世の中の言う写経・納経は、単なるリフレッシュの為であったり、お遍路での巡礼、参拝の証だったり・・・神の助けを必要とする者には、何の役にも立たない気がします。平安時代から続いた写経が、どうしてこんな意味の無いものに変わってしまったのか?不思議でしょうがありません。写経は、天への嘆願書です。日蓮宗で言えば、観世音菩薩。俗に言う観音様への嘆願書です。坊主が写経の使い方、天への届け方を知らないだけです。お経の力を信じていない坊主が、何も解らずお経をあげ、毎日が終わる。そんな坊主に写経を扱える訳が有りません。四国のお遍路巡りをして、願い事が成就しましたか?夏休みになると始まるポケモンラリーの様に、御朱印を集めて何か変わりましたか?
何の力も無い坊主、無知な坊主が、写経を汚している様で腹立たしい限りです。
