2016.04.21

モルモン教とは何であるか Part 1

Wikipedia の日本語版に於いては、モルモン教関連のどの記事も「フリーメイソン」の「フ」の字も出していない(「フリーメイソン」の項にはあるけれども)。Wikipedia だけが全ての情報源ではないとしても、日本の素朴な人たちは情報弱者になる恐れはないか。真実のところ、モルモン教とは何なのか。

一口で「モルモン教」と言っても、実は幾つかの分派があるのだそうだ参照。日本でもお馴染みなのは、その中の最大教団、アメリカはユタ州ソルトレイクシティに本拠を置く「末日聖徒イエス・キリスト教会、The Church of Jesus Christ of Latter-day Saints (LDS) 」である。私の直接の観察対象はこれである。

文書資料

次は、淑徳大学の教授、高橋弘氏の著書『素顔のモルモン教』から。画像とその説明、そして〔 〕は管理人による付加。

高橋弘著『素顔のモルモン教』(1996年)

pp. 97-98

ブリガム・ヤングと秘密結社「フリーメーソン」

これは高齢のブリガム・ヤングの姿だが、彼がジョセフ・スミスに初めて会ったのは31歳の時ということになる。

 一八三二年一一月、『モルモン経』を読んでこれこそ自分の探していたものだという、がっしりした体格の男がジョセフ〔・スミス〕を訪ねてきた。この男がブリガム・ヤングである。ブリガム・ヤングは、次第に〔シドニー・〕リグダンに次ぐ実力者と目されるようになるが、やがてはジョセフに代わって信者をユタの地に導き、今日の「モルモン帝国」を築きあげた男である。ジョセフはロマンチストで夢想家タイプであったが、ヤングは冷徹な実務家タイプの男であった。ヤングについて述べておかなくてはならないことは、彼が秘密結社「フリーメーソン」のメンバーであったことである。ジョセフ・スミスとフリーメーソンとの関わりは意外にも早い時期から始まっている。ジョセフの右腕として活躍する兄ハイラムが早くからフリーメーソンの会員になっていたからである。後の有力な指導者になるヒーバー・キムボールもフリーメーソンであった。その後ジョセフとリグダンもフリーメーソンに加わるが、結局、モルモン教会の指導者たちはオーソン・プラットを除いて全員フリーメーソンになった。そして一八四二年には、モルモン教にフリーメーソンが導入され、ノーヴーにはロッヂが建設され、ジョセフとリグダンがマスター・メーソンに昇格している。

 この頃から、モルモン教が大きく変質し始めることに注意すべきである。モルモン教にたいするフリーメーソンの影響が想像以上に大きいことを指摘したのは、「モルモン歴史協会」の初代会長リード・ダーハム(ブリガム・ヤング大学教授)である(15)。彼はモルモン教とフリーメーソンとの類似点は、外面的類似性(例えばモルモン神殿に使用されているシンボル・マークなど。因みにアメリカの一ドル札にもフリーメーソンのシンボル・マークが使用されている)から、神殿における儀礼の類似性にまで及んでいると指摘する。

(15) Reed Durham, "Is There No Help for the Widow's Son?" Presidential address delivered at the annual meeting of the Mormon History Association, Apr. 1974. Underground ed.

上で「日本の素朴な人たちは情報弱者になるのではないか」と書いたけれど、もし人々がこの本(高橋氏の『素顔のモルモン教』)を手に取るなら、決して情報弱者になることはない。
そして、それはネットに全文アップされている。参照

この宗教(?)が如何に信用すべからざるものであるかを知るためには、この本の最初から「Ⅰ 素顔のモルモン教」の前半ぐらいまでを読めば十分だ。それだけで、人はモルモン教という宗教(?)の「超弩級の “いい加減さ” 」にのけぞって呆れさせられる。これは、遥かに、「フリーメイソン」とか何とか云う以前の話である。

次に、世界の構造の解析で有名な小石泉牧師(RIP)の御文章。私は「彼は間違ったことは何も言わなかった」と言うつもりはない。が、次の箇所は問題ないので引用する。

小石泉著『続・悪魔[ルシファー]最後の陰謀[プログラム]
(1994年)

pp. 175-179

 前の本の中で私はモルモン教についてほんの一行だけしか書かなかった。緊急に出版したかったからである。するとモルモン教の方と思われる日本人から電話がかかってきた。ジョセフ・スミスとブリガム・ヤングがフリーメーソンだという証拠が書かれてないというのである。私にしてみればいまさらそんな事はあまりにも自明なことなので資料を当たっておかなかった。実は今回もモルモン教については、残念ながら必ずしも十分な資料に当たる事が出来なかった。もし、本当に書こうと思うなら、それ自体でいくつもの本になるであろう。またよく知られているこの宗教の特徴については改めて書くことはしない。

 しかし、私が面白いと思ったのは、この人が、「フリーメーソンである」と言う事が不名誉な事としておられたと言う点である。もし、スミスとヤングにとってフリーメーソンであると言う事が不名誉な事であるなら、私は喜んで謝罪する。モルモンに限らず、エホバの証人にせよ、プロテスタントにせよ、カトリックにせよ、私が「フリーメーソンであろう」と書いてそれが「不名誉だ」として抗議されるなら、私はその方の所に行って謝罪し、手を取り合って喜ぶであろう管理人注1。事実、ある有名な伝道者はアメリカの『クリスチャンニュース』紙の「あなたはフリーメーソンですか」という質間に対して、「違う」と答えたが、フリーメーソンが悪いものだと思うかという質問には答えなかった。

 この方の質問には次ぺージのフリーメーソンの記章を胸に付けたブリガム・ヤングの写真を私は持っていることを申し上げておく。管理人注2

〔中略〕

 フリーメーソン三三階級ブランチャードの本によれば、メーソンの最高権威がメーソンとモルモン教は基本的に同じ制度であると言っている。「二つの制度は形式的にも実際的にも同じものである」管理人注3。またメーソンの優秀な著者であるマービン・H・ホーガン管理人注4も「メーソンとモルモン教の教義、神学、道義は同じものだ」と証言している。これらは多くの証言者のほんの一部にすぎない。

[管理人注1]  ここは小石牧師の或る種の書き方である。本来なら小石牧師は何も「謝罪」する必要はない。そのことを小石牧師自身ご存知だ。何故なら、ジョセフ・スミスとブリガム・ヤングがフリーメイソンであったことは事実だからである。しかし要するに、それほど「フリーメイソンは良くないものだ」ということを確信している人は少ないということなのである。そのように確信している人に会ったなら、他の事は忘れたようになってそれを喜ばずにはいられないという小石牧師なのである。私は共感する。

[管理人注2]  小石牧師がこの本を出版したのは1994年だが、現在、「フリーメーソンの記章を胸に付けたブリガム・ヤングの写真」はインターネット上に出回っている。

私たちは「これらの写真はもしやフォトショップで加工されたものではないか」などと心配する必要はない。今日では Wikipedia でさえ次のように書いている。強調は私。

Mormonism and Freemasonry

モルモン教とフリーメーソンの関係は、ジョセフ・スミス(末日聖徒運動の創立者)の人生の早い時期に始まった。彼の家族がニューヨーク州パルマイラの近くに住んでいた頃、彼の兄ヒラムが、そしておそらくは彼の父もフリーメイソンだった関係から。(…)

The relationship between Mormonism and Freemasonry began early in the life Joseph Smith, founder of the Latter Day Saint movement, as his older brother Hyrum and possibly his father were Freemasons while the family lived near Palmyra, New York.(…)

1840年代に、スミスと末日聖徒の著名な指導者たちの幾らかは、フリーメイソンになり、1842年3月、イリノイ州ナヴーにロッジを設立した。フリーメイソンに加入して間もなく、神殿でのエンダウメントの儀式を導入した。それはフリーメイソン内で彼らが持っていたのと本質的に同じである象徴的な要素を数多く含むものであった。スミスは死に至るまでフリーメイソンのままであった。(…)

By the 1840s, however, Smith and several prominent Latter Day Saint had become Freemasons and founded a lodge in Nauvoo, Illinois, in March 1842. Soon after joining Freemasonry, Smith introduced a temple endowment ceremony including a number of symbolic elements that were essentially the same as their analogues within Freemasonry. Smith remained a Freemason until his death;(…)

末日聖徒運動の初期の指導者たちの内のかなりの数は、その運動に加わる前、フリーメイソンであった。注目すべき例としては、ブリガム・ヤング、ヒーバー・C・キンボール、ジョン・C・ベネット、ハイラム・スミス、及びジョセフ・スミス・シニアなどである。

A significant number of leaders in the early Latter Day Saint movement were Masons prior to their involvement in the movement. Notable examples include Brigham Young, Heber C. Kimball, John C. Bennett, Hyrum Smith and Joseph Smith, Sr.

[管理人注3]  Jonathan Blanchard(1811 – 1892)の Scotch Rite Masonry Illustrated Vol.2 の中の言葉だろう。“The two institutions are morally and legally the same.”(p.373)。言葉が少し違っているのは、出版を急いだ小石牧師が原文に当らずに記憶だけで書いたからか。

[管理人注4]  ここも不正確なようだ。マービン・・ホーガンではなくてマービン・・ホーガンだろう。Mervin B. Hogan

Part 2 以降は後日アップする。

「罪の概念は中世の哲学が聖書の内容を悲観的に解釈したものである、という考えを徐々に刷り込むことによって」

フリーメイソンの雑誌『Humanisme』1968年11月/12月号 より

次へ
日記の目次へ
ページに直接に入った方はこちらをクリックして下さい→ フレームページのトップへ