害事件については、死体損壊・遺棄罪で懲役3年6ヶ月の実刑判決が確定しており、今回起訴された殺人罪は刑法の規定に基づき、ラティリア殺害事件と併合されない。このため、求刑と同様に判決も分離して言い渡された。12月25日、被告側が控訴。2010年(平成22年)10月8日、東京高裁は2008年の事件について無期懲役とした1審・東京地裁判決を破棄し死刑を言い渡した。長岡哲次裁判長は「執拗、残忍な犯行で死刑をもって臨むほかない」と述べた。10月22日、被告側が上告。2012年(平成24年)12月14日、最高裁第2小法廷(小貫芳信裁判長)で被告の上告を棄却し、死刑が確定。

[ 横浜バラバラ遺体事件 ] 2009年(平成21年)6月下旬、横浜市金沢区の海で切断された2人の遺体の一部が見つかった事件で、7月29日、遺体は神奈川県大和市の会社員の高倉順一(36歳)と東京都世田谷区の自営業の水本大輔(28歳)で あることが分かった。高倉と水本は友人を介した知り合いで6月20日ごろから行方不明になっていた。10月14日、滋賀県の無職の宮原直樹(当時21歳)らいずれも21、22歳の職業不詳の男3人が逮捕される。翌15日、住所不定、無職の池田容之(ひろゆき/当時31歳)が逮捕される。12月8日、捜査本部が住所不定の元早大生の近藤剛郎(当時25歳)について強盗殺人容疑などで逮捕状を取ったことが捜査関係者への取材で分かった。近藤は覚せい剤取締法違反容疑で警視庁などに指名手配されているが、海外に逃亡しているとみられ、県警は国際刑事警察機構(ICPO)を通じて国際手配する方針。2010年(平成22年)11月16日、横浜地裁は池田容之に対し死刑を言い渡した。2011年(平成23年)6月16日、控訴を取り下げ死刑が確定した。裁判員裁判が2009年(平成21年)5月に始まって以来、初の死刑判決および死刑確定となる。

[ 島根女子大生行方不明事件 ] 2009年(平成21年)10月26日午後3時ころ、島根県立大学総合政策学部1年の平岡都(みやこ/19歳)が大学から女子寮に帰宅。午後4時半ころ、浜田市のアルバイト先のアイスクリーム店に出勤。午後9時16分ころ、アルバイトを終えて店を出るが、これ以降、行方不明に。翌27日午後5時半ころ、母親が都にメールするが、返信なし。翌28日午後3時半ころ、家族が警察に捜索願を出す。11月2日、警察が行方不明の事実を公表し公開捜査に。6日午後、広島県北広島町の臥龍山で切断された頭部を発見。翌7日未明、DNA型鑑定の結果、本人と確認される。同日、大腿骨の一部を発見。翌8日、両手足のない胴体を発見。翌9日、足首を発見。19日、爪が発見されたが、翌20日、DNA型鑑定の結果、本人の爪と確認される。遺体発見の2日後、浜田市の隣の島根県益田市に住んでいて山口県内の高速道路で事故で死亡した矢野富栄(33歳)の遺品から行方不明になったあとの平岡を撮影した画像が見つかったことから、矢野が事件に関わったとみている。画像は矢野の自宅で撮影されたとみられているが、捜査関係者によると、画像の解析結果などから矢野が平岡の遺体を自宅の風呂場などで切断したとみている。2016年(平成28年)12月20日、島根・広島の合同捜査本部は矢野を殺人容疑で被疑者死亡のまま書類送検。

[ 佐世保高1女子同級生殺人事件 ] 2014年(平成26年)7月27日午前3時20分ごろ、長崎県佐世保市島瀬町のマンション一室で、佐世保市祇園町の県立高校1年の松尾愛和(15歳)が頭から血を流して倒れているのを捜索願を受けて捜していた県警佐世保署員が発見した。松尾は既に死亡し、頭と左手首が切断されていた。松尾と同じクラスでこの部屋に住む女子生徒(当時15歳)が「すべて私がやりました」と殺害を認めたため、県警捜査1課は殺人容疑で逮捕した。逮捕容疑は26日午後8時ごろ、松尾の後頭部を鈍器で多数回殴るなどして殺害した疑い。前年10月、加害者の女子生徒は仲が良かった母が他界。冬季に父親とともに年代別の全国規模のスポーツ大会に出場した際は「母のためにもがんばる」と話していたという。母の死に際して感情を表に出すことはなかったが、落ち込んでいる様子だった。父親はその後、再婚している。2004年4月、事件現場となったマンションで1人暮らしを始めた。大通りに面し、父親の職場に近く、学校へも徒歩圏。「アニメ好き」が共通点だったという女子生徒の自宅とは徒歩で10分ほどの距離だった。9月から海外留学する予定で、自ら1人暮らしを希望。父親は「留学の練習」ということで許可したという。28日午後、女子生徒を長崎地検佐世保支部に送検。

[ 千葉切断遺体事件 ] 2016年(平成28年)9月12日夜、千葉県酒々井(しすい)町の住宅で、人の頭部や足、上半身など10以上に切断され、ポリ袋に小分けされた状態で遺体が見つかった事件で逮捕されたアルバイト店員の竹内愛美(えみ/当時25歳)は、「些細なことで弟の諒(りょう/21歳)ともめ事になり、殺害してしまった」「バラバラにした遺体を自宅の冷蔵庫で保管していた」「殺害したあと遺体の処理に困り、解体して棄てようと思った」「2週間前くらいにやった」と供述している。

[ 座間9遺体事件 ] 

2017年(平成29年)10月30〜31日にかけて神奈川県座間市のアパートの一室で9人(女性8人・男性1人)の遺体が発見され、この部屋に住む白石隆浩(当時27歳)が死体遺棄容疑で逮捕された。逮捕容疑は8月22日〜10月30日ごろ、氏名や年齢、性別不詳の被害者の死体を損壊し、クーラーボックス内に猫用の砂のようなものをかけて隠し、遺棄した疑い。白石は金銭目的や乱暴目的のために殺害したという趣旨と証拠隠滅をしたと認める供述をしている。部屋からは事件に使用したとみられるノコギリが見つかった。部屋にはクーラーボックスと大型の収納ボックスが計8個あり、このうちの7つに遺体の一部が入っていたという。

参考文献・・・
『実録 戦後殺人事件帳』(アスペクト/1998)
『現代殺人事件史』(河出書房新社/福田洋/1999)

『残虐犯罪史』(東京法経学院出版/松村喜彦/1985)
『極悪人』(ワニマガジン社/1996)
『20世紀にっぽん殺人事典』(社会思想社/福田洋/2001)
『現代犯罪百科』(双葉社/1986)
『新潮45』(2002年5月号/新潮社)
『毎日新聞』
(2000年9月5日付/2001年2月9日付/2001年4月6日付/2001年4月28日付/2003年2月28日付/2005年9月28日付/2006年9月30日付/2006年12月16日付/2006年12月28日付/2006年12月29日付/2007年1月5日付/2007年1月11日付/2007年1月26日付/2007年2月9日付/2007年2月23日付/2007年4月24日付/2007年5月2日付/2007年5月15日付/2007年5月29日付/2007年6月14日付/2007年6月16日付/2007年9月26日付/2007年10月6日付/2007年10月9日付/2008年2月26日付/2008年3月28日付/2008年4月7日付/2008年4月8日付/2008年4月10日付/2008年4月11日付/2008年5月9日付/2008年5月17日付/2008年5月20日付/2008年5月21日付/2008年5月26日付/2008年5月27日付/2008年6月5日付/2008年6月6日付/2008年6月24日付/2008年7月4日付/2008年8月20日付/2008年9月3日付/2008年9月12日付/2008年9月16日付/2008年12月16日付/2008年12月18日付/2008年12月20日付/2009年1月26日付/2009年2月3日付/2009年2月18日付/2009年2月25日付/2009年4月23日付/2009年4月28日付/2009年5月11日付/2009年5月14日付/2009年6月5日付/2009年7月23日付/2009年9月10日付/2009年9月16日付/2009年9月24日付/2009年9月29日付/2009年11月7日付/2009年11月8日付/2009年11月9日付/2009年11月12日付/2009年11月20日付/2009年12月9日付/2009年12月16日付/2010年3月16日付/2010年4月2日付/2010年4月9日付/2010年4月15日付/2010年5月18日付/2010年6月22日付/2010年6月29日付/2010年7月15日付/2010年8月18日付/2010年10月8日付/2010年10月25日付/2010年11月16日付/2010年12月8日付/2011年8月14日付/2011年8月15日付/2011年8月24日付/2011年12月12日付/2011年12月14日付/2012年12月14日付/2014年7月27日付/2014年7月28日付/2016年3月25日付/2016年9月14日付/2016年12月19日付/2016年12月20日付/2017年3月27日付/2017年10月31日付)

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