2016.04.21

雪ノ下教会(横浜司教区)

東日本大震災は日本人にとって余りに大きな事だったから、私としても書きづらいところがあるのだが、それでも。
以前、大阪教区の「たかとり教会」に鳴り響いた般若心経を紹介したが参照、今回は鎌倉の雪ノ下教会

2013年3月11日

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私は若い頃、幾つかの宗教を経験した。そういう所からすれば、私は他宗教に特に偏見も敵意もない。しかし、複数の宗教を経験しているだけに却って、こういうのを見ると、こう思う──「なんのこっちゃ」。

否、「祈ること」にケチを付けているのではない、そんなことはできるわけはない。しかし、カトリックばかりでなく他の宗教者も、このように「寄り集まる」ことでどれだけ素晴らしい事が起こると思っているのかと、首を傾げずにはいられないのある。

私は、「人間」とは一言で云って「ナイーブ過ぎる、他愛ない」ものだと思う。例えば、現在の御ミサの「平和の挨拶」の中で、人と顔を見合わせ、つい嬉しくなる。その「嬉しくなる」部分にケチを付けようとは思わない。しかし、問い返してみなければならない、「それはどれだけ大したことなのか」と。「真に大したことは別にあるのではないか」と。

鎌倉宗教者会議が主催するこの「東日本大震災・復興祈願祭」は鎌倉の神道・仏教・キリスト教の三宗教が毎年行なうものだが、年ごとの会場はその三宗教の間で持ち回りとなっている。2013年は雪ノ下教会であったから、今年は再びキリスト教会の当番である。雪ノ下教会が再び会場となった。──ん? 鎌倉のキリスト教他派はこの催しを容れる大きさを持った建物を持たないのか?──と、私は心配していない。私はこの催しに賛成でないのだから。(祈ることには賛成だが、この催しには不賛成である)

今年の模様に関しては臨済宗円覚寺のブログが視覚的に詳しい。
円覚寺・居士林だより

或る変化

私が何故このような催しに「賛成でない」かの理由は、今までもさんざ書いて来たつもりだから、ここでは書かない。ただ、私はここで、近年に於ける雪ノ下教会の「或る変化」を紹介しよう。

その「変化」には二つある。一つは、主聖堂の十字架である。

 

2007年

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2009年

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2014年

 

それはかつては “御復活の十字架” だった(①)。しかし、或る時点から、それはプレーンな十字架に変わったのである(②)。

そして、今一つは御聖櫃の位置である。それはかつては御聖堂の中央にあった(①、②)。しかし、或る時点から、それは中央から “ずれた” 位置に移されたのである(③)。

注)③ の写真だけを見たならば、御聖櫃のこの位置は現代の教会に於いてはそれほど特異ではない。しかし、同じ一つの教会で、昨日まで “中央” にあったものを今日 “非中央” に「移す」ということが一つの事である。

そして、偶然か必然か、この教会のこのような変化は、この教会で催される合同祈祷集会に参加する僧侶や神官たちにとっては幸運であった。何故なら、もしこの教会の十字架に、主の磔刑像であれ御復活の御像であれ、極めて具象的な御像が掛かっていたなら──

──彼らはこのようにできたものだろうか ???

──位牌もこのように置けたものだろうか ???

かつて御聖櫃があった場所(中央)に位牌が置かれている

ことにも注意。

既に言ったが、私はこのような催しには反対である(祈ることにではなく)。しかしそれでも、もし彼らがイエズス様の “具象的な御像” の前で同じことをしたなら、ちょっと嬉しいような気もするのである(もちろん、そのことだけを見れば、であるが)。何と云うか、「それはかなりのことだ」と思われるので。仏教徒や神道家が、たとえ外面的にであれ、心の中で抽象化し得るプレーンな十字架にでなく極めて具象的な御像に向かって祈るのであれば。

しかし、彼らにそれができるか? 彼らとしては、それはちょっと具合が悪いのではないか? イエズス様の御像の前でこのようなことをしたなら、彼らは、まるで自分がキリスト教徒になってしまったかのような、奇妙な感じ、或いは、或る種の “居心地の悪さ” を感じるのではないか?──その筈である。

そして、私の勘では、カトリック側はそのようなことを見越して、自ら進んで、<主の御像> を <取り外した> のだろう! 他宗教・他宗派との合同祈祷集会のための “環境作り” の一環として。
──ソットコルノラ式の「他者への気遣い」として。(彼はイエズス様の具象的な御像は「相対的」という言葉の中に押し込めるのである。聖母や大天使の御像も。)

十字架と御聖櫃の変化を示した上の三枚の写真を見て分かるのは、雪ノ下教会の十字架が主の御像を失ったのは東日本大震災より前だということである。東日本大震災は2011年であるから。しかしそれでも、私は、雪ノ下教会の十字架のその変化は、飽く迄このような合同祈祷集会を想定してのものだったような気がする。何故って、それ以外のどんな理由で御像を取り外す? 老朽化したからか? 修理もできないほど老朽化した? しかし、風雨に晒されていたのでもない、常に屋内に置かれていた木像が、そんなにひどく朽ちるか? 私は、そんなわけはないと思う。

御聖櫃の位置をずらしたこと、これは東日本大震災後のことではないか。

雪ノ下教会の山口神父について紹介する。彼は主任司祭ではなく協力司祭のようだし、物事は一人の司祭の考えだけによって運ばれるものではないというのは真ではあるが。

5.カトリック雪ノ下教会司祭 山口道孝(やまぐちみちたか)

1991年〜カトリック司祭。1980年代から、カンボジアや東ティモールなどのアジア・太平洋地域での国際協力事業や医療などへの支援活動に積極的に携わっている。東日本大震災後、鎌倉の仏教界や神道界に働きかけて、宗教の枠を超えた活動をすすめている。現在、鎌倉宗教者会議専務理事。

公益財団法人フォーリン・プレスセンター

私は、御聖堂の十字架像は主の「磔刑像」でなければならないと思っているが、今回の話では措いておいた。

しかし、現在のノヴス・オルド環境では、御聖櫃が中央にあればあったで、司祭にとって苦しいことになる筈である(本来は。神父様方の中で御聖体が礼拝と謙遜の対象になっていれば)。
何故なら、彼らは御ミサ中、御聖櫃に背を、或いは尻を向けていることになるのだから。

そして、これも。

これは拾った画像だが、私には、このような絵を描きたくなった信徒の方が、現在の大多数のカトリック聖職者よりも余程 “まとも” な感覚を持っていると思われる。

「罪の概念は中世の哲学が聖書の内容を悲観的に解釈したものである、という考えを徐々に刷り込むことによって」

フリーメイソンの雑誌『Humanisme』1968年11月/12月号 より

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