2016.04.21

勝谷司教様(札幌教区)はモルモン教から招待されている

「友好だけが全て」であるかのような現代の宗教世界に於いて──

札幌の勝谷司教様はモルモン教(末日聖徒)から招待されている。

「現在建設中の札幌神殿が完成した暁には、そのオープンハウス

(お披露目会)に来るように」と。

モルモン教は日本でも多くの活動拠点を持つタウンページ。しかし、その中でも「神殿(Temple)」は特別であって、そう多くはない。日本ではこれまで東京福岡の二箇所であった。そうして、今年の夏、札幌に三つめが完成しようとしている。

注)以下の引用は全てウェブ上のキャッシュからとする。何故なら、ニュース記事というものはいつか削除されるものであるから。
強調は管理人による付加。

ニュースリリース 2014年 9月 2日 - 札幌

ホワイティング長老がカトリック教会札幌司教区を表敬訪問

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札幌8月27日、アジア北地域会長会のスコット・D・ホワイティング長老ご夫妻が、カトリック教会札幌司教区の勝谷太治司教を表敬訪問した。地域七十人の大田原長老も同行した。

〔中略〕

ホワイティング長老は「将来パートナーとして地域に何か奉仕することを行ないたい、また、札幌神殿の完成の際にはオープンハウスにゲストとして勝谷司教をはじめ多くのカトリックの方々をご招待します」と話した。ホワイティング長老からは、家族で聖文を学ぶことの大切さを象徴した置物が贈呈された。

末日聖徒イエス・キリスト教会は各地で、異なった宗教間での対話や人道支援活動の協力を積極的に行っている。教会ではオピニオンリーダーである他宗教の指導者と良好な関係を築くことを奨励している。

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司教様がプレゼントされたらしい彫像は、Florence P. Hansen

(1920-)という名のモルモンの女性彫刻家が作った「Family

Ties(家族の絆)」と題された作品のようだ。archive

日本札幌神殿は,札幌市厚別区大谷地1-620-5に建設されます。

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正しくは「札幌市厚別区大谷地西1丁目620-5」だろう。Map

2015年6月

天使モロナイ、日本札幌神殿に設置される

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ニュースリリース 2016年 1月 21日 - 北海道

札幌神殿の奉献式の日程が発表される

末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長会は、現在札幌に建設中の神殿のオープンハウス(一般公開)と奉献式の日程を発表した。

オープンハウス(一般公開):7月8日(金)から23日(土)

奉献式:8月21日(日)

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しかし、私の予想では、勝谷司教様は行かないだろう。何故なら、もし行くなら、事は単に「共通善」の問題ではなくなるからだ。現代のエキュメニズムは宗教の違いを超えて「共通善」のために協働しようとするものだが、もし特定の宗教・宗派の「神殿」の完成に駆けつけるなら、その宗教・宗派に固有の宗教性まで相手にすることになる。

そして、第二バチカン公会議の精神は「他者に対する尊敬」と簡単に口にするけれども、或る宗教が真によい宗教であるかという問題は、引き続き、常に、シビアに残っている。

札幌に「神殿」が建つということで、過剰反応(?)しておこうと思う。これを機会にモルモン教について知っておこうと思う。私もよく知らないので。

ガエタノ・コンプリ著『ゆがめられたキリスト エホバの証人 モルモン教 原理運動』(ドン・ボスコ社)

ガエタノ・コンプリ神父様もこのような本をお書きになっていることであるし。

しかし、絶版? ドン・ボスコ社

内容に不正確なところでもあったのか? それとも、やはり「友好」のため? 「友好」に差し障りが出るため?

それとも、単に「売れない」から? 確かに、出版業界に於いて「売れない」ということはかなり抵抗し難い、「やむを得ない」という部類のことなのかも知れないが、しかし「認識」の問題をどこかに置いておかなくていいのか?

私たちは、モルモン教について調べることを、モルモン教そのものについて知る機会とするばかりでなく、「宗教間対話」や「宗教間協力」と云ったもの(モルモン教は現在それに熱心である)がそんなに安心なものなのか、そんなにハッピーなものなのか、そんな温か一方な、すっかり気を許していいものかどうかを検討する機会とすることもできるだろう。

私たちには時間が少ない。今、結論を言ってしまおう。
モルモン教とはこれである。

創始者ジョセフ・スミス

第二代大官長ブリガム・ヤング

左は誰かがジョセフ・スミスの肖像画にフリーメイソンのマークを貼り付けたものである。つまり、肖像画のちょっとした改変である。しかし、改変ではあっても「真実」に忠実な改変である。ジョセフ・スミスがフリーメイソンであったことはただ「事実」であるだけだからである(後述)。
右のブリガム・ヤングの写真は本物である(後述)。

だから、「勝谷司教をはじめ多くのカトリックの方々」が何かの間違いでその招待に応ずることでもあるならば、それはその時、札幌のカトリック界がこれ↓に似たものとなったということである。

参照

聖マキシミリアノ・コルベ神父様はフリーメイソンのために祈ることを会則の中に盛り込まれた。参照
私は、そういうのが私たちの持つべき態度だろうと思う。
コルベ神父様のその御態度は融和的な「宗教間対話」とは違う。

モルモン教という宗教が全く間違った土台(魔術、フリーメイソン等)の上に立てられたものであると知りながら(知らないなら、私たちはこれから知ろうとするのである)、なおそれを相手として融和的な「宗教間対話」をするならば、どうかしている。
それは「盲目のカトリック信者たちの善意の行ない」というだけである。「善意」は良い、が、「盲目」はまずい。

「罪の概念は中世の哲学が聖書の内容を悲観的に解釈したものである、という考えを徐々に刷り込むことによって」

フリーメイソンの雑誌『Humanisme』1968年11月/12月号 より

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