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神戸須磨児童連続殺傷事件

【 遺体発見 】

1997年(平成9年)5月24日午後1時半ころ、神戸市須磨区友が丘の加古川市立病院医師の土師(はせ)守(当時41歳)の次男で、神戸市立多井畑(たいのはた)小学校6年の淳(じゅん)君(11歳)は、母親に近くに住む祖父の家に行くと言って徒歩で出かけたまま行方不明になった。懸命の捜索を続けていたが見つからなかった。

5月26日、須磨署が淳君の公開捜査を開始。

5月27日午前6時40分、市立友が丘中学校正門前に、淳君の頭部がむき出しの状態で置かれていた。門を開けようとした管理人が発見した。首のほぼ中央部分で切断された頭部は発見されたとき、登校してくる子どもらを迎えるような格好で校舎とは反対に向けてまっすぐに立てられていたという。口には紙片(第1の犯行声明文)が差し込まれていたが、<鬼><薔薇>の2つの文字が判読できる。さらに、正門の塀の上に血痕が付着していたことから、一旦、頭部をその塀の上に置いた可能性があった。

市立友が丘中学校では連絡網を通して730人の全校生徒を自宅に待機させた。事件を知らずに登校してきた生徒を自宅に帰るように指導した。

女児2人が殺傷され、未解決になっていた「連続通り魔事件」(3月16日)の現場からわずか500メートルであった。この通り魔事件以来、現場周辺の小学校では集団登校を続けていた。

同日午後3時、同校から西南約500メートル離れたところにある竜の山、通称タンク山の神戸市開発管理事業団ケーブルテレビアンテナ基地局舎内北側で、淳君の遺体が発見された。このとき、フェンス扉の南京錠がすり替えられていた。

同日、兵庫県警が須磨署に淳君殺害事件の捜査本部を設置。

【 捜査 】

兵庫県警は本格的な捜査に入り校門前に止まっていた黒いブルーバードや不審なRV車などの調査を進めた。

5月29日、この友が丘中学校正門前に、数ヶ月前から数回に渡り、アダルトビデオや雑誌が置かれていたことが分かった。また、事件の数日前に、足が切断された猫の死体が置かれていたことも分かった。それ以前にも、付近で首のない鳩などが放置されていたことがあった。

また、友が丘地区の北隣で同年3月16日に連続通り魔事件のあった竜が台地区では、発生の数日前、背中を切り裂かれた猫が路上に駐車された車の上に置かれていた。

さらに、友が丘中の北約800メートルの団地では、以前、足を切断された猫の死体がごみ置き場に捨てられていたという。

こうした現象との関連性は定かでないが、淳君の自宅近くや菅の台地区では、野良猫の世話をしている住民が「最近、猫の数が急に減った」と証言している。

猟奇殺人と動物虐待については、多くの専門家が関連性を指摘している。

FBI行動科学課の元主任捜査官で犯罪学者のロバート・K・レスラー氏は自著 『快楽殺人の心理』(講談社)の中で、(調査対象26人の)半数近くの殺人者が、(少年期に)動物への虐待を行っている」「初期の攻撃的な行動はまず動物に向けられることが多いようだ」と報告している。

また、心理学者のジョエル・ノリスも、自著 『シリアル・キラー』(早川書房)の中で「研究対象にした連続殺人者の大半が子どもの頃ほかの生き物の苦痛を見て楽しんでいた」と指摘している。

淳君の頭部の口に差し込まれた紙片(第1の犯行声明文)の全容が明らかになった。

[ 第1の犯行声明文 ]

( 全文 )

さあ、ゲームの始まりです
警察諸君、私を止めてみたまえ
人の死が見たくてしょうがない
私は殺しが愉快でたまらない
積年の大怨に流血の裁きを

SHOOLL KILL
学校殺死の酒鬼薔薇

( 別の短冊型の紙

酒鬼薔薇聖斗

この犯行声明文の<積年の大怨に流血の裁きを>は宮下あきらの漫画『瑪羅門の家族』の中のタイトルの<積年の大怨に灼熱の裁きを!>からの引用であることをのちに逮捕されることになるAが答えている。また、<SHOOLL KILL>はAがこれで「スクールキラー」と読むものだと思って書いたとのちに答えている。さらに、そのあとすぐに「キラー」は「KILLER」が正しいことが分かり、のちに神戸新聞社宛てに送ることになる犯行声明文には、<SHOOLL KILLER>と書いている。だが、「スクール」の正しいスペルが「SCHOOL」であることには気付かなかったようだ。

捜査本部では、2枚の紙片の包み方や、メッセージの文章全体の構成から、表の紙片に書かれた<酒鬼薔薇聖斗>が宛名で、<スクールキル>が差出人名との見方を強めた。

宛名とみられる<酒鬼薔薇聖斗>は「さかきばら・せいと」か「さかきばら・きよと」とも読めるが、新たに「酒鬼(さかき)」「薔薇聖斗(ばらすど)」と分けて読み、「さかき、ばらすど(殺すぞ)」という大阪弁を使った文面にも読み取れることが分かった。

だが、のちになって、<酒鬼薔薇聖斗>は「さかきばら・せいと」と読み、犯人自身の「名前」であることが判明する。

また現場近くで、3月16日、小学校女児2人が殺傷された連続通り魔事件では、腹を刺されて重傷を負った女児のけがの特徴から、犯人が「左利き」である可能性も指摘されている。このため捜査本部では、犯人が左利きなどの筆跡の特徴を隠すために、定規を使った疑いもあるとみていた。

5月30日、淳君の葬儀・告別式が行なわれる。

5月31日、県防犯協会連合会が多井畑小学校ほかに、防犯ブザー1500個を贈呈した。

同日、NHKは、教育テレビで放送予定の舞踊『桜の森の満開の下』を首をはねる場面があるとして急遽変更した。

6月2日、NHKは、金曜時代劇『新・半七捕物帳』の放映順入れ替えを発表。残酷シーンがその理由だった。

6月4日、子どもたちの不安によるストレスが問題にされ、多井畑小学校などにカウンセラーが派遣された。北須磨団地自治会による「笑顔運動」がスタートした。

同日、神戸新聞社に第2の犯行声明文が届く。A4サイズの罫線が入った集計用紙2枚に、赤い文字で横書きに書かれていた。2枚とも欄外右上の枚数を書き込む部分に<9>と書かれていたが、「9」と書いた理由をのちに逮捕されることになる「酒鬼薔薇聖斗」はただ単に便箋にその欄があったので、一番好きな数字を書いただけと答えている。さらに、なぜ好きなのかを訊かれ、切りのいい数字は10だと思っているので、その1つ前の数字が9であることと電卓などを叩いた時、一番大きな数字は、「9」を何度も叩いた数字になるからと答えている。

[ 第2の犯行声明文 ]

(全文)

神戸新聞社へ

この前ボクが出ている時にたまたまテレビがついており、それを見ていたところ、報道人がボクの名を読み違えて「鬼薔薇」(オニバラ)と言っているのを聞いた人の名を読み違えるなどこの上なく愚弄な行為である。表の紙に書いた文字は、暗号でも謎かけでも当て字でもない、嘘偽りないボクの本命である。ボクが存在した瞬間からその名がついており、やりたいこともちゃんと決まっていた。しかし悲しいことにぼくには国籍がない。今までに自分の名で人から呼ばれたこともない。もしボクが生まれた時からボクのままであれば、わざわざ切断した頭部を中学校の正門に放置するなどという行動はとらないであろう やろうと思えば誰にも気づかれずにひっそりと殺人を楽しむ事もできたのである。ボクがわざわざ世間の注目を集めたのは、今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを、せめてあなた達の空想の中でだけでも実在の人間として認めて頂きたいのである。それと同時に、透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、義務教育を生み出した社会への復讐も忘れてはいない

だが単に復讐するだけなら、今まで背負っていた重荷を下ろすだけで、何も得ることができないそこでぼくは、世界でただ一人ぼくと同じ透明な存在である友人に相談してみたのである。すると彼は、「みじめでなく価値ある復讐をしたいのであれば、君の趣味でもあり存在理由でもありまた目的でもある殺人を交えて復讐をゲームとして楽しみ、君の趣味を殺人から復讐へと変えていけばいいのですよ、そうすれば得るものも失うものもなく、それ以上でもなければそれ以下でもない君だけの新しい世界を作っていけると思いますよ。」その言葉につき動かされるようにしてボクは今回の殺人ゲームを開始した。しかし今となっても何故ボクが殺しが好きなのかは分からない。持って生まれた自然の性としか言いようがないのである。殺しをしている時だけは日頃の憎悪から解放され、安らぎを得る事ができる。人の痛みのみが、ボクの痛みを和らげる事ができるのである。

最後に一言

この紙に書いた文でおおよそ理解して頂けたとは思うが、ボクは自分自身の存在に対して人並み以上の執着心を持っている。よって自分の名が読み違えられたり、自分の存在が汚される事には我慢ならないのである。今現在の警察の動きをうかがうと、どう見ても内心では面倒臭がっているのに、わざとらしくそれを誤魔化しているようにしか思えないのである。ボクの存在をもみ消そうとしているのではないのかね ボクはこのゲームに命をかけている。捕まればおそらく吊るされるであろう。だから警察も命をかけろとまでは言わないが、もっと怒りと執念を持ってぼくを追跡したまえ。今後一度でもボクの名を読み違えたり、またしらけさせるような事があれば一週間に三つの野菜を壊します。ボクが子供しか殺せない幼稚な犯罪者と思ったら大間違いである。

 ――― ボクには一人の人間を二度殺す能力が備わっている ―――

P.S 頭部の口に銜えさせた手紙の文字が、雨かなにかで滲んで読み取りにくかったようなのでそれと全く同じ内容の手紙も一緒に送る事にしました。

( その2 )

さあ ゲームの始まりです
愚鈍な警察諸君
ボクを止めてみたまえ
ボクは殺しが愉快でたまらない
人の死が見たくて見たくてしょうがない
汚い野菜共には死の制裁を
積年の大怨に流血の裁きを

SHOOLL KILLER
学校殺死の酒鬼薔薇

< 『地獄の季節 「酒鬼薔薇聖斗」がいた場所』(新潮文庫/高山文彦/2001) >

「第2の犯行声明文」の「その2」にある<汚い野菜共>は、「酒鬼薔薇聖斗」が小さい頃、親に「運動会で緊張するなら、周りの人間を野菜と思ったらいいよ」と言われていたことを思い出して書いた、とのちに答えている。この挑戦状を包んでいた紙の表には、<酒鬼薔薇聖斗( 「さかきばらせいと」と振り仮名がある )>という署名とそのすぐ下に「4枚羽の風車を丸で囲んで、そこから、血が垂れているようなマーク」が描かれているが、このマークはナチスドイツの逆卍をヒントにしたと、Aがのちに答えている。裏には、<酒鬼薔薇聖斗 夜空を見るたび思い出すがいい>と書かれてあった。この<夜空を〜>は映画『マッドマックス』(監督・ジョージ・ミラー/主演・メルギブソン/オーストラリア/1979)の中に出てくるセリフ「やつを思い出せ、夜空を見上げるたびに」からの引用と言われている。

また、第2の犯行声明文の「その2」の中にも、「4枚羽の風車を丸で囲んで、そこから、血が垂れているようなマーク」が<SHOOLL>の<S>の前に書かれてあった。

マークと2、3の字以外は、定規を当ててサインペンで書いたような字が並んでいる。

6月7日、関口祐弘警察庁長官が「解決しないと警察は要らないと言われる」と檄を飛ばした。

6月9日、捜査本部が犯人像を「20歳〜40歳、身長170センチ前後」と見ていたことが分かった。

6月10日、友が丘中学校に無言電話がかかり、同中のほか周辺小中学校にも現金5000万円を要求する脅迫状が届いていたことが判明。

6月12日、日本テレビ系列の番組「生でだらだらいかせて」の企画から生まれたバイク・ツーリング・チーム「生殺」のCDシングル『フリーダム』(作・佐野元春)発売延期を発表。

6月21日、事件に配慮し、同年製作のホラー映画『スクリーム』(監督・ウェス・クレイヴン/主演・ネーブ・キャンベル/アメリカ/1996)の公開が延期される。

6月21・22日、兵庫県立須磨友が丘高校は、この2日間、実施予定だった文化祭を中止した。県立北須磨高校は、文化祭は例年なら2日間行っていたが、21日だけ正門を閉め切ったまま実施した。県立須磨東高校は、22日だけ実施した。同校保護者と卒業生に限定して、正門前で教職員らが入場者をチェックするなどした。

6月24日、捜査本部は、犯人が淳君の名前をあらかじめ知っていた可能性が高いと判断。淳君は、「じゅんちゃん」と名前を呼ばれると、一瞬、気を許すことがあった。ところが、殺害当日の服のネームは姓だけで、しかも、最後に目撃された神戸市須磨区の北須磨公園周辺で淳君の名前を知っていた住民はごく限られていた。

同日、福岡市でアルバイトの少年(当時19歳)が知り合いの女性に交際を迫り、「犯行声明文」を意識した手紙で脅迫。

6月25日、捜査本部はさらに解剖結果などによると、(1)淳君の遺体の首に残った手の跡から、犯人が右手だけで首を絞めて殺害した(2)遺体の骨や内臓に損傷がなく、着衣の乱れもなかった。(3)淳君のつめの間に残った微物からも、細胞組織は検出されていない、などの事実が判明した。これらのことから、捜査本部は犯人が事前に親しくなるなど周到な準備をして犯行に及び、淳君をいきなり襲ったと見ていた。

6月27日、淳君事件発生後、岡山県の男性は「大阪市内のプロバイダーを通じて開設されたホームページに、<酒><鬼>などの文字が書かれているのを同年2月ごろに見た」と証言。捜査本部は、プロバイダーからデータの提出を受け分析を進めていたが、その結果、捜査本部はこのHPに書き込みをした複数のユーザーの割り出しに成功。事情を聞くなどしたが、問題の文字を書き込んだ人はおらず、文字を見た人もいないことが確認された。プロバイダーの証言などから、赤い文字で<愛><死ぬ>といった言葉を書き込んだユーザーがいたことが判明。言葉が不適切だとして、プロバイダーとその人物が相談のうえ、同年2月ごろになって消していたこともわかった。

こうしたことから捜査本部は、岡山県の男性は、この「愛」「死ぬ」という赤い文字を勘違いしたと判断した。

捜査本部に全国から寄せられた情報は3000件を超え、捜査員も3500人を動員していた。さらに、警戒要員として、機動隊員ら約400人を連日投入していた。

友が丘中学校で淳君の頭部が発見されてから、3週間余りは黒いゴミ袋を持った中年男、不審な白いワゴン車など、多数の目撃情報が浮かんでは消えた。

当時の橋本龍太郎首相も「あらゆる警察力、政治の力を動員して解決してほしい」と、この種の犯罪としては異例の指示を出した。

6月28日午後7時5分、突如、友が丘中学3年のA(当時14歳)が逮捕され、日本中に衝撃が走った。兵庫県警須磨署は、淳君殺害と死体遺棄容疑で神戸市須磨区に住むAを逮捕し、Aの自宅から凶器の切りだしナイフの他、ホラービデオや漫画などを押収した。また、Aは同年3月16日に起きた、女児2人を襲い、うち1人が1週間後に死亡した通り魔事件の犯行を自供した。淳君の遺体発見(5月27日)から32日目だった。

【 犯行に至るまでの過程 】

1982年(昭和57年)7月7日、少年Aが神戸市北区で生まれる。

1989年(平成元年)4月、神戸市立多井畑小学校に入学すると同時に、Aは会社員の父親と専業主婦の母親と2人の弟と5人で一緒に暮らしていたが、一人暮らしをしていた祖母の北須磨団地の一戸建ての家に引っ越した。祖母はAを大事に育て、Aにとっても、祖母は大切な存在だった。

Aは「サスケ」と名付けた犬を飼い始めた。

Aの両親は、Aが神経質で消極的だったため、積極性を身に付けさせるため甘やかさず、叱りつけ気味で育てた。Aは両親に対しては、愛情は感じていたが、本当の姿を見せずに接していた。

1991年(平成3年)、Aが小学3年のとき、神戸市内のマンションから現在の家に転居する。祖母はAを老人会のラジオ体操に連れて行くなどかわいがった。ある日、Aが異常な泣き方をしたので、医師に診てもらうと、ノイローゼ気味になっているから、しつけを控えなさい、と言われ、母親は育て方を改めた。

1993年(平成5年)、Aは明るく闊達な子供だったが、小学5年になったばかりの4月、自分を大事にしてくれた祖母が死んだのをきっかけに、死について興味を持つようになった。死を理解するために、カエルやナメクジを殺して解剖し、なんとなく理解したつもりでいた。学校では、休み時間になるとビデオの『13日の金曜日』の登場人物を描いて自慢したことがあったという。

『13日の金曜日』・・・『13日の金曜日』(監督・ショーン・S・カニンガム/1980)、『13日の金曜日 PART2』(監督・スティーヴ・マイナー/1981)、『13日の金曜日 PART3』(監督・スティーヴ・マイナー/1983)、『13日の金曜日 完結篇』(監督・ジョゼフ・ジトー/1984)、『新・13日の金曜日』(監督・ダニー・スタイマン/1985)、『13日の金曜日 PART6 ジェイソンは生きていた!』(監督・トム・マクローリン1986)、『13日の金曜日 PART7 新しい恐怖』(ジョン・ブックラー/1988)、『13日の金曜日 PART8 ジェイソンN.Y.へ』(監督・ロブ・ヘッデン/1989)、『13日の金曜日 ジェイソンの命日』(監督・アダム・マーカス/1993)の9本ある。

1994年(平成6年)、小学6年になると、急に無口になり、押しピンを教師や児童の席に置いたり、女児に向かって後ろからハサミを投げるなど、いたずらがエスカエートしていく。

この頃から、猫や鳩を殺していたが、心の鬱屈が殺害行為で静まるのを意識するようになったという。

殺して満足する自分と嫌悪する自分を意識するようにもなる。前者に「酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)」という名前を付けた。また、この頃、見た夢に「バモイドオキ神」が登場する。

この頃、飼っていた犬の「サスケ」が死んでいる。

1995年(平成7年)1月、小学6年の卒業文集には、卒業直前に起きた阪神大震災(1995年1月17日)で、当時の村山富市首相が海外からの援助犬派遣の申し出を拒否するなど、初動対応が遅れたことを批判し、<ぼくは、家族が全員死んで、避難所に村山さんがおみまいに来たら、たとえ死刑になることが分かっていても、何をしたか、分からないと思います>などと村山首相への報復も辞さないかのような文章を書いていた。

同じ頃、Aは先生に「僕は子どもやから、人を殺しても刑務所に行かんでもええんやろ」と漏らしていたという。

2月、この頃、Aはすでに淳君とは知り合いだったが、殴る、蹴るなどの暴行を加えていた。

Aの末の弟が淳君と同い年で幼稚園の頃から仲良しだった。また、Aの上の弟と淳君の兄は同級生で、子どもを通じて親同士の親交があったという。

知的障害のある淳君が学校でいじめられると、Aの末の弟がかばった。淳君は、A宅によく遊びに行った。淳君の母親は「よく面倒を見てくれてありがたい」と話していた。

事件後、Aの母親は、ショックを受けた淳君一家の手助け役をかって出た。淳君の葬儀も手伝い、心労で倒れた淳君の母親に代わって買い物もした。

3月、Aの担任の先生は、Aが入学する友が丘中学校の教師に、Aの問題行動を説明した。Aが6年の2学期に作った、脳の形をした赤い粘土にカッターの刃を差し込んだ作品を見せ、「少年は虫を殺すのが趣味で、虫が人に変わるのが怖いと言った」と報告した。

4月、Aが友が丘中学に入学し、卓球部に入部した。Aは猫を殺すくらいでは満足できなくなり、人の死を理解したいという欲望を持つようになる。そのためには人を殺さなければならない、と考えるようになった。どうしたら、人は死に、死後、どう変化するのかなどを考え、人を殺すときの感覚について、ホラービデオや漫画を見て空想を膨らませていった。

A 「感情をコントロールできない面があるが、臆病で気が弱いため、自分よりも弱い同級生や下級生に対して、暴力を振るっていた」「先生は理由をあまり聞かずに、一方的に悪いと決め付けるので、先入観を持っていると、不満に思っていたが、先生を相手にするのは面倒で無視することにしていたので、先生や学校には恨みはない」

同級生や児童に対する暴力が目立ち、「人を殺すかもしれん」といったことを言うようになる。

Aは両親に対し、自分の気持ちを打ち明けず、思い通りにならないと怒り、善悪が分かっていない面があり、ノコギリやナイフなどの万引きをし、学校では、いじめをしたり、友人にワープロで作らせた脅迫文を女子生徒に送ったりしていたので、両親は脳に障害があるのではないかと思い、学校の先生の勧めで、6月から3ヶ月間、専門医の診察を受けさせた。「物事に集中しにくく、周囲に対する認知能力が歪んでいる疑いがある」と診断されたが、治療は一応終了した。

その後、母親はAの内面に立ち入ることはしなくなった。また、父親はAと話す機会がなく、Aのことを知らな過ぎたという。

1996年(平成8年)、中学2年のとき、Aは学校で、「火葬場の番人」という題で作文を書いた。死体が溶けていく状況をリアルに描いたという。また、動物虐待の頻度も増えていく。

11月、Aがレンタルビデオ店でホラービデオを万引きして補導される。

1997年(平成9年)2月10日午後4時半ごろ、神戸市須磨区で、Aは、小学6年生の2人の女児に対し、背後から頭を狙って、次々とハンマーで殴った。このとき、そのうちの1人は殴られた際に、柱に頭を打ち付け、2週間のケガを負った。Aは万引きしたナイフやハンマーを普段から持ち歩いていたが、このとき、なぜ殴ったのか、その理由が説明できないという。

この事件の被害者の女児が「犯人はブレザー姿で学生かばんを持っていた」と証言したことから、その父親はAが通っている中学校に対して、当日の夜、電話をかけ、応対した教師に「犯人が分かるかもしれないから、生徒のアルバムを見せてほしい」と要求したが、学校側は「警察を通してください」と拒否。その日のうちに、須磨署に被害届けを出し、改めて警察にアルバム閲覧を申し入れたが、うやむやになったという。

Aが逮捕された後、この中学校の校長はこの女児の父親に謝罪したそうだが、父親がこの学校に対して不信感を抱いていたのは言うまでもない。

3月16日午後12時25分ごろ、Aは須磨区竜が台で路上を歩いていた市立竜が台小学校4年の山下彩花(あやか)ちゃん(10歳)の頭をハンマーで殴った。彩花ちゃんは脳挫傷で1週間後に死亡した。

午後12時35分ごろ、Aはそこから約200メートル離れた路上を歩いていた同校の小学3年生(当時9歳)の女児をナイフで腹部を刺し、2週間のケガを負わせた。

A 「殴った瞬間、理性や良心を失い、一線を越えてしまって、後は何をやっても構わないと思うようになった」

A 「人の死を理解するため、自分が死をつくり出さなければならない、つまり人を殺さなければならないと考え、第1段階として、人間の壊れやすさを確かめるための実験をすることにした。自分が傷つかないために、反撃できない人間を対象に選んだ。被害者には何の感情も持っていない」

A 「小学6年のころに、夢に現れたバモイドオキ神の存在を信じてきた。通り魔事件を起こしたこの日の夜中に目覚め、心のどこかで実験はいけないことだと思ったので、正直に同神に報告することにした。拝むため、具体的な姿かたちが必要となり、ノートに同神の顔を描いた」

4月、中学3年になったAは卓球部に顔を出さなくなった。「同じような練習の繰り返し」に飽きてしまったから、というのがその理由だが、部活をサボっていることが親にばれると怒られるので、授業が終わると毎日タンク山へ登り、夕方までカバンを枕に寝たり、山の中を歩き回って時間を過ごしていたという。

4月末、Aは仲間と喫煙したのを教師に見つかっているが、このとき、母親はAに対し反省を迫らず、逆に先生に対して、「息子は学校嫌いです。小さい時、私が厳しく言い過ぎたし、中学の先生にも厳しく指導され過ぎたからです。息子は家であまり話をせず、ホラービデオを見ています」と言った。

Aの動物虐待の頻度は前よりも多くなり、目撃証言も一気に増える。

A 「第2段階の人の死を自分でつくり出す行為の実行を聖なる儀式 [ アングリ ] とし、成し遂げれば同神から [ 聖名 ] をもらうというストーリーを作った。これらの言葉は自分でつくった。学校に行くと、実行対象を探す時間がなくなるので、欠席することにした。学校で問題を起こし、先生から怒られて欠席するという筋書きを考えた

5月13日、Aは自分が猫や鳩をナイフなどを使って殺したり虐待していることを、同級生が言いふらしているとして、その同級生を放課後に呼び出し、頭を腕で絞め上げて、人目につかないところに連れ込み、こぶしに腕時計を巻き付け、同級生の顔を殴るなど、一方的に暴行を続けてケガを負わせていた。

この同級生は両親や友人らに、このままでは殺されると打ち明け、結局、転校したという。

Aは教師に対し、「人の命はアリやゴキブリと同じじゃないか。しかし僕の命は大事」と反論した。

教師はこのとき、この異常な発想に驚き、3月に起きた通り魔事件の犯人は、このAの仕業だろうと感じたという。

5月14日、Aの母親が学校に申し出て、5月15日からAは学校を休み始めた。

5月20日からAは母親と神戸児童相談所に通い始める。

5月24日午後1時半過ぎ、「適当な人」を探して、自転車に乗って走っていたAは、顔見知りの淳君と出会った。Aは、淳君なら自分より小さいから、たやすく殺せると思った、という。亀を見せてあげると騙して、通称タンク山と呼ばれる丘に連れて行き、人目のない藪の中に誘い込み、ケーブルテレビアンテナ基地局舎のフェンスの外の草むらで、手と靴ひもを使って、何度も首を絞めて殺した。そのあと、遺体を隠して、その場を離れた。

5月25日、Aは再び、タンク山に行き、万引きした金ノコギリを使って首を切断した。のちの精神鑑定で、このとき、Aは勃起した、あるいは射精したとも述べていると言われている。そのあと、「魂の儀式」としてナイフで、顔をスイカ状に傷をつけた。また、血がこぼれないように首の下に黒いビニールのゴミ袋の口を開けて置いたが、首を切断したあと、ビニール袋にたまった血をひと口分を口に含んで飲んだ。血を飲んだ理由を訊かれ、Aは「僕の血は汚れているので、純粋な子供の血を飲めば、その汚れた血が清められる」と思ったから、と答えている。

精神科医である和田秀樹と『日刊ゲンダイ』のニュース編集部部長の二木啓孝との対談を1冊の本にまとめた『殺人心理』(アスキー/2000)の中で、和田はAのことを、<殺害そのものに快楽を感じるルストモンド(「快楽殺人」と訳される)と言われる倒錯や、死体をバラバラにすることに快楽を感じるネクロサディズムがミックスした性的倒錯がある印象です。>と述べている。

『殺人心理』

その後、Aは普段の通学に使っていた小型リュックに、切断した頭部を入れた黒いビニール袋を入れ、入角ノ池へ行き、その頭部を観賞したあと、その池の淵の木の根本付近にあった穴にビニール袋ごと隠した。

5月26日昼過ぎ、Aは入角ノ池へ行き、前の日に隠しておいたビニール袋を穴から取り出し、そこで頭部を5、6分ほど観察した。その後、自宅に持ち帰り、浴槽で洗った。夜、向畑ノ池(むこうはたのいけ)に、金ノコギリと南京錠を捨てた。このとき、Aは向畑ノ池のすぐ南側にある友が丘西公園で警察官から職務質問を受けていたが、名前や住所を淡々と答えている。

5月27日午前1時〜午前2時、髪の毛が濡れたままの状態の頭部を持って来たときと同じ小型リュックに入れ、自転車で友が丘中学校まで運んだ。このとき、Aは誰かとすれ違ったという。その中学校の正門の塀の上に頭部を置いてみたが、すぐに落ちてしまったので地面に置くことにした。その後、<酒鬼薔薇聖斗>という文字が見えるような形で犯行声明文を口にくわえさせて5、6分ほど眺めたあと自宅に引き返した。午前6時40分、友が丘中学校の管理人によって頭部が発見される。

5月30日、Aはこの日も自転車に乗って外を走っていたが、警察官から職務質問を受け、訊かれるままに答えている。

6月1日、警察庁から佐藤英彦刑事局長が視察にやってきて、殺害現場になったタンク山にのぼっているころ、Aが友が丘西公園でぽつんと突っ立っていたが、このとき捜査員に呼び止められたAはまともに答えなかった。警察官は淳君の切り裂かれた口に挟み込まれた紙片に書かれた文字のことに話題を移すと、「さあ、ゲームの始まりです。愚鈍な警察諸君、ボクを止めてみたまえ・・・・・・っていうのやろ?」とその内容をすらすらと暗唱してみせた。メモの内容についてはすでにマスコミで報じられていたが、よく覚えているので不審に思った捜査員は手帳にAの名前と住所と年齢、話のやり取りを書き留めておいた。足元を見ると、運動靴が土で汚れていて、気になることに土の色とは違う黒っぽい染みもあった。ズボンにも同じような染みがあった。捜査員はそれらのことを報告書にまとめて書いたが、捜査本部の幹部にまでは上げなかった。この時点で集まってくる目撃情報はどれも30代から40代の黒いポリ袋をもった男、黒い車に乗った男というものばかりで、14歳の少年とはかけ離れていたからだった。

6月4日、神戸新聞社に送りつけられた「犯行声明文」を手にした県警幹部は長文の終わりのほうの<今現在の警察の動きをうかがうと、どう見ても内心では面倒臭がっているのに、わざとらしくそれを誤魔化しているようにしか思えないのである。ボクの存在をもみ消そうとしているのではないのかね>という文章から判断し、翌5日、捜査本部で幹部は捜査員たちに「捜査員の何人かは犯人に接触している。一軒一軒、しらみつぶしに訊き込め」と檄を飛ばした。

Aの報告書を知っている数人の捜査員は顔色を変え、幹部にこっそり報告書を見せた。3月の通り魔事件の不審者リストにもAの名前があったが、目撃情報で浮かんだ犯人像はいずれもシンナー常習者で、現場とAの自宅も離れていたことから捜査対象からははずされていた。その後、極秘で9人の専従チームが組まれ、捜査を進めたが、学校から取り寄せたAの作文の筆跡や、2月の通り魔事件でAを目撃している少女にAの写真を見せて、犯人に間違いないという確信にいたったのである。

【 その後 】

逮捕された翌日の6月29日、Aは神戸地検に送検された。神戸地裁は地検に対し、10日の勾留許可を出した。少年法では、通常、少年鑑別所などによる観護措置をとるが、「やむを得ない場合」は拘置を認めるらしい。

同日、インターネットに、Aの実名が流れた。

6月30日、友が丘中学校校長が全校集会で「命の大切さ」を訴えた。

7月1日、須磨署捜査本部は、Aの自宅を再捜索した。ビデオや漫画など多数の本などダンボール26箱分を押収した。

小杉隆文相、中教審に幼児期からの「心の教育」諮問を閣議報告。梶山静六官房長官が記者会見で「少年法の改正、見直し必要」と発言した。

7月2日、当日発売の『FOCUS』(新潮社/現・休刊)に、Aの顔写真が掲載されているのが事前に漏れ、一部の書店、キオスク、コンビニなどが、販売を自粛する一方、売り切れる店もあった。同社の『週刊新潮』にもAの顔写真が掲載されているが、こちらは目線で隠している。

また、『FOCUS』に掲載されたAの写真と記事を複写し、販売するなどといったことが全国で10件ほどあった。中には飲食店のショーケースに、同誌のその記事部分を展示していた例もあった。これらの事例は各法務局が説得した上で止めさせたという。

7月3・4日、福井県武生市の県立高校で、社会科教諭が、『FOCUS』に掲載されたAの写真と記事を複写し、2年と3年の計4クラスの現代社会などの社会科授業で、教材として生徒に配布し、5分程度見せて解説し回収。教諭は「加害者のプライバシーは法律で守られているのに被害者は守られていない」などと自分の考えを述べ、表現や報道の自由、少年法などの問題について考えさせたという。

7月4日、東京法務局は未成年者の身元などが特定される報道を禁じた少年法61条の規定に抵触するとして、防止策の公表や週刊誌の回収などの措置を取るように新潮社に勧告した。同法に基づく勧告で出版物の回収措置を盛り込んだのは初めてである。

少年法61条・・・家庭裁判所の審判に付された少年又は少年のとき犯した罪により公訴を提起された者については、氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件の本人であることを推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない。(罰則規定はない)

同日、『FOCUS』編集部の田島一昌編集長は会見を行い、「私たちの報道が間違っていたとは思えない」として回収に応じない方針を明らかにした。『週刊新潮』の松田宏編集長も「なぜ問題になるのか理解できない」と、回収勧告拒否の姿勢を示した。

7月5日、Aの弁護団は弁護団の体制を現在の3人から5人に増員することが、神戸地裁に認められたことを明らかにした。

同弁護団では容疑者が少年であるため毎日の接見が必要などとし、弁護団員を8人に増員する認可を同地裁に申請していた。

起訴前の被疑者に対する弁護人の数は刑事訴訟規則で通常3人以内とされており、増員には裁判所の認可が必要であった。

7月6日、県警は捜査員90人を動員して、供述に基づき向畑ノ池をポンプで水を抜いて捜索。遺体を切断したと見られる金ノコを発見した。

7月7日、少年と同じ名字の近所の家に6月末から無言電話など悪質ないたずら電話が数100回かかっていたことが判明した。

同日、Aが15歳になる。

7月8日、2日前から向畑ノ池で捜索していたが、この日、Aが小学の女児のときに使用したハンマー(全長約30センチ、ヘッド部分は鉄製で全長約10センチ、直径約5センチ、柄も鉄製で手で握る部分は滑りにくいようにゴムで覆われていた)を発見した。

同日、拘置の満期を迎えた(地検に送検された6月29日から10日目)が、神戸地検は神戸地裁に拘置の延長を請求。地裁は10日間の拘置延長を認めた。

神戸弁護士会が事件対策協議会を発足。

7月9日、向畑ノ池での捜索で、ハンマー(ヘッド部分は鉄製だが、柄の部分は木製で白色のテープが何重にも巻かれていた)をもう1本発見した。南京錠は発見されなかった。

同日、Aは2通の犯行声明文に書かれた<酒鬼薔薇聖斗>について、「漫画などから格好のいい文字を引用して組み合わせただけ」と供述。漢字の配列には意味がない、という。また、犯行声明文にある<薔薇>の文字や<滲(にじ)む>や<銜(くわ)える>といった難解な漢字についても、「国語辞典などで漢字を調べて書いた」と供述。Aはワープロやパソコンは持っていなかった。

同日、弁護団は拘置延長の取り消しを求めた準抗告について、神戸地裁は棄却した。

同日、作家の灰谷健次郎(はいたにけんじろう)が、この日発売の『FOCUS』に抗議文を寄稿。「一出版社が、ひとつの出来事をとらえて、法の枠を越えていると判断する権利も権限もあるはずがない」

灰谷健次郎・・・1934年、兵庫県神戸市生まれ。大阪学芸大学(現・大阪教育大学)学芸学部卒。小学校教師を勤める傍ら児童詩誌『きりん』の編集に携わる。1971年、17年間勤めた小学校教師を退職し、沖縄やアジア各地を放浪。1974年、『兎の眼』(理論社)で児童文壇にデビュー。主な著書・・・『太陽の子』(角川書店/1998)

7月10日、衆院文教委員会で土師淳君殺害事件を集中審議。

7月11日、Aの供述を裏付けるため現場の実況見分を行った。

実況見分は早朝から、窓に目隠しのフィルムを張ったマイクロバスにAを乗せて実施。淳君の遺体の一部が置かれた市立友が丘中学正門前などで一時停車するだけで、Aは車外に出なかった。

マイクロバスは、前後をパトカーと捜査車両4台に挟まれて友が丘中正門前のほか、遺体が置かれたタンク山周辺、金ノコギリなどの凶器を捨てた向畑ノ池などで数分間ずつ停車した。

Aが切り出しナイフなども現場近くの「向畑ノ池に捨てた」と供述していることが分かり、約110人態勢で池の捜索を行った。

7月15日、2月10日の殺人未遂、3月16日の女児殴打殺人の容疑でAを再逮捕。神戸地裁は、再逮捕されたAに対して、25日までの10日間の拘置を認めた。拘置場所は引き続き、須磨署になる。少年事件としては異例の長期拘置になった。

Aは「今から9年の間に14個の純粋な魂を取らなければならない」と供述した。「今から」とは、「同年3月16日に山下彩花ちゃんをハンマーで殴り、1週間後に死亡させ、その直後に別の女児を切りだしナイフで刺して重傷を負わせた通り魔事件のときから」という意味。

弁護団は拘置場所の変更などを求めたが却下された。弁護団はさらに、3人増員され8人となった。

同日、新潟県三条市の地域紙『三条新聞』の朝刊に『FOCUS』の問題の記事コピーが掲載。隣の燕市内で同誌コピーが回覧板で回されていたのを取り上げながら少年の顔写真をはっきり載せていた。

7月16日、作家の灰谷健次郎が新潮社から出版していた20点以上の著書の版権引き揚げを表明。収入の3分の2を新潮社から得ていた。

7月19日、淳君の頭部を運んだとされる通学用の小型リュックに付着していた血液のDNA仮鑑定を行い、淳君の血液と一致したことが判明した。

同日、Aが書いた犯行メモの内容が公表された。

その犯行メモが書かれた大学ノートには、犯行声明文にあった「風車のようなマーク」を中心にしたイラストが添えられていたことが分かった。

少年の宇宙観をシンボリックに表したと思われる図のうえに、仏像の頭部のようなものも描かれており、犯行メモにあった「バモイドオキ神」を指すともみられている。

調べでは、イラストは上下2段に分かれ、上部中央には犯行声明文などにも使用された「風車のようなマーク」が描かれ、その上には仏像の頭のような絵があった。

また、下段は中央に線を引いて左右に分けられ、一方には太陽、もう一方には三日月とみられるマーク。中央には地球を示すとみられる円が描かれていた。捜査本部では、犯行メモに出てくる「バモイドオキ神」をシンボリックに描いたイラストではないかとみているが、少年の宇宙観・宗教観を示した可能性もある。

犯行メモには、<バモイドオキ神><アングリ>など意味不明の言葉が並んでいて、精神科医は類破瓜(るいはか)病の可能性を指摘した。

類破瓜病・・・1890年にドイツの精神医学者カールバウムが提唱した概念で、成熟した精神分裂病を彩る幻覚、妄想、自我障害のような陽性症状がなく、また錯乱や荒廃にも至らないが、感情が鈍麻し冷血になり、非道徳的な行動が目立つことが多く、犯罪と親和性が高い心理状態としている

「精神分裂病」という名称は “schizophrenia”(シゾフレニア)を訳したものだが、2002年(平成14年)の夏から「統合失調症」という名称に変更されている。

[ 犯行メモ ]

( 一部省略 )

H9・3・16

 愛する「バモイドオキ神」様へ

 今日人間の壊れやすさを確かめるための「聖なる実験」をしました。その記念としてこの日記をつけることを決めたのです。実験は、公園で一人で遊んでいた女の子に「手を洗う場所はありませんか」と話しかけ、「学校にならありますよ」と答えたので案内してもらうことになりました。ぼくは用意していた金づちかナイフかどちらで実験をするか迷いました。最終的には金づちでやることを決め、ナイフはこの次に試そうと思ったのです。ぼくは「お礼を言いたいのでこっちを向いて下さい」と言いました。女の子がこちらを向いた瞬間、金づちを振り下ろしました。

 2、3回殴ったと思いますが、興奮していてよく覚えていません。階段の下に止めておいた自転車で走り出しました。途中、小さな男の子を見つけ、あとを付けましたが、団地の中で見失いました。仕方なく進んでいくと、また女の子が歩いていました。女の子の後ろに自転車を止め、公園を抜けて先回りし、通りすがりに今度はナイフで刺しました。自転車に乗り、家に向かいました。救急車やパトカーのサイレンが鳴り響きとてもうるさかったです。ひどく疲れていたようなので、そのまま夜まで寝ました。「聖なる実験」がうまくいったことをバモイドオキ神様に感謝します。

H9・3・17

 愛する「バモイドオキ神」様へ

 朝、新聞を読むと昨日の「聖なる実験」のことが載っていたので驚きました。2人の女の子は死んでいなかったようです。人間というのは壊れやすいのか壊れにくいのかわからなかったけど、今回の実験で意外とがんじょうだということを知りました。

H9・3・23

 愛する「バモイドオキ神」様へ

 朝、母が「かわいそうに。通り魔に襲われた女の子が亡くなったみたいよ」と言いました。金づちで殴った方は死に、おなかを刺した方は回復しているそうです。人間は、壊れやすいのか壊れにくいのか分からなくなりました。捕まる気配はありません。目撃された不審人物もぼくとかけ離れています。これというのも、すべてバモイドオキ神様のおかげです。これからもどうかぼくをお守り下さい。

H9・5・8

 愛する「バモイドオキ神」様へ

 ぼくはいま14歳です。そろそろ聖名をいただくための聖なる儀式「アングリ」を行う決意をしなくてはなりません。「アングリ」を遂行する第一段階として学校を休むことを決めました。いきなり休んでは怪しまれるので、自分なりに筋書きを考えました。その筋書きはこうです。

< 『地獄の季節 「酒鬼薔薇聖斗」がいた場所』(新潮文庫/高山文彦/2001) >

7月25日、拘置の満期を迎えたこの日(再逮捕された7月15日から10日目)、神戸地裁は3件(同年2月10日と3月16日の通り魔事件と同年5月24日〜27日の淳君殺害・死体遺棄事件)を神戸家裁に一括送致した。

Aは監護措置決定を受け、これまで拘置されていた須磨署から神戸少年鑑別所に身柄を移送される。6月28日の逮捕以来、28日間に及んだ捜査は終結した。

神戸地検では、Aの自宅から押収されたホラー映画のビデオや漫画、ホラー小説などの影響を慎重に検討。Aがビデオや漫画の架空の世界に入り込み、犯罪に及んだ可能性も懸念されたが、Aがビデオなどから影響を受けているものの、架空の世界と現実の世界をまぜこぜにして行動するといった意識の混濁の病的な状態にはないと判断。刑事責任は充分あるとした。

8月1日、神戸家裁は審判の開始を決定した。

同日、連続ピストル射殺魔事件の犯人の永山則夫(犯行時19歳)の死刑が執行された。少年法批判を回避する「法務省のデモンストレーション」と批判される。

永山則夫は東京地裁で死刑、高裁で無期懲役、高裁差し戻し判決で死刑、最高裁で死刑が確定したが、永山よりも早く死刑が確定していた人はたくさんいたにもかかわらず、先に永山が執行されたのは、明らかにこの神戸須磨事件を権力が意識したからだと思う。永山則夫連続射殺魔事件

少年Aは、3月16日、山下彩花ちゃん(10歳)をハンマーで撲殺(死亡は1週間後)し、5月24日、土師淳君(11歳)を絞殺しているが、「犯行日の月+日(10の位)+日(1の位)」=「被害者の年齢」となっている(3+1+6=10、5+2+4=11)。少年Aが、相手の年齢を確認して、犯行に及んだとは思えず単なる偶然だとは思うのだが、このことに、着目したオカルト研究家の河西善治が、少年Aが逮捕される前に、第3の犯行日を予想した。両事件の犯行日を比較し、月は「3→5→7」、日(10の位)は「1→2→3」、日(1の位)は「6→4→2」として、7月32日つまり、8月1日とした。いかにも、オカルト研究家ならではの発想とも思えるのだが、6月28日に、少年Aが逮捕されたことにより、8月1日の犯行はなくなってしまったが、この日、永山が処刑された。それは、「権力がこの神戸須磨事件を意識したからである」と前に書いたが、あえて乱暴な言い方をすれば、「少年Aが間接的に永山を殺した」と言えないこともない。そういう意味では、第3の犯行日をピタリと当てたとも言えるのだが・・・。

8月4日、神戸家裁において、第1回審判が開かれ、弁護団の精神鑑定の申し立てなどが行われた。監護措置を取り消し、精神鑑定のため、同日から10月2日までの留置60日を決定した。

鑑定留置中は観護措置(最長4週間)は停止され、審判は開かれない。これにより、Aは引き続き、神戸少年鑑別所に収容された。

8月19日、Aの両親が、3月16日の通り魔事件で殺害された山下彩花ちゃんと重傷を負った女児の自宅宛てにお詫びの手紙を出していたことが分かった。手紙の日付は14日だった。<わびるのが遅くなってすみません><一度お会いしておわびしたい>などと手書きでつづられていた。

8月20日、Aの両親が、淳君の遺族にお詫びの手紙を出していたことが判明。

Aの両親はAが逮捕された日のあと、神戸市須磨区の自宅から転居していた。須磨署で拘置され取り調べを受けている際、Aの両親は面会に訪れず、同月4日に神戸家裁裁判所で開かれた初公判にも欠席していた。

また、Aも「家族は優しく幸せだった」と言う一方、「僕はもう、前と違う人間になっているから」と逮捕以来、両親との面会を拒み続けている。

8月23日、自粛していたアメリカのホラー映画『スクリーム』が公開された。

8月25日、Aの両親が2月10日の殴打事件で負傷した女児宅にお詫びの手紙を出していたことが判明。

9月8日、法務省が少年院の収容期間などを定めた通達を見直し。

9月18日、Aの両親が神戸少年鑑別所に収容されているAに初めて面会した。

Aの父親が「誰が何と言おうと、Aはお父さんとお母さんとの子どもやから、家族5人で頑張って行こうな」と声をかけると、Aは「帰れ、ブタ野郎」「会わないと言ったのに、何で来やがったんや」と怒鳴り出した。Aは両親を睨みつけながら涙をボロボロこぼして泣いた。

9月20日、Aの両親が神戸少年鑑別所でAと再び面会した。

Aは「こないだは、あんなこと言うてゴメン。悪かった」と泣きながら、素直に謝った。その後、「命についての話」になり、Aは「人間に限らず生き物はいつかは皆、死ぬんや。人の命かて蟻やゴキブリの命と同じや」と言った。母親はこのとき、Aにプラスチックの数珠を差し入れた。この数珠はAが生まれた干支の犬の飾りが付いたもので、Aが不登校を起こすゴールデンウィーク前、急に、Aが「おばあちゃんのお墓参りに行きたい。数珠がほしい」と珍しく自分から言い出したのを思い出したからだった。

9月26日、Aが連続通り魔事件のあと、「懲役13年」と題した作文を書き、それを友人に頼んでワープロで清書させていたことが判明した。

[ 懲役13年 ]

(全文/改行は原文のまま)

1、いつの世も・・・、同じ事の繰り返しである。
止めようのないものはとめられぬし、
殺せようのないものは殺せない。
時にはそれが、自分の中に住んでいることもある・・・ 
「魔物」である。
仮定された「脳内宇宙」の理想郷で、無限に暗くそして深い防臭漂う
心の独房の中・・・
死霊の如く立ちつくし、虚空を見つめる魔物の目にはいったい、
“何”が見えているのであろうか。
俺には、おおよそ予測することすらままならない。
「理解」に苦しまざるをえないのである。

2、魔物は、俺の心の中から、外部からの攻撃を訴え、危機感をあおり、
あたかも熟練された人形師が、音楽に合わせて人形に踊りをさせてい
るかのように俺を操る。
それには、かって自分だったモノの鬼神のごとき「絶対零度の狂気」を感じさせ
るのである。   とうてい、反論こそすれ抵抗などできようはずもない。
こうして俺は追いつめられてゆく。「自分の中」に・・・
しかし、敗北するわけではない。
行き詰まりの打開は方策ではなく、心の改革が根本である。

3、大多数の人たちは魔物を、心の中と同じように外見も怪物的だと思いがちで
あるが、事実は全くそれに反している。
通常、現実の魔吻は、本当に普通な“彼”の兄弟や両親たち以上に普通に見
えるし、実際、そのように振る舞う。
彼は、徳そのものが持っている内容以上の徳を持っているかの如く人に思わ
せてしまう・・・
ちょうど、蝋で作ったバラのつぼみや、プラスチックで出来た桃の方が、
実物は不完全な形であったのに、俺たちの目にはより完璧に見え、
バラのつぼみや挑はこういう風でなければならないと
俺たちが思いこんでしまうように。

4、今まで生きてきた中で、“敵”とはほぼ当たり前の存在のように思える。
良き敵、悪い敵、愉快な敵、不愉快な敵、破滅させられそうになった敵。
しかし最近、このような敵はどれもとるに足りぬちっぽけな存在であることに気づいた。
そして一つの「答え」が俺の脳裏を駆けめぐった。
「人生において、最大の敵とは、自分自身なのである。」

5、魔物(自分)と闘う者は、その過程で自分自身も魔物になることがないよう、
気をつけねばならない。
深淵をのぞき込むとき、
その深淵もこちらを見つめているのである。

「人の世の旅路の半ば、ふと気がつくと、
俺は真っ直ぐな道を見失い、
暗い森に迷い込んでいた。」

< 『地獄の季節 「酒鬼薔薇聖斗」がいた場所』(新潮文庫/高山文彦/2001) >

冒頭の<1、いつの世も・・・、同じ事の繰り返しである。止めようのないものはとめられぬし、殺せようのないものは殺せない。時にはそれが、自分の中に住んでいることもある・・・ 『魔物』である。>は、映画『プレデター2』(監督・スティーヴン・ホプキンス/主演・ダニーグローバー/アメリカ/1990)の中のセリフ「いつの世も、同じ繰り返しだ/止めようのないものは止められぬし、殺しようのないものは殺せない/魔物だ」からの引用と言われている。

3の<大多数の人たちは魔物を・・・(中略)・・・俺たちが思いこんでしまうように。>は、『診断名サイコパス 身近にひそむ異常人格者たち』(早川書房/ロバート・D・ヘア/1995)の目次の2ページ前のページに掲載されている<善良な人たちが疑い深いことはまれである。自分にはとてもできないことを、ほかの人がやるなんて想像もできないからだ。通常、彼らはドラマティックでない解決を正しい解決策として受け入れ、問題の原因などはそのままにしておく。さらに、まともな人たちはサイコパスを、心のなかと同じように外見も怪物的だと思いがちだが、事実はまったくそれに反している・・・・・・通常、現実のモンスターたちは、ほんとうにノーマルな彼らの兄弟や姉妹たち以上にノーマルに見えるし、実際、そのようにふるまう。彼らは、徳そのものがもっている内容以上の徳をもっているかのごとく人に思わせてしまう――ちょうど、蝋(ろう)でつくったバラのつぼみやプラスティックでできた桃のほうが、実物は不完全な形であったのに、私たちの目にはより完璧に見え、バラのつぼみや桃はこういうふうでなければならないと私たちが思いこんでしまうように。 ――ウイリアム・マーチ『悪い種子』>の<まともな人たち>を<大多数の人たち>に、<サイコパス>を<魔物>などと改変して、ほとんど変わらない文を書いている。

『診断名サイコパス 身近にひそむ異常人格者たち』

最後の5は、ニーチェの著書『ツァラトゥストラ』にある<怪物と闘う者はその過程で自分自身も怪物になることがないよう、気をつけねばならない。深淵をのぞき込むとき、その深淵もこちらを見つめているのである。>の<怪物>を<魔物>と改変して引用しているが、この引用部分は『FBI心理分析官 異常殺人者たちの素顔に迫る手記』(早川書房/ロバート・K・レスラー/1994)にも引用されており、これを参考にしたものと見られている。そのあとに続く、<「人の世の・・・」>はダンテの『神曲』の冒頭部分からの引用である。

『ツァラトゥストラ』 / 『FBI心理分析官 異常殺人者たちの素顔に迫る衝撃の手記』

福島章上智大学教授(専攻は精神医学)はAの精神鑑定人ではないが、福島の著書『殺人者のカルテ 精神鑑定医が読み解く現代の犯罪』(清流出版/1997)には少年Aについての次のような記述がある(<>内)。

<[2、魔物は俺の心の中から・・・人形に踊りをさせているかのように俺を操る。]は「させられ体験」と呼ばれる自我障害の一種で、シュナイダーのいう「精神分裂病診断のための第1級症状」の中に数えられるものである。この文章の中では、自他の区別が不分明となっており、連想の弛緩も認められる。また、犯行メモにあったAの絵については、こうした絵を描く人は、精神病をまさに、発病するか、そこから回復するか断崖絶壁の上にいる場合が多い。挑戦状にあった[透明な存在]については、このような言葉は臨床現場でも、思春期・青年期の患者からしばしば聞かされる表現で、Aはアメリカの精神分析学者エリクソンが言うところの「自我同一性の拡散」に苦しんでいた。Aは学校でも家でも地域でも、自分という存在を認められないまま、自分を限りなく透明に近いものと感じていたのではないか。>

『殺人者のカルテ 精神鑑定医が読み解く現代の犯罪』

福島章・・・昭和11年、東京に生れる。昭和38年、東大医学部卒業。東大精神科、府中刑務所を経て、昭和44年、東京医科歯科大学犯罪精神医学研究室助手、昭和49年、助教授。昭和54年、上智大学文学部教授。平成12年、同名誉教授。医博。

9月27日、『FOCUS』の少年の顔写真掲載号を複写し押し売りしていた暴力団員がいたことが判明した。売れたのは50部ほどで、儲けはわずか3000円だった。

10月1日、大量虐殺を描き、新聞連載中に事件とのシンクロニシティを取り沙汰された村上龍の『イン ザ・ミソスープ』が読売新聞社から刊行される。

『イン ザ・ミソスープ』

10月2日、60日間の精神鑑定が終わり、鑑定医は、「重度の行為傷害」と「直観像素質」、「サディズム傾向がある」という鑑定結果を出し、神戸家裁に提出された。

[ Aの精神鑑定主文 ]

非行時、現在ともに顕在性の精神病状態になく、意識清明であり、年齢相応の知的判断能力が存在しているものと判定する。未分化な性衝動と攻撃性との結合により持続的かつ強固なサディズムがかねて成立しており、本件非行の重要な要因となった。非行時ならびに現在、離人症状、解離傾注が存在する。しかし、本件一連の非行は解離の機制に起因したものではなく、解離された人格によって実行されたものでもない。直観像素質者であって、この顕著な特性は本件非行の成立に寄与した一因子を構成している。また、低い自己価値感情と乏しい共感能力の合理化・知性化としての「他我の否定」すなわち虚無的独我論も本件非行の遂行を容易にする一因子を構成している。また、本件非行は、長期にわたり多種多様にしてかつ漸増的に重篤化する非行歴の連続線上にあって、その極限的到達を構成するものである。

家庭における親密体験の乏しさを背景に、弟いじめと体罰との悪循環の下で「虐待者にして被虐待者」としての幼時を送り、“争う意志”すなわち攻撃性を中心に据えた、未熟、硬直的にして歪んだ社会的自己を発達させ、学童期において、狭隘で孤立した世界に閉じこもり、なまなましい空想に耽るようになった。思春期発来前後のある時点で、動物の嗜虐的殺害が性的興奮と結合し、これに続く一時期、殺人幻想の白昼夢にふけり、現実の殺人の遂行を宿命的に不可避であると思いこむようになった。この間、「空想上の遊び友達」、衝動の化身、守護神、あるいは「良心なき自分」が発生し、内的葛藤の代替物となったが、人格全体を覆う解離あるいは人格の全体的解体には至らなかった。また、独自の独我論的哲学が構築され、本件非行の合理化に貢献した。かくして衝動はついに内面の葛藤に打ち勝って自己貫徹し、一連の非行に及んだものである。

(以下、省略)

< 『「少年A」この子を生んで・・・・・・ 父と母悔恨の手記』(文藝春秋/「少年A」の父母/2001) >

直観像素質者・・・パッと一瞬見た映像が、まるで目の前にあるかのように鮮明に思い出すことができる能力がある人のこと。一度見たものが数年後でも原色で色鮮やかに記憶の中に再現されるので、その残像に苦しむケースもある。

解離傾注・・・意識と行為内容が一致せず、落差がある状態のこと。夢遊病者などもその一種。

Aは鑑定医に、自分の好きな本を5点挙げてください、と訊かれ、『はてしない物語』(映画『ネバー・エンディング・ストーリー』の原作本/ミヒャエル・エンデ著)、『わが闘争』の上・下(アドルフ・ヒトラー著)、『ゲーム理論の思考法』(日本実業出版社/嶋津祐一/1997)、『推理脳を鍛える本』(出版社や著者など不明)と答えている。『わが闘争』はAの母親が買い与えたものだが、不用意だったかもしれないと言っている。

『わが闘争』・・・アドルフ・ヒトラーは少年時代、落第を繰り返す落ちこぼれだった。画家を志し、ウィーン美術大学を受験するも不合格になり、その後、建築家への道を目指すが、勉強についていけず挫折。第一次世界大戦のころ、志願して戦場に赴き、伝令兵として活躍した。復員後、ドイツ労働党に入党。1921年、党名を国家社会主義ドイツ労働党(ナチス党)と改め、党首となった。1923年、政府打倒を計画。ミュンヘンでクーデターを起こすも鎮圧され、禁錮刑に処せられた。このとき獄中で同朋のルドルフ・ヘスらに口述筆記させ、『わが闘争』をまとめた。1925年に上巻「回想」、翌1926年に下巻「国家社会主義運動」がエーア出版(ナチス党の出版局)から刊行された。1928年に『続・わが闘争』を口述筆記させていたが、上・下巻の売れ行きがよくなかったため、『続・わが闘争』は刊行を断念したとされる。だが、ナチスの勢力拡大とともに上・下巻の売れ行きが伸び、ドイツで最も読まれる本のひとつとなり、第二次世界大戦まで1000万部が刊行されたとされている。1945年4月、陥落したベルリン総統府の地下壕でアメリカ軍が押収した文書に『続・わが闘争』が紛れており、1958年になって発見され、1961年、『ヒトラー第二の書』としてドイツ語版が刊行されている。

10月6日、神戸家裁で第2回審判。付添人の弁護団が「Aの自白調書は任意性に問題と証拠排除を主張した。

10月9日、神戸家裁で第3回審判。Aは一連の事件の非行事実を認めた上で、連続通り魔事件の殺意を否認。この日、初めてAの両親が出席した。

10月13日、神戸家裁で第4回審判。証拠調べ終了。Aの母親が「息子の罪、親として償う」と初証言した。

10月15日、弁護団が神戸家裁に「医療(現・第3種/以下同)少年院送致が相当」との意見書を提出した。

10月17日、神戸家裁で第5回終局審判を行い、Aの処分を「医療少年院送致」の処分決定を言い渡した。

「心神耗弱」はないとしたが、異例の決定要旨全文公開に踏み切った。それによると、「重度の精神障害に陥る危険性もあり、自殺のおそれもある。熟練した精神科医の下、複数の人との交流の中での更生が必要」とされている。

10月20日早朝、Aは東京都府中市の関東医療少年院に向け移送、午後になって収容された。医療少年院は全国に4ヶ所あり、他に、京都府宇治市の京都医療少年院、神奈川県と三重県に知的障害児のための医療少年院があるが、あえて地元に近い京都医療少年院を避けて関東医療少年院に決めたらしい。

12月16日、同年3月16日にAに殺害された山下彩花の母親の山下京子の手記『彩花へ 「生きる力」ありがとう』が河出書房新社から刊行される。

『彩花へ 「生きる力」をありがとう』

1998年(平成10年)1月24日、14歳の心の闇を探ったNHKの同名スペシャル番組をまとめた『14歳・心の風景』がNHK出版から刊行される。

『14歳・心の風景』

1月28日、栃木県黒磯市の市立黒磯北中学校で、英語担当の腰塚佳代子教諭(26歳)が、授業に遅れて教室に入ってきた1年生の男子生徒(当時13歳)を注意したところ、バタフライナイフで刺されて死亡するという事件が発生。少年は腰塚教諭を驚かしてやろうとナイフを突き出したが、教諭がひるまなかったのでバカにされたと思い、刺したと供述した。のちに男子生徒は児童自立支援施設に送られ、関東医療少年院に送致された少年Aと出会う。

2月1日、東京都江東区で中学3年の男子生徒がナイフで交番の警官を襲い、ケガを負わせる事件が起きる。

2月10日、この日発売の『文藝春秋』3月号に門外不出のはずの検事調書が掲載された。これに対し、最高裁と神戸家裁は「少年法の趣旨に反し甚だ遺憾」と9日夜、販売中止を申し入れていた。東京、大阪の地下鉄売店では不売。また、各地の公立図書館でも閲覧の停止措置を取った。

2月17日、埼玉県浦和市(現・さいたま市)の市営住宅で無職の男性(69歳)が顔見知りの女子中学3年生2人に暴行を受けて死亡するという事件が発生。「貸した金を返さない」ことから犯行に及んだと逮捕時に語ったが、以前よりこの2人は男性に金の要求をしていた。

2月23日、警視庁公安部が、1月に革マル派アジトを家宅捜索した際、1万4000個にのぼる鍵や400個の印鑑などとともに押収したフロッピーディスクに、この事件の少年の検事調書の内容が記録されていたことが判明した。革マル派は事件発生直後から、事件が「国家権力による謀略」と機関紙『解放』などで主張していた。

また、『神戸事件の謎 「酒鬼薔薇聖斗」とは?』(現代社会問題研究会 解放社)がある(同年4月15日、刊行)。「解放社」とは革マル派の公然アジトである。

『神戸事件の謎 「酒鬼薔薇聖斗」とは?』

2月24日、『文藝春秋』に掲載された検事調書と同じ内容の文書が前年10月、共同通信社、産経新聞、TBSにも届いていたことが判明した。

8月26日、殺害された土師淳君の両親がAとその両親を相手取り、約1億420万円の損害賠償訴訟を神戸地裁に起こす。

9月、土師淳君の父親の守の著書『淳』が新潮社から刊行される。

『淳』

12月、山下京子の2冊目の手記『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』が河出書房新社から刊行される。

『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』

1999年(平成11年)3月11日、神戸地裁は、Aとその両親に対して殺害された土師淳君の両親の訴えの全額を認め、約1億420万円の支払いを命じた。

4月10日、Aの両親による『「少年A」この子を生んで・・・・・・ 父と母 悔恨の手記』が文藝春秋から刊行される。

『「少年A」 この子を生んで・・・・・・ 父と母 悔恨の手記』(文藝春秋/「少年A」の父母/2001)

8月9日、愛知県西尾市で無職の少年(当時17歳)が中学時代から好意を寄せていた県立西尾高校2年の永谷英恵(16歳)を刺殺。少年は「酒鬼薔薇聖斗」を尊敬し、「悪い自分」を「猛末期頽死(もうまつきたいし)」と呼んでいた。事件当時は高校を中退して引きこもり状態で、犯行前日まで、英恵を拉致して殺害する計画や妄想を日記に書き付けていた。2000年(平成12年)5月15日、名古屋地裁岡崎支部は少年に対し、求刑通り懲役5年以上10年以下の不定期刑を言い渡した。

2000年(平成12年)1月19日、1997年3月16日に殺害された山下彩花ちゃんの両親と少年Aの両親との間で、約8000万円の慰謝料を支払うことで和解が成立していたことが判明した。同日に腹部を負傷した小学3年生の両親との間でも約2000万円の慰謝料を支払うことで和解が成立していた。

5月1日、愛知県豊川市で少年(当時17歳)が主婦(64歳)を殺害し、さらに帰宅した夫(当時67歳)を負傷させる事件が起きる。少年の口から反省の言葉は聞かれず、「人を殺す経験がしたかった」と供述して社会に衝撃を与えた。少年に医療少年院送致の処分が下った。

5月3日、西鉄バスジャック事件発生。無職の少年(当時17歳)がバスジャック、乗客の女性(68歳)を殺害した。少年に医療少年院送致の処分が下った。

2000年(平成12年)は、5月1日の主婦殺害事件や3日のバスジャック事件など、少年による特異な事件が目立った年であったが、特に「17歳による犯行」が世間を騒がせた。Aが事件を起こしたのは1997年(平成9年)で、そのとき、Aは14歳であり、2000年(平成12年)に事件を起こして世間を騒がせた17歳の少年も、その当時は14歳であった。

11月、「少年法等の一部を改正する法律」(改正少年法)が成立。

2001年(平成13年)3月、友が丘中学校の卒業式の当日、退職を数日後に控えていた同校校長の岩田信義(当時63歳)はストリップ見物に出かけたが、その一部始終を『FOCUS』にスクープされてしまった。このことで、教育委員会からお叱りを受け、定年後に児童館の館長になるという再就職が不可能になってしまった。

4月1日、改正少年法施行。それまでは「犯行時16歳以上であれば刑事責任を問える」であったが、これが「犯行時14歳以上であれば刑事責任を問える」こととなった点が最大の改正点である。

4月25日、「A少年の人身保護を求める会」は、Aが関東医療少年院に入院した直後から、5次に渡る保護請求裁判を続けてきたが、この日、最高裁は特別抗告を棄却する決定を行なった。

5月、友が丘中学元校長の岩田信義の著書『校長は見た! 酒鬼薔薇事件の「深層」』が五月書房から刊行される。他にも、ペンネームで「小説酒鬼薔薇事件」を小説雑誌に発表したり、マスコミ批判をテーマにした論文などを次々と投稿し続けている。『週刊文春』(2001年8月16日・23日夏の特大号)によると、岩田校長は『客席から見たストリップ五十年史』を構想中とかで、すでに70枚ほど書き上げているとか。

『校長は見た! 酒鬼薔薇事件の「深層」』

5月23日、この日の『朝日新聞』朝刊に、「加害少年の心境変化。『社会の人間の中で生きたい』」という見出しの記事が載った。

その記事によると、Aは事件直後は自殺をほのめかすこともあったが、前年くらいから徐々に心を開き始めたという。少年院では5年半程度の処置計画を立てているが、「普通の仕事をして、人間の中で生きたい」とも語り始めたという。

12月19日、Aが東京都府中市の関東医療少年院から中等少年院に移されていたことが関係者の話から分かった。ここでAは溶接工の免許などを取得した。他の収容者との人間関係構築なども含め、技能取得を柱とした社会復帰のための訓練をこなした。

2002年(平成14年)3月20日、東京地裁は1997年(平成9年)11月、Aが収容されていた東京都府中市の関東医療少年院に侵入したとして建造物侵入罪に問われた革マル派活動家のS(当時44歳)に対し懲役2年6ヶ月・執行猶予4年(求刑・懲役3年)を言い渡した。

服部悟裁判長は「少年院の2階まで侵入し、庁舎の構造や監視カメラの有無を調べるなお態様は悪質」と述べた。判決によるとSは少年Aの両親と接触する下調べのため、親族を装って関東医療少年院に侵入した。また同年3月、千葉県内で警視庁の無線を傍受し通信内容を仲間に伝えた。革マル派は神戸の事件について「少年は冤罪で事件は国家権力の謀略」と主張していた。

7月7日、Aが20歳になる。

7月12日、神戸家裁は中等少年院に収容されているAについて「不安の種は尽きず矯正と仮退院の生活環境調整のため、継続が相当」として2004年(平成16年)末まで約2年半の収容継続を決定した。当初の社会復帰プログラムより1年半の延長となる。

11月上旬、Aがあらかじめ予定された課程により関東医療少年院に移送された。短期就労など、仮退院に向けての最終的な処遇が行なわれると見られている。

12月26日、Aの検事調書を盗んだとして、札幌市中央区の革マル派のアジトに潜伏していた非公然活動家の幹部のM(当時56歳)ら5人が逮捕された。1997年(平成9年)9月にAの精神鑑定をした医師が勤める神戸市の兵庫県立光風病院に侵入し、院長室に保管されていた検事調書の写しなど計208点を盗んだ疑い。

2003年(平成15年)1月17日までに、革マル派非公然活動家のMとK(当時46歳)が建造物侵入容疑で再逮捕され、東京都新宿区の革マル派活動拠点「解放社」が家宅捜索された。東京地検は16日、Mら3人を起訴したが、Kは処分保留で釈放された。

2月13日、Aの検事調書を盗んだとされる事件でAの両親宅への侵入に関与したとして革マル派非公然活動家のMが建造物侵入容疑で再逮捕された。Mの逮捕は3回目。

5月13日、当時の森山真弓法相は当日の閣議後の会見で、関東医療少年院に収容中のAについて「しょく罪意識が作られつつあり、社会の中で保護観察処分に移行するのが更生のために有効だとの報告を受けた」と述べ、年内にも仮退院する見通しを示した。関東医療少年院長は同年3月25日に関東地方更生保護委員会に対し、男性の仮退院を申請していたことを明らかにした。

7月1日夜、長崎市で中学1年の男子生徒(当時12歳)が大型電器店から幼稚園児の種元駿ちゃん(4歳)を連れ出し、そこから4キロ離れた立体駐車場の屋上から全裸にして20メートル下に突き落として殺害するという事件が起きる。9月29日、長崎家裁はこの男子生徒を児童自立支援施設へ送致する保護処分を決定した。

10月、『「酒鬼薔薇聖斗」への手紙 生きていく人として』(宝島社/今一生[編])が刊行される。

『「酒鬼薔薇聖斗」への手紙 生きていく人として』

11月9日、犠牲者となった山下彩花ちゃんの17回目の誕生日に当たるこの日、母親の山下京子が3冊目の手記『彩花がおしえてくれた幸福(しあわせ)』をポプラ社より刊行。

『彩花がおしえてくれた幸福(しあわせ)』

11月28日、Aの検事調書を盗んだとされる事件で住居侵入容疑で指名手配されていた革マル派非公然活動家のZ(当時54歳)が逮捕された。調べによると、Zは1997年(平成9年)9月21日から23日にかけ3回にわたり、Aの両親宅に盗聴器を設置する目的で侵入した疑い。Zは28日午前11時ごろ、警視庁に「差し入れをしたい」などと話し、衣類や洗面道具などを持って出頭。公安部は革マル派が早期に事件を終結させる目的で出頭させたとみている。

12月18日、Aの検事調書を盗んだとされる事件で窃盗と建造物侵入の疑いで指名手配されていた革マル派非公然活動家のT(当時55歳)が逮捕された。

2004年(平成16年)3月6日、法務省は、Aの仮退院に際し、仮退院の事実や理由を公表する方針を固めた。遺族への通知はすでに決めているが、事件の重大性を考慮し、報道機関を通じて国民にも説明することにした。少年事件で仮退院情報が公表されるのは初めて。

成人の事件では、1963年(昭和38年)、埼玉県狭山市で女子高生が殺害された狭山事件で、1994年(平成6年)、さいたま市の関東地方更生保護委員会が無期懲役で収監中の石川一雄の仮出所を公表したケースがある。

3月10日、関東地方更生保護委員会はA(当時21歳)の仮退院を認める決定をした。これを受け、Aは直ちに仮退院した。逮捕されてから6年9ヶ月ぶりに社会に戻った。

仮退院の際、法務省の「超例外的措置」により、Aは改名したらしい。氏名の変更については、戸籍法の第107条で、やむを得ない事情があるときは家庭裁判所の許可でできるとされている。その事情とは社会生活上で重大な支障を与えるなどのケースになる。

Aは仮退院後も、保護観察官や保護司の指導を受けながら12月末までの保護観察の期間を過ごす。勤労状況や生活態度に問題がなく、「社会での自立した生活が可能」と判断されれば、正式退院となる。

6月23日、東京地裁は検事調書などが流出した事件で、窃盗、建造物侵入の罪に問われた革マル派メンバーのO(当時55歳)に対し、懲役4年6ヶ月を言い渡した。

2005年(平成17年)10月、土師淳君の父親の守の著書『淳 それから』(本田信一郎との共著)が新潮社から刊行される。

『淳 それから』

11月8日、Aの検事調書などを盗んだとされる事件で窃盗と建造物侵入の疑いで指名手配中の革マル派非公然活動家のY(当時35歳)が警視庁本部庁舎の正面受付を訪れて名前を名乗り、「捜査員に用事がある」と話して逮捕された。

11月30日、Aの検事調書などを盗んだとされる事件で窃盗と建造物侵入の疑いで指名手配中の革マル派非公然活動家のU(当時55歳)が逮捕された。

12月12日、Aの検事調書コピーなどを盗んだとされる事件で窃盗と建造物侵入の疑いで指名手配中の革マル派非公然活動家のN(当時52歳)が警視庁本部庁舎の正面受付を訪れて名前を名乗り、「捜査員に用事がある」と話して逮捕された。

2006年(平成18年)12月4日、東京地裁はAの検事調書コピーなどを盗んだとされる事件で革マル派の活動家のMら6被告に対し、懲役5年〜1年10ヶ月を言い渡した。大島隆明裁判長は「『事件は国家権力が危機管理体制を強化するためねつ造した』との革マル派の主張裏付けに利用するための犯行」と指摘した。

2015年(平成27年)6月11日、Aが『絶歌 神戸連続児童殺傷事件』を太田出版から刊行。

『絶歌 神戸連続児童殺傷事件』

9月10日発売(首都圏など)の『週刊文春』(文藝春秋)、『週刊新潮』(新潮社)、『女性セブン』(小学館)が、元少年Aと称する人物から「元少年A公式ホームページ」として「存在の耐えられない透明さ」と題したサイトのURLが書かれた手紙が送られてきたと報じ、開設した人物が元少年Aと同一人物かは不明だが、『週刊文春』では、手紙が元少年Aによるものであることを「確認できた」と伝え、『週刊新潮』は、「当事者しか知りえない、いわば"秘密の暴露"とでも言うべき事柄が、詳細に記されていた」と報じている。

9月14日発売(首都圏など)の『週刊ポスト』(小学館/2015年9月25日・10月2日号)が元少年Aの事件当時の実名と顔写真を掲載した。記事中で「もはや彼は『過去の人物』ではない。現在起こっている重大な社会的関心事の当事者である」として、実名と顔写真を掲載した意義を説明しているが、ネットでは元少年Aの逮捕直後から出回っている「周知」の事実。

10月13日、元少年Aがインターネットで有料の配信サービスを始めたことが分かった。12日付の創刊号ではホームページ「存在の耐えられない透明さ」に寄せられた質問、意見に答えている。開始した理由については「誰でも気軽に覗けるホームページ上ではなく、元少年Aとよりディープに、魂の触角と触角が絡み合うようなやり取りができるよう、新たに別な場所を設ける」と説明している。タイトルは「元少年Aの“Q&少年A”」で、購読料は月額800円。隔週で月曜日に配信するという。

10月15日、「元少年Aの“Q&少年A”」が閲覧不能となった。ブロマガにアクセスすると、<このページの表示は許可されていません><このブログは下記の理由などにより凍結されています><規約上の違反があった><多数のユーザーに迷惑をかける行為を行った>などのメッセージが表示(午後7時現在)され、閲覧できない状態になっている。運営元が凍結した可能性が高い。

2016年(平成28年)2月18日発売(首都圏など)の『週刊文春』(文藝春秋/2016年2月25日号)が元少年Aと思われる人物に直撃取材し、目線入りの写真(都内アパートを出てバス停へと走っている姿や電車内で座席に座っている姿)付きで、[元少年Aを直撃! 「命がけで来てんだろ? お前、顔覚えたぞ!」]と題して近況を報じた。

12月13日、大阪弁護士会は元少年Aを医療少年院送致とした神戸家裁の決定全文を月刊誌に提供した井垣康弘弁護士について、業務停止3ヶ月の懲戒処分にした。井垣弁護士は決定をした裁判官(2005年に退官。その後、弁護士登録)。大阪弁護士会によると、決定全文は月刊『文藝春秋』2015年年5月号に掲載され、男性の成育歴や犯行前後の心情などが明らかになった。井垣弁護士は同年8月号に担当裁判官として「元少年A『絶歌』に書かなかった真実」と題した記事を執筆した。これについて、同弁護士会は「守秘義務や少年法の趣旨に反する。関係者に多大な苦痛を与えかねず、法曹としての倫理に反する」と判断した。井垣弁護士は処分に対し「男性の更生と世間の認識を改めさせるために全文の公表は避けられないと思い続けていた。全く納得できない」とコメントした。 

参考文献など・・・
『地獄の季節 「酒鬼薔薇聖斗」がいた場所』(新潮文庫/高山文彦/2001)

『「少年A」 14歳の肖像』(新潮文庫/高山文彦/2001)

『「少年A」 この子を生んで・・・・・・ 父と母 悔恨の手記』(文藝春秋/「少年A」の父母/2001)
『少年A 矯正2500日 全記録』(文藝春秋/草薙厚子/2004)
『FBI心理分析官』(早川書房/ロバート・K・レスラー/1994)
『快楽殺人の心理』(講談社+α文庫/ロバート・K・レスラー/1998)
『殺人者のカルテ 精神鑑定医が読み解く現代の犯罪』(清流出版/福島章/1997)
『ワケありな本』(彩図社/沢辺有司/2015)
『命の重さ取材して 神戸・児童連続殺傷事件』(産経新聞ニュースサービス/産経新聞大阪本社編集局/1997)
『神戸事件でわかったニッポン 酒鬼薔薇をめぐる24人の大激論!! 』(双葉社/1997)
『Killer 酒鬼薔薇聖斗の深淵 』(なあぷる/長門直弥/1997)
『父よ!母よ!子どもたちよ!! 酒鬼薔薇聖斗事件の衝撃から』(リトルガリヴァー社/畑島喜久生/1998)
『酒鬼薔薇聖斗の告白 悪魔に憑かれたとき』(元就出版社/河信基/1998)

『暗い森 神戸連続児童殺傷事件』(朝日新聞社/朝日新聞大坂社会部/2000)
『気分の社会のなかで 神戸児童殺傷事件以後』(中央公論新社/野田正彰/2000)
『元少年Aの殺意は消えたのか 神戸連続児童殺傷事件 手記に見る「贖罪教育」の現実』(イースト・プレス/草薙厚子/2015)
『二本の棘 兵庫県警捜査秘録』(KADOKAWA/山下征士/2022)

『産経新聞』(1997年5月27日付/1997年6月6日付/1997年6月13日付/1997年6月29日付/1997年7月2日付/1997年7月3日付/1997年7月25日付/1997年10月18日付/1998年8月27日付/1998年3月11日付/2001年12月19日付/2015年10月13日付)
『毎日新聞』(2001年4月1日付/2002年3月20日付/2002年7月12日付/2002年12月4日付/2002年12月13日付/2002年12月26日付/2003年1月17日付/2003年2月13日付/2003年5月13日付/2003年7月3日付/2003年7月9日付/2003年8月6日付/2003年9月29日付/2003年11月9日付/2003年11月28日付/2003年12月18日付/2004年3月6日付/2004年3月10日付/2004年6月23日付/2004年8月12日付/2005年11月8日付/2005年12月1日付/2005年12月12日付/2006年12月4日付/2016年12月13日付)
『文藝春秋』(1998年3月号)
『週刊文春』(2001年8月16日・23日夏の特大号/2016年2月25日号)
『J−CASTニュース』(2015年9月10日付/2015年9月14日付)
『日刊ゲンタイ』(2015年10月15日付)

関連サイト・・・
全国犯罪被害者の会 NAVS【あすの会】

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