16 近江八幡 内保町~今荘 長浜 五個荘(滋賀県)


・平成26年5月1日(木) 近江八幡

 東京駅6時26分発「ひかり501号」に乗る。米原駅に8時48分に着く。姫路行の新快速に乗り換える。約20分で近江八幡駅に着く。
 バスに乗り換え、停留所「新町」で降りる。
 (近江八幡については、目次11、平成25年5月1日、「奥の細道旅日記」目次36、平成19年11月23日及び同24日参照)
 

 近江八幡は、五個荘(ごかしょう)、日野と並んで、近江商人の故郷である。それぞれ個別に、八幡商人、五個荘商人、日野商人と呼ばれることもあり、近江商人というのは、その総称である。
 「新町通り」を歩く。
「新町通り」の両側は、往時の八幡商人の住居が並ぶ。国重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
 この通りを歩くのも3回目になるが、当時の豪商の住いをゆっくりと見ながら歩く。

 100m程歩く。直角に交差する通りに出る。朝鮮通信使が通った道であり、朝鮮人街道と呼ばれた京街道である。
 (朝鮮通信使、朝鮮人街道については、目次9、平成24年12月30日、「奥の細道旅日記」目次36、平成19年11月23日参照)

 広い駐車場の横に、屋根が付いて、木製の長椅子が備えてある東屋(あずまや)風の休憩所がある。ここでしばらく休む。

 昼近くになったので、十字路に小幡町の信号がある小幡町通りを渡る。
 左の角のビルの1階に、近江八幡に来るたびに食事をするレストラン・
CAFE YAMAYA(ヤマヤ)がある。近江牛の牛丼とビーフカレーの店である。
 ここで初めて近江牛の牛丼を食べたとき、そのおいしさに驚いた。
近江牛の柔らかさと甘さに大ぶりに切ったタマネギから出る甘さが加わっている。手頃な値段にもかかわらず贅沢に作られた牛丼だった。

 昨年は、近江牛と地元野菜を使った「贅沢カレー」をいただいた。
 今日は牛丼をいただく。そして今日もおいしくいただくことができた。

 (CAFE YAMAYAについては、目次11、平成25年5月1日、「奥の細道旅日記」目次36、平成19年11月23日参照)

 ご主人は明るく気さくな人である。いつも少しお話しすることができたが、今日は食事どきに当たったのか客が多い。
 それでも、帰りに、ご主人が、「ウォーターハウス記念館」の内部が一般公開されていますよ、と教えてくださった。貴重な情報をいただいた。ありがとうございます。早速行くことにする。

 CAFE YAMAYA(ヤマヤ)を出て左に曲がり、最初の角をまた左に曲がる。両側に旧い商家や民家が並ぶ通りを歩く。200m程歩いて二つ目の角を左へ曲がり池田町(いけだまち)通りに入る。100m程歩く。ヴォーリズが建てた4棟の建物が存在し、当時アメリカ町と呼ばれた池田町洋風住宅街の前に出た

 アメリカ人の伝道師であり、建築家であったウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880~1964)は、大正2年(1913年)から昭和10年(1935年)にかけて、ここに5棟の建物を建てた。主に近江兄弟社の社員のための住宅であった。ヴォーリズの住いであった建物は現存しないが、他の建物は外観を見ることができる。
 (ヴォーリズについては、「奥の細道旅日記」目次31、平成18年8月15日、同36、平成19年11月23日及び同24日参照)

 初めに、大正9年(1920年)建築の旧近江兄弟社ダブルハウスを見る。その並びに、大正2年(1913年)建築の旧ウォーターハウス邸現・ウォーターハウス記念館が建っている。木造3階建、切妻屋根の瀟洒な建物である。平成21年、国有形登録文化財に指定された。
 早稲田大学英語科の講師としてアメリカから来日したウォーターハウス(生没年不詳)は、ヴォーリズの伝道事業に加わった。 


ウォーターハウス記念館


 7年前の平成19年11月23日に来たときは、敷地内に入れたが、内部は非公開だった。今日は、春の特別公開で期間限定で内部を一般公開している。ちょうどいい時に来た。
 見学できるのは1階と2階で、3階は公開されていない。
 ヴォーリズの美しいディテールや暖炉を見る。階段の段差を低くして、踏み幅を広くとり、高齢者にも住みやすい造りである。

 隣家の吉田邸も大正2年(1913年)の建築である。木造3階建、国有形登録文化財。腰折れ屋根が美しい気品のある建物である。
 前回訪ねたときよりも、ウォーターハウス記念館との境の樹木が疎らになり、ほぼ建物の全景を見ることができた。

 吉田邸の吉田悦蔵(1890~1941)は、ヴォーリズが滋賀県立八幡商業学校で英語を教えていた頃の教え子であった。卒業後の明治40年(1907年)、八幡商業学校を解雇されたヴォーリズと共に建築設計、病院、学校、メンソレータムの製造等を運営する近江兄弟社を創建した。生涯をヴォーリズの片腕となって事業を遂行した人である。
 現在も吉田悦蔵の子孫の方々が住み続けておられる。


吉田邸


 近江八幡駅に戻り新快速に乗る。約15分乗って彦根駅で降りる。駅の近くのホテルサンルート彦根にチェックインする。3泊予約していた。


・同年5月2日(金) 内保町~今荘 長浜 

 彦根駅7時16分発の電車に乗る。7時33分に長浜駅に着く。駅前から7時52分発のバスに乗る。約35分後に停留所「プラザふくらの森前」に着く。

 ちょうど1年前の5月2日、木之本から内保町まで北国脇往還を歩き、停留所「プラザふくらの森前」からバスに乗り、長浜駅に戻った。
 今日は、内保町から先へ、昨年の続きの北国脇往還を歩く予定である。
 今回も、昨年、長浜市役所観光振興課から送っていただいた
『北国脇往還ウォーキングマップ』を手に持って歩く。
 (北国脇往還、『北国脇往還ウォーキングマップ』については、目次11、平成25年5月2日参照)

 バスを降りて100m程歩く。国道365号線の内保東の信号の下に着く。昨年歩き終わった所である。今日は、ここから歩き始める。
 右へ曲がり300m程歩く。草野川に架かる草野川橋を渡る。草野川は川幅の広い川であるが、元々水量が少ないのか水は流れていなかった。

 900m程歩く。野村西の信号の手前を左に入る。国道365号線と別れる。
 100m程歩き、浄水場の建物の手前を右へ曲がる。200m程歩く。正面に神社の杜が広がっている。左へ曲がり、緩やかに蛇行する道を歩く。

 400m程歩く。「野村」の集落に入る。四つ辻に出る。「左 江戸、谷汲  右 北國道」と刻まれた古い道標と説明板が立っている。
 説明板には、道標は江戸時代のものと見られる。谷汲は、西口巡礼札納(ふだおさめ)の谷汲山(たにぐみさん)華厳寺のことである、と記されている。
 

 左へ行く。道標に隣接して、大名の御休所であった本陣・佐々木家が建っている。


本陣・佐々木家


 100m程歩く。川幅はそれほどでもないが、水量豊かな川が現れる。川の中の岩の上に、小さなお地蔵さんが立っている。
 右へ曲がり、川に架かる小さな橋を渡る。立派な門構えの家の前に出る。広壮な母屋があり、庭木の手入れも良くなされている。



 家の前を右へ曲がる。両側に田畑が広がる道路に出る。頻繁に左右へ曲がるので、『北国脇往還ウォーキングマップ』を注意深く見て、間違いのないように歩く。
 「佐野」の集落を通って、2キロ程歩く。「今荘」の集落に入る。



 道が上りになってくる。300m程歩く。農道を隔てて、今荘観光ぶどう園がある。

 北国脇往還が次第に山の方へ向かい、国道365号線と離れていく。バスの停留所は国道にある。しかも、バスの本数が少ないので、帰りのことを考えて、まだ国道に近いここで今日は歩くのを止めることにする。
 今日は
僅かな距離しか歩けなかったが、北国脇往還は続きをまた来年歩くことにする。

 農道を右へ曲がり100m程歩く。三叉路に出る。右へ曲がり、杉林の間の細い道を歩く。500m程歩く。杉林を抜けて周囲が開けた道を歩く。田圃はまだ田植えの前である。
 300m程歩く。左へ曲がり、姉川(あねがわ)に架かる今荘橋を渡る。300m程歩き国道365号線に入る。

 しばらく待って、国道365号線上の停留所「今庄橋」からバスに乗る。約30分で長浜駅前に着く。
 駅前から歩いて、北国街道に入る。左へ曲がる。十字路に建つ
黒壁ガラス館の並びにあるオステリア・ヴェリータに入る(黒壁ガラス館については、「奥の細道旅日記」目次34、平成19年4月28日参照)。

 オステリア・ヴェリータは、琵琶湖の湖畔に建つ北ビワコホテルグラツィエの姉妹店である。
 北ビワコホテルグラツィエは、以前、何度も宿泊し、料理がおいしかったのでオステリア・ヴェリータもおいしい食事ができると期待している。
 (北ビワコホテルグラツィエについては、「奥の細道旅日記」目次31、平成18年8月16日、同目次33平成18
年11月26日、同目次34、平成19年3月24日、同3月26日、同4月28日参照)

 オステリア・ヴェリータは、蔵を改造した2階建てのレストランである。オステリアはイタリア料理という意味だろう。
 2階へ上がる。時間ぎりぎりにランチタイムに間に合った。ランチのコースを注文する。

 ・スープ      新玉ネギのスープ
 ・オードブル    サーモンとチーズ  グリーンサラダが盛り合わせで出された。

 ・パスタ      近江牛100%のボロネーズ(ミートソース)
 ・メイン       近江牛のビーフシチュー  近江牛は柔らかく甘みがある。

 ・デザート      イチゴのムース、ブラックベリーのソルベ(シャーベット)、クランベリーのゼリー  オレンジ添え

 期待に違わずどれもおいしい料理だった。

 駅の方へ戻る。北国街道の右手に安藤家が建っている。
 入口に、「小蘭亭(しょうらんてい)」
特別一般公開、と書いてある。安藤家は平成20年3月31日で閉館されたが、また開館されたのだろうか、と思って中に入る。
 受付で、そのことを尋ねると、3年間閉館していましたが、3年前から再度開館しました、という説明があった。
 安藤家は、7年前の平成19年3月24日に見学したことがあるが、そのとき、「小蘭亭」は公開されてなかったので、ウォーターハウス記念館と同じように、ちょうどいい時に来た、と思い、再び見学することにした(安藤家については、「奥の細道旅日記」目次34参照)。
 

 羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)(1537~1598)は、天正3年(1575年)、長浜に城を築き、初めて一国一城の主となった。
 秀吉は、町を四十九町、十組に分ける。町衆から選ばれた組を代表する町年寄役たちは十人衆と呼ばれ、長浜の自治を委ねられた。安藤家は十人衆に選ばれた。

 明治になり、安藤家は、絹糸紡績の製造と呉服屋を営む。住居として建てられた現在の建物は、明治38年(1905年)から大正4年(1915年)にかけて建てられた。当時の豪商の名残りを伝えている。

 古翠園と名付けられた庭園を左手に見ながら、母屋の廊下を歩く。
 「小蘭亭(しょうらんてい)」と名付けられた離れがある。母屋とは渡り廊下で繋がっている。渡り廊下から先は撮影禁止になっている。


小蘭亭


 大正2年(1913年)頃、北大路魯山人(きたおおじろさんじん)(本名・北大路房次郎)(1883~1959)は、安藤家に逗留し、小蘭亭の天井画や襖絵を描いた。

 渡り廊下を通って、小蘭亭の入口に立つ。ここから魯山人の大胆で、独創的な芸術の世界に入る。
 入口の襖2枚にそれぞれ赤い色で大きな半円形が描かれている。襖2枚を閉めると、丸ができる。丸の中央は円形に刳りぬかれている。刳りぬかれた部分には精緻な桟が施されている。
 ガラス窓の桟の張り方は中国趣味である。天井板は淡いグリーンの杉綾模様が施され、割竹で留められている。天井の中心に鮮やかなブルーで、「寿」を円形にデザインした文字が描かれている。

 内部は6畳間ほどの広さしかないが、陰鬱さがなく、開放的で、広がりを感じる。

 母屋の1階和室の一つに、「呉服」と刻まれた魯山人製作の篆刻看板が展示されている。九尺(約272cm)の一枚板に彫られている。伸びやかな書体は枠からはみ出さんばかりの躍動感に溢れている。


魯山人作 篆刻看板


・同年5月3日(土) 五個荘

 朝、ホテルを出て、近江鉄道彦根駅へ行く。
 駅員に、「ワン デイ スマイル
切符」を薦められる。土、日、祝日に使用できる近江鉄道全線1日乗り降り自由の切符である。往復するだけでも得な切符である。その切符を購入する。

 6時13分発近江八幡行の電車に乗る。6時42分に五個荘(ごかしょう)駅に着く。
 駅を出て400m程歩く。国道8号線に架かる陸橋を渡る。両側が田畑になっている道路を歩く。田園地帯の中、左手前方に屋敷林に囲まれた集落が現れる。あれが五個荘商人が住んでいた金堂(こんどう)地区だろう。

 500m程歩き、一つ目の信号を左へ曲がる。200m程歩く。五個荘商人・藤井彦四郎邸の前に出る。まだ時間が早いので開館されていない。
 600m程歩き右へ曲がる。800m程歩き左へ曲がる。「あきんど通り」に入る。

 五個荘商人・中江準五郎邸の前を通る。「花筏通り」が横切る。「あきんど通り」と「花筏通り」が交差する十字路の角に、白壁の広壮な蔵が甍を並べている。五個荘商人の隆盛を目の当たりにした思いがした。


あきんど通り


 真宗大谷派勝徳寺(しょうとくじ)の前を通り500m程歩く。左へ曲がり「てんびん通り」を100m程歩く。
 「てんびん通り」の名称は、手甲(てっこう)、脚絆(きゃはん)に草鞋(わらじ)履き、手控え帳を腰に下げ、合羽を身に纏い、菅笠をかぶり、行李を両端にかけた天秤棒を肩に掛けた近江商人の姿から名付けられたものであろう。
 近江商人は、郷里を離れず、この姿で各地に出向き、全国に商圏を拡大していった。
 

 左へ曲がり、「寺前・鯉通り」に入る。静かな道が真っ直ぐ続き、堀割に錦鯉が泳いでいる。
 「あきんど通り」から、この「寺前・鯉通り」一帯の金堂地区は、国重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。


寺前・鯉通り


 真宗大谷派弘誓寺(ぐぜいじ)と弘誓寺に隣接する浄土宗浄栄寺(じょうえいじ)の前を通る。勝徳寺、弘誓寺、浄栄寺いずれも壮大な寺院である。富裕な五個荘商人の豊富な寄進があったことと推測する。


弘誓寺


 「祭・馬場通り」が直角に通っている。通りを渡る。
 五個荘商人・外村繁邸、外村宇兵衛邸の前を歩く。白壁、舟板塀の商人屋敷に沿って堀割が続く。人の声も車の音も聞こえない静かな通りである。


五個荘商人屋敷


 駅から歩いて来た道に戻る。20分程歩く。麦畑の向こうに、良く手入れされている樹木が見える。先ほど前を通った五個荘商人・藤井彦四郎邸である。


藤井彦四郎邸


 時間が経って、藤井邸が開館していたので入館する。藤井邸は、8155㎡の広大な敷地に、客殿を中心にして、右手に主屋、土蔵、左手に洋館が建っている。建物面積710㎡である。

 総檜造りの客殿に入る。客殿は、皇族や華族の御休息所として使用された。県文化財に指定されている。

 客殿の広縁から庭園に降りる。琵琶湖を模した池を中心にして築山を配した広い庭園である。聳える多くの赤松が風雅な趣を湛えている。市指定名勝である。


庭園


 藤井彦四郎(1876~1956)は、藤井糸店を創業し、人造絹糸の「小町糸」の発売、「スキー毛糸」の製造、販売で財を成した。

 五個荘はまた訪ねて、今日は歩かなかった通りを歩き、他の商人屋敷を見学しようと思っている。


・同年5月4日(日) (帰京)

 ホテルで朝食後、すぐ帰る。





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