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もじテナーニ:その3

学者のような文字、道化のようなもじ。
ひふみよいむなやこともちらね…ばあちゃん口ずさむ。Floccinaucinihilipilification…あなただ-れ?
(^0^)とか(ToT)とか(?_?)…落書き?えっ感情?でも、文字…。 文字はいったいどこから、やって来たのだろう?

「その書かれた文字はこうです。 『メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン』」聖書Dan5;25

学校国語の基本は「書く・読む・話す・聞く」。なぜ「見る」は、ないのだろう?

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2012/07/28/sat/ Ysasa

▼ Rep-11

 身近で遠い、交通標識

What is this sign?

♣車の運転免許資格を維持研鑽(†1)するため、一定の交通法令(†2)を学び、道路標識/道路標示(†3)に従って運転を心がける平凡なドライバーですが、未だにわからないことだらけ。ましてやただ歩いていただけの人にとって、知らぬ間に交通社会に組み込まれ「歩行者」呼ばわり…、何だかとても息苦しく妙な構図です。みんな気を付けているのに、不幸な事故は一向になくなりません。くらしと、交通ルールをつくる世界とがうまくつながっていない、そんな気がしてなりません。

†1:運転免許更新時の配布教材「わかる 身につく 交通教本」全日本交通安全協会発行;警視庁交通局監修
†2:参考「道路交通法」(昭和三十五年法律第百五号)
†3:参考「道路標識、区画線及び道路標示に関する命令」(昭和三十五年総理府・建設省令第三号)

日曜・休日を除く??

♣駐車禁止の補助標識について。
日本語に戸惑うことはよくあります。でも運転中では、どうしようもできない。「休日って何? 国民の祝日のこと? 今日は祝日だっけ平日だっけ? 飛び休の真中なんだけどなぁ」「国民の休日なんてあった? 土曜休日は?」あぁ、なんだか困ったなあ……。駐車余地3.5mも、ムニャムニャでどうしたもんだか。「平日は駐禁だから、渋滞排除のためだろう?」「じゃぁ3.5m、どうやって測るのさ? メジャーもなしで。だいたいで、ま、いいか」…いやいや安全が基本の法令です、公正がスジでしょう。

⁈ 休日の表記について

道路標識、区画線及び道路標示に関する命令(昭和三十五年総理府・建設省令第三号)
第一章:道路標識 第三条(様式):道路標識の様式は、別表第二のとおりとする。
別表第二(第三条関係)案内標識
備考二:補助標識板(補助標識の標示板をいう。)
(一)表示
2:「日・時間」を表示する補助標識において国民の祝日に関する法律に規定する休日を示す場合にあっては「休日」と表示する。

⁈ 国民の祝日に関する法律(2005年5月20日改正の平成十七年法律第四十三号)の関連条文抜粋

国民の祝日に関する法律(昭和二十三年法律第百七十八号)
第三条 「国民の祝日」は、休日とする。
2:「国民の祝日」が日曜日に当たるときは、その日後においてその日に最も近い「国民の祝日」でない日を休日とする。
3:その前日及び翌日が「国民の祝日」である日(「国民の祝日」でない日に限る。)は、休日とする。

♣上記祝日法によれば、祝日(第三条2項の振替祝日含む)以外の休日は、第三条3項に当たる平日だけ。国民の休日? いえ、見当たりません。広く一般は「日曜・祝日=休日」と認識しています。だから「日曜・休日」では二度見、三度見するのです。法令に引いてわざわざ普通名詞の「休日」を標識に当て、利用する側に学習を求めるのですか…、人様々にある「休日」なのに。

⁈ 駐車余地3.5mについて

道路交通法(昭和三十五年法律第百五号)
第四十五条:駐車を禁止する場所
2:車両は、第四十七条第二項又は第三項の規定により駐車する場合に当該車両の右側の道路上に三・五メートル(道路標識等により距離が指定されているときは、その距離)以上の余地がないこととなる場所においては、駐車してはならない。ただし、貨物の積卸しを行なう場合で運転者がその車両を離れないとき、若しくは運転者がその車両を離れたが直ちに運転に従事することができる状態にあるとき、又は傷病者の救護のためやむを得ないときは、この限りでない。

♣3.5mの目安:普通車車幅1,700mmなら凡そ2台分、軽自動車車幅1,480mmなら2.5台分。想像ですが緊急車両(消防車/救急車)2.5m幅を最低確保するためでしょう。狭い日本の道路事情、潔く駐車禁止を貫けない。交通安全も、意味不明の杓子定規さが馴染めないのです。

NO THROUGH ROAD

自 動 車 ??

♣車両通行止(午前7時〜9時)補助標識について。
あまりにも普通なことばで、唐突に混乱する。「自動車って……今バイクなんだけど? 困ったなあ。トラックはいいの? 電動自転車はOKだっけ?」「車両通行止の標識だから、電動もだめか? でも自転車は自動車じゃないぞ。」「仕方ない、バイク押していくかぁ…歩行者で。」いやいや法令は公正ですから、「たら・れば」はありません。

⁈ 自動車表記について再び「道路交通法」

第二条:定義
九:自動車 原動機を用い、かつ、レール又は架線によらないで運転する車であつて、原動機付自転車、軽車両及び身体障害者用の車椅子並びに歩行補助車、小児用の車その他の小型の車で政令で定めるもの(以下「歩行補助車等」という。)以外のものをいう。

♣二輪のバイクも含むのです、この自動車に。日常でバイクを自動車と呼ぶ人を紹介してください。ではなぜ原付一種50ccは含まれないのか? 考えるとほとほと疲れます。「自動車・原付」という表示も見かけます。「車両」というのもありました。暮らし良くするために必要な交通標識です。一般人にわかる文言でお願いします。この場合は「原付・軽車両を除く」でしょうか。はい? 軽車両って何かって?

NO-RUNOVER

「追い越し禁止!」ではありません。

♣「追越しのための右側部分はみ出し通行禁止」(標識令番号314)と申します。「右側部分はみ出しって、どこの右側? 追いついた対象の?」「イメージが、標識名から浮かばない…。」「ずっと追い越し禁止だと思ってたよ。うわぁ、まいったなぁ…後ろは数珠つながりに並んじゃったよ」「かといってこのままじゃ状況は解消できないし、安全に追い越しちゃえばいいか?」「はみ出なけきゃいい、ってことだもんね?」いやいや、法令は公正ですから、「たら・れば」はありません。

⁈ 右側部分についてまたまた「道路交通法」

第十七条:通行区分
5:車両は、次の各号に掲げる場合においては、前項の規定にかかわらず、 道路の中央から右の部分(以下「右側部分」という。)にその全部又は一部をはみ出して通行することができる。(後略)

♣条文にある前項の規定とは、「車両は『道路(車道)の中央』から左の部分を通行しなさい」という内容です。その「中央」が「中央線標示(標識令第九条 指示標示205」なら片側一車線道路、「車線境界線(同206)」なら片側二車線の表現です。問題の「右側部分」はみ出しとは、この条文記載の文言そのままに適用すれば、センターラインを超えて対向車線にはみ出すこと(片側一車線)か、進路変更により境界線をはみ出すこと(片側二車線)を意味している、とようやく合点がいきます。

⁈ 追越しについて正しく「道路交通法」

第二条:定義
二十一:追越し 車両が他の車両等に追い付いた場合において、その進路を変えてその追い付いた車両等の側方を通過し、かつ、当該車両等の前方に出ることをいう。

♣追越しの条件四点(追付き/進路変更/側方通過/前方進入)のうち、先二点を追越し初動と捉えれば、中央線標示/車線境界線を超えて「右側部分」へはみ出る可能性は十分あります。しかし走行車種や車道幅員によっては、追い付く遥か手前から、はみ出ずに追い抜く可能性も想定できます。そこで、注意すべきは道路標識、道路標示と車道幅員ではないかと——

道路標示と車道幅員
番号分類種類様式内容車道
線色線種
102規制追越しのための
右側部分はみ出し通行禁止
黄色実線
(強調2本)
はみ禁
(はみ出ず追越し可)
6m未満
102-2進路変更禁止車両進路変更禁止6m以上
109車両通行帯白色破線(実線限定)車両走行帯
(追越し除く進路変更可)
205指示中央線
(センターライン)
白色実線(強調2本)はみ出し厳禁
破線(5m間隔)はみ出し可6m未満
206車線境界線実線はみ禁
(追越し除く進路変更可)
6m以上
破線(3-10m間隔)はみ出し可能
(生活道路)(注意)5.5m未満

♣この標識・標示下で、専用レーンのない自転車は大変(片道6kmの自転車通学経験者)です。センターラインをはみ出す/はみ出さないより、現実に則した交通ルールかどうか、体感精査願いたいものです。「追越し禁止」の文字が取り付けられたらさて、どうする?

NO-CROSSING

これは右折禁止ではありません。

♣「車両横断禁止」標識です。
車に乗車して、道路を横断する? どういうこと?「信号機のない交差点で、右折したいだけなのに、ダメってか? 困ったなぁ。」「まあいいや、直進して大回りしてくるか……ん? ちょっと待て、交差点は右折しても横断なんてしないぞ…何だ? 横断って…」いやいや、これだから禁止標識には近づきたくない。

⁈ 横断について「道路交通法」

第二十五条の二:横断等の禁止
車両は、歩行者又は他の車両等の正常な交通を妨害するおそれがあるときは、道路外の施設若しくは場所に出入するための左折若しくは右折をし、横断し、転回し、又は後退してはならない。

♣横断とは、道路の外にあるマーケットパーキングなどへ向かって「歩道/車道を横切り道路の外に出る」行為を指すようです。わかりづらい標識だけれど、ドライバーマナーと関係しているのかなぁ。

ことば・絵図につまづく標識

♣警察官の指示には、交通標識より優先しなければいけません。しかし彼らのことばの意図が汲み取れなければ、先にも進めません。くらしの安全を求めて、社会は成熟していくのです。交通事故をなくしたい、そう私たちが強く望む声を、ことばと意匠に織り込んでください。そして車社会という息苦しい規制構図を、ドライビングコミュニケーションへと羽ばたかせましょう。

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2013/08/10/sat/ Ysasa

▼ Rep-12

「患者さんに、轡(くつわ)十文字」

Kanja-san and kutsuwa-jumonji sign
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病院ホームページに掲載のフロア案内図を手当り次第に調べ、検証を重ねていくうち、500例になりました。矛盾はあちらこちら滲み出るものですが、これだけは何か後戻りできない理由でもお持ちなのか、汚点を掲げたまま12年が過ぎました。気づいていなければ悲しいことです。「患者さん」「患者様」とは、一体どなたなのでしょう? 世の中の綻びは、無知なことばに忍び寄り、お粗末な解釈の元種となって日本中に飛散しました。形のない人に敬称をつけるのは、みなさんということばだけで十分なのに。不自然なことばは、対人関係を傷つけます。文字とことばは正直です。使い手は未熟なので、学習しなければいけないのです。

Dear 日本中の病院長へ

♣「患者さん」。そう呼んだり記すことが、親しみだとか礼儀だとか、気持ちだとか、親切や丁寧だとか、同じ痛みを分ち、同じ病に立ち向かう医療人だ、仲間だとか、そう言い表したいのでしょう? 医師という人は、患者という人にだけ必要な存在なのでしょうか? お医者さんと患者さんと、ごっこ遊びのようなやさしさも、時には必要でしょう。でも、もう止しませんか? 希望の数ほど、ことばは編めるというのに。正しくない日本語を使い続けるのは、もう止しませんか?

♣病と戦争によって、人は傷つきました。差別が生まれ、こころも傷つきました。天下の名医、杉田鷧斎(いさい:杉田玄白)ですら「数々の老いの苦しみは、本人の身にならねば分かるまい」と齢八十を超えた自らの老体を、ぼやいてもいるのです。健康な身でありながら、孤独の苦しみや悩みを抱える世の中です。 治療するその人、医者自身も疲弊する世の中です。だから「患者さん」なんて日本語が生まれてしまったのでしょう。定型化されたことばは、あっという間に飛散していきました、インターネットの時代です。周りの誰もが、そのことばを口にして憚りません。それでも平気でいられる世の中を、私たちはつくってしまったのです。呼ばれての気分はそう、少なからず差別的です。

♣願わくば「患者さん」というその文字に、いつかはきっと翻訳できるだろう印、丸に十字の轡(くつわ)十文字を刻んでもらいたい。ターヘル・アナトミアを翻訳した日本の先達、誇り高き医師のみなさんなら、どんな義訳をされるのでしょう。

Thank you for your attention.
 Sincerely,

Mr/Ms.Patient

資料:「国立病院・療養所における医療サービスの質の向上に関する指針」国立病院等における医療サービス研究会監修;新企画出版社;2002年3月31日発行
資料:「形影夜話」杉田鷧斎著;杉田伯元校正;1810(文化7);早稲田大学図書館
資料:「蘭学事始」杉田玄白著;林茂香出版;1890(明治23);国立国会図書館近代デジタルライブラリー
資料:「杉田玄白・平賀源内・司馬江漢」中公バックス日本の名著22;芳賀徹編集;1984(昭和59);中央公論社
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2013/09/28/sat/ Ysasa

▼ Rep-13

「音引きよ、お前もか」

Onbiki-sign & Sample word:Ienzô in Nippo Dictionary
←Photo and design:©spluso 無断転載不可 Do not share.

文字じゃない、符号だという不思議である。糸口が見えると、おっなるほど!と手を打った・・・でも、なぜそう言ってのけるのか、考えれば考えるほど煩わしくて、小さいケ(拙稿Rep-9 別ウィンドウで開きます)とよく似た素性だ。まただ、まただ、まただ、あぁ悩ましい。

それは片仮名の「ー」である

♣ターヘルアナトミア、仮面ライダー、コンピューター…原則として外来語の長音を表す場合に用いる(内閣告示第二号 外来語の表現1991.06.28(†1))とある。但し、歴史的な学術用語は除外、つまり混在のままである。通称「音引き」と業界で呼んでいるこの「ー」、まるでUFO忽然と明治33年8月の文部省令に現れる(†2)。平仮名の歴史・文化をも飛び越えてジャジャーン!新定字音仮名遣いの長音だ、と名告った。それも一文字同等の、堂々とした扱いである。なのに、文字ではないと……。だからなのか、書くだの書かないだのと、お勝手は騒がしい。
 実のところ平仮名遣いでの「ー」評判は散々で、8年後その省令はバッサリ廃止! 何故だ?と吠える反論(†3)もあったが、外国語には「ー」を用いることが正則と、意味不明の改定案だけが生き残り、オーム返しが今に至る。おかしな話だ。条文には、どこのだれかも説明のない、神懸かりの「ー」さまである。「ー」だけに、音無しの構えが続いている。

♣日本語ローマ字(†4)の長音「ー」符も、付ける/除くだのと問題は片仮名と瓜二つ。ローマ字のカラダをした日本語をつくった私たちが、未だ混迷から抜け出せていない。
 参考となるローマ字は、初めて来朝した異国ポルトガル宣教師が、耳慣れない日本のことばを聴いて書き留めたローマ字だろう。そこに、長音符はあった。彼らはそれを40年磨き、繊細なローマ字表現に仕上げていった。三種類の声調符号を長母音の上に使い分け、日本語の表情まで写し取ろうとしている。日葡辞書(†5)がそれである。中世の、厳格なイエズス会パードレの耳に、記せ!とつぶやける者は、まぎれもなく神なのだ。音の文字の格が違う。美しい。島原の乱以降、徐々にその姿を閉じていくが、250年もの和蘭時代を貫き、言霊は仏蘭西語を経てヘボン先生(†6)へと受け継がれていく。

♣天と地ほども差のある、漫画みたいな片仮名「ー」だが、自らを繋いでひとつの言葉をつくる。なのに文字じゃないだと? ♪どこの誰かは知らないけれど、誰もがみんな知っている、「ー」仮面のおじさんは、正義の味方だ良い人だ♪ と決まっている。「ー」仮面は音のない文字だ、私はそう考えたい。

Arts of Nanban Byobu & Okehazama war

「ー」は、どうして生まれたのか?

←Photo 上「南蛮屏風」狩野内膳 ©KCM;下「尾州桶狭間合戦」歌川豊宣 ©MHF 無断転載不可 Do not share.

♣片仮名の出自は、僧侶の仏典・儒家の漢籍の音義書解析、和訓に隠されている。日本と中華、大陸との橋渡しをしてきた、魔法の声文字である。一方日本でのローマ字は、イエズス会宣教師の和語の取り込みに始まり、彼らの母国と、未知なる国日本との関わりの中から生まれてきた。偶然どちらも神仏を柱に、相手を敬い、取り込み、伝えるための、仲間内のサインだったように思う。
 片仮名「ー」仮面は、最初そこにいなかった。いなくとも言葉は機能していた。ところがいなければならない状況が生まれた。後に、新井白石先生が「西洋紀聞」で「ー」を活用され(†7)、本木良永先生が「漢字『引』の旁から作った」と、その凡例化について訳書で述べられた(†8)が、その間の契機には全く触れられていない。

♣ひとつは外から、堰を切って日本に流れ込む、怒濤の西欧文化だろう。文字と言葉、修辞学を重視するイエズス会は、舶来グーテンベルグ印刷機を早くも持ち込み、1591年には出版テキストで次々と言葉を蒔き始める。"KAMI"(神)を知らせるため、星や月、太陽の秩序、時数と自然の摂理を日本人のこころに叫び、既に七十校と下らぬ大学を世界に司るイエズス会の智のシャワーを、日本の乾いた土に降り注いだのだ。算盤はじく商人も、権力もくろむ大名も、海上闊歩の帰化人も、神の座す天を仰いで交易(†9)に明け暮れる。唐通詞、南蛮通詞(†10)の影武者たちは、入船出船にむせぶ長崎のように、耳新しい知識と言葉を次々飲み込んでいく。ポルトガル訛りのローマ字に飾る金平糖のような符号を、自国の文字に引き当てたとしても何ら不思議ではない。そうでしょう?白石先生。

♣もうひとつは内から、斬血を垂らし続ける乱世の日本だろうか。「世界中の人種の中で、日本人は最も好戦的で戦争に没頭している」と、イエズス会巡察師ヴァリニャーノは嘆いた。川中島合戦1553-64年、桶狭間の戦い1560年、石山合戦1570-80年、比叡山焼き討ち1571年、長篠の戦い1575年、本能寺の変1582年、小牧長久手の合戦1584年、文禄慶長の役1592-98年、関ヶ原の戦い1600年、大坂の陣1614-15年、島原の乱1637年……歴史をしっかり見よ!腰が抜けるぞ。武士の魂を持とうが持つまいが、戦はいのちを儚くする。世にはばかるほど医者と坊主を走らせ、拝仏の日々を生む。時の日本の医僧(†11)は、薬草・薬石を舐めながら本草綱目をむさぼる一方で、身分の別なく命をつなぐ西洋医学・処方に度肝を抜かれた! 耳を清ませ一心不乱に筆を走らせ続けたにちがいない。そこには緇徒が得意の魔法の声字「片仮名」があふれただろう、血の辻で出会う一筋のひかり、神か仏か導かれるままに。

♣台風の渦のように自らを御すことなく、運命を神に委ねたかの日本である。知識の木の実は誰しも、ひとつ残らず食べて記録したに違いない。耳慣れぬことばに、片仮名で速記した。真似ることが特異な日本人の、僧侶ー医者ー通詞ー信徒、限られた中のサインとして「ー」は蕾んでいた、と推理したい。

Long vowel sign in old Japanese books

元祖「音引」の、はじまり

←Photo 上「古事記」真福寺本 ©NDL;下「三十帖策子」弘法大師 ©HBS 無断転載不可 Do not share.

⁈ 712年(和銅5)、古事記中巻の神武天皇条に注釈字として現れる(†12)

宇陀能 多加紀爾 志藝和那波留 和賀麻都夜 志藝波佐夜良受 伊須久波斯 久治良佐夜流 (中略) 疊疊 音引 志夜胡志夜 此者伊能碁布曾 此五字以音 阿阿 音引 志夜胡志夜 此者嘲咲者也(後略)。

「宇陀の 高城に シギわな張る 我が待つや シギは障らず 勇細し クジラ障る(中略)エエー シャゴシャ(†13)(こはいのごふぞ)アアー シャゴシャ(こは嘲笑ふぞ)(後略)。」
 疊疊とは、万葉仮名発音で「ええ」と読む。阿阿は同じく「ああ」と読む。雅楽伝承の久米歌の一部で、これは掛け声か間の手かと推測するけれど、今から1300年も遡る上古に指示する「音引」は、さてどういう意味か? え~え~、え~ぇ、え~、えぇ、など音を引けということか? 音を真似ても元は漢字、「これは単なる音」と注釈を添えねばならんとは、皮肉な話だ。「新訳華嚴經音義私記」にも蚊を加安(かあ)と長呼していると読んだ。音を伸ばす地方訛りがこの頃生まれたとしても、これを「音引」と称するかはわからない。

元祖「引」の、筆跡にうなずく

♣前出の、新井白石、本木良永両氏の話をさらに遡る。桓武天皇の平安初期、仏教界では密教が猛然と開花し、真言(マントラ)の漢字経文は、オリジナル悉曇(サンスクリット)声調でのヴォーカルが大前提となった。梵字・悉曇の習得こそ必須中の必須。経文音韻の虎の巻、音義書の研鑽が進む806年、渡唐の言霊師空海が、インド密教相承のてっぺん「遍照金剛」に任ぜられ帰朝する。わずか三年である。日本で未だ見ぬ四十巻華厳経はじめ、新訳の密教経典や梵字真言、念誦法や注釈書、仏像、曼荼羅や法具等々に至るまで抜かりない。託された「大乗理趣六波羅蜜経」には、悉曇を誰よりも知るインド般若三蔵恩師の魂が宿る。自らの編纂ノート「三十帖策子」(†14)、そこに「二合」「引」「去」など、梵字・漢字変換の音声指示注記が見える。訳者自らが書いたものか、空海が添えたものか、いずれにせよ演奏記号と同じかと直感できる。経文が音楽に通ずるとは、まるでスピルバーグの未知との遭遇ではないか。求める「引」は声を長呼、と後世にも明らかだが、言霊の軌跡のようにも思えてきた。善知識、よき友、菩薩に感謝、感謝である。(Om Amogha Vairocana Mahamudra Mani Padma Jvala Pravartaya Hum)

*2013.10.08追記:現存する世界最古(770年)の印刷物「百万塔陀羅尼」(底本:無垢浄光大陀羅尼経)に「引」文字を確認百万塔陀羅尼考証;禿氏祐祥著;泉山堂;昭和8;国立国会図書館デジタルアーカイブ)した。白石先生の「引」は、陀羅尼とつながっていると推察できる。Dhāraṇīを陀羅尼と書いて、その音声を似せる……英語文章に片仮名ルビをふり、読めどネイティブにはほど遠い。悉曇と漢字の間に横たわる音のクレパス(裂け目)を、何とか繕う役割の「引」や「二合」。見当たらない陀羅尼が存在するのは、訳者による(阿地瞿多の仏説陀羅尼集経)のだろう。

♣翻訳は、語彙とその創造の連続である。太安万侶が弱気になったのは、確か漢字に対する苛立ちだった。インドの般若三蔵も、そうだったろう。音にまで翻訳のこころを尽くすのは、声に出して聴かせるためである。声に出して読まれることのない「音引」や「引」は、音のない言葉・文字と言い換えることができるだろう、私はそう考える。

Japanese Roman alphabet style on signboard

見せる「ー」と、見せない「ー」

a1)とうきょう トーキョー Tôkyô おおさか オーサカ Ôsaka きょうと キョート Kyôto…
 文字を引っ張ると、文字がのびる。文字がのびると、その音がのびる。これを長音という。実に明快な論理だ。地名などの音、読み方を正確に伝えるには、長音表現も見せなければならない。
b1)東京 Tokyo 大阪 Osaka 京都 Kyoto…
 地名をその場所に定める(†4-4)時、姓名をその人に定める時、字義が優先される。読めないのであれば、正しく学習する。音は副次的だろう。ローマ字表記の規定は、繊細が望まれる。
a2)カンジーザイボーサーツー ギョゥジンハンニャーハーラーミッタージー…
 読経される文字の引聲に、経文全体が共鳴し、ありがたみを伝えていく。仏典は声調音と字義が根っこをつくる。経に残る片仮名は、間違いなく魔法の声字なのだ。
b2)観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時
 音写された漢字は美しく、荘厳を定着する力がある。字が音を内包する智である。高僧ほど手に入れたくなるのが、仏典なのだから。

♣次はドーギョー、ドーギョー、ドギョです…ある日の山手線車掌のアナウンス。声字である片仮名とローマ字は、見せる「ー」をもつ。声だから変化も当然する。聴き手にも左右される。しかし漢字「東京」は、ことばの清濁や長短が変化しては困る(†15)。決められた音と声調が、予め内包されているからだ。見せない「ー」を持つとも言える。これは、外国語がその地域ルールによって発音されていることと同じである。
 今夏、国会周辺の標識改修が始まった。ローマ字ルビよ、さらば。ようやく南蛮時代からの呪縛が解けたのだ。いったい誰のための、日本語ローマ字表記だったのだろう? それも日本の中枢で。街にあふれるカタカーナやカッターカナも眺めて思う、読み方も大切だけれど、より母語に敬意を示そうと。堂々と掲げようと。

♣現在、日本の輸入担当輔佐は片仮名で、輸出は英語だろうか。ローマ字はどこで使えばいいのやら、言語の天才ゲーテに聞いてみた。
ギョエテとはおれのことかとゲーテいい(†16)…「もういいかげん私の名前を覚えろ!グウィーテだのゲョーテだのゴエテだの、吐かしおって。いいかよく聞け、私の名は Johann Wolfgang von Goetheだ!ローマの字はこういう時に使うものだ。わかったね、カッターカナ君。」
 今も荒海に揺らぐ修行僧だと言えば聞こえは良いが「ー」仮面、音のない文字に磨きをかけて、符号の汚名を晴らそうではないか。

†1内閣告示第二号 外来語の表記;平成3年6月28日 内閣総理大臣 海部俊樹
†2文部省令第14号 小学校令施行規則 第1章第1節第16条;文化庁仮名遣い資料集(諸案集成)の明治33年8月文部省令第14号PDF閲覧可;
 追記2015.08.13:同上の条文画像;法令全書 明治33年(内閣官報局出版 明20-45);国立国会図書館日本法令索引より
†3仮名遣の歴史;山田孝雄著;宝文堂1929;WIKISOURCE
†4-1ローマ字教育の指針 ローマ字文の書き方;文部省;昭和24年2月
†4-2ローマ字のつづり方 内閣告示第一号;内閣総理大臣 吉田茂;大蔵省印刷局発行;昭和29年12月9日
†4-3国際規格ISO-3602 ドキュメンテーションー日本語(仮名書き)のローマ字表記 第一版1989-09-01;日本のローマ字社訳
†4-4地名のローマ字表記;測図部 菱山剛秀著;国土交通省 国土地理院時報2005年108集
†4-5道路標識設置基準・同解説 第2章2-4ローマ字併用表示;日本道路協会;昭和62年1月30日改訂
†5日葡辞書提要;森田武著;清文堂出版2012.10::長崎版「日葡辞書」について:イエズス会編纂(長崎発刊)本編1603年 補遺1604年;・見出し(ポルトガル語式ローマ字綴り)本編2万5,985+補遺6,886=合計3万2,871条(本編訂正重複279、不詳重複282);・伝本(世界に4部うち2部は日本に複製本存在:オックスフォード大学ボードレイ文庫蔵本、パリ国立図書館蔵本、ポルトガル国エヴォラ公共図書館蔵本、マニラドミニコ会サント・ドミンゴ修道院文庫蔵本…消息不明);・先行写本(底本)少なくとも4種以上(1563年ドゥアルテ・ダ・シルヴァ Duarte da Sylva(肥後川尻没)の遺稿、1564-1584年ジョアン・フェルナンデス João Fernandez(肥前度島)の編纂をルイス・フロイス Luis Froisが継続加筆のもの、1581-2年豊後府内コレジオ編纂もの、1585年長崎有馬セミナリオ編纂もの)
†6和英語林集成(初版横浜版);James Curtis Hepburn著;上海 American Presbyterian Mission Press 1867;NDL国立国会図書館デジタルコレクション
†7西洋紀聞;新井白石著1715年;立教大学海老沢有道デジタルライブラリ::新井勘解由(白石)自らが、密入国宣教師シドッチを審問・編集した西洋研究書。審問の影武者、大通詞 今村源右衛門(オランダ商館医師ドイツ人ケンペルの懐刀、オランダ語の達人)および、稽古通詞 品川兵次郎と嘉福喜蔵らの記録こそ、シドッチ肉声の音写に一番近い。
†8太陽窮理了解説 和解草稿;本木良永訳1792年::阿蘭陀通詞、蘭学者である良永自身による天文学翻訳書。言葉にも科学的秩序が必要となる。「日本の近代活字 本木昌造とその周辺」近代印刷活字文化保存会;朗文堂2003.11.07に加えてタイポグラフィあのねのね *005 長音符「ー」は「引」の旁から「太陽窮理解説」 が、補遺資料を丁寧に紹介している。
†9鎖国日本と国際交流 上巻;箭内健次編;吉川弘文館1988.02.20
†10-1阿蘭陀通詞の研究;片桐一男著;吉川弘文館1985.02.25
†10-2十七世紀後半の情報と通詞;永積洋子著;対外交渉史特集号1991.07
†11-1論文「ヨーロッパ人の見た日本の疾病と医療」;李明芬著、千乃明監修;国立政治大学2011.06
†11-2長崎のオランダ医たち-岩波新書942;中西啓著;岩波書店1975 †12古事記:国宝真福寺本.中-7/57;京都印書館;昭和20;国立国会図書館近代デジタルライブラリー
†13上代日本語音韻の一研究 未確認音韻への視点;蔵中進著;神戸学術出版1975
†14弘法大師真蹟全集 第5帖 三十帖策子;平凡社1935;国立国会図書館近代デジタルライブラリー
†15国語音韻の研究;橋本進吉著;岩波書店1950.08.25;青空文庫
†16古書巡礼;品川力著;青英舎1982
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2015/09/29/tue/ Ysasa

▼ Rep-14

「こころの、棘」

Green covered Romola book by J.M.Dent & Sons, London 1968

♣「おい〇〇、Proemから、訳せ…。」忘れもしない、授業初回のEの声だ。英語は好きだった。読むことも暗唱も好きだった。しかし中学三年坊主らの目の前に、誇らしく届けられた真新しいこの緑の本塊は、敵わなかった。要求と期待とが入り雑じった何かの気体を身体いっぱい吸い込みながら、読破できるのかとワクワクもしたが、単語も、文章も、内容も、何もかも…。政治やら宗教やら哲学やら、いきなり中世がなだれ込んで、小僧の頭を悩ませた。小説? 架空か? いや現実? 知らぬまま、見知らぬ遠い時代の街中で、ひとり迷子になった。格闘の講義は高校二年まで続く。しかしある日突然「後は、読んどけ…」。強制打切りだった。捨てられず、ひきずるように持ち歩いていた。

♣J.M.Dent & Sons社の、緑色ハードカバー本。もう随分傷んでしまった。45年間だ。本棚にある背表紙と目が合うと、「おい、続きだ、訳せ〇〇」と、Eが中から言うんだ。手に取ってパラパラと繰っては、行間にビッシリ鉛筆書きされた文字が薄く消えかかっているのを見る。しかし黴臭くてすぐ閉じていた。いや、デジャヴに出会うのが怖くて。いつまでやっているのだ、そう見下されるのが悔しいのだ。一人で、勝手に思い悩んで来てしまったのかなぁ。あの出会いさえなければ、辞書片手に、読み進めることもなかったかもしれない。George Eliotの「ROMOLA」1968年版、全567ページ。

Head page of Concise English-Japanese Dictionary by Kenkyusha 1967

辞書が、すべてだった

♣「ロモラ」を読んでいるより、研究社の辞書と格闘していたと言う方が正しいだろう。小説の背景を求める時間の余裕などことすら棚に上げ、ひたすら弁当より重いその辞書に、G・エリオットの文章を預けようとする日々。Eの口癖が「辞書を引け!」だった。文字は、辞書が答えを教えてくれるんだと。教科書と同列、いやそれ以上に扱われた辞書。鞄に入れて向かう日の通学は、心が重かった。
研究社新簡約英和辞典(1967年版)——試験の点数如何で頬や尻を張叩する鬼のEが唯一推薦する辞書だ。英語の神様と言われた岩崎民平主幹のものだった。厚み6cm、2143ページの教科書と言えばいいか。机上に置いたまま、片手で引けたのが便利だった。書体が明快で見やすく;語義区分は整然と美しく;豊富なイディオムと用例は無論;語原も附帯;発音に9ページもの解説だ。しかし使い手が小僧では、タスキに長し。それまで出版社名もない、藁半紙綴じの英国訛り教科書を、来る日も来る日も素読しては暗唱、暗唱。二段式黒板には、来る日も来る日も文法、文法。もうたくさん、降参かと捩じ込まれたが、辞書とは疎遠だった。なのに「ロモラ」と共に大噴火だ。英単語が噴石、溶岩のように流れ出て、早く消せ!と言われているようだった。見事なまでに辞書が、文字のすべてになった。
 社会人になって新たに買い求めたのも、同氏監修の研究社現代英和辞典だった。しかし切ないかな、完成間近に天へと召されてしまわれた。遅ればせながら、単語「Romola」をしっかり掲載していただき感謝、感激の至り。現在ではすっかり「ロモラ」のお伴だ。

Romola's author, George Eliot portrait by Samuel Laurence

舞台1492-98年フィレンツェ、執筆1860-63年ロンドン

←Photo ©Samuel Laurence by Wikimedia Commons

♣ジョージ・エリオット(George Eliot 1819-80)作:「ロモラ」第一部第一章_難破した異邦人。
 Loggia de' Cerchi, Badia, Dante, San Martino and Garbo, Bratti Ferravecchi, San Giovanni, Mercato Vecchio, Messer San Michele, red Levantine cap, Genoa, Venice, Rovezzano, San Niccolò, Ridolfi, Frati Minori, Calimara, Duomo, Saint Christopher, Medici, Donatello, Antonio Pucci, Tessa, Monna Trecca, Santa Maria Novella, Goro, San Lorenzo, St. Michael, Nello, Santissima Nunziata, Frati Serviti, Quaresima, Sfolza, Cioni, Frate, Fra Menico da Ponzo, Fra Girolamo, Mongibello, San Domenico, San Francisco, Domenico Ghirlandajo, San Gallo, Marzocco, Nanni, Abbot Joachim, Guccio, Careggi, Midas…(嗚咽)。
 おい、これ本物か? 小説だろ? 架空じゃないのか…。自慢の辞書も半ば撃沈。これでもか、これでもかと溢れるわ、溢れるわの集中砲火代名詞、固有名詞、人名、通り名にランドマーク。松本清張「点と線」か!地図だ地図、時刻表!じゃない、年表だ、いや歴史書だ、用意しろ!聖書に教皇辞典、人物大辞典も机に並べろ!…しかしまぁ、それができる中高生なら、どれだけ「ロモラ」も微笑んだことだろう。思い返しても淋しい。G・エリオットさん、ごめんなさい。「読者よ、神がこの詩から果実をあなたに掴み取らせ給わんことを…:Se Dio ti lasci, lettor, prender frutto, di tua lezione, or pensa per te stesso…」(†1)と噛みしめる。

†1ダンテ「神曲」地獄篇対訳(下);藤谷道夫訳;p86-87「地獄篇第20歌L19-20」より;帝京大学外国語論文集第17号2010
1494_Italy forces figure and Innocent VIII portrait

言葉に隠れて、見えない文字

1494年当時のイタリア半島勢力図(上)ローマ教皇インノケンテウス8世(下)by Wikimedia Commons

♣「ロモラ」は歴史小説だけれど、まるで歌劇か舞台を観ているようだ。目の前でくり広げられる文章を読んでいるだけでは、半分も舞台の奥が見えてこないのだ。袖から突然現れる、多くの役者のせいだろうか? いや、実はその役者たちが交わす会話の中に、さらに数多の「影の人物」が現れる。これこそが曲者なのだ。物語の始まりも、フィレンツェの偉大なロレンツォ、メディチ家の当主が亡くなった日だったではないか。「神曲」のダンテすら、その時代につながる歴史実況解説者だなんて、あまりにもブラックじゃないか。フィレンツェという街が15世紀末その当時、御し難い怪物だった。(左上地図:中央オレンジ色が「ロモラ」舞台のフィレンツェ共和国、その右隣クリーム色、半島を中央に分断する範囲がローマ教皇領。南半分を占める淡い黄色が、仏シャルル8世に目をつけられたナポリ王国。その袖引きが北部の白色スフォルツァ家のミラノ公国。右隣の紅色にアドリア海の女王ヴェネツィア共和国。その南、半島右の付け根に音楽の都フェラーラ公国。)

♣隠れて見えないもの…。中学三年小僧は知る由もなかったが、商社と金貸しで大儲けをしたフィレンツェ旧名家バルディの記録に最近出会う。そして気づく、主人公ロモラの名前 Romola di Bardi…!現実のバルディ家は王族に用立てた戦費を踏み倒され倒産している。ロモラの父バルド・バルディは盲目の哲学者だ。愛娘ロモラと生涯をかけ奮闘する大義、学問を捨て修道の士へ歩むロモラの兄ディーノの苦悩、ロモラの名付け親で有力貴族員ベルナルドに蠢く黒い影、ロモラの心の師ドミニコ会サヴォナローラの畏れる神と驕れる代理人…、すべては、舞台に見えない「ロモラ」の骨格だ。時代背景を、まるでTVレポーターのように解説する皮肉な美男子、ロモラの夫ティートと、さらに謎に包まれた養父ヴァルダッサーレとが、まるで助演俳優にすら見えてくる。優雅な記述だが、フランス軍が攻め上って来ているのだ、ピエロが、親分イル・ファトゥオが慌てふためいて騒いでいるのだ。あれっ? 策士ティートが、ニッコロ・マキャヴェッリに似た動き(†2)をしていないか? 英語Readerの授業だと? イタリア語飛び交う中世の街中ドタバタ放り投げて「後は、読んどけ」だと? 田舎娘のテッサはどうなるのだ? ロモラはどうなるのだ? あなたはいったい…。

♣行に書かれた文字だけでは、到底読み取れない。底辺には見えない信仰が絡む、教皇と皇帝の駆引きが絡む、国と国の権力闘争が絡む、商人の金欲と貴族の権力が絡む、広場の野次馬たちの未来予想に、哲学者や芸術家が絡む。それらすべては、風のように姿を見せず「ロモラ」に吹きつけている。文字が嘘をつくことだってある_主よ、私は無垢(イノセンス)のまま、あなたのみもとに参ります_とは、白日の下に晒された悪行は枚挙に遑がないローマ教皇インノケンテウス8世の、「輸血!」後の辞世の言葉(†3)なのだから、空しいかな。修道士サヴォナローラに、G・エリオットは語らせた_The language of the inner voices is written out in letters of fire.-内なる声の言葉が、炎の文字となって書き出される-(第三部第52章_女予言者)ですら、判断に揺れる。だからこそ「ロモラ」は深く難解なのだと、相も変わらず小僧は頭を抱えていた。

†2 「西欧政治思想史・前編(2・完)」PDF;清末尊大著;p84-87「第3章第3項_マキアヴェッリ1469-1527年」;北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)第57巻第1号2006.08;同大学学術リポジトリから検索ダウンロード
†3「ローマ教皇検死録」ヴァティカンをめぐる医学史;小長谷正明著;p149「教皇への輸血」;中公新書1605 2001.09.25
Lorenzo il Magnifico portrait by Giorgio Vasari

文字の欠片が、美術になる時

←Photo ©Giorgio Vasari by Wikimedia Commons

♣「ロモラ」第一部第十八章_肖像画p182-183:美男子ティートが、「バッカスとアリアドネの勝利」テーマの厨子装飾絵を、仲間の変人画家コジモに特別プランで発注する情景は、当時恋に不安を抱えていた小僧にとって、とても興味深かった。G・エリオットは、どこでそれを見たのだろう? 古代ローマ神話を絵にする? マリアを描くようなものか? 愛の女神は気難しいのか? バラの花って効果あるのかな? 小箱って、何か秘密っぽくて惹かれるのかな?とか、相手をロモラになぞらえて、バカな想像ばかりひとり巡らしたものだ。
♣20世紀も末のある日、本屋で立ち読みの最中「ん?うっゔぁ!」と目を疑い叫びを押し殺すことになった。あの恋の「バッカスとアリアドネの勝利」だ。偉大なるロレンツォ・イル・マニーフィコが、謝肉祭のために書き起した歌(謝肉祭の歌)「Trinfo di Bacco e Arianna」(†4)こそが「バカ・アリ勝利」だと!? 歳をとるのも満更ではなかったぞ。ティートがその厨子を妻ロモラに贈る結婚式当日は、まさに謝肉祭だった! 広場中で、通り中で、その唄が熱唱される。創作と現実の絡みを想像するだけで、実に感動した。当時のG・エリオットの耳にも、きっとその唄が届いていたのだろう。作家の描いた文字の列が、私の頭の中で、艶やかにバラを咲かせた瞬間だった。
♣驚きはまだ終わらない。フィレンツェ、ヴェネツィアでは、現在もその唄が歌い継がれているのだ。いやそれどころか、日本にも届いていたのだ。母がよく口遊んでいたいのち短し、恋せよ少女、朱き唇、あせぬ間に…の、ゴンドラの唄である。しかもこれ、マンガ「美少女戦士セーラームーン」の決め台詞にも波及した(†5)とか。メディチの愛の言葉は、G・エリオットの文字をも超越したんだなぁ。

†4「メディチ家」;森田義之著;p179-181「詩人ロレンツォ」;講談社現代新書1442_1999.03.20
†5「『ゴンドラの唄』考」PDF;相沢直樹著(ロシア文学、比較文学);山形大学紀要(人文科学)第16巻3号2008
Japanese Romola book by K.Hara

舞台が、遅れてやって来た

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♣今まで一度も国内訳本に手を染めなかった。近づきたくなかった。しかし日本ジョージ・エリオット協会からの出版、新訳「ロモラ」(†6)との遭遇に涙が出るほど嬉しかった。図書館の受取りカウンターでその分厚さ、700ページもの装丁に驚く。原書にはない挿絵や登場人物の紹介ページはとても重宝する。何より安心感に感謝したい。

♣初めて、日本語で読んだ「ロモラ」。150年という歴史の重みを噛みしめる。複雑な表現構造、中世特有の語彙、再読を求められる難解表現の多さは原書と同じ、予想の通りだった。しかしどうしたことか、その難解さを喜ぶ自分がいる。時とともに、歴史上の人物に遊び、宗教の神秘や哲学の綾に向かうこと、見知らぬ土地の白い地図に印をつけて散策すること、本筋を脱線して調べることに興味を覚えた自分が、文字をアレコレ眺め尽くして楽しんでいることに気づく。あの苦しい時代は、何だったのだろう? G・エリオットの苦労の果てを味わっていたのかなあ…。

♣「ロモラ」の着想は、修道士サヴォナローラの触発からと記されている。神と人間、修道と政治、予言と詐欺、戦争と神罰、福音と密告、懺悔と火炙り等々、興味尽きない歴史上既知の、renunciationの人である。大河ドラマ視点? いやいや…。人間の終生はいつの世も変わらない、序章に何気なく記された文字列を、よく考えたものだ。なぜ気づくと、いつも対極二重の服を着て迷うのだろう?と。ロモラの夫ティートは美男子でフィレンツェ・ユマニスト(†7)を気取る雄弁の二枚舌、二元論そのものだった。しかしG・エリオットは妻ロモラに、If the glory of the cross is an illusion, the sorrow is only the truer.-もし十字架の栄光が幻なら、悲しみは、ただ悲しいままよね-(第三部第六十九章_家路p545)と、語らせた。本心が聞こえた? いや、気のせいか…。舞台「ロモラ」は、サラリと恩人サヴォナローラへの感謝で幕を閉じる。そうそう、ピエロとネッロが届ける「花束」が添えられてね。花の天使、フィレンツェだ。私には、THE ENDの文字こそ、何よりの花束だった。

†6ジョージ・エリオット全集5「ロモラ_ROMOLA」;ジョージ・エリオット著;原公章訳、海老根宏・内田能嗣監修;彩流社2014.10.23;ISBN978-4-7791-1745-9 C0397
†7「フィレンツェ」初期ルネサンス美術の運命;高階秀爾著;p171「芸術とユマニスム」;中公新書118_1966.11.25

こころの、棘を抜く

♣「ロモラ」を私たちに与えたEは、もうこの世にいない。52歳という若さで、教育の世界を駆け抜けていった。学園生徒の顔と名前、成績もすべて知る怪人だった。亡くなる少し前、卒業以来たった一度だけ、彼と出会っている。混雑した新幹線の中だった。目が合った。久しく時間は経過していたが気づき、会釈をして無沙汰を詫びた。同時に押されて前を通り過ぎながら「塾廻りや」と言い残し下車してしまった。覚えていたのだ、名も告げていないのに。「読み終わったよ、やっと。」聞こえたか、この野郎! "Chi promette e non mantiene, L'anima sua non va mai bene."

♣作中で思わぬ「色」の拾い物があった。"the red Levantine cap"…フェニキアの紅の、歴史的な補完物証になるかも。ありがたい。

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2019/04/23/tue/ Ysasa

▼ Rep-15

「文字、形而上と形而下」

—天と玄と黒と紫—

The milky way image in Morocco at summer
←Photo "The milky way image" ©123RF 無断転載不可 Do not share.

♣紫色、マゼンタを追いかけたまま、何ら進展なく、ブラックホールに吸い込まれてしまう超ど素人の私である。人類初のあの画像(†1)、度肝を抜かれた私である。「あそこはなんという色だ? 失敬、色は見えていても、隣人の見る色と同じかどうか、比較できなかったね。あぁ紫微(中国天文学用語)よ、いったいお前はいつ生まれたのだ、どこからやって来たのだ?」と、またもつぶやく私である。
 「紫」は、遥か昔の孔子時代(BC552-479)から疎まれていたこと論語で読める。しかしこれは儀礼のコトであって色のコトではない。不穏な時代、時の春秋権力を揶揄したのだ(†2)が、その荒ぶる権力者の無秩序本意と、一方儒教の理想愛・規範との間隙に、音もなくそれが滲み始めていた証拠でもある。文字「紫」はある種の印として書き記されたのだろう、私は考える。
 時代は下がって史記天官書(成立BC91年推定)。星の書なのに、三公だの正妃だの藩臣だのと始まる。まるで上下尊卑を表したかのようでコレ、そこらで大人社会を聞きかじった子どもらのごっこ遊びかと目を疑う。そして「紫宮」が記される。「紫」を明知した上での政治利用ではないか。北極星を真中に中宮で、その四方を東宮・南宮・西宮・北宮(†3)—。天空は誰かのものかと気は沈む。少し遡って、淮南子天文訓(†4)にもその「紫宮」は見える。尊大な不可思議が潜んでいて欲しい。私は祈る。

†1史上初!銀河M87中心の巨大ブラックホールシャドウ画像;出典「Event Horizon Telescope」地球上8つの電波望遠鏡を結合させた国際協力プロジェクト2019.04.10.
†2論語 陽貨第十七 18;子曰惡紫之奪朱也;惡鄭聲之亂雅樂也;惡利口之覆邦家者を指す。
†3史記 書 天官書;諸子百家 中國哲學書電子化計劃;参考「中国の星座の歴史」大崎正次著、雄山閣出版、1987.05.05発行
†4淮南子 天文訓-10;諸子百家 中國哲學書電子化計劃;参考「淮南子 現代語訳」小野機太郎訳著、支那哲学叢書刊行会、大正14.11.03;NDL国立国会図書館デジタルコレクション閲覧可
星図歩天歌部分

「紫微」の、出現

←Photo 長濱尚次謹図 星図歩天歌部分 ©NDL 無断転載不可 Do not share.

♣「紫微」の文字について、AD10世紀後半と想像以上に新しく驚いている。前原(2015-03-31,297)(†5)によれば——北周の庚季才の『霊台秘苑』(†6)、隋の丹元子(唐・王希明とも)の「歩天歌」(†7)「宋史 天文志」など、宋代以後広く用いられ——。北極星を「紫微星」だと述べる学者もいるが、その時代に生きた太史令の記録なのだろうか。サルスベリ紫薇の誤用でないことを、繰り返し祈りたい。
 道教四御の一柱、中天北極「紫微」大帝という名も忘れてはいない。「紫微垣」は天帝の御座すところだが、この一柱は最高会議の三清(†8)ではない。太陽–月–星–季節を司る神だという。神様の名前?…バイドゥールヤの音写(拙稿いろテナーニRep-6:別ウィンドウで開く)…。紫微ツゥウェイも梵音擬似か、道教発生より古いはずと考る私の推察の一つだ。「紫宮」とはその発意に違いがあるように思う。夜空の「紫微垣」に、虚空(梵語 Ākāśa アーカシャー)を被せてみるか。そこには音があるとサーンキヤ(次項目を参照)が言うのだ。

†5:出典:「星座の三家分類の形成と日本における受容」前原あやの著、2015.03.31関西大学学術リポジトリ
†6:参考「四庫全書」子部 術數類 靈臺秘苑;[北周]庚季才コウキサイ(AD516-603);维基文库(wikisource)
†7歩天歌 ホテンカ:体系的に捉えた天文二十八宿を七言詩で詠った書物;作推定は丹元子タンゲンシ(詩人?)、成立推定は隋代(AD589-618);参考 「星圖歩天歌」;長濱尚次 図他、齊政舘藏[板]、1824文政7;NDL国立国会図書館デジタルコレクション閲覧可
†8:三清サンセイ:道教の最高神三柱。元始天尊と霊宝天尊と道徳天尊。三清を補佐する神々四柱を四御シギョという。
Romola's author, George Eliot portrait by Samuel Laurence

迷走する文字の、色

←Photo 五色幕御教示 ©spluso 無断転載不可 Do not share.

♣たとえ「空」の一字も、現代の「空」と同じには扱えない。遥かブッダの暮らした時代の教えと繋がっている、きっと必ず。一向に前へ進まず、底へ、底へと手探り潜る…。虚空(梵語 Ākāśa アーカーシャの漢訳)は、梵語 pañca mahā-bhūtāni パンチャ・マハーブータ(5つの偉大な元素:漢訳は五大)=ヒンドゥー世界で宇宙の創造を最初に二元論で哲したサーンキヤ学派の論理:世界構成5元素、の一つである。

⁈ 五色の幔幕についてご教示

五色幕の色は、黄色が地を、白は水を、赤色が火を、黒色は風、そして青色が空を表している。インド伝来の経典を根拠に使用しているので、5世紀頃には使われていたと考えられる。

♣黒色と青色のない幔幕(拙稿いろテナーニRep-1 別ウィンドウで開きます)を目の前に、言葉で何と綴られても、見えないものは見えず、出典のない一文も虚しかった。それならと自習する——「空」は「虚空」のコトか、色との関係など遥か宇宙の果て、いつまた巡り来るやら、拙稿いろテナーニで必ず会おう——、と。

♣自習その1)千字文:第一句天地玄黄(†9)易経の、天玄而地黄からの作文だ。易経は、古代中国商(推定BC1600-BC1046;殷)に端を発する形而上の事象を卜占で紐解く。編纂年は予想に反するが、天は「玄」に通ずると古代巫覡はなぜ知ったのだろう? 北の聖獣を玄武というが、方位北と頭上の天空を結ぶ意図があったということになる。一方、風だと指南された「黒」の字は、かん(札)を下から火で炙る字形。燃やしてできるすすクロだ。地の産物が創り出すもの…ん? 何か見えたような…。
 自習その2)周礼 冬官考工記:玄と黒、双方並んで記載されている文を読んだ。画繢がかい(Huà huì)技術についての記録である。画繢とは五色を交じえることだと述べると、東西南北の四色と、天地を意図する二色?と、三次元的に解説をする。——北方謂之黑,天謂之玄,——(北方は「黒」、天は「玄」と言う)(†10)とある。実に不思議な文章だ、五色と述べて直ぐ後に六色?かと見間違う表現を持ち出すのだから。天はつまり特別以外の何物でもなく、「玄」は色ではない、そう確信した。
 「玄」の染め指南出典は、拙稿いろテナーニRep-11「忍法『黒紫』云々(別ウィンドウで開きます)」に記したが、実に興味深い、何度読んでも尽きない。朱(朱砂:丹か?)の化学反応でなぜか美しいクロ染めを可能にする(†11)のだから。底のない闇に不思議が潜む天空は、糸に関わる玄の字に象徴されることが誠に相応しい、そのように悟った御仁がおられるのだ。

†9「千字文」小川環樹・木田章義注解;岩波書店 青220-1;1997第4刷
†10「周礼シュライ」は儒家の理想の官制を記録した行政法典。冬官は土木工作を司る王朝最高官のひとつ。考工記は技術書の意。前漢の劉歆リュウキンが起草。周禮 冬官考工記 60;諸子百家 中國哲學書電子化計劃
†11:2019.05.09 新たな発見を追記す:1.説文解字「朱」に赤心木松柏屬也を読む、即ち樹木だ。長年の思い込み「朱→丹→鉱石→辰砂」を大いに反省。;2.漢語での赤柏松は、常緑針葉樹イチイ(和名)に該当か。幹外周部は白太、樹心部は赤身。;3.跡見群芳譜「イチイ」に「漢名:紫杉 zishan シサン」を見る。「紫」現る!あぁ、なんということ、文字のかぎろひだ!(参考資料:跡見群芳譜 樹木譜、嶋田英誠編;//www.atomigunpofu.jp/index.htm)

文字は、すべてを表す

♣ようやく光明が差した。「天」や「玄」は空間、「黒」は物質。「玄」は色ではなく形而上Metaphysicsの意識、「黒」は色材で形而下Physicsの実体。「玄」という文字を使う時、実は見ても見えない、見えて欲しいイメージを伝え、「黒」の文字では、実際に触ったり見たりできる形ある色材を言うのか。オォ、「紫微」は文字通り、見えそうで見えない「紫たるイメージ」を宣言しているにちがいない。天玄極と成るその時間の、実体のない不思議だ。一方「紫宮」と記す時、現実の権力への欲望実体か。「紫色」は権力という形而下と、崇高な権威という形而上を天秤にかけているのだ。誰がいったいそんなことを思いつくものか。俗な見栄の色モノが溢れかえる、この世の中で。——我ながら、よしとしよう。

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