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戦後の主な誘拐殺人事件

世界最初の誘拐と人質と身代金要求が結びついた犯罪は、1927年(昭和2年)5月21日、ニューヨークとパリ間の大西洋横断無着陸飛行を33時間29分かかって成功して世界的に有名になり、『翼よ!あれが巴里の灯だ』(監督・ビリー・ワイルダー/出演・ジェームズ・スチュアート/アメリカ/1957)の映画のモデルになったアメリカの飛行士のチャールズ・リンドバーグの長男(生後1年7ヶ月)誘拐事件である。1932年(昭和7年)3月1日、誘拐。リンドバーグは身代金10万ドルを支払ったが、5月12日、長男は遺体で発見された。1934年(昭和9年)9月、ドイツ系移民の大工のブルーノ・ハウプトマン(当時35歳)が事件の容疑者として逮捕された。ハウプトマンは無罪を主張し続けたが、判決は有罪で死刑が言い渡され、逮捕から2年後の4月2日、電気椅子で処刑された。この事件は謎が多く、ハウプトマンは冤罪ではないかという説や実はリンドバーグの息子は生きていたという説もある。

『翼よ!あれが巴里の灯だ』(VHS/1989)

関連書籍・・・
『誰がリンドバーグの息子を殺したか』(文藝春秋/ルドヴィックケネディ/1995)
『リンドバーグの世紀の犯罪』(朝日新聞社/グレゴリーアールグレン&スティーブンモニアー/1996)

この事件をモチーフにアガサ・クリスティーは『オリエント急行殺人事件』(ハヤカワ文庫)を書いている。

戦後になり、アメリカ人のように暮らし、考える日本人が増えていった。そして、犯罪もアメリカの真似をするようになった。多くは銀行強盗と誘拐による身代金要求の犯罪であったが、銀行強盗は逃走用として車やバイクなどを必要としたが、誘拐は必ずしもそれらの乗り物を必要としなかったため、誘拐事件は銀行強盗の事件より多く発生した。

このページでは身代金目的での誘拐殺人事件を取り上げてます。

[ 大治君誘拐殺人事件 ] 1952年(昭和27年)2月12日、宮城県小牛田町で、高校校長の次男(当時21歳)が、大学入学費欲しさから小学1年の吉田大治ちゃん(6歳)を誘拐し殺害した。3月2日、大治ちゃんが小学校裏通りに絞殺体となって発見された。3月5日、逮捕。懲役15年の判決が下った。

[ トニー谷の長男誘拐事件 ] (注:殺人事件ではありません) 1955年(昭和30年)7月15日、トニー谷の息子で小学1年生の正美ちゃん(当時6歳)が下校途中に誘拐された。トニーは当時、ボードビリアンの第一人者と言われていた人気芸人だったため、新聞で大きく取り上げられた。当日の午後、「身代金200万円を出せば正美ちゃんを返す」という脅迫状が舞い込んだ。7月21日、犯人の宮坂忠彦(当時38歳)は渋谷駅前に身代金を受け取りにきたところをあっさり逮捕された。宮坂は師範学校中退した「半インテリ」で雑誌の発行資金を得るために、アメリカのリンドバーグ長男誘拐事件からヒントを得たと供述。事件は「日本版リンドバーグ事件」としてセンセーショナルに報じられた。宮坂は信州の自分の家に連れ帰ってからも夕方になると正美ちゃんが寂しがるので千曲川や温泉に遊びに連れていったりした。宮坂逮捕後に、生活苦の宮坂の妻子にトニー谷夫妻がよく面倒を見てくれたお礼もかねて、1万円、衣類、日用品、マンガ本などを送ったという。1956年(昭和31年)9月、東京高裁で懲役3年の判決。上告したが、1957年(昭和32年)6月、上告を取り下げ、刑が確定した。
雅樹ちゃん誘拐殺人事件
[ 雅樹ちゃん誘拐殺人事件 ] 1960年(昭和35年)5月16日、歯科医の本山茂久(当時32歳)が、東京都中央区銀座の天地堂カバン店社長の長男の尾関雅樹ちゃん(7歳)を慶応幼稚舎に登校の途中、誘拐したが、200万円の身代金をせしめるのに失敗し、雅樹ちゃんを殺して、車で運び、杉並区の路上に放置して逃亡したが、2ヶ月後、大阪で逮捕された。1967年(昭和42年)5月、死刑確定。1971年(昭和46年)、死刑執行された。

関連書籍・・・
『殺人百科(3)』(文春文庫/佐木隆三/1987)

[ 吉展ちゃん誘拐殺人事件 ] 1963年(昭和38年)3月31日、東京都台東区入谷の建築業者の長男の村越吉展ちゃん(4歳)が行方不明になり、犯人と目される男から50万円の身代金の要求があったが、警察の不手際により金が奪われ、犯人は逃走。ラジオやテレビで犯人の声を公開したりと異例の捜査を行い、1965年(昭和40年)7月、元時計修理工の小原保(こはらたもつ/当時32歳)が逮捕された。吉展ちゃんは荒川区の円通寺で遺体で発見された。1967年(昭和42年)12月、死刑確定。1971年(昭和46年)12月、死刑執行された。

関連書籍・・・
『誘拐』(文芸春秋/本田靖春/1977)
『誘拐殺人事件』(同朋舎出版/斎藤充功/1995)
『あの死刑囚の最後の瞬間』(ライブ出版/大塚公子/1992)
『誰も知らない「死刑」の裏側』(ニ見文庫/近藤昭二/1998)
『「命」の値段』(日本文芸社/内藤満/2000)
『捜査一課 謎の殺人事件簿』(二見書房/近藤昭二/1997)

[ 狭山事件 ] 1963年(昭和38年)5月1日、埼玉県狭山市で、高校1年の中田善枝(16歳)が行方不明になった。その日の夜、中田家に20万円を要求する脅迫状が届いた。身代金受け渡しの3日未明、暗闇の中で善枝の姉が身代金を持って、犯人とひと言ふた言言葉を交わしたが、犯人が周りに警察が張り込んでいることに気づき、金を受け取らずに逃走した。警察は40人も張りこんでいたにもかかわらず、犯人が逃走してから、慌てて追いかけるという大失態をしてしまう。翌4日、殺害された善枝の遺体が近くの農道に埋められていたのが発見された。約1ヶ月前に起きた「吉展ちゃん誘拐殺人事件」で身代金受け渡しの際、犯人を取り逃がしていた警察は面目まるつぶれの状態だった。6日、この事件の重要人物とされている男が自殺した。当時の国家公安委員長は「犯人に死なれてはたまらない。必ず生きたまま捕まえる。自殺した男はシロ」と発表し、予断で被差別部落の石川一雄(当時24歳)を別件で逮捕してしまう。鑑定で多くの疑問がありながら、1977年(昭和52年)8月、最高裁で無期懲役が確定してしまった。1994年(平成6年)12月、石川が31年7ヶ月ぶりに仮出所。1999年(平成11年)7月、第2次再審請求棄却。2000年(平成12年)3月、補充書・新証拠提出。

関連書籍・・・
『犯人 「狭山事件」より』(晩聲社/殿岡駿星/1990)

『狭山裁判の超論理』(解放出版社/半沢英一/2002)
『狭山事件とは 冤罪とその構造』(部落解放研究所/森井ワ/1988)
『知っていますか? 狭山事件一問一答』(解放社/部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部編/1994)

『自殺者 現代日本の118人』(幻冬舎アウトロー文庫/若一光司/1998)

『裁判官 Who'sWho 東京地裁・高裁編』(現代人文社/2002)
『戦後ニッポン犯罪史』(批評社/礫川全次/2000)
『狭山事件』(草思社/鎌田慧/2004)

元俳優による幼児誘拐殺人事件
[ 元俳優による幼児誘拐殺人事件 ] 1964年(昭和39年)12月21日、芸名・天津七三郎こと元俳優の車興佶(当時29歳)が金に困って仙台市の金融業の三男の菅原智行ちゃん(6歳)を誘拐し殺害。1968年(昭和43年)7月、最高裁で、死刑確定。1974年(昭和49年)7月、死刑執行された。車興佶が出演した作品に『毒蛇のお欄』(監督・加戸野五郎) / 『武士道無残』(監督&脚本・森川英太朗) / 『切腹』(監督・小林正樹)がある。

『毒蛇のお欄』(DVD/2002) / 『武士道無残』(VHS/1998) / 『切腹』(DVD/2003)

[ 新潟デザイナー誘拐殺人事件 ] 1965年(昭和40年)1月13日、新潟市で、警察を装った人物からの電話で呼び出されたデザイナーの折戸紀代子(24歳)が誘拐され、700万円の身代金を要求された。犯人は映画『天国と地獄』をまねて金を取ろうとするが失敗。その4時間後に紀代子の遺体が発見された。犯人の山川真也(当時23歳)は、1971年(昭和46年)5月に死刑が確定したが、1977年(昭和52年)5月、東京拘置所でガラス片を首に突き刺し自殺した。

[ 正寿ちゃん誘拐殺人事件 ] 1969年(昭和44年)9月10日、東京都渋谷区で、小学生の横溝正寿ちゃん(6歳)が誘拐され、500万円の身代金が要求された。その後、渋谷駅の手荷物預かり所にあったバッグの中から正寿ちゃんの遺体が発見された。犯人は19歳の少年で、犯行理由について、「小さい頃からグズだといじめられ、身代金を手に入れて空手を習い、さげすんだ相手に復讐する」と自供した。また、女優や歌手を相手に犯行を計画し、住所を調べてリストを作成。名前の下には要求する金額を記していた。1978年(昭和53年)1月、死刑確定。

[ 津川雅彦の長女誘拐事件 ] (注:殺人事件ではありません) 1974年(昭和49年)8月15日午前3時すぎ、俳優の津川雅彦(本名・加藤雅彦/当時34歳)と女優の朝丘雪路(本名・雪絵/当時39歳)の長女の真由子ちゃん(当時5ヶ月)が東京都世田谷区野沢の自宅2階から誘拐された。その後、犯人は電話で身代金500万円を銀行に振り込むことを要求。翌16日午後0時15分ころ、第一勧銀(現・みずほ銀)東京駅南口主張所のATMから現金を引き出そうとしたところを逮捕された。犯人は当時23歳の無職の男で、男の自供から真由子ちゃんは同日午後7時15分、千葉県我孫子市の男のアパートで約41時間ぶりに無事保護された。男は同年3月末、乗用車を盗み、7月に保釈金100万円を積んで保釈されていた。この金は妻が借金して作った金だったが、職が見つからず返済のメドがたたないことから誘拐を計画。初めは歌手の佐川満男・伊東ゆかり夫妻の長女誘拐を計画していたが、住所が分からなかったため津川夫妻の長女に変更したのだという。8月18日、男の妻(当時23歳)も男が誘拐したことを知りながら預かっていたとして逮捕された。1975年(昭和50年)4月、千葉地裁松戸支部で男に対し余罪を含め懲役10年6ヶ月の判決。1976年(昭和51年)4月、東京高裁で懲役12年6ヶ月の判決だった。この事件は銀行のオンライン・システムを使った日本で初めての誘拐事件だった。

[ 美弥子ちゃん誘拐殺人事件 ] 1974年(昭和49年)10月17日、東京都葛飾区で、会社社長(当時37歳)の長女の岩本美弥子ちゃん(8歳)が社長の愛人のY(当時25歳)に誘拐され殺された。初め、Yは冷たくなった社長へのいやがらせで誘拐したが、連れ込んだマンションを知られ、このまま帰したのでは社長の妻の知るところとなると思って絞殺。このことを打ち明けられ、浮気が発覚するのをおそれた社長は娘の死体のセメント詰めなどの処理を指示。その後、社長は自宅に200万円を要求する脅迫状が郵送されたと自作自演した。Yは懲役13年と予想より軽い刑だったが、社長は懲役1年8ヶ月・執行猶予3年と、これまた予想よりはるかに軽い判決が下った。

この事件に登場するYはかなりの美人である。佐木隆三も 『殺人百科』(文春文庫/1981)の中でこの事件のことを書いているが、最後の文は、<じっさいの話、彼女ほどの魅力的な女性の誘いを拒否できる男性が、はたして世の中に存在するかどうか>となっている。そう書く気持ちが私にはよーく分かる。それほどの美人である・・・『悪女たちの昭和史』(ライブ出版/松村喜彦/1992)に顔写真が載っている。 『やがて哀しき「ラブ・ノート」』(恒友出版/松田美智子/1995)は、この事件を取材して小説風に仕上げた力作である。ちなみに、著者の松田<旧姓・熊本>美智子は俳優の松田優作の最初の奥さんだった方であるが、松田麻妙(まみ)というペンネームで、『永遠の挑発 松田優作との21年』(リム出版新社/1999) という処女作がある。その他に、松田優作に関する著書として、『越境者 松田優作』(新潮社/2008) がある。こちらは「松田美智子」で書かれている。事件に関する作品としては他に、「女子高生誘拐飼育事件」を元に書いた『少女はなぜ逃げなかったのか』や「立教大助教授教え子殺人事件」を元に書いた 『大学助教授の不完全犯罪』、「三和銀行オンライン横領事件」のことを書いた 『なにが彼女を狂わせたか』などがあり、改めて事件について考えさせられる内容となっている。これらはハードカバーだが、幻冬舎アウトロー文庫から文庫本として出版されている。また、1997年(平成9年)、「雨宮早希」のペンネームで、 『EM(エンバーミング)』(幻冬舎)を発表し話題を呼んだ。松田美智子と同姓同名で漢字も同じ料理研究家がおり、こちらの方が有名? 松田優作の2人目の奥さんは松田<旧姓・熊谷>美由紀で長男・龍平&次男・翔太の母でもある。

日立女子中学生誘拐殺人事件
[ 日立女子中学生誘拐殺人事件 ] 1978年(昭和53年)10月16日、茨城県日立市で、会社の経営難に悩んでいた綿引誠(当時39歳)が、姪で中学生の辛裕子(14歳)を誘拐し殺害した。身代金3000万円を取ろうとするも未遂に終わる。1988年(昭和63年)4月、最高裁で死刑確定。2013年(平成25年)6月23日、東京拘置所で病死。74歳だった。
富山長野連続女性誘拐殺人事件
[ 富山長野連続女性誘拐殺人事件(警察庁広域重要指定事件「111号事件」) ] 1980年(昭和55年)2月23日、贈答品販売業の宮崎知子(当時34歳)が、サラ金への借金返済のため、日産フェアレディZを乗り回し、富山県八尾町で、高校3年の長岡陽子(18歳)、3月5日には、長野市の信金女子職員の寺沢由美子(20歳)をともに誘拐し殺害した。3月30日、宮崎が逮捕された。宮崎の共同経営者の北野宏(当時28歳)も共犯の容疑で逮捕されたが、無罪確定。1998年(平成10年)9月4日、宮崎は最高裁で死刑が確定した。

関連書籍・・・
『女高生・OL連続誘拐殺人事件』(徳間文庫/佐木隆三/1991)

[ 司ちゃん誘拐殺人事件 ] 1980年(昭和55年)8月2日、山梨県一宮町で、近所では子ども好きで知られていた通称 “ソフトボールのおじちゃん” こと梶原利行(当時38歳)が、借金を抱え事業に行き詰まり、保育園児の大勝司ちゃん(5歳)を誘拐し、2日後に絞殺。逮捕されるまで、31回もの脅迫電話をかけ、1000万円の身代金を要求した。1982年(昭和57年)3月、1審で死刑判決が下るが、1985年(昭和60年)3月、2審では初動捜査のミスが被害者の殺害につながった可能性を指摘されて無期に減刑された。
名古屋女子大生誘拐殺人事件
[ 名古屋女子大生誘拐殺人事件 ] 1980年(昭和55年)12月2日、元寿司店経営の木村修治(当時30歳)が、「英語の家庭教師をお願い」と誘って、名古屋の金城学院大3年の戸谷早百合(22歳)を自宅近くで誘拐し、3000万円の身代金を要求した。誘拐直後に絞殺し、遺体をビニールシートでくるみ、重石をつけて木曽川から遺棄した。その後、映画『天国と地獄』をヒントに身代金を奪おうとしたが失敗。翌1981年(昭和56年)1月20日、逮捕された。1987年(昭和62年)7月、死刑確定。1995年(平成7年)12月21日、死刑執行。

木村修治の著書に『本当の自分を生きたい。 死刑囚・木村修治の手記』(インパクト出版会/1995)がある。

[ 山梨主婦誘拐殺人事件 ] 1981年(昭和56年)7月22日、山梨県北巨摩郡武川村で、株に失敗して借金を抱えた甲府林務所職員(当時36歳)が、旧家の三沢教子(58歳)を誘拐し、クロロホルムを嗅がせ布団をかぶせぐるぐる巻きに縛って殺害。身代金5000万円を要求するが、逆探知で逮捕された。1審で、確定的殺意ではなく「未必の故意」による殺人と認定され無期懲役が確定した。

関連書籍・・・
『我、逆探知に成功せり』(幻冬舎/志村勲/2015)
泰州ちゃん誘拐殺人事件
[ 泰州ちゃん誘拐殺人事件 ] 1984年(昭和59年)2月13日、広島県福山市で、市会議員の長男の森田泰州ちゃん(9歳)が誘拐され、殺害された。犯人の津田暎(当時44歳)は身代金1000万円を要求。サラ金への借金が動機。「バレンタインデーのチョコもらったか」と声をかけ「買ってやる」と言い車に乗せて絞殺したもの。1991年(平成3年)6月、最高裁で死刑確定。1998年(平成10年)11月、死刑執行。
裕士ちゃん誘拐殺人事件
[ 裕士ちゃん誘拐殺人事件 ] 1986年(昭和61年)5月9日、埼玉県越谷市の元鉄筋工の須田房雄(当時45歳)が、借家の引っ越し費用などに困り、東京都江東区の書店経営者の三男の本間裕士ちゃん(6歳)をカブトムシをエサに誘拐し、頭蓋骨が陥没するまで石で殴った上、首を絞めて殺害した。身代金2000万円を要求するも失敗。1986年(昭和61年)12月、東京地裁で死刑判決。1987年(昭和62年)1月、本人が控訴取り下げで死刑確定。1995年(平成7年)5月、死刑執行。

[ 功明ちゃん誘拐殺人事件 ] 1987年(昭和62年)9月14日、群馬県高崎市に住む高崎中央消防署員の長男の荻原功明(よしあき/5歳)ちゃんが誘拐され、2000万円の身代金を要求された。だが、2日後の16日、4回目の強迫電話では要求額が1000万円に下がったことや翌日(9月15日)が「敬老の日」で当時の金融機関が休みだったことなどを知らなかったふしがあったことなど、本当に身代金目的であったのかが疑問であった。同日、功明ちゃんの遺体が自宅から6キロ離れた寺沢川にかかる入の谷津橋下の川底から発見された。高さ13メートルの橋から生きたまま投げ落とされたと見られている。2002年(平成14年)9月14日、事件発生から15年(死刑になる殺人などの公訴時効は2005年[平成17年]1月1日施行の改正刑事訴訟法により「15年」から「25年」に改正。さらに、2010年[平成22年]4月27日施行の改正刑事訴訟法により殺人、強盗殺人は公訴時効が廃止されたため、公訴時効が完成することがなくなった。)が経ったこの日、公訴時効となった。戦後に発生した身代金目的の誘拐事件では唯一の未解決事件となる。(「狭山事件」も形の上では身代金目的の誘拐事件であり、「被疑者」を逮捕して裁判で有罪判決になった、という意味では解決した事件とも言えるのだが、この事件は冤罪事件と見られており、そういう意味では未解決事件とも言えるのだが・・・)

[ 比叡山女子大生殺人事件 ] 1989年(平成元年)9月10日、関西へ1人で旅行に出たまま行方が分からなくなっていた早大第2文学部の山敷工女(25歳)の遺体が、比叡山山中で発見された。犯人は近くでテント暮らしをしていた工員(当時48歳)で、身代金1000万円を要求する電話を自宅にかけていた。
千葉福島岩手誘拐殺人事件
[ 千葉福島岩手誘拐殺人事件(警察庁広域重要指定事件「118号事件」) ] 1991年(平成3年)5月1日、千葉県市原市の塗装業者(当時53歳)が誘拐され、身代金2000万円が奪われた事件で、福島県郡山市の塗装工の迫康裕(当時50歳)らが逮捕された。自供により、郡山市の塗装会社社長(48歳)を誘拐し、1700万円を奪って殺害したことも判明。また、1986年(昭和61年)7月には、盛岡市の金融業者も殺害していたことが判明。福島、盛岡の事件では元岩手県警警官の岡崎茂男(当時38歳)が絡んでいた。1996年(平成8年)3月、共犯の名郷根が病死で公訴棄却。2003年(平成15年)4月24日、最高裁が石森郁緒の上告を棄却して無期懲役が確定。共犯の菅原勝治郎と熊谷光輝も無期懲役が確定(裁判所&判決日不明)。迫康裕と岡崎茂男と熊谷昭孝の3人は2004年(平成16年)6月25日、最高裁で上告を棄却して死刑が確定した。2011年(平成23年)1月29日、熊谷昭孝が病院で死亡(67歳)。2013年(平成25年)8月15日、迫康裕が宮城刑務所の医療棟で死亡(73歳)。2008年(平成20年)、仙台拘置所から移送された岡崎茂男が2014年(平成26年)6月26日、病死(60歳)。

[ 甲府信金女子職員誘拐殺人事件 ] 1993年(平成5年)8月10日、韓国人の愛人数人に入れあげ、7000万円もの借金を背負った山梨県甲府市の会社員の宮川豊(当時38歳)が、山梨日日新聞発行の月刊『ザやまなし』の取材を装い、甲府信用金庫職員の内田友紀(19歳)を誘拐し絞殺。静岡県富士宮市で遺体が発見された。4500万円の身代金要求した声の録音テープが公開された翌日、宮川は愛人に会うため渡韓。23日に帰国し、24日、警察に出頭。1995年(平成7年)3月9日、甲府地裁は宮川に対し無期懲役の判決を言い渡した。検察側が判決を不服として控訴。1996年(平成8年)4月16日、東京高裁で控訴棄却。その後、検察側、弁護側ともに上告せず刑が確定した。

関連書籍・・・
『戦慄の夏 '93・甲府信用金庫OL誘拐殺人事件』(山梨ふるさと文庫/読売新聞社甲府支局編/1993)

『衝撃犯罪解決の真相』(竹書房文庫/犯罪追跡科学研究班編/1998)
『「鑑識の神様」9人の事件ファイル』(二見書房/須藤武雄監修/1998)
『戦後ニッポン犯罪史』(批評社/礫川全次/2000)

[ 梶原一騎子女誘拐殺人事件 ] 1997年(平成9年)4月14日、台湾で「巨人の星」や「あしたのジョー」など数々の作品で知られている劇画原作者の梶原一騎(1987年1月21日死去)と梶原の夫人で台湾のトップスターの白冰冰(パイピンピン/当時42歳)の一人娘の高校2年の白暁燕(パイシャオイェン/17歳)が誘拐された(白は梶原と日本で結婚し、妊娠中に別居・帰国したため暁燕を一人で育てていた)。犯人は暁燕の左手の小指を切って送りつけ、500万ドル(約6億3000万円)の身代金を要求した。白夫人はなんとか全額は揃えたが、現金の受け渡しに失敗。マスコミに情報が漏れ、引き渡し現場にヘリコプターが先回りしているほどだった。4月28日、暁燕が遺体で発見された。8月8日、犯人グループは台北市で会社経営者を誘拐し、身代金400万台湾元(約1600万円)を奪っていた。8月19日、台北市内で、犯人グループの3人と警官800人との5時間に渡る銃撃戦になり、警官1人が殉職。犯人の1人で主犯の林春生(38歳)が警官によって射殺されたが、他の2人は逃亡した。後日、残る犯人の1人の高天民(36歳)が警官に包囲された際に自殺。11月18日、最後まで逃走した陳進興(当時39歳)は、ペルーで起きた日本大使公邸人質事件(1996年12月17日〜1997年4月22日)をまねて、南アフリカ大使館の武官官邸に人質を取って立てこもったが、陳の母親と妻に説得され、23時間後に投降した。1998年(平成10年)1月22日、台湾板橋地裁は陳に5件の誘拐・強盗・殺人について5回分の死刑、別の事件で2回分の無期懲役、それ以外の暴行事件などで有期懲役合計59年6ヶ月という判決を下した。1999年(平成11年)3月16日、高等法院は陳に対し、白冰冰へ1億7130万台湾元(約6億3000万円)という台湾史上最高の賠償命令判決を言い渡した。10月6日、陳の死刑が執行された。

日本において戦後の身代金目的の誘拐事件は258件発生しており、被害者が殺害されたのは33件ある(2003年4月20日、現在)。

ここで取り上げた誘拐事件のうち、1965年(昭和40年)の「新潟デザイナー誘拐殺人事件」と1980年(昭和55年)の「名古屋女子大生誘拐殺人事件」の2件は、映画 『天国と地獄』(DVD/2003)・・・(監督・黒澤明/主演・三船敏郎/東宝/1963年3月1日公開)と同じような方法で身代金を要求しているが、いずれも失敗に終わっている。この映画は、アメリカのエド・マクベインの87分署シリーズの1つ『キングの身代金』(ハヤカワ・ミステリ/1960)を原案にした作品で、『キングの身代金』では、当時、日本では実用化されていなかった「キャデラックに取り付けられている自動車無線電話」を使って、誘拐犯と被害者が連絡を取るという方法であった。『天国と地獄』では、身代金の受け渡しに、エアコンが完備して、窓が開閉しない特急列車の「こだま」(ちなみに、東海道新幹線の開業は翌1964年10月1日)を使った。犯人は走行中の列車の公衆電話を通じて身代金が詰まったカバンを列車で唯一、窓が開閉するトイレの換気窓から外へ投げ出す場所を指示するという方法で身代金をせしめることに成功する。また、映画公開の前年の1962年(昭和37年)の暮れに刊行された三好徹のミステリ小説『乾いた季節』(河出書房新社) の中に身代金要求に対し同様の手口があり、こちらでは特急「はと」を舞台に描かれている。1963年(昭和38年)の吉展ちゃん誘拐殺人事件の犯人の小原保は映画館で『天国と地獄』の予告編を観て、誘拐することを思い付き、実行(同年3月31日に誘拐&殺害)しており、手口は違うものの、警察の不手際で身代金をせしめることに成功する。また、誘拐事件以外で、『天国と地獄』の手口をまねた事件に、草加次郎事件(1962年11月4日〜1963年9月9日)や「グリコ・森永事件」(1984年3月18日〜1985年8月12日)があるが、いずれも現金の受け取りは失敗に終わっている。また、いずれも犯人を捕まえることができず、時効が成立している。さらに、「グリコ・森永事件」と同じ手口で身代金を奪おうとした誘拐殺害事件に、1993年(平成5年)の甲府信金女子職員誘拐殺人事件があるが、やはり現金の受け取りは失敗に終わっており、犯人が捕まっている。誘拐されるものの殺害までには至らずに身代金強奪に成功した事件に、2000年(平成12年)4月に起きた横浜の小2誘拐事件がある。だが、この事件も結局、犯人は捕まっている。

映画『天国と地獄』はモノクロだが、一部のシーンがカラーになっている。これは、配給元の本数分だけ着色したのではと言われている。この映画はエドガー・アラン・ポー賞、1964年(昭和39年)、ゴールデン・ローレル賞を受賞した。

参考文献・・・
『実録 戦後殺人事件帳』(アスペクト/1998)

『誘拐殺人事件』(同朋舎出版/斎藤充功/1995)
『20世紀の迷宮犯罪』(廣済堂出版/上村信太郎/1995)
『たのしき悪党たち』(東京法経学院出版/加太こうじ/1988)
『事件のカンヅメ』(新潮OH!文庫/村野薫/2000)
『未解決殺人事件ファイル』(廣済堂出版/田宮榮一/2001)
『明治・大正・昭和・平成 事件・犯罪大事典』(東京法経学院出版/事件・犯罪研究会編/2002)
『毎日新聞』(2013年3月7日付2013年6月24日付/2015年4月2日付/2016年2月28日付)

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