33 小浜(寄り道) 敦賀~疋田~刀根


・平成18年11月3日(金) 小浜(寄り道)

 敦賀駅に9時27分に着く。特急を降りて、10時44分発の小浜線の電車に乗り換える。
 電車は、8月に
三方石観世音(みかたいしかんぜおん)を訪ねたときに降りた三方駅を通る(三方石観世音については、目次31、平成18年8月14日参照)。
 東小浜駅で降りる。11時42分だった。  

 小浜(おばま)市には、130を数える古刹が存在する。その中の国宝や重要文化財を持つ古刹8カ寺をめぐる「みほとけの里 国宝めぐりバス」が走っている(注・国宝めぐりバスは、平成21年9月現在、廃止されている)。
 バスは、1日6便、8カ寺を時計回りにめぐっている。1日フリー券(500円)を買うと、どこで乗っても降りても自由である。拝観に要する時間とバスの時間を考えて、2日間で8カ寺をめぐる予定を立てる。

 駅前に12時25分発のバスが来る。バスの車内で1日フリー券を買う。
 バスは、市街地を通り田園地帯を走る。茅葺の家が見える。田園地帯を抜けると、松永川に沿って山間の道を登る。松永川は、渓谷を流れる川の様相を帯びてくる。
 12時35分に明通寺に着く。バスを降りる。


明通寺

 川に架かる橋を渡り坂道を登る。石段を上り、真言宗御室派棡山(ゆずりさん)明通寺(みょうつうじ)の楼門を潜る。明通寺は、大同元年(806年)、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)(758~811)により創建されたと伝えられている。
 楼門は、江戸時代中期に建造され、市指定文化財となっている。
 参道の石段を上る。左側は杉林が広がり森閑としている。


明通寺 参道横の杉林


 石段を上った境内に国宝の本堂が建っている。正嘉2年(1258年)再建、大正12年(1923年)解体修理。入母屋造、桧皮葺、正面側に蔀戸(しとみど)を設け、簡素な造りになっている。

 更に石段を上がった高い場所に国宝の三重塔が建っている。文永7年(1270年)再建、昭和32年(1957年)解体修理。桧皮葺、高さ22、26m。荘厳さに心を打たれる。


三重塔


 本堂も三重塔も杉の巨木に囲まれ、静寂の中に佇んでいる。

 石段を下り、受付を過ぎて左へ曲がる。客殿前の中庭を通る。庭は、塵一つとどめず、清浄な雰囲気がある。
 小さな門を潜る。市指定天然記念物、樹齢500年の「かやの木」が大きく枝を広げている。
 頭上に覆いかぶさる大樹の「かやの木」の下を通り石段を下る。川に架かる朱塗りの棡(ゆずり)橋を渡り、停留所でバスを待つ。
14時5分発のバスが来る。

 15時15分に羽賀寺に着く。バスを降りる。


羽賀寺

 長い参道の両側は、丈高い杉並木が続く。石段を上がる。左手に鐘楼が建っている。正面に、羽賀山を背にして真言宗高野山派鳳聚山(ほうしゅうざん)羽賀寺(はがじ)の本堂が建っている。
 本堂は、文安4年(1447年)に再建され、昭和41年(1966年)解体修理が完成している。国重要文化財に指定されている。

 本堂に入る。ご住職のご説明がある。
 羽賀寺は、霊亀2年(716年)、元正天皇の勅命により、奈良時代の僧・
行基(ぎょうき)(668~749)によって創建されたと伝えられている。

 御本尊である十一面観世音菩薩を拝観する。女帝・元正天皇御等身像であり、行基の作と伝えられる。高さ146cm。気品のある姿である。
 彩色が鮮やかに残っている。それは、御本尊が秘仏だったからというお話があった。御本尊は国重要文化財に指定されている。

 お礼を申し上げて、帰りぎわ、ご住職が「お参りする前に鐘を撞くのがいいんですよ。」と仰った。

 石段を下り参道を歩く。停留所の横に置かれているベンチに座りバスを待つ。暗くなり寒くなってきた。
 梵鐘の音が聞こえた。音は長く余韻を残し、辺りの静寂に包まれ消えていった。

 16時45分発の最終のバスが来た。バスは、街灯がない道路を両側に並ぶ反射板の光を頼りに走る。
 まんまるの月が上がっている。月は、明るく光り、黒々とした山や森を照らす。
 ああ、そうだ! 今日は十六夜(いざよい)の月!


・同年11月4日(土) 小浜(寄り道)

 朝、昨日チェックインした小浜駅に近いホテルを出る。2泊予約していた。小浜駅から電車に乗り、一つ目の東小浜駅で降りる。

 駅を出て、旧い民家を見ながら500m程歩く。国道27号線に入る。500m程歩き、遠敷川(おにゅうがわ)に架かる橋を渡る。左手前方に、ひときわ目立つ森がある。500m程歩いて左へ曲がる。古墳を取り囲む森の傍に建つ国分寺に着く。


国分寺

 曹洞宗護国山国分寺の釈迦堂の扉を開けて、ご住職のご説明があった。
 天平9年(737年)、聖武天皇の勅願により、国ごとに国分寺(こくぶんじ)と国分尼寺(こくぶんにじ)が建立された。宝永2年(1705年)に再建された釈迦堂は、旧国分寺の当時の金堂跡に建っている。


国分寺 釈迦堂


 木造釈迦如来坐像を拝観する。像の高さは318cm。頭部は17世紀の江戸時代、体部は14世紀の鎌倉時代に作られている。市文化財に指定されている。

 道路を隔てて建つ薬師堂に安置されている木造薬師如来坐像を拝観する。像の高さは79、7cm。13世紀の鎌倉時代に作られている。国重要文化財である。
 写実的に表現されている、と言われているとおり、柔らかい衣の垂れ、ひだの曲線が表わされている。ゆったりと坐している重厚な姿と、静謐に満ちたお顔を拝観していると、気持ちが落ち着いてくる。
 ご住職が、「あとは自由にご覧になってください。」と仰って寺務所へ戻られた。ありがとうございました。

 旧国分寺の南大門跡、中門跡、参道が発掘されている。
 美しい緑色の苔が敷き詰められた庭園と森の間の細い道を歩いて、旧国分寺の塔跡を見に行く。発掘された塔の礎石が整然と並んでいる。塔跡は国指定史跡である。

 この辺り一帯は公園になっている。公園の端に立つ停留所で「国宝めぐりバス」を待つ。
 9時28分発のバスが来た。バスの中で一日フリー券を買う。9時43分に神宮寺に着く。


神宮寺

 坂道を上る。連なる山々を背にして建つ天台宗霊應山神宮寺(じんぐうじ)の本堂の前に出る。
 神宮寺は、元正天皇の勅命により和銅7年(714年)に創建されたと伝えられている。

 本堂は、天文22年(1553年)に再建された。単層入母屋造り、桧皮葺。昭和30年(1955年)解体修理を終える。国重要文化財に指定されている。本堂の屋根の反りが美しい。鳥が羽ばたき、今まさに大空に飛び発たんとする躍動感と華やかさがある。


神宮寺 本堂


 本堂の裏は杉林が広がり、杉の根元は美しい緑色の苔に覆われている。


 

 境内の一隅に樹齢約400年のスダジイ(椎の木)が亭々と茂っている。市指定天然記念物である。
 太い幹の巨樹の向こうに
「閼伽井屋(あかいや)」と呼ばれる小屋が建っている。


神宮寺 閼伽井屋(小浜市)


 小屋の中は岩が重なり、その岩の間から水がこんこんと湧き出ている。水は、岩の掘削された窪みに満々と湛えられ、溢れている。「若狭井(わかさい)」と名付けられている。
 この湧き出る水は、
「閼伽水(あかすい)」と呼ばれ、毎年3月1日から3月14日まで奈良・東大寺、二月堂で行われる「お水取り」の水を送る「お水送り」の水源となっている。

 毎年3月2日、「お水送り」の神事が行われる。
 「お水送り」は、神宮寺の回廊で僧侶が大きな松明(たいまつ)を振り回す行(ぎょう)から始まる。その後、「
若狭井」の「閼伽水」を汲んで筒に入れる。「御香水(おこうずい)」と呼ばれる。
 水司と呼ばれる「御香水」を運ぶ人と伴に、僧侶とおおぜいの一般の人たちが大護摩の火を移した松明を持ち、「御香水」を護って、近くを流れる
遠敷川(おにゅうがわ)の上流約2キロまで列をなして歩く。
 遠敷川の「鵜の瀬(うのせ)」と呼ばれる淵の流れに「御香水」を注ぎ込む。「お水送り」の神事が終わる。

 淵の流れに注ぎ込まれた「御香水」は、地下を通って10日目の3月12日に、東大寺、二月堂の石段下にある井戸に至る、と伝えられている。


 二月堂の石段下にある井戸は「若狭井(わかさい)」と名付けられ、「閼伽井屋(あかいや)」と呼ばれる小屋の中にある。
 「閼伽井屋」は、鎌倉時代初期(十三世紀初期)に再建された。国重要文化財である。「閼伽井屋」も「若狭井」も神宮寺と同じ名称である。


二月堂 閼伽井屋(奈良市)


 3月1日から3月14日まで二月堂で「お水取り」の神事が行われる。
 この期間、毎夜、二月堂の回廊の欄干の上で、大松明が振り回される。これは、神宮寺の行と同じである。
 13日の午前1時過ぎ、秘仏である御本尊・十一面観世音菩薩に捧げるために、「閼伽井屋」の中の井戸・「若狭井」から「御香水」を汲む儀式を行う。


 神宮寺の境内を出て、北側の参道の坂道を下る。参道の両側は桜の木が植えられ、側溝は、山から流れて来たと思われる綺麗な水が流れている。
 120m程の参道の入口に鎌倉時代末期に造られた
仁王門が立っている。国重要文化財である。両側に木造金剛力士像を安置している。

 道路に出て左へ曲がる。次に訪ねる萬徳寺まで歩く。
 よく晴れて青空が広がっている。陽射しは暖かく、爽やかな風が吹いている。コスモスが風に揺れる。路傍に、新しい赤い衣装を着せられたお地蔵さんが立っている。美しい秋の日である。

 「森林(もり)の水PR館」の前を通り右へ曲がる。30分程歩いて萬徳寺に着く。


萬徳寺

 真言宗高野山派延宝山萬徳寺(まんとくじ)の国指定名勝の庭園を拝観する。
 白砂の向こうに、江戸時代初期作庭の枯山水庭園が広がる。山麓の斜面を利用して、1500㎡の広大な庭園となっている。周囲の樹木に混じって紅葉したヤマモミジが見える。

 萬徳寺の前から12時48分発のバスに乗る。12時55分に多田寺に着く。


多田寺

 真言宗高野山派石焸山多田寺(ただじ)は、天平21年(749年)、孝謙天皇の勅命により創建された。
 文化4年(1807年)再建の本堂に入る。木造薬師如来立像を拝観する。大らかな表情のお顔である。像の高さは192、5cm、平安時代初期に造られている。国重要文化財である。
 眼病に霊験あらたかと言われている。像の前に白い紗が下がっていた。

 多田寺を出たとき、ちょうど客を乗せたタクシーが入って来た。次に訪ねる圓照寺へタクシーで行こうと思い、運転手さんに尋ねると、乗せて来た客を待つということだった。その代わり運転手さんは会社に電話をして、タクシーを回すように言ってくれた。

 到着したタクシーに10分程乗って、圓照寺に着いた。


圓照寺

 石段を上る。臨済宗南禅寺派地久山圓照寺(えんしょうじ)の本堂が正面に建っている。本堂の右手に、寛政7年(1795年)再建の大日堂(だいにちどう)が建っている。簡素な建物である。
 大日堂の扉を開けて、寺の若奥さんと思われる女性が説明してくださった。

 大日堂に安置されている金色に輝く木造大日如来坐像を拝観する。像の高さは251、5cm。12世紀の藤原時代の作品であり、国重要文化財に指定されている。
 右側に千手観音立像、左側に不動明王立像を配置している。千手観音立像の高さは160cm、不動明王立像は、千手観音立像よりやや高い。二体とも平安時代に造られ、いずれも国重要文化財である。

 本堂と大日堂の建物の間を入って、県指定名勝の庭園に案内していただいた。
 江戸時代初期の作庭による。山麓の傾斜を取り込んだ林泉庭園である。幽玄な趣がある。


圓照寺 庭園


 モリアオガエルが棲んでいる。モリアオガエルは、樹上で生活し、池の上に伸びた枝葉に産卵する。孵化したオタマジャクシは池に落ちる。ところが、池にはイモリも棲んでいて、孵化したばかりのオタマジャクシを食べる。そこで、オタマジャクシを別の場所に移して、ある程度大きくなったら池に戻す、ということを笑いながら話された。
 モリアオガエルもイモリも数が少ない。数が減りつつある生物が棲んでいるこの庭園はたいへん貴重なものだと思う。

 「ゆっくりご覧になってください。」と仰って本堂へ戻られた。ありがとうございました。
 本堂の回廊に座って心ゆくまで庭園を眺められたらどんなにいいだろうと思った。

 道路に出て右へ曲がる。500m程歩き案内板に従って右へ曲がる。急な坂道を上る。30分程歩いて多田ヶ岳の麓に建つ妙楽寺に着く。


妙楽寺

 真言宗高野山派岩屋山妙楽寺(みょうらくじ)は、養老3年(719年)行基(668~749)が開創し、延歴16年(797年)弘法大師(774~835)が再興したと伝えられている。

 境内に入る。切通しのような参道の両側は樹木が茂っている。山間に足を踏み入れたような気がした。山から引いた水が筧(かけい)を伝って溢れている。手を洗う。
 沢が現れる。橋を渡り仁王門を潜る。参道の両側は鬱蒼とした杉林になる。深山渓谷を逍遥している気分になってくる。沢の水音を聞きながら歩く。


妙楽寺 仁王門


 樹林の間の長い参道を歩いて、明るく開けた場所に出た。正面に、寄棟造、桧皮葺の本堂が建っている。鎌倉時代初期、永仁4年(1296年)建立の建物である。国重要文化財に指定されている。


本堂


 本堂の右手にも筧がある。樹木に囲まれた境内は静寂に包まれている。聞こえるのは、筧を伝って迸る水の音だけである。



 妙楽寺の広い駐車場の横にある停留所から、16時7分発のバスに乗る。16時18分に小浜駅前に着く。

 駅前から「はまかぜ通り」を500m程歩いて右へ曲がり、「いずみ町商店街」に入る。魚の小売店が並ぶ。鯖を串に刺して焼いている店や一夜干しの店がある。

 商店の並びに無人の小さな鯖街道資料館がある。
 往時の漁法や水揚げの様子の写真、鯖街道の地図、写真、当時の道具等が展示されている。

 魚を並べた大きな笊(ざる)を頭に載せたり、魚を両端の籠に入れた天秤棒を肩に掛けたりして、市内を行商している女たちの写真が展示されていた。古い写真である。戦前のものと思われる。

 若狭国小浜は、古来、朝廷に魚介類等の海産物、塩を提供し、「御食国(みけつくに)」と呼ばれていた。その中でも大量に水揚げされた鯖が注目された。

 朝、水揚げされた鯖に一塩し、その日のうちに京へ運んだ。夕方には市場に並べられたといわれている。中継点をいくつか設け、リレー式に人を替えながら運ぶ方法と、一人で運ぶ方法があったと思われる。
 「京は遠ても十八里」という言葉が残っている。一里を約4キロとして計算すると、十八里は約72キロになる。72キロの距離は、一人で運ぶ場合は勿論、人が替わる場合でも走らなければ間に合わない距離である。

 夕方水揚げされたときは、薄く塩を振った鯖やその他の魚を籠に入れて背負い、月明かりを頼りに夜を徹して山道を走ったのだろうか。

 「京は遠ても十八里」の言葉に、「遠いと言ったってたかが十八里じゃないか」、という口吻が感じられ、長い距離にひるむことなくいつでも遅れないで届けてみせるという心意気を思うのである。

 若狭から京へ至る道は数多くあった。それらの道を総称して鯖街道と呼ぶようになった。尤も、鯖街道という呼び名ができたのは最近である。
 鯖街道の中で最も利用された道は、小浜から福井県上中町の
熊川を経由して、滋賀県の朽木村を通り、京都の出町柳に至る若狭海道であった。


 3年後の平成21年9月21日、小浜駅前からバスに乗って、熊川を訪ねた。

 上中町熊川は、若狭海道の宿場町として繁栄した。当時の熊川宿を彷彿させる町並みが残り、国重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
 下屋(げや)の庇の高さを揃えた「通り庇(とおりびさし)」の商家が並び、漆喰の「袖壁」が見られる。低い2階の「厨子(つし)二階」に漆喰「塗込造(ぬりごめづくり)」「虫籠窓(むしこまど)」を設えている。
 煙抜きのための
「越屋根(こしやね)」も見える。


通り庇(上中町熊川)


虫籠窓


越屋根


 家の前に前川と呼ばれる用水路を設けている。幅1、5m程の用水路は河内川から水を引いている。河内川は通りを横断し北川と合流する。清冽で豊穣な水は陽光に煌き、用水路を勢いよく音を立てて流れている。


・同年11月5日(日) (帰京)

 朝、ホテルを出て小浜駅に行く。小浜線に乗る。敦賀駅で特急に乗り換える。
 敦賀駅のホーム上にある売店で、
「塩荘(しおそう)」の鯖寿司を買う。特急に乗り米原で新幹線に乗り換える。新幹線に乗ってから鯖寿司の包みを開く。身が厚くておいしい。


・同年11月25日(土) 気比の松原~色の浜 

 敦賀駅で特急を降りる。駅前からバスに乗り停留所「こどもの国」で降りる。
 朱塗りの花城橋(はなじろばし)を渡り、敦賀湾を右に見ながら敦賀半島を海沿いに歩く。左側の崖の上の樹木の葉は色づいている。天気がよく、陽射しが暖かい。

 4キロ程歩く。縄間(のうま)の集落を通る。
 左側に、大正5年(1916年)建築の
旧動物検疫所敦賀出張所が建っている。朝鮮牛の輸入に際して建てられた検疫所である。
 木造2階建。三角の破風(はふ)、上げ下げ窓の持送(もちおく)り等を設けた端正な建物である。

 しかし、閉鎖されてから久しいのか、外壁の水色のペンキが剥げ落ちている。傷みもあちらこちらに見られる。建物の周囲には雑草が蔓延(はびこ)り、荒涼とした光景である。保存や修復がなされていないようだから、建物はいずれ朽ち果てるだろう。

 1キロ程歩く。道路の左側に常宮神社(じょうぐうじんじゃ)が建っている。


常宮神社


 石の鳥居を潜り石畳を歩く。石段を上り神門を潜る。正面に拝殿が建っている。
 神門の左手に、お菓子の空き箱が置いてあり、中に小さな貝が10粒程入っていた。「ますほ貝」と書かれてある。貝は小指の爪ほどの大きさで、桜色をしている。ますほ貝について、芭蕉は、これから訪ねる色の浜で句を詠んでいる。

 左へ曲がる。案内板があり、おおよそ次のことが説明されていた。


 「常宮神社は、大宝3年(703年)に創建された。
 毎年7月22日の例祭の後に、氣比の神々が一年に一度洋上渡御(とぎょ)され、当神社へお渡りになる総参祭(そうまいり)の神事が行われる。別名、七夕祭とも称されている。」


 神楽殿と思われる風格のある建物が建っている。内部には椅子が置かれていて、敦賀湾が望める。
 毎年7月22日に行われる
氣比神宮(けひじんぐう)の神輿渡御を迎える総参祭の際に、この建物は、神輿を乗せた舟が海を渡って近づいてくる光景を眺める観覧席になるのだろう(氣比神宮については、目次31、平成18年8月13日参照)。


神楽殿と思われる建物



 御手洗川(みたらしがわ)がある。きれいな水が流れている。川に沿って坂を上る。黄金(きん)色の銀杏の葉や真赤に色づいたモミジの葉が陽光に輝き鮮やかさを増している。朱塗りの橋が架かり、そこから瀧が見えた。

 広い境内を後戻りして道路に戻る。左へ曲がる。距離は僅かだが両側が松並木になっている。旧道の風情がある。
 1キロ程歩く。急坂になる。道は切り通しになり海が見えなくなる。



 1キロ程坂を上り坂の頂上に着く。右側の岩山がなくなり海が見えてきた。
 美しい海の色だった。ブルーの色が、岸に近づくにつれてエメラルドグリーンに変わる。美しい砂浜に波が静かに打ち寄せている。







 海を見ながら坂を上り下りして2キロ程歩く。色の浜に着く。
 道路から坂を下り、色の浜の集落の中を歩く。旅館や民宿の看板を掲げた家が多い。漁業の傍ら海水浴客や釣り客のための旅館や民宿を営んでいるのだろう。民家の間から海が見える。
 100m程歩く。左側に
本隆寺が建っている。


本隆寺 本堂


 芭蕉は、敦賀から舟に乗り、色の浜を訪ねた。
 『おくのほそ道』では、「色の浜」は、「種の浜」と書かれている。当時は、このように表記されていたのだろう。また、文中の「侘しき法華寺」は、本隆寺のことである。


 「16日、空霽(は)れたれば、ますほの小貝拾はんと、種(いろ)の浜に舟を走(は)す。海上七里あり。天屋(てんや)何某(なにがし)といふ者、破籠(わりご)・小竹筒(ささえ)などこまやかにしたためさせ、僕(しもべ)あまた舟にとり乗せて、追ひ風、時の間(ま)に吹き着きぬ。浜はわづかなる海士(あま)の小家(こいへ)にて、侘(わび)しき法華寺あり。ここに茶を飲み、酒を暖めて、夕暮れの寂しさ、感に堪(た)へたり。」『おくのほそ道』


      寂しさや須磨(すま)にかちたる浜の秋

      浪(なみ)の間(ま)や小貝(こがい)にまじる萩の塵(ちり)


 道路に戻り海岸へ行く。ボード・セーリングに興じている人たちがいる。きれいな砂浜に波が打ち寄せている。



 ますほ貝を拾おうと思って砂浜に下りる。水は澄み切っている。何度か砂に手を入れて探したが見付けられなかった。
 敦賀駅行きのバスが来るのは1時間後である。バスが来るまでの間、海岸の岩に腰を下ろし、打ち寄せる波の音を聞きながら海を眺める。


・同年11月26日(日) 敦賀~疋田~刀根

 朝、昨日チェックインした北ビワコホテルグラツィエを出る。2泊予約していた。
 長浜駅から電車に乗り敦賀駅で降りる。駅を出て100m程歩き左へ曲がる。500m程歩き国道8号線に入る。
昨日とは変わって曇り空で寒い。

 芭蕉は、福井から同行した俳人・等栽(とうさい)(本名・神戸洞哉)(かんべとうさい)と敦賀で別れる。以後、芭蕉を迎えに来た門人・八十村露(路)通(やそむらろつう)が終着点の大垣まで同行する。

 木の芽川に架かる木の芽橋を渡る。2キロ程歩き小浜線の線路を越える。笙の川(しょうのかわ)に近づく。川沿いに歩く。
 4キロ程歩き疋田に着く。道が二つに分かれる。左の道を選び2キロ程歩く。北陸自動車道が上を走っている。ここで、また道が二つに分かれる。左側の県道140号線を歩く。

 県道140号線は、旧北陸本線の線路跡である。道幅が狭い。2キロ程歩き刀根に着く。美しい黄金(きん)色の銀杏の大木が立っている。

 柳ヶ瀬(やながせ)トンネルの1、7キロ手前の地点に案内板が出ていた。それによると、「トンネル内、大型車、自転車、歩行者は通行禁止」と書いてある。
 愕然とした。今日、これから柳ケ瀬トンネルを通って滋賀県に入る予定だった。
 旧北陸本線のこの区間は単線であったため、トンネル内の幅が狭いことはよく考えれば分かることだった。引き返さなければならないが、せっかくここまで来たから、どんなトンネルか見ようと思いそのまま歩いた。

 30分程歩いてトンネルの前に出た。石積みで縁取られた開口部は、馬蹄形のアーチになっていて狭い。そのためか陰気な感じがした。
 横に案内板が立っている。明治15年(1882年)竣工、トンネルの長さは1、352mと説明がある。信号機が立っていて交互通行になっている。交通量は多いようで車の列が続く。

 車でトンネルの反対側へ出るのに5分もかからないだろう。誰かに頼めば反対側の出口まで乗せてくれると思う。しかし、そんなことをしたら東京からここまで歩き続けたことが一瞬にして水泡に帰してしまう。
 トンネルの右横に、上に延びている道があるが、この周辺の山の詳細な地図を用意していない。予定にない山に入ることは危険だと判断して戻ることにする。
 滋賀県に入る別の方法を考えなければならない。

 雨が降ってきた。傘を差して歩き刀根の集落に戻る。バスの停留所があったので時刻表を見ると、幸運にも1日に数本しか運行しない「敦賀駅行き」のコミュニティバスが10分後に来ることになっていた。
 到着したバスに乗る。敦賀駅まで乗らないで途中の停留所「疋田」で降りる。左へ曲がり1キロ程歩く。北陸本線の新疋田駅に着く。電車に乗り長浜に戻る。

 夜、ホテル1階のレストラン「ル・ラック」で食事をする。月替わりのコースである「月メニュー」を注文する。料理は次のとおりだった。


      食前酒 ワインの白を選ぶ。
      鯛のカルパッチョ
      カボチャのスープ
      近江牛のステーキ
      デザート 「りんご」をテーマに盛り合わせで出された。
            青りんごのシャーベット 温かいアップルパイ りんごのコンポート(シロップ漬)


 部屋に戻って翌日の予定を確認していると、ドーン、ドーンという大きな音が聞えた。顔をあげると、窓いっぱいに花火が見えた。
 琵琶湖花火大会が始まったらしい。小雨が降っていたので外に出ないで部屋から見た。花火を見たのは久しぶりだった。以前に比べて格段に美しくなっている。打ち上げられた花火は開花し、無数の花弁が色を変えながら飛び散り、消えていく。一度消えて、再び美しい光を放って現れる。その華麗さに驚嘆した。


・同年11月27日(月) 長浜

 朝、ホテルを出て白壁の蔵の前を通る。ガス灯が立っている。北国街道に入り、左へ曲がる。




 交差している駅前通りを超える。幅の狭い北国街道の両側に旧い商家の建物が並ぶ。
 古美術店・西川で、格子に取り付けてある「ばったり床几(しょうぎ)」を見る。開店前だから軒下に上げられている。「ばったり床几」は、店を開けている間、水平に倒して折りたたみの脚を立て、商品を載せる台として使われる。


古美術店 西川



ばったり床几


 福井県上中町熊川で、「ばったり床几」を倒しているのを見た。「卯建(うだつ)」と同じく、「ばったり床几」も珍しくなり、見ることが少ない(「卯建」については、目次30、平成18年5月6日参照)。


ばったり床几(福井県上中町熊川)






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