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4)多賀城市・東北歴史博物館の遊歩道から 椿

不幸なことは、保子やすこの子どもたちが次々と死んでしまったことでした。
保子の悲しみはとっても深くて、子どもたちの冥福を祈るために瑞巌寺にお参りに行きたくなりました。
1857年9月15日から2泊3日で瑞巌寺にお参りに行くことになりました。

解説・椿の花は日本語でも英語でも死をイメージする物語の花。