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福岡美容師バラバラ殺人事件

【 遺体発見 】

1994年(平成6年)3月3日、熊本県玉名(たまな)郡の九州自動車道上り線の玉名パーキングエリアにあるゴミ集積場で、黒いビニール袋にくるまれた左腕を清掃作業員が発見。1時間後、福岡県山門郡の山川パーキングエリアのゴミ集積場からも右腕が発見された。

3月4日、JR熊本駅のコインロッカーからは胸部と腰部、さらに山川パーキングエリアから左手首が発見された。

これらのバラバラ死体は同一女性のものと断定され、熊本・福岡両県警が身元確認を行った。

3月7日、被害者は福岡市中央区天神町の美容室「びびっと」に勤めていた美容師の岩崎真由美(30歳)と判明した。

被害者が女だったこともあり、犯人は男で愛情関係のもつれによる犯行と思われていた。しかも、発見された胸部は乳房をえぐり取られていることから、性的異常者による犯行との見方もあった。マスコミは、センセーショナルなネタに飛びついた。新聞、週刊誌には、<性的殺人に劇場型要素><屈折心理? 増す異常性>といった派手な見出しが並んだ。

捜査本部は、真由美の足取りを追うと同時に、身辺調査を始めた。真由美は売れっ子美容師だったが、「びびっと」を辞め、近く新しい店に移る予定であったことが分かった。さらに、真由美の自宅マンション、「びびっと」、博多区にある同店を経営している有限会社「オフィス髪銘家」の事務所などを家宅捜査した。その結果、事務所内から真由美と同じB型の血痕がルミノール反応で検出された。事務所が犯行現場であることから、仕事関係者が犯人である可能性があり、その方向で捜査を進めた捜査本部は、真由美の同僚の同店経理担当の江田文子(当時38歳)をマークした。

2ヶ所のパーキングエリアで発見された両腕、左手首と熊本駅のコインロッカーから発見された胴体は、いずれも3月2日〜3日午後までの間に棄てられたものと見られた。

江田文子が3月2日から2日間、福岡市内のレンタカー会社から車を借りていたことや九州自動車道植木ー大宰府間の通行券4万枚の中から江田文子の指紋が検出されたこと、さらに、左手首を包んであった企業広告紙が江田文子の知人宅にも配布されていたことが判明した。Nシステム(自動車ナンバー自動読み取り装置)と撮影の仕組みが同じカメラとして「旅行時間提供装置」があり、これは車を撮影して移動にかかった時間をはじき出し、混雑状況を運転者に知らせるシステムだが、これによってレンタカーのナンバーを読み取ったとも言われている。

【 逮捕 】

3月15日、捜査本部は江田文子を死体遺棄容疑で逮捕した。江田文子は事件との関わりを否認し、自分も犯人から脅迫されていると訴え、その証拠として、脅迫状と真由美の腕時計、システム手帳を提出した。脅迫状には<次はお前の番だ。バラバラにされるぞ>などと書かれていて、これらは事務所のポストにあったと説明した。だが、捜査陣は簡単には信用しなかった。21日ごろから江田文子は逮捕容疑の核心に触れる供述を始め、24日に死体遺棄容疑について全面自供した。殺害についてはその後も否認を続けた。

加害者、被害者ともに女であるという特異なケースが世間の注目を集め、マスコミにも大きく報道された。当初、犯行の動機については、一部の新聞では、<被害者が美容室を辞めるときに自分が担当していた約200人の顧客名簿を持ち出したため、江田文子との間にトラブルが起きていた>などと報道された。だが、そんなことぐらいで人を殺害し、バラバラにするのか誰もが不思議に思った。報道陣の多くは、当初から複数犯説を主張し、逮捕後も<事件の翌未明、現場の部屋に男性?><交際中の男性から聴取><男性宅から血痕反応>といった記事が続いた。

4月4日ころからそれまで殺害を否認していた江田文子だったが、ようやく自供を始め、単独犯行という見方が強まった。

4月5日、江田文子は殺人容疑で再逮捕された。

4月26日、殺人と死体遺棄・損壊の罪で起訴された。

だが、その後も共犯者の噂は消えなかった。共犯者は大病院の息子で自殺。その醜聞を隠すために、医師会、地元紙、弁護士会が手を組んで、単独犯に仕立て、報道もやめさせた、というものであった。新聞の憶測記事が発端となってこうした噂が流れたようである。

【 犯行に至るまでの過程 】

1955年(昭和30年)5月5日、江田文子は福岡市内で貸家経営を行なう地方公務員の亡父と元教師の母の間に長女として生まれた。江田文子の結婚前の旧姓は「城戸」といった。市内の筑紫女学園中学、同高校へと進んだ。

1976年(昭和51年)3月、筑紫女学園短期大学を卒業したあと、市内の高級インテリア雑貨販売会社の販売員として勤務したが、学生時代からのバセドー氏病が悪化した。

1977年(昭和52年)、同社を退社し、入院。

1978年(昭和53年)、タンクローリー運転手と結婚し、専業主婦となった。

1986年(昭和61年)ころ、太宰府市青山に2階建の家屋を新築し、夫の両親と同居するようになった。

1989年(平成元年)1月ころから新築家屋のローンの支払いに充てるため、福岡市内のブティックの販売員として勤務していた。だが、友人から美容室「びびっと」を経営している「オフィス髪銘家」の経理事務員の仕事を紹介され、勤務するようになった。

仕事は順調でマネージャーとしても手腕を発揮した。近所では派手好きな人という評判で、あまり生活の匂いがしないと言われていた。そのためなのか夫との夫婦仲はあまり良くなかったらしい。

「オフィス髪銘家」の経営者の知人で、秋山浩司(仮名)いう男がいた。秋山は自分の父親が経営する税理士事務所の事務員として働いており、「びびっと」の税務も担当していた。江田文子はこの2歳下の男に好意以上のものを感じていた。秋山も江田文子を気軽にドライブに誘ったりした。

1993年(平成5年)9月、「びびっと」の従業員たちが、ハワイへ慰安旅行に出かけた。秋山もこの旅行に参加した。このとき、2人は初めて関係した。秋山にも家庭はあったが、これをきっかけに2人はホテルで密会するようになった。「びびっと」では2人の関係に気づいており、公然の秘密になっていた。どちらかと言うと、江田文子の方が積極的で、ホテルで会うのは人目につくからと、マンションを借りようと持ちかけた。敷金72万円、家賃は管理費別で月12万円のマンションが愛の棲家となった。

被害者となった岩崎真由美が「びびっと」で働き始めたのは、江田文子よりも1年ほど後だった。近所でも評判の美人でキャリア10年以上のベテランだった。美容師の全国コンクールでも優秀な成績を残している。仕事をすることが最高の楽しみで男に誘われても断るという性格だった。

秋山はこの真由美のことを話題にするようになった。江田文子としては面白くなく、真由美を憎いと思うようになり、機会あるごとに、他の美容師に真由美の悪口を言いふらし、極端に真由美を避けるようになった。

もしかしたら、秋山と真由美は密かに会っている?!

江田文子は2人の関係を邪推した。そして、興信所に真由美の素行調査を依頼した。だが、調査の結果はシロだった。江田文子は納得がいかず、変装して真由美を尾行したり、秋山や真由美の自宅に無言電話をかけたりした。やはり、交際している様子はなかった。秋山にそれとなく真由美との関係を訊いてみたが、何をバカなことを言っているんだ、と笑われてしまった。だが、江田文子はそれでも納得がいかなかった。秋山が本当のことを言うはずがない。そう思うと、今度は周囲の人たちから情報を集めるのに必死になった。

一方、秋山は江田文子の言動が気になり、これ以上、江田文子と関わっていたら家族に知れ渡ってしまうと思うようになり、清算しようと考えていた。そのため、秋山は江田文子の気持ちを知りながら、真由美と仲が良く、関係があるような素振りを見せたりした。江田文子の疑念は晴れるどころかますます募っていった。

1994年(平成6年)1月、江田文子は秋山と市内のレストランで食事をしながら、真由美との関係をそれとなく訊いてみた。だが、秋山はそのことには触れず、マンションを解約してきっぱり別れようと切り出した。

江田文子は秋山の気持ちが離れていった原因は真由美の存在にあると思い込んでしまった。江田文子は怒りの矛先を真由美に向けた。

2月25日、真由美は前年の11月に店を移りたいということを経営者に申し出ていたが、その手続きのために、江田文子が待つ「オフィス髪銘家」の事務所を訪れた。ここで2人は口論となった。真由美は「びびっと」の待遇についての不満や2人の美容師見習いが退職したことを自分のせいにされたことへの不満を訴えた。口論は4時間にも及んだが、この夜は2人とも言い合うだけで終わった。

2月26日、江田文子は秋山からマンションを解約したことを知らされた。それは決定的な別れを意味していた。

【 殺害 】

2月27日午前10時15分ころ、江田文子は真由美に電話をかけて「オフィス髪銘家」の事務所に呼び出した。午前11時半ごろ、真由美はやってきたが、2日前と同じように口論となった。江田文子の怒りは頂点に達し、2週間前にスーパーで買った出刃包丁を台所から持ち出して真由美に切りかかった。押し倒して馬乗りになり何度も首を刺して殺した。

事務所は経営者の自宅と兼用であったため、経営者が帰宅する夜までに死体を隠す必要があった。1人では運ぶことができないのでバラバラにすることにした。江田文子は工具箱にあったのこぎりと出刃包丁で被害者の首、両足、両腕を胴体部から切断。さらに腰部分の肉を削り取り、指紋が分かる手首部分を切り離した。それからバラバラにした遺体をスーツケースや黒いビニール袋に入れた。かかった時間は3時間20分であった。

午後3時ころ、事務所を出て、スーツケースを太宰府市の自宅へ運んだ。午後5時ごろ、再び事務所に戻って、殺害現場を雑巾で拭き、内臓や肉片の入った黒いビニール袋をマンション付近のゴミ集積場に棄て、午後7時、江田文子は美容室に行き、研修に出席した。

3月2日、学生時代に何度か行ったことのある阿蘇山付近の雑木林を死体の棄て場所にしようと思い、レンタカーを借りて行ってみたが、そこはすでに開発が進み、別荘が立ち並んでいた。江田文子はとりあえず、両足をその周辺に棄て、他の棄て場所を求めて熊本市内を走った。迷いながら車を走らせていると、熊本駅前にでた。胴体部分だけなら身元が分からないだろうと思い、駅のコインロッカーに入れた。その後、他の部分を棄てる場所を見つけることがなかなかできずにいたが、結局、玉名パーキングエリアのゴミ集積場に右手首と左腕を棄てたあと、次の山川パーキングエリアのゴミ集積場に左手首と右腕を棄て、出刃包丁は走行中に窓から棄てた。残ったのは頭部だけだった。しかし、迷ったあげく、結局、棄て場所が見つからず自宅付近まで来てしまった。江田文子は丁度、その日がゴミ収集日だったことに気づき、仕方なく自宅近くのゴミ集積場に棄てた。全走行距離は400キロだった。

死体遺棄後、江田文子は真由美の自宅に、<新しいお店での活躍を祈っています>などと書いた手紙を送った。

3月3・4日、遺体の一部が発見され、7日、バラバラ死体が真由美であることが判明し、そのことが一斉に報じられると、Eは<ニュース見たか。次はお前の番だ>などと書いた虚偽の脅迫状を作り、秋山にわざわざ見せて、「こんなものが送られて来たんだけど、一体どこの誰なのかしら」などと言って、自分も狙われていると装ったりした。

【 その後 】

5月10日、江田文子は夫と離婚し、婚姻前の旧姓の「城戸」に戻った。

7月1日、福岡地裁で初公判が開かれた。城戸文子はここで「殺人については無罪を主張し、死体損壊については有罪を認めます」と述べ、殺害は過失とし、正当防衛を主張した。

殺害現場となった事務所には加害者と被害者の2人しかおらず、加害者としては、殺害状況はいくらでも捏造できる。城戸文子の逮捕後の自供により、首を何度か刺していることは分かっている。殺意がないのにそこまでするかどうか疑わしい。また、正当防衛であるなら、虚偽の脅迫状が送られて来たなどという偽装工作をする必要もないはずである。

公判は1年以上に渡って続いた。その間、城戸文子は正当防衛を主張してきた。

1995年(平成7年)8月25日、福岡地裁(仲家暢彦裁判長)は「確定的殺意があったのは明らか」と述べ、犯行の計画性も認定した上で「残忍極まる手口で、被害者に対する冒とくの程度は極めて悪質。虚偽の供述を繰り返すなど反省もみられない」と検察側主張をほぼ全面的に認め、懲役17年の求刑に対し、懲役16年の判決を下した。被告側が控訴した。

判決理由で仲家裁判長は、犯行の動機について「被告は、交際中の男性と被害者とが親密な関係にあるとの疑いを強めて憎悪を抱いていた」と判断。さらに遺体には首や左手などに生前できた傷があった、との鑑定結果を採用し「凶器の性状や、傷の部位や程度などを考えると、殺意は明らか」と認定した。また、殺人罪について「被害者ともみあった際に包丁が被害者の首に刺さった偶発的事故。被害者から包丁を向けられたためで、正当防衛に当たる」とする弁護側の無罪主張に対し、判決は「被害者が包丁を向けたとの事実はなかったと認められ、正当防衛を論ずる余地はない」と退けた。さらに、判決は「被告が遺体解体を決意したのは死亡を確認してわずか5〜10分後で、解体は約3時間で済ませるなど極めて巧妙。当初から遺体を解体し、スーツケースなどに入れて搬出することを計画していたと認められる」と犯行の計画性を指摘した。次いで判決は、死体損壊・遺棄に触れ「遺体を11個に切断、まれにみる凄惨な方法で損壊し、各地のごみ箱に捨てるなど極めて悪質」と厳しく批判した。

1997年(平成9年)2月3日、福岡高裁(神作良二裁判長)は「被告の自供で被害者の遺体の一部が発見されたという秘密の暴露があったことや他の客観的証拠を総合すると、1審判決に事実誤認はない」と述べて、控訴を棄却した。被告側が上告した。

1999年(平成11年)9月3日、最高裁(亀山継夫裁判長)は「被告側の主張は法令違反や事実誤認をいうもので、上告理由となる憲法違反や判例違反に当たらない」として、懲役16年とした1、2審判決を支持し、上告を棄却する判決を言い渡した。これで、城戸文子の懲役16年が確定した。

1994年(平成6年)は、3月3日に発覚したこの事件を始めとして、バラバラ殺人が多発し、年間を通して10件に及んだ。

城戸文子の著書に『告白 美容師バラバラ殺人事件』(リヨン社/1996)がある。

この事件からヒントを得て製作された映画作品に『汚れた女(マリア)』(VHS/監督・瀬々敬久/出演・吉野晶ほか/1998)がある。

参考文献・・・
『バラバラ殺人の系譜』(青弓社/龍田恵子/1995)
『隣りの殺人者たち』(宝島社/1997)

『<物語>日本近代殺人史』(春秋社/山崎哲/2000)
『産経新聞』(1995年8月26日付/1997年2月3日付/1999年9月4日付)

関連サイト・・・
ホットラインひたち
Nシステムをご存知ですか? / → Nシステムの効力を検証する

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