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甲府信金女子職員誘拐殺人事件

1993年(平成5年)8月10日午後2時50分、山梨県甲府市の甲府信用金庫本店に、山梨日日新聞発行の月刊誌『ザやまなし』の記者を名乗る男から取材の依頼の電話が入った。身近な職場で働く女性を写真で紹介する「輝いて」というコーナーで、金融関係の仕事をする女性を特集したいと言った。信金側としては格好の宣伝になると思い、すぐに承諾した。男は次に取材する相手を名指しした。

「大里支店の内田友紀さんをお願いします」

内田友紀(19歳)は信用金庫に勤めてわずか4ヶ月の新入社員である。この時点で怪しいと気づくべきだったのだが、地方では新聞社というのはひとつの権威であり信用させるには充分だった。本店では男に対し、大里支店に連絡するように伝えた。大里支店の支店長はその取材依頼を承諾した。

午後5時40分、着替えを済ませた友紀は業務命令という形で、男が差し回したタクシーに何の疑いもなく乗り込んだ。予定では、男は小瀬スポーツ公園の小瀬体育館前で友紀と待ち合わせすることになっていた。

午後5時57分、友紀を乗せたタクシーが小瀬体育館に到着。

午後6時半、友紀が男と会う・・・。

翌11日午前8時15分、友紀の父親が大里支店に出向いて「娘が帰宅していない」と言った。

その5分後の午前8時20分、大里支店に男から電話が入った。

「おたくの職員を預かっている。・・・・・・覚醒剤を売りさばいているが、その代金が未納になっている。11時までに4500万円用意しておけ」

午後1時35分と午後3時6分に、男から身代金の受渡し場所とその時刻を指定する電話が入る。警察にはすでに通報してあり、逆探知の準備はできていた。男からの電話は9回あり、そのうち警察が録音に成功したのは3回だった。逆探知可能な通話時間は1分20秒以上で、男はそのタイムリミットを知っているかのように用件の途中でも即座に電話を切った。

午後4時2分、大里支店の支店長は男の指定する喫茶店「珈琲待夢」に現金4500万円を持って待った。

午後4時14分、男から電話が入り、「カーオアシス甲府南」というガソリンスタンドで待て、と指示した。「カーオアシス甲府南」は「珈琲待夢」から約4.5キロ離れていた。

午後4時59分、「カーオアシス甲府南」の事務所に、男から電話が入り、5分以内に中央高速道路に入って、上り線の標識(104キロポスト)のところで現金を投げ捨てるように指示した。104キロポストは「カーオアシス甲府南」から約3.2キロ離れていた。

こうして指定場所を変更されたせいで、警察はミスを犯してしまう。「5分以内に」と指示されたにもかかわらず、104キロポストに支店長が到着したのは約50分後の午後5時54分だった。それは35人の捜査員をこの周辺に配置するのに手間取っていたからだった。

山梨県警は「現金を奪われたくなかったし、犯人検挙の態勢作りのため」と時間がオーバーした理由を説明した。誘拐事件は人質の安全をなによりも考慮しなければならないはずなのに、県警が取った措置は犯人逮捕を優先させたものだった。電話の男はこれ以降ぷっつりと連絡を絶ってしまった。明らかに、「グリコ・森永事件」の手口をまねたやり方だった。

のちに、中央高速道路の通行券から男の指紋が確認され、104キロ付近の境川パーキングエリアに指定時刻の約30分後までに男が乗っていた外車「オペル」があったことや甲府南インターから中央道に入り、同パーキングエリアを経て、次の一宮・御坂インターで下りたことが分かっているが、指紋ではなく、Nシステム(自動車ナンバー自動読み取り装置)により確認されたのではないかとも言われている。

男は電話で「104キロポストのところで現金を投げろ」と指示しているが、実は「105キロポスト」と指示したつもりだったことが、男の逮捕直後の供述で明らかになっている。「105キロポスト」は中央高速道路の甲府南インターから入ってすぐのところにあり、側道が本線とほぼ同じ高さで接近している。間にフェンスがあるが、乗り越えようと思えば簡単であった。現金を奪ったあと、側道を使って逃走することを考えれば、絶好の場所であった。男は実際に「105キロポスト」のわきの側道付近で支店長が来るのを待っていたが、なかなか来ないことから甲府南インターから中央高速道路に入り、境川パーキングエリアに車を止めて様子をうかがっていたのだった。

身代金受渡しが失敗に終わった日から6日後の8月17日、静岡県富士宮市の富士川で、内田友紀の遺体が発見された。友紀の首には粘着テープが幾重にも巻かれ、キャミソールの下着一枚という無残な姿だった。死後1週間経っており、男は誘拐直後に友紀を殺害し、富士川の上流に投げ込んだと見られた。

人質が死亡したことにより警察は公開捜査に踏み切った。マスコミは報道協定を解除し、事件の経緯を詳細に報じた。これにより、誘拐殺人事件があったことが、世間一般に知られることとなった。

またこの日、11日午後3時6分に男から甲府信金大里支店にかかってきた電話の内容を記した文書が公開された。内容は次の通りであった。(約1分20秒間)

< 『戦慄の夏 ’93・甲府信用金庫OL誘拐殺人事件』(山梨ふるさと文庫/読売新聞社甲府支局編/1993)より >

支店長 「甲府信金大里支店でございます」
「支店長おるかな」
支店長 「私、支店長ですけど」
「ああー、どういうこんや。できた?」
支店長 「場所がわからんですけど。さっきなんか」
「『珈琲待夢』、新々平和」
支店長 「どこですか?」
「甲府バイパスのー」
支店長 「バイパスのー、ええ」
「立体のー、ええ、ちょっと下ですが」
支店長 「立体の下っていうとお。こっち側ということですか?」
「南ですね」
支店長 「南側ということですか?」
「はい」
支店長 「はいはい、場所が、地図を見たけど出てなくて」
「じゃあ、お願いしますうー」
支店長 「ええと」
「そこでちょっと待っててくださいな」
支店長 「あの、なん、どういうふうになっている、ただ行けばいいですか?」
「お金は用意できました?」
支店長 「いま、用意してますけどねえー。やっぱり、こおうー」
「どのくらいかかる?」
支店長 「あと1時間くらいのうちにできます。なんとか」
「ああ、ほうすっか」
支店長 「ああー、これー、こんなこと人に言えないんですね」
「ええ」
支店長 「こっち内々でいま処理しているんで」
「ええ」
支店長 「お金の用意できないんですよ」
「じゃあー、1時間後にー、『珈琲待夢』で」
支店長 「1時間、ちょっと待ってください。1時間後にお金持って行くちゅうこんですか」
「そうです。一緒に持って来てください」
支店長 「そうですか」
「はい」
支店長 「うあのー、ほいでえー、うちの女の子はちゃんといるんですか?」
「えっ! 大丈夫ですよ!」
支店長 「あのー、電話出れないんですか」
「あっ、いま出られないですね」
支店長 「出れない」
「えー、現金、確認後、1時間以内にはちゃんとお届けしますから」
支店長 「じゃあー、なにか、内田が持っているねえ、所持品か何かを出せんですか」
「一緒に、もってもって(行)かせます、はい」(「もって」がどもる)
支店長 「女の子が持ってるねえー」
「はい」
支店長 「なんか物を持ってきてくれないとおー。誰が来てくれるんですか。おたくが行くのですか?」
「はあーい、私が行きますから」
支店長 「そうですか」
「はい」
支店長 「じゃあ、うちのほうで現金を渡す金額ですけれども・・・・・・」

ここで電話が切れる。

さらに、3日後の20日午後5時すぎ、犯人からの脅迫電話を録音したテープが報道各社から公開された。そのテレビ放送で流れた男の声を録音して分析しようということになったが、担当したのは、声紋鑑定の第一人者である日本音響研究所の鈴木松美所長で、分析した結果は次のようであった。

日本音響研究所

鈴木松美・・・1941年(昭和16年)1月1日、東京生まれ。近畿大学理工学部卒。ソルボンヌ大学および岐阜歯科大学の研究科を修了。警察庁科学警察研究所技官、科学技術庁技官を歴任。その間、KAY・エレメントリック研究所客員研究員、FBI科学捜査研究所留学を通して研究を深める。アキノ氏暗殺事件や吉展ちゃん誘拐殺人事件、グリコ・森永事件、日航ジャンボ機御巣鷹山墜落事故などの重大事件や事故を解明したことで知られている。主な著書・・・『音の犯罪捜査官 声紋鑑定の事件簿』 / 『いい声になるトレーニング−人に好かれる。信頼される。』/『誰も知らない声の不思議・音の謎』 / 『日本人の声』 / 『バウリンガル はじめて犬と話した日』

まず、9回かかってきた脅迫電話のうち、録音に成功したのは3回目、6回目、7回目の電話だが、そのうち3回目にかかってきた電話がこの事件と無関係であることが分かった。

さらに、6回目と7回目の脅迫電話は、分析の結果、同一人物であることが判明した。声紋分析でも違う声だと証明することは比較的簡単でも、同じだと証明するのは難しい。同じであるということを証明するには、音声をソナグラフ(周波数分析装置)にかけて、声紋をつくり、その特徴は百数十項目あるが、そのうちだいたい17〜18項目一致する必要があるという。

また、その微妙な訛りぐあいから判断して甲州弁を話す男であることが分かった。

さらに、次のようなことも判明した。

(1)ラリルレロの「R」の呂律がまわらない。たとえば、「立体のー」という言葉の「R」の音がはっきりしないので、「いったいのー」となってしまっている。

(2)ハヒフヘホの「H」の発音が弱い。たとえば、「はい」「もうひとつ」という言葉は「あい」「もういとつ」というふうに聞き違えることがあった。

このような発音だったため、捜査本部が発表した文書の「南ですね」となっていたフレーズは、実は間違いで、正しくは「左ですね」と言っていたことが判明した。

(3)語尾を伸ばす癖がある。「甲府バイパスのー」「立体のー」「じゃあ、お願いしますうー」「じゃあー、1時間後にー」にその特徴が認められる。

こうした言葉の特徴以外にも、いくつかのことが分かってきた。

(1)声の基本周波数(声帯の振動数)と身長は反比例の関係にあり、身長が高いと周波数が低くなり、身長が低いと周波数は高くなる。これから判断して、男の声帯の平均振動数は130ヘルツで、これより170センチ前後と推定した。これは15万人のサンプルを分析してはじき出したデータから割り出したものであった。逮捕後、明らかになった身長は172、3センチだったからほぼ間違いない結果であった。

(2)声からだいたいの年齢を割り出すことができる。声帯も筋肉であり、老化現象が見られる。老化するにつれて、発声器官の形を同じ状態に長い間、保つことができなくなるという特徴が生じ、発声が不安定になってくる。男の声から判断して、40歳〜50歳半ばと推定した。だが、実際の年齢は38歳であった。

(3)電話のやりとりを聞いて感じたことは、非常に対応が敏速であることだった。相手の反応をすばやく読み取り、まず恫喝して相手を怯ませ、相手が怯んだところで、次は優しく接するという、その硬軟の使い分けのうまさが目立っていた。恐喝犯はこうした硬軟の使い分けがうまいのが共通しているが、この男の場合は対応の速さが際立っていた。また、この会話から普段から方言を使って仕事をしていると推測した。さらに、11日午後3時39分にかかってきた脅迫電話の中で「お札の帯封はみんな無地のやつで」という話をしているが、この話の内容から推察すると、100万円以上のお金を動かすことに慣れていると考えられる。帯封に○○銀行と印刷されているものと、そうでないものがあるというのは、ある程度大きなお金を扱っている人でないと知らないことだった。

結局、逮捕後、判明した職業は、一台が1000万円にもなることがある山梨いすゞ自動車に勤める大型トラックのセールスマンであった。声の分析を行った鈴木が実際の年齢よりも高く推測したのは、こういった荒っぽい運転手相手に声を酷使したためではないかと思われる。

電話の声というのは当然のことながら、電話機を通じて聞こえてくる。このことから男がどこからかけてきたのかを調べるのは可能である。分析の結果、市内からの電話だということが判明した。当時は市外回線の場合、電話局のマイクロ波回線を通る過程で、ある電気的なフィルターを通過する。そうすると、約300ヘルツ以下の周波数の音声はそのフィルターでカットされる。ところが、今回の電話を調べると、6回目の電話は107ヘルツから、7回目の電話は165ヘルツから上の周波数が入っていた。つまり、これはフィルターを通らない市内電話の声だということになる。

6回目と7回目の周波数に違いがあるのは、調査の結果、市内の一部地域ではクロスバー交換機という古い交換機を使っていて、それ以外は新しいデジタル交換機を使っているからであることが判明した。新しいデジタル交換機は107ヘルツぐらいから入り、これが6回目の電話と一致し、古い交換機では160ヘルツ以上から周波数が入り、これが7回目の電話と一致することが判明した。

さらに、指定してきた身代金の受渡し場所や男の行動範囲などを考慮に入れながら場所を絞り込んでいくと、境川パーキングエリア内が浮上してきた。ここは高速道路の外からも自由に出入りでき、最後に現金を投げ捨てるように指示した中央高速道路上り線の標識(104キロポスト)地点まで歩いても30秒という近さだった。しかも、その標識がある地点の下に県道が走っていて、受渡しの場所としては適していた。また、境川パーキングエリア内にある幾つかの電話機のノイズを調べると、犯人がかけてきたノイズと非常に似た電話機があり、その電話機からかけたのではないかと推測された。

それから2日後の22日午後9時15分、友紀が誘い出された8月10日に、小瀬体育館前で落ち合った男女が写真のアングルを決めるようなポーズを取っていたという目撃証言と、カメラをさげた男のイラストを捜査本部が公表した。だが、これが事件とは無関係であることが分かり、27日に撤回した。

内田友紀が遺体となって発見された日から1週間経った8月24日午前5時、犯人である宮川豊(当時38歳)が自首してきた。「あまりに自分のことが報道されて逃げ切れないと思った」と自首してきた理由を述べた。

この事件が世間の注目を集めたのは、見事な声紋鑑定だけではなかった。計画的で緻密な犯行というのはまったくの見当外れだったからだ。

宮川が金融機関の女子職員を誘拐しようと決めたのは、犯行当日の8月10日の午後2時ごろで、給油に立ち寄ったガソリンスタンドで月刊誌『ザやまなし』の記事を見たときだった。それからMは県内の信用金庫でトップの甲府信用金庫であれば、多額の身代金を取れるだろうと考え、そこのガソリンスタンドから大里支店が近く、また、この支店なら顔を知られていないと思い、この支店の女子職員を誘拐することにした。その後、誘拐の対象とする女子職員の名前を知るために、NTTとKDDの請求書を持っていたことから、午後2時20分ごろ、その支払いを大里支店で済ませ、そのとき、女子職員のネームプレートを見て「内田友紀」という名前を覚えておいた。午後2時50分、甲府信用金庫本店に、『ザやまなし』の雑誌記者を装って取材依頼の電話を入れ、その日の午後6時半ごろに、友紀を連れ出したのだった。

殺意についてははっきりしていないが、供述によるとMは友紀を自分の車に乗せたあと連れまわしていたが、そのうち不審に思った友紀が騒ぎ出すと、宮川はタオルで口を塞いで、「静かにしろ」と脅迫した。午後8時ごろ、友紀が3度大声を上げたところで、首を絞めて殺したものと見ていた。翌11日午前0時ごろ、友紀の遺体を山梨県中巨摩郡玉穂町乙黒の笛吹川の土手から遺棄した。遺体は川に流されていった。Mはこのまま誰にも遺体が発見されず、海まで流されていくものと思っていたようだ。だが、遺体は海まで流されず、静岡県の富士宮市の富士川で発見されている。

犯行の動機は借金の返済に困ったからというありふれたものだった。7000万円の借金がありながら身代金として要求した金額を4500万円としてしまったのは、以前、自分が借金を計算したときにメモした金額が4500万円だったため、思わず口をついて出てしまったものだった。

宮川がこれほどの借金をしたのは、山梨いすゞのセールスマンとして販売実績を上げるために架空販売契約などを繰り返したため、その未収金が多額となり、再三、山梨いすゞから未収金の処理を求められるようになったからだった。母親から870万円、友人からも1000万円単位で借金していた。また、宮川は2年ほど前から韓国バーで知り合った韓国人ホステスの愛人に入れ込んでいた。この愛人のために市内に2DKの一軒屋を家賃月4万2000円で借り、この愛人がビザの更新のために帰国すれば、毎週のように韓国に行って豪遊していた。録音テープが公開された日の翌21日にも、この友人から100万円を借りて愛人のいる韓国へ逃亡した。この友人は公開された録音テープの声の主が宮川豊だと気づいていた。宮川は韓国へ渡ったものの、言葉は通じず、生活していけないことを知るとともに、いずれは逮捕されると思い、友人の勧めもあって、日本に帰って警察に自首することにしたという。23日、日本に帰国し、翌24日、警察に自首した。

宮川豊には看護婦をしている妻と2人の子どもがおり、近所では子どもたちに、「宮川のおっちゃん」と慕われ、代々続く農家の長男で、農作業に精を出し、体育協会や消防団などの地域活動に積極的に参加するなど、しっかりと地域社会の付き合いに溶け込み、穏やかな性格で人望すら集めていた男であった。

看護婦・・・保健婦助産婦看護婦の一部を改正する法律(改正保助看法)が2001年(平成13年)12月6日に成立、12月12日に公布、翌2002年(平成14年)3月1日に施行された。これにより、保健婦・士が「保健師」に、助産婦が「助産師」に、看護婦・士が「看護師」に、准看護婦・士が「准看護師」となり、男女で異なっていた名称が統一された。

この事件が起きたあと、山梨県内で被害者の遺族に関する流言飛語が飛び交った。それは、被害者の父親がマスコミの前で号泣したりしているところがいかにも怪しく、この父親は犯人とは知り合いで、保険金目当てに娘を殺害したのではないかといった類のものだった。もちろん、根も葉もない単なる噂なのだが、同年11月ごろには、県内に広まっており、これを信じる者も多かったという。

こうした噂が広まった背景には、誘拐(8月10日)から犯人逮捕(8月24日)までに日数があり、しかもこの間に犯人の声が公開されたため、人々が事件に強い関心を抱き続けていたことや、事件が未解決の段階で、<電話の声は男3人?>といった見出しで、犯行に加わった人物は複数だというような新聞報道がされたこと。また、被害者の父親が何度もマスコミに登場したことなどがあった。地元の人の目には父親の言動がわざとらしいものに感じられ、それが悪意のある噂を生んだのではないかと推測された。

1995年(平成7年)3月9日、甲府地裁は宮川豊に対して「犯行は計画的で責任は極めて重大だが、自ら自首、深く罪を反省している」として無期懲役を言い渡した。検察側が判決を不服として控訴した。

自首・・・犯人が特定される前に、犯人自ら申し出る場合を自首といい、自首すれば刑法42条をもとに減刑される可能性がある。犯人が特定されてから逮捕される前に犯人自ら警察に出向く場合は自首とは言わず、出頭と言い、自首とは別扱いになる。

刑法42条・・・罪を犯した者が捜査機関に発覚する前に自首したときは、その刑を減軽することができる。

1996年(平成8年)4月16日、東京高裁は1審の無期懲役判決を支持し、控訴を棄却した。

5月1日、上告期限となるこの日、検察側、被告側ともに上告せず、無期懲役が確定した。

判決に不服があれば弁護側、検察側ともに上訴(控訴や上告)ができるが、その猶予期間は判決の翌日から2週間以内と決められている。ともに上訴がなければ自然と刑が確定する。

参考文献・・・
『戦慄の夏 '93・甲府信用金庫OL誘拐殺人事件』(山梨ふるさと文庫/読売新聞社甲府支局編/1993)
『衝撃犯罪解決の真相』(竹書房文庫/犯罪追跡科学研究班編/1998)
『「鑑識の神様」9人の事件ファイル』(二見書房/須藤武雄監修/1998)
『戦後ニッポン犯罪史』(批評社/礫川全次/2000)
『毎日新聞』(1995年3月9日付/1996年4月17日付)

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