2016.05.27

フランシスカン・チャペル・センター(六本木教会)に於ける
二人の司祭の横暴と傲慢(と頭のおかしさ) Part 1

ウイリアム・グリム神父
FCC の Weekend Assistant

ラッセル・ベッカー神父
FCC の 主任司祭

Franciscan Chapel Center の現在のスタッフ

私は人間の「顔貌」を見るのは大事だと思っている。「人を顔で決めつける」ということではない。人間の顔には、実際、その内面が色濃く表われるものだからである。

この “司祭” たちは「善」を装うだろうが、本当は「傲慢」な人間たちである(永遠にではなく、今のところ)。
世の神父様方、私の生意気な口調を許して欲しい。あなたは、今私が言ったことがお分かりなるだろうか。あなたは、人間の「霊魂」というものを、「言葉」以前の「心」というものを、いわば「直覚」できるだろうか。私は心配である。あなたがこれらの “司祭” たちの発する「言葉」を聞いて、「彼らの言うことも或る程度理解できる」なんて言っちゃうんじゃないかと。
あなたがそう言うならば、あなたは「人間」について「鈍い」のである、「疎い」のである。彼らの態度や言葉から、彼らの本性[ほんしょう]が「むき出し」になっているのである。「ヴェールを脱いだイシス」ならぬ「ヴェールを脱いだグリムたち」なのである。

また、この言葉も思い出して頂こう。
リベラル・カトリックほどセクト的なものはない

翻 訳

私の能力からして <誤訳皆無> の翻訳は期待できない。
が、大意に関しては問題ないだろうと思う。

が、念のため、原文を併記する(邪魔にならないように薄い色で)

ChurchMilitant.com

日本の二人の司祭がローマと地元司教に公然と歯向かう
しかし教区民に対しては従順を要求する

Two priests in Japan defy Rome and local bishops
but demand obedience from parishioners

March 31, 2016

by Bradley Eli, M.Div.

東京(ChurchMilitant.com) 東京の或る教会で、教区民たちは、二人の司祭から、聖体拝領の際に跪かないようにと警告されている。その二人の司祭は、そのようにすることで、ローマの指示と彼ら自身の司教協議会の指示に自覚的に逆らっている。

TOKYO (ChurchMilitant.com) - Parishioners have been warned by two priests at a parish in Tokyo not to kneel for Holy Communion. In so doing, they're knowingly opposing the directives from Rome and from their own bishops' conference.

Fr. Russell Becker

教区民たちは ChurchMilitant.com に、自分たちは跪こうとする時、ひどく怖れを感じる、と伝えて来た。教区民の一人、ニール・デイ(Neil Day)はこう言っている。

The parishioners informed ChurchMilitant.com that they're too scared to kneel. One parishioner, Neil Day, said:

状況は極めて不穏です。もし誰かがグリム神父やラッセル神父の前に跪けば、拒否されるでしょう。その二人の司祭の反応はひどく失礼な傾向にあり、実際、グリム神父などは、一人の女性を身体的に、即ち、その女性の腕を掴むまでして、立たせよう、立つことを強要しようとしたほどです。

The situation is extremely volatile. If anyone kneels in front of either Fr. Grimm or Fr. Russell, they will be refused. The reactions of these two priests tends to be extremely rude where Fr. Grimm actually physically grabbed a woman by the arm to try and force her to stand.

ここ三年以上の間、ラッセル・ベッカー神父(フランシスコ会、東京のフランシスカン・チャペル・センターの主任司祭)は、跪いた信者に聖体拝領を拒否し続けて来た ローマと日本の司教協議会に対する公然たる反抗として。また、ここ数か月の間、彼のアシスタント、タイから訪問している司祭、ビル・グリム神父も、同様の振る舞いをして来た。管理人注1

For more than three years, Fr. Russell Becker, O.F.M., pastor of Franciscan Chapel Center in Tokyo, has been denying Holy Communion to those who kneel — in defiance of Rome and the Japanese bishops' conference (CBCJ). For the past several months, his assistant, Fr. Bill Grimm, a visiting priest from Thailand, has been doing likewise.

ローマと日本司教協議会の両方ともが、拝領者は跪く選択肢を持っていると言っている。しかし、或る教区民がこの事実を告げた時、グリム神父は「チャペル・センターで司祭が秘跡の執行を任せられているならば、司祭に逆らおうとするあなたの決意は正当ではない」と答えた

Both Rome and the Japanese Bishops' Conference (CBCJ) said communicants have the option to kneel for Communion. But when a parishioner brought this fact up, the Fr. Grimm responded, "[It] is not valid for you to decide to overrule the pastor when it comes to the administration of the sacraments at the Chapel Center."

Fr. Bill Grimm

教区民たちは、この二人の司祭たちによる進行中の職権濫用の事例を、2015年12月以来、記録として持っている。

Parishioners have documentation as far back as December 2015 of several instances of this ongoing abuse of power by both priests.

目撃者たちによると、この1月、ベッカー神父は一人の教区民に、その人が跪いているからという理由で聖体を与えることを拒否した。ミサ後、その主任司祭はその教区民を、跪いたとして叱責した。そして、その教区民が彼に同意しないと見るやベッカー神父は、この教会から出て行け、そして二度と戻って来るな、と告げた。以来、その教区民はその教会に行っていない。

According to eyewitnesses, in January, Fr. Becker refused to give a parishioner Holy Communion because he was kneeling. After Mass the pastor reprimanded the parishioner for kneeling, and when he disagreed, Fr. Becker told him to leave the parish and never come back. The parishioner has since left the parish.

別の時には、それは昨年〔2015年〕の12月のことだが、聖体を受けるために跪いた一人の女性に対し、グリム神父が聖体を与えることを拒否した。彼女が跪いたままでいた時、彼はその女性の肘を掴み、その体を引き起こそうとした。そうすることに成功しなかった時、彼は、伝えられるところによると、怒りの感情を露わにし、そして、跪く者に聖体を与えることを「日本カトリック司教協議会が」禁じているのだ、と言った。

On another occasion last December, Fr. Grimm refused to give Holy Communion to a woman who knelt to receive. When she remained kneeling, he attempted to pull her up by the elbow. Failing to do so, he reportedly stormed away, saying that the "Catholic Bishops' Conference of Japan" has banned the distribution of Holy Communion to those who kneel.

しかし翌2月、ニール・デイが聖体拝領者の跪く権利管理人注2についての日本カトリック司教協議会の文書と共にグリム神父に接触すると、その司祭は通信の中で、日本カトリック司教協議会は「一つの例外として跪くことを許している」と認めた。しかし続けてこう言った。「その例外はフランシスカン・チャペル・センターでは認められていない」。

But in February, after parishioner Neil Day contacted Fr. Grimm with documentation from the CBCJ over communicants' right to kneel, the priest admitted in the correspondence that the CBCJ "allows for kneeling as an exception." He added, "That exception is not recognized at the FCC [Franciscan Chapel Center]."

その同じ日、その司祭は、跪く拝領者にも拝領を許さなければならないとする日本カトリック司教協議会の指示に従うことを拒否する理由を列挙した。「拝領者たちの行列は流れているので、跪くことは他の人々にとって危険なものになる」、そして「跪くと言って聞かない人たちは、大抵の場合、そうすることで人々の注目を集めたいのだ」。

The same day, the priest listed reasons for refusing to obey the mandate of the CBCJ to allow communicants to kneel. "The flow of traffic makes kneeling dangerous to other people" and "those who insist upon kneeling usually make a big show of doing so."

そして彼はニール・デイに注意し続けた。

He then went on to admonish Day:

言わせて頂けば、あなたが大学院で神学の学位を幾つか取って、そして司祭叙階されて、大司教から教区司祭に任命されて、数十年の経験を積めば、このような物事がどういうものかを本当に理解できるのはそのような資格を持った人たちではないかと考える謙虚さを身につけることができる、というものではないでしょうか。

Might I recommend that until you have a couple of graduate degrees in theology, are ordained, have been appointed pastor by the archbishop and have decades of experience that you have the humility to assume that men who have those qualifications might actually know what they are about.

〔以下省略〕

これを転載しているサイト PagadianDiocese.organgelqueen.org

管理人注

[管理人注1] 「ビル」は「ウイリアム」の愛称。戻る

[管理人注2] 神父様方はここに違和感を感じるだろう。「跪く権利」という言い方に。神父様方はこう言いたくなるだろう。「日本でも、何か深い、特別の事情があるならば、跪いて聖体拝領することも許されるかも知れない。しかし、それは飽くまで『例外』として許されるということなのだ。だから、ここに『権利』などという言葉を使ってもらっては、ちょっと困る」と。

私は、まあ、そのようなお気持ちは分かる。いや、賛成とか共感とか云うのではなく、日本の神父様方の感じ方が予想できるということである。

しかし私は、そのような “お気持ち” を分かりつつも、「いや、そこに『権利』という言葉を使うことも、まんざらおかしくはない」と言わせて頂く。何故ならば、『指針 あながいの秘跡』が次のように言っているからである。

91 聖体の授与において、「聖務者は、適宜に秘跡を求める者に対し、その者がふさわしく準備しており、かつ法律上秘跡の授与を禁じられている者でないならば、それを拒んではならない」(177)ということを忘れてはならない。したがって、洗礼を受けたカトリック信者で、法律によって禁じられていない者はだれでも、聖体拝領を認められなければならない。それゆえ、たとえばひざまずいて、あるいは立って聖体を受けることを望む信者に対して、そのことだけを理由に聖体授与を拒むことは適法ではない。

(177)教会法 第八四三条第一項。同第九一五条参照。

92 おのおのの信者は、自分の選択によって、聖体を口で受ける権利をつねに持っている(178)が、…

(178) 「ローマ・ミサ典礼書の総則」161参照。

この92項は文字そのものとしては「口での拝領」について言ったものだが、しかし91項からの流れを見るならば、「跪いての拝領」についても「権利」ということは、そんなに突飛な、“全くあり得べからざること” というほどのものではないだろう。戻る

外部サイト重要参考記事

念の為に言っておけば、カトリック・アクション同志会さんは当サイトとは何の関係もない。両者の間に交流はない(メール交換さえ)。

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