2014.05.02

カトリック新聞元編集長 ウイリアム・グリム神父 Part 2

プロライフ運動の LifeSiteNews.com はグリム神父に「反体制派の(dissident)」という形容詞を当てている。その通りである。

LifeSiteNews

メリノール宣教会の反体制派の司祭は出生率を高める方法について信者らの意見を集めたバチカンを酷評する

by Peter Baklinski

2013年12月11日

日本で活動している或るカトリック宣教会の司祭が、バチカンが或る質問調査の中でカトリック家庭での出生数の増加を図る方法について信者らに尋ねたとしてバチカンを酷評している。

ウイリアム・グリム神父(現在、東京で活動しているメリノール宣教会の司祭)はバチカンのその質問を「息をのむような無責任」の一例と呼んだ。

「彼らは本気なのか? 地球の上には既に70億の人が居り、私達は今も増え続けている。資源は減少している。他の動物種と植物は人間の数のプレッシャーによって絶滅に追い込まれている」と、彼は自身のサイト UCANews.com で、月曜に自己発行した「バース・コントロールについて再考すべき最大の時: 教会のアンケートはひどく欠陥を持ち、そして或る点で無責任である」と題された記事参照の中で書いている。

バチカンは、来たる「家庭のためのシノドス」(教皇フランシスによって特別に呼びかけられ、2014年10月に予定されている)のための準備の一部として、全世界の司教達に、カトリック家庭の状態について彼らが信者達からのフィードバックを集めるべく、一つのアンケートを送った。集められた結果はシノドスの神父達のために議論のための一つのガイドラインとして役立てられることになる。

質問調査は「今日の家庭に面した司牧の挑戦」に関係するもの。「結婚したカップルの生命に対する開放性」というテーマに於いて、バチカンは六つの質問をしているが、その最後の質問はこうである。「どのようにしたら、子供を持つことに対するもっと開かれた態度を促進することが出来るでしょうか? どのようにしたら、出生の増加が見込まれるでしょうか?」

人口統計学者達は、殆ど全てのヨーロッパ諸国及びロシアや中国と云った場所に於ける人口崩壊について警告して来た。ヨーロッパの出生率は、一夫婦につき2.1という人口補充のための水準を下回っており、イタリア、スペイン、オーストリア、及びドイツを総合すれば、出生率は約1.4となっている。ポーランドとロシアの出生率はもっと悪く、それぞれ1.32と1.2である。

日本(グリム神父が住んでいる国)は、一夫婦につき1.1という出生率で、人口の減少に於いて世界をリードしている。

Pro-life-and-family のリーダー達は、人口崩壊をグローバルな人口操作の運動と関連付けて来た。その運動は、避妊、断種、そして人工妊娠中絶を、大規模に容赦なく推進するために、前世紀中、企業世界とあらゆるレベルの政府機関の中に侵入した。

ウィーンの枢機卿大司教であるクリストフ・シェーンボルン枢機卿は、2009年の説教で、真面目に、「ヨーロッパのキリスト教の時は終わりを迎えようとしている」と述べ、ヨーロッパのキリスト教に弔いの鐘を鳴らした。この説教の以前に、シェーンボルン枢機卿は、ヨーロッパは司教達がカトリックの真の性道徳を教えることを「怖れて」いるために「今や死滅しようとしている」と警告していた。

グリム神父は、「人口が減り続けている」国(日本)に自分が住んでいることを認めながら、それにも拘わらず、教会は「出生の増加を呼びかける事に於いて愚かであるばかりでなく不道徳でもある」と述べている。

「我々がどのように出生を増やすことができるかを尋ねる代わりに、カトリック教会は、生まれる全ての人々が5歳を超えて生き延びるチャンスを得、且つ神の子としての尊厳をもって生きることを可能とする食料・ヘルスケア・教育を享受する方法を得ることを確実にするような確かな家族計画を呼びかけることに於いて世界のリーダーであるべきだ」と彼は書いている。

記事の下で、一人のコメンテーターがグリム神父にこう尋ねた。「あなたは人間の霊魂を信じていますか? 一人の子供は一人の資源消費者である以上の存在であると信じていますか?」

〔訳注: UCAN のサイトに、以前は読者コメント欄があったのだろうか〕

グリム神父は、カトリック司祭として出生数の増加に一役買うことを皮肉っぽく志願しながら、自分の記事を終えている。

彼はこう書いている。「しかし他方、もしバチカンの人々が本当に、我々は出生数を増やすべきだと思うなら、そのための方法の一つはおそらく、彼らが司祭らに要求している独身制を取り下げることかも知れない。」

〔訳注: ここだけは英文を併記しておく。“But on the other hand, if people at the Vatican really think we should be increasing the number of births, perhaps one way to do so might be for them to abandon the requirement of celibacy for the clergy,” he wrote.〕

 「良心的」で鈍い人達は(と遠慮なく言わせてもらう)、彼のこのような言葉を見て、こう思うだろう。「ナニ、彼は議論の成り行き上、たまたまこのような事を言ったまでで、『司祭の独身制』そのものについて、何か彼として確かな考えを言ったわけではないのだ」と。

それに対して私は言う。「もちろん、字面上はそうである」と。
しかし、「それで終わりではない」と続ける。

私としての結論はこうである。
一人のカトリック司祭が、何であれ上のような事を言うことは、彼が実のところ「司祭の独身制」を大したものとは思っていない証拠である。

小結論。結局、私達はつい最近まで、御聖体に於ける「全実体変化」を信じない前々回参照、且つ「司祭の独身制」の事を大したものとは思わない一人の "司祭" を、日本のカトリックの公的新聞の編集長として持っていたのである。

司祭の独身制に関するグリム神父の言い草を見たら、国井神父様についても、もう一言書きたくなった。
こうである。

グリム神父にとってばかりでなく国井神父様にとっても、「司祭の独身制」はもはや「大して必要ない」或いは「大して本質的なものではない」のではないか。
何故なら、私達の信仰にとって最も大事な「ミサ聖祭」に於いて、司祭というものが「進行補佐役」程度のものであり、そして同じ「ミサ聖祭」に於いて真の「主役」である平信徒らが、〈家庭を持って当然〉の、〈家庭を持つ自由を完全に持つ〉人々であるならば、
なんで「進行補佐役」程度の重要性しかないものが、〈どうしても独身でなければならない〉などと云う事があり得よう?

再びグリム神父のことに戻るが──
人口問題に関するグリム神父のあのような考えを聞きながら、私の心に浮かんだのは、もちろんこれである。

Georgia Guidestones

ジョージア・ガイドストーン(Georgia Guidestones) 検索

グリム神父の言説は、どれも不思議にフリーメイソン的な方向性を指し示すなぁ。。
(いやいや、フリーメイソンだとは言ってません)

今思いついたが、「rule」には「支配」という意味もあるのだった。
一部の西洋人は、どうも「支配」したがる。現代世界憲章にもその傾向が窺われる。

地上に存在するあらゆるものは、その中心および頂点である人間に秩序づけられなければならない(12)

物質界は人間を通してその頂点に達し、人間を通して創造主の賛美の歌を歌う(14)

私達東洋人は、「そんな人間観はちょっと "自惚れ過ぎ" というものではないか」と思うのである。

しかし、東洋人でもインテリという種族は少し違う。彼らは思う、「それは狩猟民族と農耕民族の違いで…」云々かんぬん。

そして、或る人は勿論、「地上のすべてをこれに司らせよう」という創世記の中の天主様の御言葉を思い出すだろう。

しかし、私はそうではないと思う。
本当のカトリック信者は、東洋人であれ西洋人であれ、自然に対して、もっと謙虚だろうと思う。

現代世界憲章の上の言葉をジョージア・ガイドストーンにペタッと貼るならば、それは「ピッタリ」だ。
和製英語で言うところの「just fit」だ。

次へ
日記の目次へ
ページに直接に入った方はこちらをクリックして下さい→ フレームページのトップへ