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西鉄バスジャック事件

【 バスジャック 】

2000年(平成12年)5月3日

[ 12・56 ] 乗客22人を乗せた福岡・天神行きの西鉄高速バス「わかくす号」が佐賀市の西鉄佐賀営業所を発車。

[ 13・35 ] 九州道大宰府インターチェンジ(IC)付近で、乗客の1人であった無職のT(当時17歳)が刃渡り40センチの牛刀を片手に、乗客に対して、「おとなしくしろ」と騒ぎ出し、運転席の後ろに座ると、乗客全員に「持っている荷物を出せ」と怒鳴り、さらに「女は前に出ろ。男は後ろに下がれ」と指示した。1人でバスに乗った小学1年の優香ちゃん(仮名/当時6歳)だけは運転手席の後ろに座らされた。

[ 13・38 ] このとき、寝ていて事態に気づかないでいた女性客(当時34歳)に対し、Tは「あなた、ふてくされてますねえ」と声を掛け、いきなり牛刀で首の後ろ側と両手首を何回も刺す。これで加療4週間の怪我を負う。女性は通路に倒れた。Tは「おばさん、生きているか」と声をかけ、女性の体を蹴って、乗客から奪ったカメラで写真を撮った。

そしてTは「お前たちの行くところは天神じゃない。地獄です」と言った。

また、Tは平野忠運転手(当時57歳)に対して、「大宰府インターを降りずにまっすぐ行け」と命じた後、乗客に対して、「おとなしくしとけ。カーテンは閉めろ」と指示した。

[ 14・40 ] 女性客の山田由美(仮名/当時50歳)の顔などを牛刀で数回切りつけた。これで加療1ヶ月の怪我を負う。

[ 14・47 ] 九州道新門司IC付近で、「トイレに行く」と言って、バスから降りた女性客が非常電話で「バスジャック」されたと福岡高速管理室に通報。

ちなみに「飛行機乗っ取り」は「ハイジャック」だが、「ハイジャック」自体、「乗っ取り」を意味し、「バス乗っ取り」は正確には「バスハイジャック」と言う。だが、現在この呼び名は使われていない。

[ 14・59 ] 福岡高速管理室が110番通報。

[ 15・08 ] 福岡県警からの手配を受け、山口県警が県内に緊急配備発令。

[ 15・10 ] 福岡県警が300人態勢の捜査本部を設置。

[ 15・30 ] 西鉄が対策本部設置。

[ 15・33 ] 佐賀市の塚本達子(68歳)の右肩などを数回切りつけた。

[ 15・34 ] 中国道の小郡(おごおり)IC付近で、佐賀県大和町の看護婦(当時30歳)がバスの窓から飛び降りたが、右足を骨折するなど加療6週間の怪我を負う。

看護婦・・・保健婦助産婦看護婦の一部を改正する法律(改姓保助看法)が2001年(平成13年)12月6日に成立、12月12日に公布、翌2002年(平成14年)3月1日に施行された。これにより、保健婦・士が「保健師」に、助産婦が「助産師」に、看護婦・士が「看護師」に、准看護婦・士が「准看護師」となり、男女で異なっていた名称が統一された。

[ 15・37 ] バスが山陽道に入る。

[ 16・09 ] Tが携帯電話で110番に電話。「岡山県の吉備サービスエリア(SA)まで行けば人質を解放する。拳銃と防弾チョッキを渡せ。東京へ行きたい」と要求。

[ 16・20 ] 山口県下松(くだまつ)市の下松SA付近で、パトカーがバスを誘導しようとして失敗した。このとき、バスの速度が落ちていたが、そのすきに、佐賀県川副町の男性会社員(当時52歳)がバスの窓から飛び降りた。胸などを打ち加療10日間の怪我を負う。

[ 16・21 ] 再び、塚本達子を襲う。首を突き刺され失血死する。

[ 16・30 ] 山口県警捜査1課幹部が報道陣に「バスの前を走るテレビ局がある。すぐにやめてほしい」と要請。

[ 16・52 ] バスが山口県から広島県大竹市に入る。

[ 17・08 ] 西鉄が福岡市で会見。

[ 17・24 ] 広島市安佐南区の武田山トンネル内で、Tが「男は前へ出ろ。みんな降りろ」と命じ、男性客4人(当時18歳、31歳、56歳、73歳)が解放される。このうち、73歳の男性は妻(当時72歳)とともに乗車していたが、妻をバスに残して降りた。のちに、「後ろ髪を引かれる思いだった」と話した。

[ 17・50 ] バスが東広島市の山陽道の奥屋パーキングエリア(PA)に入り、警察の誘導で停車。PA内では、停車したバスを多数のパトカーがとり巻き、捜査員が脚立に立ち、ハンドマイクで説得にあたったが、Tは優香ちゃんに牛刀を突きつけ「けん銃を1丁準備せい」などと要求。一般車は入れないようパーキング入り口は閉鎖され、売店や食堂にいた客は全員、警察官の指示で避難。

[ 18・03 ] バスが再び動き始め、円を描くように駐車場内を動いて停車。

[ 18・34 ] 午後1時38分に、首などを切られた女性が解放され、広島市内の病院に運ばれる。

[ 19・25 ] 女性客2人が解放され、救急車で広島市の病院に運ばれたが、うち1人は塚本達子で、医師が死亡を確認。午後2時40分に、顔などを切りつけられたもう1人も重傷で、別の病院に運ばれる。

[ 19・30 ] 西鉄が2回目の会見。「怪我人がいると聞き、申し訳ない」

[ 20・40 ] 警察が車内に菓子類、ゴミ袋、ティッシュペーパーなどを差し入れる。

[ 21・37 ] バスが奥屋PAを出て、再び山陽道へ。「緊張がピークに達したので、いったん動かすことにした」と現場の警官。

[ 22・02 ] 東広島市の小谷SAに停車。約200リットル以上を給油。

[ 22・37 ] 女性客(当時72歳)が解放された。このとき、「お願いだから子ども(優香ちゃん)も出してあげて」と懇願したが、Tは「こいつは、どこまでも連れて行く」と言った。

[ 22・37 ] Tの両親が小谷SAに到着。

[ 23・00 ] 乗客の家族ら17人が佐賀市の佐賀署前をバスで出発。

[ 23・50 ] Tが家族との接触を拒み、説得に応じていないと広島県警が明らかにする。

[ 23・52 ] Tからの要求で、簡易トイレ、ウーロン茶、フライドチキン、おにぎり、毛布を差し入れ。

翌4日

[ 0・29 ] 亡くなった塚本達子の遺族が広島東署で遺体と対面。

[ 0・41 ] 女性客(当時52歳)が解放され、賀茂広域消防組合が西条中央病院に搬送。

[ 5・03 ] 運転席の横で窓越しに説得していた機動捜査隊長が、Tが優香ちゃんの脇から離れ、真後ろの席に移るのを見て合図を送る。それを受け、バスの後方から機動隊員ら約15人が近づき、左右の窓ガラスを割って、光と煙などで威嚇する新種の手投げ弾のフラッシュバンを投げ入れたあと、5、6人が車内に突入。

フラッシュバン・・・英国が開発した強烈な音と光を放つ手投げ弾。人はそれにさらされると「胎児状態(頭を抱え、腹部を守る姿勢)」になる生体反応があるため、容疑者は凶器が使えなくなり、人質は身を守る格好になる。日本において事件で使われたのは初めてだった。

[ 5・05 ] Tが銃刀法違反と人質による強要行為等の処罰に関する法律違反容疑で逮捕される。この逮捕劇で、警官1人がTに左足を切られ負傷。車内に閉じ込められていた人質の女性9人と平野運転手の計10人に怪我はなく無事だったが、救急車で病院に運ばれた。事件発生から15時間半ぶりに解決。全走行距離は270キロだった。

機動隊員らはこの突入に備え、前日の3日午後11時半ごろから、小谷SA近くで同型のバスを使って、深夜の訓練を実施していた。訓練には福岡県警や大阪府警のSAT(特殊急襲部隊)も加わり、突入をリードした。図上訓練も繰り返していたという。警察庁幹部は「いつでも射殺可能だった。SA内で人質を1人ずつ刺すようだったらたぶん射殺しただろう」と証言した。ただ、相手が少年であり、凶器が銃器ではなく刃物だったこと、命中した弾がさらに乗客にあたる可能性もあることなどの理由から実行されなかった。結局、突入したのはSATが緊急に訓練した広島県警の特殊班だった。

SAT・・・Special Assault Team の略。(Assault 襲撃、突撃、強襲) ハイジャックや銃器使用の凶悪テロなどが起きた時、人質救出や犯人制圧にあたる精鋭部隊。警視庁など7都道府県警の機動隊に計約200人が配備されている。1977年(昭和52年)9月28日〜10月1日の日本赤軍によるハイジャック事件(ダッカ事件)を契機に設けられた秘密部隊を警察庁が1996年(平成8年)に「SAT」(Special Assault Team)と命名した。1979年(昭和54年)1月26〜28日の大阪での三菱銀行猟銃強盗殺人事件や、1995年(平成7年)6月21〜22日の函館での全日空機ハイジャック事件(↓)に投入された前例がある。ダッカ事件の概要については日本赤軍と東アジア反日武装戦線のページ、参照.。

1995年(平成7年)6月21〜22日の函館での全日空機ハイジャック事件・・・休職中の銀行員(当時53歳)がオウム真理教(現・アレフ)の信者を装い、水の入ったポリ袋を使って、羽田発函館行きの全日空機(乗員・乗客365人)を乗っ取った。函館地裁では求刑15年に対して懲役8年となり、検察側が量刑が軽すぎるとして控訴、札幌高裁では懲役10年となり、確定した。

人質として最後までバス内に閉じ込められていた乗客9人のうち、女性会社員の池内明子(仮名/当時18歳)が毎日新聞の取材に応じてバス内での様子を語った。池内は3日午後1時前、福岡市に買い物に行くため、小学校時代の友人で女性の長沢峰子(仮名/当時18歳)と一緒に佐賀市の佐賀駅バスセンターからバスに乗った。池内はバスの真ん中あたりの右側に長沢と並んで座っていた。

池内によると、走行中のバスの窓が開いていたことに気づいたTは塚本がバスから脱出を図ったとものと勘違いして刺したという。このとき、外から窓を叩くような音がしたが、Tは興奮していて、「誰かが逃げる気だ。叩いたのは誰だ。連帯責任だぞ」と言って、また塚本を刺した。

Tは長沢に前に来るように呼び、「次に誰かが刺されたらあなたを刺しますよ」と言い、さらに、池内にも「あなたも前に来てください。次に殺します」と言った。

また、バスの降車ベルが何かの拍子で鳴ったとき、Tは「誰だ。馬鹿にしているのか」と叫んだ。池内と長沢が疑われたが、池内が「違います」と強く否定すると、Tは「違いますね。そうしたらいいです」と引き下がった。

奥屋PAにバスが停車したとき、Tは 池内と長沢に対し「怪我をした人を前に連れてきてください」と言った。このとき、塚本の体は冷たかった。もう1人の怪我をした女性には、Tは笑いながら、「あなた、しぶといですね」と話しかけて写真を撮ったという。

Tにはこうした恐ろしい面とは逆に、乗客に「寒くありませんか?」と気を遣った。優香ちゃんには「トイレ大丈夫?」、警察から差し入れられた缶ジュースは「開けられる?」と声をかけ、運転手にも「きついでしょう。ここで交代してもいいですよ」と話しかけるなどの優しい面もあって別人のようだったという。

また、池内によると、Tは警察の突入の気配を察知していたという。Tが「バスの上で足音が聞こえる。あなたたち裏切りましたね」と言った。その瞬間、池内は殺されると思った。その直後に突入があり、煙が上がった。何がなんだか分からないでいたら、長沢が私の手を引き、「こっちよ」と言うのについて行き、バスの非常口から脱出できたという。

【 犯行に至るまでの過程 】

中学校までのTを知る教師や友人らの印象は「まじめ」「目立たない」「ひ弱」など、今回の事件のTの姿とは結びつかないという。Tは小学校から中学1年にかけて偏差値は50前後だったが、中学1年の後半から家庭教師をつけたということもあって、2年生のとき、全学年で2番になった。しかし、3年生になると、どういうわけか急に成績が下がった。1学期の中間テストの結果に、愕然としているとき、「学校殺死の酒鬼薔薇聖斗」が登場した。1997年(平成9年)5月のことである。この事件で、6月28日に逮捕されたAは中学3年で14歳。Tも同じく中学3年で14歳だった。精神鑑定書によれば、「同世代の猟奇事件として、強い感銘を受け、事件を起こした少年を崇拝した」という。

Tは中学の卒業式を控えたある日、校舎2階の踊り場から飛び降り、腰の骨を折った。当時の学校関係者によると、同級生に筆箱を取り上げられ「返してほしかったら、ここから飛び下りろ」と迫られたという。学校関係者は「以前から我々の目の届かないところで、いじめが続いたのかも知れない。怪我をする前にいじめを見抜けなかったことが悔やまれる」と声を落とした。

近所の人がTの母親から聞いた話では「打ち所が少しずれていたら、下半身不随になるところだった」というほどの重傷だった。直後の高校入試は病室で受験し、卒業式も欠席した。県内有数の県立進学校に合格したが、Tは1ランク上の高校が志望だったという。

1998年(平成10年)4月、Tは高校へ入学したが、わずか9日間通っただけで不登校になった。クラスメイトだった女子生徒は「入学式の数日後、熊本県の阿蘇であった宿泊研修の時にいた記憶だけしかない。おとなしく色白で、何かひ弱そうな感じだった」と言う。不登校を気遣い、担任教師らが何度か家庭訪問をしたが、効果はなかった。母親から相談を受けた中学時代の教師も自宅を訪れたが、Tが寝ていて会うことは出来なかった。近所の人によると、その頃からTの生活は荒れ始めたという。

1999年(平成11年)5月、出席日数不足で進級できず、休学中のまま退学した。高校の退学届には「一身上の都合」とあり、少年は「大検を受けて大学進学を目指したい」と話していたという。その後、飼い犬や家族にも暴力をふるうようになった。家族はTを立ち直らせようと、何度もカウンセリングを受けさせた。

8月、Tはパソコンを買い与えられ、インターネットに熱中し、警察、殺人、死体、武器などのサイトを好んで見るようになり、通信販売でサバイバルナイフ、スタンガン、催涙スプレーなどを購入した。父親は建設機械の営業マン、母親は保健婦、妹は中学生だから、昼間は家にはTしかいなかった。

保健婦・・・保健婦助産婦看護婦の一部を改正する法律(改正保助看法)が2001年(平成13年)12月6日に成立、12月12日に公布、翌2002年(平成14年)3月1日に施行された。これにより、保健婦・士が「保健師」に、助産婦が「助産師」に、看護婦・士が「看護師」に、准看護婦・士が「准看護師」となり、男女で異なっていた名称が統一された。

また、Tは「遠くに行きたい」と言ってきかず、父親の運転する車で何度も広島や岡山、奈良などにドライブしていた。目的のない旅で、奈良へも日帰りだったという。

2000年(平成12年)2月ころから、Tは部屋に鍵をかけることが多くなり、インターネットにのめり込むようになっていった。Tは「キャットキラー」というハンドルネームで巨大掲示板サイトの「2ちゃんねる」にアクセスし、「ガキのころからみんなにバカにされ、さげすまれて生きてきた」「人生に夢も希望もない」「俺は一人で死なない。死ぬときはみんな一緒だ」「僕はバカではない」「自分の中の別の自分が人を殺せと言っている。助けてくれ」などと書き込みをした。

3月4日、Tは朝から2階の自室で掃除を始めた。その掃除は1日がかりで、夕方になってゴミ袋4つもって1階に降りると、父親に「会社の焼却炉へ連れて行ってくれ」と頼んだ。自宅から10キロ離れた会社に着くと、「自分で燃やす」と言って、ゴミ袋の中身を見せず、1時間ほどかけて焼却した。ゴミ袋の中身は、通知票、卒業アルバム、文集など、すべて学校に関係するものだった。その間、母親はTの部屋に入って、机の引出しから、次のような内容の紙片を発見した。

何で僕は、こんな事を書いているんだろう
さっき犯行声明文を出してきた
なんか恐ろしいことを書いた気がする
僕は昔から怒ると何をするかわからないと言われたけど
最近はもう一人の別のが出てきた
そして僕に恐ろしいことをすすめる
人を殺せ 人を殺せ
だれか僕を止めて下さい
もう止まらない、もう止まらない
父と母が少し気づいたようだ
僕が人を殺した時、自らの破壊によって
一生を終える
もう死ぬのか 人を殺すのか
今の僕は何なのだろうか
コレデオワリ コレデオワリ
モウオシマイ モウオシマイ
スベテ サヨウナラ バーイ
3/4 PM18:15

< 『17歳のこころ その闇と病理』(日本放送出版協会/片田珠美/2003) >

このメモの冒頭にある「さっき犯行声明を出してきた」というのは、3月4日付で、総理大臣、警察庁長官、文部大臣、NHK会長の4人に送った手紙のことらしい。内容は次のようなものだった。

我、革命を決行す!
貧穢なる愚者に死を!
貧穢なる愚者に死を!
我は死を恐れず!
我に栄光あれ!

< 『裁かれる家族』(東京書院/佐木隆三/2001) >

3月5日、母親は、Tが愛用する紫色のリュックサックに、大きな包丁、サバイバルナイフ、スタンガン、催涙スプレーなどが詰め込まれているのに気付いた。母親はカウンセラーや精神科医など各方面に相談した。夕方になってTは警察のワゴン車で、国立肥前(ひぜん)療養所(現・肥前精神医療センター)へ運ばれ、閉鎖病棟に収容された。

3月21日、母親はTと面会した。母親が、「刃物を集めていたのは中学校を襲撃に行くつもりだったの?」と訊くと、Tは「そうだよ」と言った。

3月27日、母親はTと2回目の面会をした。このとき、Tは機嫌が悪く、「来るな」「帰れ」などと怒鳴った。

4月26日、Tは初めて外出許可をもらい、帰宅して昼食を食べ、入浴してテレビゲームをして療養所に帰った。このとき、持ち物検査でカミソリを没収されている。

4月29日、Tに2回目の外出許可が下りた。帰宅したTは食事を済ませたあと、外出し、本屋に寄り、森林公園を散歩した。その後、親子3人で療養所へ行き、主治医と話をした。このとき、主治医は5月3日に1泊2日の外泊の許可を出した。母親はこのとき、外泊をさせるのは早すぎるのではないかと思ったという。

5月1日、愛知県豊川市で、17歳の少年による主婦殺害事件が起きた。この事件では、主婦(64歳)の首など約40ヶ所を刺して死亡させ、さらに、帰宅した夫(当時67歳)を負傷させて逃亡したが、翌2日、逮捕された。少年の口から反省の言葉は聞かれず、「人を殺す経験がしたかった」と供述して社会に衝撃を与えた。

5月3日午前9時、家族が療養所に迎えに行って帰宅した。Tは療養所で大学ノートに、7ページに渡って「犯行宣言」とも読み取れる内容を書いていたことがあとになって分かった。最初の3ページは、5月2日付で、残りの4ページには犯行当日の5月3日付になっていた。そこには、次のような主旨のことが書かれていた。

<もう誰にも僕の邪魔はさせない。僕が長い年月をかけて練った大切な計画を、貴様らは台無しにした! 決して許すことはできない。><それにしても許せない! 皆殺しにしてやる! 殺してやる! 楽に死ねるとは思わないことだ! 1人でも多くの人間を殺さねば! それこそが我が使命。><僕の肉体は滅んでも、精神は滅びない!><貴様らに楽しい連休などさせるものか! 恐怖と絶望に埋めてやる! 楽しい旅行? デート? ふざけるな! 全ての生命体が我が敵! 殺してやる! 殺してやる! 殺してやる! 殺してやる! 貴様らは僕の計画を台無しにした! 許せない!>

さらに、5月1日の愛知県豊川市での主婦殺害事件のことを次のような主旨で書いている。

<豊川で老いぼれ女が切られ殺されたとか。すばらしい! しかも僕と同じ17歳とか? よい風潮だ。40ヶ所も女を刺した時の快感はどうだった? 真面目に生きるよりはるかにいいだろう? 僕も今日実行する。これは我が計画をぶち壊した復讐だ! 65歳の女を殺してもしょうがないだろう? 20、21くらいの女を、強姦した後、首を絞めて殺す。理想的だ! 2つの快感を味わえる。できれば君に差し入れを持って行きたいな。まあ無理だろうけどね。なんか運命的なものを君とは感じるよ。年も一緒、学校では優等生・・・・・・。留置所はどう? 苦しいだろう? なんで自殺しなかった? 怖くなかったのか? 自首なんかするなよ! たかが警察ごときに! 警察なんて政府の飼い犬だろ?>

「65歳の女を殺してもしょうがないだろう?」・・・殺された主婦の年齢ははじめ「65歳」と報道されているが、後に「64歳」と訂正された。ちなみにTが殺害した塚本達子は68歳だった。

さらに、次のような主旨の文面が続く。

殺人こそが全ての正義! さあ! みんなでそろって人を殺そう! 人殺しみんなですればこわくない! 女、犯したきゃ犯せばいい! ただし必ず殺すように! 子どもは強姦殺人でも1〜3年、13以下は無罪! 13以下は児童相談所に通告されて、はい、おしまい! ほんとにそれだけなんだよ。16以上は控えめに! 起訴されちゃうからね! 18以上はもう大人! 死刑になっちゃうよ! なんで女を犯したら殺さなきゃいけないのか? 横山ノックを見ればわかるだろう。女に言いたい放題言われるからよ! 「死人に口なし」これ定説です。「未来のある若い人はやめようと思った」甘いな! 僕は無差別に老若男女皆殺しにする! それにしても僕の前日とはね・・・・・・まあいいでしょう。君は偉大な少年だ!僕は5人以上、70人未満を目指す。>

本来の計画では、母校の中学校を襲い、校舎の1階から各教室で生徒を刺し、3階の教室に立て篭もって、マスコミの注目を浴びるさなか、飛び降りて死ぬつもりだった。しかし、5月3日は学校が休みだったため、計画を変更してバスを乗っ取ったという(精神鑑定書より)。

巨大掲示板サイトの「2ちゃんねる」に、Tが犯行予告とも受け取れる書き込みをした。「3日午後0時18分」に、<佐賀県佐賀市17歳・・・。>という題名、<ネオむぎ茶>という名前で、<ヒヒヒヒヒ>とだけ書いた。

午後0時20分、Tはリュックサックを背負い、佐賀市内の自宅を自転車で出発した。その後、市内の金物店に立ち寄り、刃渡り40センチの牛刀を買い、西鉄バスの佐賀営業所へ向かった。そして、午後0時56分発の高速バス「わかくす号」に乗り込んだ・・・。

【 その後 】

事件があった5月から6月にかけて、事件の関連記事が連日のように新聞に載った。Tの供述に次のようなものがある。

<あのバスでなくてもよかった><自分は頭がよいのに塾へいかされ、自尊心を傷つけられた><自分は正常なのに病院に入れられた><事件を起こして親を苦しめたかった><バスを乗っ取ったときは三国志に登場する英雄で、憧れの劉備になったような気分だった。彼のように生きたかった><僕の事件は新聞の一面で報じられているか>

5月24日、広島地検が、Tを簡易精神鑑定にかけることを決定した。

5月31日、簡易精神鑑定を担当した精神科医は、「少年が真実を語っているとすれば、精神分裂病以外にはありえないが、数日の面接では断言できない」とした。

「精神分裂病」という名称は “schizophrenia”(シゾフレニア)を訳したものですが、2002年(平成14年)の夏から「統合失調症」という名称に変更されています。

6月5日、広島地検は、Tを強盗殺人、強盗殺人未遂、強盗致傷、人質強要処罰法違反、銃刀法違反の5つの罪名で、「刑事処分相当」の意見をつけて広島家裁へ送致した。広島家裁の裁判官は、「審判をするために必要がある」と、観護処置を決め、Tは広島鑑別所に収容された。

バスを乗っ取ったことで、定期路線のコースを運航させずに、不法に利益を得たことからバスに対する強盗罪が適用される。

6月6日、だが、刑事責任能力を判断し適切な処分を行なうには、家庭や学校などの生活環境を調査し、担当医や事件の被害者からも事情を聞く必要があり、関係者は佐賀付近に住んでいるため、Tを佐賀家裁に移送し、Tは佐賀少年鑑別所に収容された。

6月7日、国立肥前療養所は、Tは狭義の精神病ではなく、一時帰宅の点は危険の予測はできず妥当だったと公表した。

記者会見の主なやり取りは次の通り。

―― 外泊の判断は適切だったのか。

平野誠副所長 「妥当だったと判断する」

―― 外泊は両親が納得していたのか。

吉住昭精神科医長 「十分に話し合った結果。無理やりではない」

―― 事件を予測出来なかったか。

内村英幸所長 「出来なかった」

―― 少年にだまされたのではないか。

吉住医長 「少年と主治医の間には信頼関係があった」

―― なぜ主治医はパーキングエリアで少年を説得できなかったのか。

平野副所長 「個人的なことは、この場では言えない」

―― 入院の経緯は。

村上優精神科医長 「少年が自宅の部屋にナイフやメモを持っていたのは(家族から聞いて)承知していた。精神障害を前提に判断し、家族の同意で入院させた。本人は同意しなかった」

―― 入院中の少年の様子は。

平野副所長 「3月に入院した時は家族への暴言があり、家族が心配していた。4月になって面接を繰り返すうちに主治医と信頼関係ができ、落ち着きが見られた。社会復帰に向け2回の外出を経て、外泊出来る状態になった」

―― 病名は。

内村所長 「狭義の精神病ではない、というのが医師として出来るぎりぎりの説明。広い意味での精神障害ではあり、みなさんが勉強すれば(病名は)分かることだ」

―― 立教大の町沢(静夫)教授は「母親が病院は十分な治療をしていないと訴えていた」と言っているが。

吉住医長 「町沢教授には怒り心頭だ。私たち臨床医は実際に患者を診ずにコメントはしない。教授の態度は臨床医の態度だろうか」

―― 事件をどう受けとめたか。

内村所長 「被害者の深い痛みには言葉がない。病院の責任については第三者機関による調査をしてもらい、その結果を待ちたい」

吉住医長 「病院としては最善を尽くした」

町沢静夫・・・1945年(昭和20年)、新潟県生まれ。東京大学文学部心理学科、横浜市立大学医学部卒業。東京大学付属病院分院神経科を経て、国立精神・神経センター精神保健研究所室長、米国UCLA大学客員研究員、立教大学教授などを歴任。2004年(平成16年)より町沢メンタルクリニック院長。専攻は思春期・青年期精神医学、社会病理学異常心理学、心理療法、犯罪学など多岐に渡る。主な著書に、『ボーダーライン 自己を見失う日本の青年たち』/ 『なぜ「いい人」は心を病むのか』 / 『醜形恐怖』 / 『人格障害とその治療』 / 『「本当は関わりたくない人」とのつき合い方 人間関係が良くなる心理学』 / 『自己愛性人格障害 』 / 『わが息子の心の闇 バスジャック少年両親の“叫び”&子どもを幸せにするアドバイス』 などがある。

6月17日、佐賀家裁で、第1回審判が開かれ、Tを9月15日まで、佐賀少年鑑別所に鑑定留置することが決定した。この留置は精神鑑定のためであり、3ヶ月かけて精神科医が少年に問診を行なうなどして、刑事責任能力の有無を確かめることになる。

7月17日、社団法人日本バス協会(桜井勇理事長)は「バスジャック対策検討会議」を設置したが、バスジャックの統一対応マニュアルを策定し、緊急時に車内から車外に連絡する3種類の装置を公開した。

社団法人 日本バス協会

マニュアルには「バスジャック発生後すぐに、犯人に見つからないようにハザードランプを点灯させ続け、パッシングを繰り返す」などが盛り込まれた。また、緊急時の連絡手段として、同協会は高速バスを中心に(1)車両後部に装備する防犯灯(2)ハザードランプの点滅スピードを倍に速める装置(3)「SOS」などの表示板のどれか一つを必ず装備することを決めた。

9月21日、佐賀家裁で、第2回審判が開かれ、精神鑑定を行なった鑑定人の福島章上智大学教授が、3時間に渡って証言した。精神鑑定の「主文」には、「精神病的な心理状態にはなかったが、解離性障害のため、自我の統合能力が低下していた」とあり、さらに、「精神分裂病の前駆期の疑いがあるので、医療少年院への送致が望ましい」としている。

9月26日、佐賀家裁で、第3回審判が開かれ、Tへの尋問が行なわれた。このときTは「被害者のことをどう思っているか」と問われ、「謝りたいけど、声に出して言えない」とかぼそい声で答えた。

9月29日、佐賀家裁で、第4回審判を開かれ、Tに対し5年以上の医療少年院送致とする保護処分を言い渡した。

10月2日、Tは京都医療少年院に移送された。5月1日に起きた愛知県豊川市での主婦殺害事件の少年には、名古屋家裁が発達障害のひとつ「アスペルガー症候群」で心神耗弱だったとして同じく医療少年院送致の処分が言い渡されている。

アスペルガー症候群・・・自閉症は周囲に無関心、他人とのコミュニケーションが困難で言葉の遅れ、興味をもつことへの並外れた固執などを見せる先天性の発達障害とされる。アスペルガー症候群はこの中で知能や言語能力に遅れがない高機能の一群で、幼児期に気付かれないことが多い。自閉症は療育、教育で症状をかなり改善できるとされている。アスペルガー症候群を含む「高機能広汎性発達障害」の子どもは出生児250人に1人の割合と言われている。

佐賀家裁は、事件当時のTの責任能力は認めたものの、精神鑑定結果が、「解離性障害や行為障害の症状」を指摘したのを受け、解離した施設で日常的に精神科医の観察が必要と判断したのである。

10月31日、関西写真記者協会(新聞、通信、放送など加盟78社、会員993人)は、2000年度の協会賞と各部門賞を発表した。これは1999年(平成11年)10月から1年間に新聞やテレビで報道された写真や映像を対象に選考されるものだが、毎日新聞が「バスジャック 包丁を手にろう城を続ける犯人の少年」(中村真一郎記者撮影)で、新聞・通信部門の最優秀作品に贈られる協会賞を受賞した。

『文藝春秋』(2000年12月号)に、「衝撃の事件から六カ月『バスジャック少年』両親の手記」が28ページに渡って掲載された。

2001年(平成13年)4月27日、Tの両親の弁護士は被害者21人へ暫定的な示談金として、死亡者に550万円、重傷者2人に計350万円、軽傷者を含む乗客に20万〜40万円で、総額1380万円を支払った。バス運転手への示談金は西鉄側が受け取りを留保した。この示談金には父親の退職金と両親の手記の原稿料が充てられた。

また、死亡した塚本達子の夫の平(当時71歳)には、国から犯罪被害者給付金として、約300万円が支給された。

5月29日、塚本達子の遺族らがTの審判記録の閲覧とコピーを佐賀地裁に郵便で申請し、家裁はこれを受理した。申請書は塚本の夫の平と弁護士の連名。平は「記録を見たい気持ちはあるが、事件を忘れたい気持ちもある。生々しい記録であれば弁護士から伝え聞く程度でいい」と話した。

2001年(平成13年)4月1日施行の改正少年法は損害賠償請求など正当な目的がある場合、非行事実に関する記録に限っての閲覧やコピーを被害者や遺族に認めた。改正前の事件についても事件の終局決定後3年間は可能である。

9月、事件当時、バスを運転していた平野忠運転手は事件後、体調を崩し、1年4ヶ月の間、仕事を休んでいたが、グループ会社で窓口業務を担当する仕事に復帰した。

2002年(平成14年)3月16日、日本精神神経学会の(バスジャック事件)調査特別委員会第一小委員会(中島豊爾委員長)は「攻撃行動を取る少年に対して安易に精神科への入院という社会的隔離を取るのではなく、司法的・福祉的処遇も検討されるべきだ」などとの提言を盛り込んだ報告書をまとめ理事会に報告した。

日本精神神経学会

外泊許可については、「当時は、犯行を計画していたことに気づかなくてもやむを得なかった」としながらも、「凶器などを準備していた少年がおとなしく入院し、院内でも問題行動をしなかった態度の変化を考えれば、批判はあり得る」などと指摘。強制入院の一種である医療保護入院としたことは「その時点ではやむを得なかったが、狭義の精神病ではないと診断した後も入院を継続させたことは問題が残る」とした。

4月4日、平野忠運転手が心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しんでいるとして、雇用主の西日本鉄道が佐賀労働基準監督署に後遺症被害を労災認定するよう申請していたことが分かった。

4月27日午前、福岡市の交差点付近で、西鉄高速バスが後部の行き先表示板に<SOS 110番へ>との表示を出して走行しているのを通行人が見つけ110番。パトカーがバスを停車させ、酒に酔って車内で大声を出していた男性(53歳)を保護した。緊急連絡表示装置は西鉄高速バス乗っ取り事件後に導入されたが、使用されたのは初めてだった。

12月末、佐賀労働基準監督署が、平野忠運転手の心的外傷後ストレス障害(PTSD)を後遺症補償の対象として労災認定した。「バスの運転はできず、後遺症の治療で現在も通院している状態」だという。

2004年(平成16年)4月21日、Tの両親と牛刀を突きつけられた優香ちゃん、重傷を負った山田由美との間で、3月ころに示談が成立していたことが分かった。バスに同乗していた乗客乗員22人(うち1人死亡)のうち、18人に対しては、これまでにTの両親が謝罪するとともに既に20万〜40万円を支払い、示談が成立した。

2006年(平成18年)2月1日、Tが1月に医療少年院を仮退院していたことが関係者の話で分かった。22歳になったTは社会復帰に向け保護観察中だという。

西鉄バスジャック事件や豊川での主婦殺害事件があった2000年(平成12年)は、これらの事件以外にも次のような少年による特異な事件が目立ったが、特に「17歳のよる犯行」が世間を騒がせた。

[ 5000万円恐喝事件 ] 1999年(平成11年)6月から2000年(平成12年)2月にかけて、名古屋市緑区の中学3年生(当時15歳)が同級生ら12人から暴行を受け、11人から計130回に渡って総額約5000万円を脅し取られた事件。被害者の母親は息子が暴行を受けないために、亡き夫の生命保険金3000万円や実家からの借金1700万円などを取り崩していた。加害少年はそのお金を遊行費に使っていたが、他に分け前をもらっていた下級生の女性徒1人、加害少年から恐喝した上級生4人が摘発され、11月中旬まで逮捕・書類送検されたのは17人にのぼった。名古屋家裁は主犯格の少年2について「立ち直りが可能」として中等少年院送致の保護処分を決定した。事件発覚までに被害者・加害者双方の保護者から相談を受けながら適切な対応をしなかったとして、愛知県警は管轄の警察署長らを処分した。

関連書籍・・・『ぼくは「奴隷」じゃない 中学生「5000万円恐喝事件」の闇』 / 『少年「5000万円」恐喝事件を読みひらく 空白の10年・バブル崩壊は子どもたちに何をもたらしているのか』

[ JRハンマー殴打事件 ] 2000年(平成12年)5月12日、JR根岸線の電車内で横浜市の私立高3年の少年(当時17歳)が寝ていた男性(当時48歳)をハンマーで2回殴打し、頭に重傷を負わせた。事件前、少年は警視庁とTBSに「くいずです はんにんはどーこだ?」「またもや17歳の凶行!?」「次は、刃渡り五十の包丁で挑戦しましょうか?」などとする犯行予告3通を郵送した。犯行について「夢の中に子どもが出てきて『殺せ、殺せ』と言われた」と供述した。横浜家裁は医療少年院送致とする保護処分を決定した。

[ 女性の耳たぶをハサミで切った事件 ] 2000年(平成12年)5月15日、茨城県水戸市の無職少女(当時17歳)と北茨城市のアルバイトの少女(当時17歳)が、悪口を言われた腹いせに、4月4日〜9日までの6日間に渡って無職少女の知人で水戸市内の無職の女性(当時26歳)に殴る蹴るの暴行を加えたほか、耳たぶを切り取ったり、整髪用コテを身体に押し付けてヤケドさせたりした傷害の疑いで逮捕された。水戸家裁は2人を中等少年院送致とする保護処分を決定した。

[ 岡山金属バット殴打事件 ] 2000年(平成12年)6月21日、岡山県の県立高校3年生の男子生徒(当時17歳)が金属バットで野球部の後輩部員4人を殴って重軽傷を負わせ、自宅で母親(42歳)を殺害したあと逃亡したが、16日後に秋田県内で逮捕された。犯人の少年は事件前年の夏頃から1年にわたって野球部の後輩たちの集団によるいじめを受けていた。母親殺害については「母親に心配をかけたくなかったから」と動機を供述した。岡山家裁は「人格に問題性がある」として特別少年院送致とする保護処分を決定した。

[ 山口金属バット殴打事件 ] 2000年(平成12年)7月29日、山口市で新聞販売店従業員の少年(山地悠紀夫/当時16歳)が自宅でスーパー店員の母親(50歳)の頭を金属バットで殴って殺害した。少年は「母親が借金をしていて、使い道を聞いてもはっきり答えてくれなかったから」と動機を供述した。山口家裁は少年を中等少年院送致とする保護処分を決定した。2003年(平成15年)10月、山地が岡山少年院を仮退院した。

その後、山地はパチンコ店店員として働いたが、上司との折り合いが悪く退職した後、機械を用いてパチスロのメダルを不正に取得するゴト師集団に加わった。しかし、大阪で思うように稼ぐことができず、仲間から離れて自暴自棄になった。そんなときに母親を殺害したときに得た快感を思い浮かべるようになった。そこで、パチスロのゴト師仲間が拠点を置いていた浪速区のマンションの住民を無差別に狙う計画を立てた。2005年(平成17年)11月17日未明、マンションの一室で上原明日香(27歳)とその妹の千妃路(ちひろ/19歳)を相次いで殺害し、現金5000円などを奪うとともに室内に放火するなどした。2006年(平成18年)12月13日、大阪地裁は山地に対し死刑を言い渡した。12月26日、山地が大阪地裁での死刑判決を不服として控訴。2007年(平成19年)5月31日、山地が控訴を取り下げ、死刑が確定。2009年(平成21年)7月28日、大阪拘置所で死刑執行。25歳だった。(大阪姉妹殺人事件)

関連書籍・・・『大阪美人姉妹殺害事件神さんに嫁入りした娘たち』(扶桑社/粟津仁雄/2007) / 『死刑でいいです 孤立が生んだ二つの殺人』(共同通信社/池谷孝司[編著]&真下周[著]&佐藤秀峰[イラスト]/2009) / 『我思うゆえに我あり 死刑囚・山地悠紀夫の2度の殺人』(小学館/小川善照/2009.10)

[ 大分県の一家6人殺傷事件 ] 2000年(平成12年)8月14日未明、大分県野津町(現:大分県臼杵市)で、高校1年生の男子生徒(当時15歳)が近所の農業を営む岩崎萬正(当時65歳)宅に侵入し、寝ていた家族6人をサバイバルナイフで刺し、妻の澄子(66歳)、その娘の智子(41歳)、智子の子どもの潤也(13歳)の3人を殺害し、主人の萬正と智子の子どもの長女(当時16歳)と次男(当時11歳)の3人に重傷を負わせた事件。智子は離婚後、1993年(平成5年)から自分の子供3人とともに両親と同居していた。犯人の少年は「下着を盗んだことがバレればここには住めなくなるから」と動機を供述した。大分家裁は少年を「重症の行為障害」として医療少年院送致とする保護処分を決定した。

関連書籍・・・『その時、殺しの手が動く 引き寄せた炎、必然の9事件』(新潮文庫/「新潮45」編集部/2003)

[ 歌舞伎町ビデオ店爆破事件 ] 2000年(平成12年)12月4日午後8時20分ごろ、栃木県岩舟町の県立の農業高校2年の男子生徒(当時17歳)が新宿区歌舞伎町1のビデオ店「マック」に火をつけた手製爆弾を投げ込んだ。店内には従業員の男1人と客1人いたが、店内に転がり込んできた黒い物体が「シュー」と音をたてているのに気付き反射的に外に飛び出したため、幸いケガはなかったが、店の壁や天井が崩れていた。その後、少年は自首した際、猟銃などを持っていたため銃刀法違反容疑などで逮捕された。犯行動機について「毒物劇物の試験に失敗し、むしゃくしゃして人をやっつけてやろうと思った」「人間は裏でとんでもないことを考えている。だからバラバラに壊したかった」などと供述した。宇都宮家裁栃木支部は「少年に責任能力があるのは明らか」としながらも、「比較的長期間の矯正教育が必要」として中等少年院送致の保護処分を決定した。

[ 渋谷金属バット殴打事件 ] 2000年(平成12年)12月13日午後9時過ぎ、JR渋谷駅東口の東急文化会館前の歩道で、渋谷区内の通信制高校に通う横浜市内の高校生(当時17歳)が、通行人の女性の頭めがけて持っていた金属バットをいきなり振り下ろした。通行人が一斉に振り向き、少年は逃げ惑う通行人を無差別に殴りつけ十数メートル渋谷駅寄りの高架下の公衆トイレに潜り込んだ。そこで小用を足していた男性の後頭部を殴りつけ、トイレを出るとさらに、周辺にいた女性6人を次々と襲った。あちこちに血だまりができた。数分後、少年は通行人の男性と偶然に通りかかった渋谷署員に取り押えられた。これで女性(当時68歳)が頭に大ケガを負って重傷、7人が頭や腕にケガを負った。横浜家裁は「責任能力に欠けるところはない」としながら、「資質、家庭環境などを総合考慮すると刑事責任を問うのは相当ではない。当面は向精神薬投与などの治療を受ける必要がある」と医療少年院送致の保護処分を決定した。

[ タクシー運転手強盗殺人事件 ] 2000年(平成12年)12月27日、兵庫県御津町(現:兵庫県たつの市)で家出中で宿泊費などに困っていた無職の少年(当時16歳)が乗車中のタクシーを停車させ、男性運転手(49歳)の首をカッターナイフで切りつけて殺害し、現金約1万8500円を強奪した。少年と一緒にいた交際相手の県立高1年の少女(当時16歳)も強盗殺人容疑の共犯で逮捕された。神戸家裁姫路支部は「極めて悪質」と少年を神戸地検姫路支部に逆送致。その後、起訴された少年は初公判で起訴事実を認めた(その後の裁判については不明。分かり次第、書き加える予定)。少女については「長期間の矯正教育が必要」として中等少年院送致の保護処分を決定。少女は共謀を認定された決定を不服として抗告したが、大阪高裁が棄却、再抗告を受けた最高裁も棄却したため保護処分が決定した。

参考文献・・・
『17歳のこころ その闇と病理』(日本放送出版会/片田珠美/2003)
『事件 1999−2000』(葦書房/佐木隆三+永守良孝/2000)

『裁かれる家族』(東京書院/佐木隆三/2001)
『誰か僕を止めてください 〜少年犯罪の病理〜』(角川書店/産経新聞大阪社会部/2002)
『20世紀にっぽん殺人事典』(社会思想社/福田洋/2001)

『毎日新聞』(2000年5月4日付/2000年5月5日付/2000年5月6日付/2000年5月7日付/2000年5月8日付/2000年5月9日付/2000年5月10日付/2000年5月12日付/2000年5月15日付/2000年5月16日付/2000年6月4日付/2000年6月7日付/2000年6月12日付/2000年6月21日付/2000年7月17日付/2000年8月14日付/2000年11月1日付/2000年12月4日付/2000年12月13日付/2001年4月28日付/2001年5月29日付/2002年3月16日付/2002年4月4日付/2002年4月27日付/2003年1月9日付/2004年4月21日付/2006年2月2日付/2006年5月1日付/2006年12月13日付/2006年12月26日付/2007年6月1日付/2007年7月28日付)

参考にしなかったその他の関連書籍・・・
『佐賀バスジャック事件の警告 孤立する家族、壊れた17歳』(マガジンハウス/町沢静夫/2000)
『佐賀バスジャック事件 悪魔の晩餐 十七歳の凶行 生贄の十五時間半!!』(ブイツーソリューション/登道烈山/2006)

『人を殺してみたかった 愛知県豊川市主婦殺人事件』(双葉社/藤井誠二/2001)

『ある日、わが子がモンスターになっていた 西鉄バスジャック犯の深層』(ベストブック/入江吉正/2014)

「西鉄バスジャック事件」の画像

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