2016.05.27

ウイリアム・グリム神父が「宗教改革500周年」のために自ら立ち上げた企画に於いて来年「東京カテドラル聖マリア大聖堂」でタクトを振らせようとしている音楽家はフリーメイソンである

Part 2

その「企画」↑ については前々回を参照のこと。

“ ブラザー・ライカー ”

前回見たあれらの記事の中に、私は、ロバート・ライカー氏がフリーメイソンであることのほとんど「証拠」であるものが既に挙がっていると思います。しかしそれでも、それはまだ「ほとんど」かも知れません。100%ではないかも知れません。

しかし、次に見るものを、私は「100%の証拠」と言いましょう。
それは、確実にフリーメイソンであるところの或る日本人の人が、自身のブログでライカー氏のことを「ブラザー・ライカー」と呼んでいることです。

そのサイトの上部にはタイトルとして次の文字があります。
FREEMASONRY - Blue Lodge, Scottish Rite & York Rite Activity in Japan

フリーメイソンもオープンになったものです。前回見たような動きと合わせて考えれば、彼らは徐々に、ここ日本でも、「市民権」を得よう、「浸透」しようとしていると思われます。

そのサイトの URL はこれです。http://freemasonry.jp/
しかし、ご覧になれば分かる通り、背景画像と文字色の関係で、このサイトはひどく読みづらくできています(故意に?)。

ブラウザによっては、背景画像を非表示にして、文字色も自分で指定して、見やすくすることができます。しかし、読者の中にはそのようなことを苦手とする人も居ることでしょう。

しかし私は、このサイトの場合、Internet Archive に残っているキャッシュを見れば、そのような見づらさから解放されることに気づきました。なので、ここではキャッシュを使うことにします。以下のリンクは全てキャッシュに対するものです。

まず、どうしてそのブログの筆者が「確実にフリーメイソン」であると言えるのか。それは──ブログの内容からしても「ほとんどフリーメイソン員以外には書けないのではないか」と思わせるものがありますが──その人が次のように書いているからです。

2012-01-02

まあ私は別にフリーメイスンリーの広報担当な訳ではないのですが、広報担当の人と懇意にさせていただいているので(…)

2012-01-29

久々に会うロッジのメンバーがたくさんいたのでほとんどフリーメイスンリーの会合みたいな感じでした。

2013-12-30

スコティッシュライトはまあ私自身のフリーメイスンとしての階級を示すという事で、(…)

疑問の余地はありません。この人は確実にフリーメイソンです。

では、この確実にフリーメイソンである人がライカー氏のことを「ブラザー」付きで呼んでいる箇所を短く拾ってみます。
〔 〕は私による付加。

2012-05-31

さてこの場所〔日本外国特派員協会〕で実は以前もとりあげたブラザーロバート・ライカー音楽監督の東京シンフォニアのディナーコンサートが隔月で開かれています。(…)

基本的に東京シンフォニアの公演はフリーメイスンリーにまつわる選曲や作曲家、来客の方もそういう関係者という構成になっていますので、(…)

2013-12-14

先日の東京シンフォニアのコンサートについてです。(…)

感想:(…)これをブラザーライカーが指揮するのかと思っていましたが、指導している指揮者の卵の方に指揮させていたのでちょっと肩すかしな感じでしたが、(…)

2014-05-20

まあ相変わらずのブラザーライカーのコンサートに行ってそこでの演奏を聴いて、その後にこの交響曲第5番を聞いてなんともユダヤ人とキリスト教というものについて感慨を得て(…)

2015-03-13

ブラザーライカーも33階級を強く意識したわけではないでしょうが、この曲の後半で指揮棒を振り落すというハプニングがあったりもしました。

2015-08-25

私もブラザーライカーのモーツァルトコンサートで〔日本の Past Grand Masters の一人である James L. Johnston と〕握手した思い出があります。

2016-04-24 〔←これだけは Google のキャッシュ〕

(…)日本では(…)スコティッシュライトへの関心がもっぱらフリーメイスンリーへの興味であることも否定できないわけですが、そういうわけでという事でもないのですが、ブラザーライカーのコンサートは毎月開かれていて、(…)

この人のこのような書き方を見て、「この人はクリスチャンで、プロテスタント信者なのかも知れません。プロテスタント信者は信者同士で呼び合う時、相手の名前に『兄弟』『姉妹』を付けることがありますから」などと、そこまで寝惚けたことを言う人は、いくら何でも居ませんよね。2012-012012-02 を見るだけで、この人がメイソンたちのことを「ブラザー」付きで呼んでいる* ことは余りにも明らかです。

* 例を挙げておくと、「ブラザーモーツァルト」「ブラザージョージ・ワシントン」「ブラザートーマス・ジェファーソン」「ブラザーセオドア・ルーズベルト」「ブラザーアルバート・パイク」「ブラザーペリー」「ブラザーウォルト・ディズニー」「ブラザーマッカーサー」「ブラザージョセフ・スミス」などなど。

と云うわけで、結論。
ロバート・ライカー氏はフリーメイソンです。間違いなく。

そして、グリム神父

私はカトリックの神父様方の注意を引かせて頂こうと思います。
特に東京大司教区の責任ある神父様方の注意を。

現在、六本木のフランシスカン・チャペル・センターであのようにご活躍中の「カトリック新聞」の元編集長、ウイリアム・グリム神父は、私は断言しますが、ロバート・ライカー氏が以上のような人であることを分かった上で、ライカー氏と組んでいます。東京から遠く離れた地に居る私でさえ、ライカー氏がどのような人かは数十分でわかったのです。グリム神父が知らないわけはありません。

その彼が、来年、ライカー氏と一緒に、東京カテドラル聖マリア大聖堂で「宗教改革500周年」を祝おうとしています。
いや、「祝う」のではないのでしたね。彼らは次のように説明しています。

カトリック側としては「宗教改革」を「祝う」のではない。決してそうではない。カトリック側にとってはその企画は、この500年の間の宗教方面ばかりでなく世界の多方面にあった大きな変化や動乱を振り返りながら、それにも拘わらずカトリックとプロテスタント双方にとってこんなにも神様の祝福や導きがあった、ということを「記憶する」ためのものだ。

上は引用ではなく私が代弁したものですが、しかし彼らはそのように説明しているわけですクリスチャントゥデイ。が、申し上げます。こんなものは真[ま]に受けてはならぬものです。(言わされている牧師さんはきっとナイーブでイノセントなタイプです)

グリム神父という人は、同参照記事に見るように、<カトリックを動かすためにプロテスタントを励ます> という “行き方” をする人です。神父様方は感覚を鋭くして、「それはちょっと変なのでは?」と、少しぐらいは怪しむべきです。

グリム神父に「励まされ」たプロテスタントは、「善意」を携えてあなた方を訪問するでしょう。他者の「善意」を断ることは、やりにくいことです。しかしあなた方は、一人の「大人」として、それを丁重にお断りすべきです。何故なら、「大人」というのは「私とあなたの価値観は違う」ということを知っており、「違っているのは普通のこと」と知っており、従って、このような場合、「丁重にお断りする」ことにそんなに罪悪感を覚える必要はないと知っているものだからです。恐縮しながら、しかし断って下さい。(それで相手が気を悪くするようなら、その人たちが精神的に子供であるか、或いは「腹に一物持っていた」かのどちらかです)

私がそんなことを言うのも、差し出された「理由」をホイホイと信ずべきではないからです。上のような「理由」はいわゆる「理由付け」「後付けの理由」であり得ます。(これについてはまた後述)

管理人が注意を引きたいこと

ライカーさんは、或いは、人間的には「いい人」かも知れませんよ。しかし、そんなことを言ったら、以前見たモルモン教の人たちの中にも「感じのいい人たち」が居るかも知れませんね(いや、居るでしょう)。でも、それで済まないのが「宗教」というものだと思うのです。難しいけれど、その難しさを生きなければなりませんよ。

私はメラメラ敵意を燃やしているのではないのです(グリム神父には燃やすかもw)。しかし、物事を「伏せがち」に進めているようなところは嫌ですね。ライカーさん、ご自分がフリーメイソンであることを東京大教区に言って下さい。

「罪の概念は中世の哲学が聖書の内容を悲観的に解釈したものである、という考えを徐々に刷り込むことによって」

フリーメイソンの雑誌『Humanisme』1968年11月/12月号 より

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