32 海野宿 野沢温泉 上ノ平高原(長野県)


・平成29年2月13日(月) 海野宿(うんのじゅく)(長野県東御市)

 東京駅6時28分発北陸新幹線「はくたか551号」に乗る。7時54分に上田駅に着く。上田駅8時4分発の「しなの鉄道」に乗り換える。8時11分に大屋駅に着く。
 今日、東御(とうみ)市の
海野宿(うんのじゅく)を訪ねるが、バスの便がない。歩くと30分以上かかりそうだから駅前に停まっていたタクシーに乗る。

 車は5分程走って、約650mに亘って保存されている海野宿の町並みの中ほどに停まった。運転手さんに、また1時間半後に同じ場所に来てもらうように頼んだ。

 通りは雪が積もっていると思っていたが、積雪はなく、通りの端に寄せられた雪も殆ど融けている。人も車も見えない。静かな通りである。白壁と、屋根に美しい瓦を載せた美しい建物が並んでいる。良く手入れされて大事に保存されていることがうかがえる。

 海野宿は、寛永2年(1625年)に北国街道(ほっこくかいどう)の宿駅として開設された。北国街道は、中山道と北陸道を結ぶ重要な街道であった。明治になると、宿場の機能はなくなり、養蚕が盛んになった。養蚕最盛期の明治、大正時代に建てられた建物と、江戸時代の旅籠屋の建物が残されている。
 昭和61年(1986年)、歴史的な家並みであるとして、「日本の道100選」のひとつに選ばれ、昭和62年(1987年)、国重要伝統的建造物群保存地区に選定された。 

 主屋の屋根の両端と袖壁を通じて瓦を葺く卯建(うだつ)が上げられている家が並んでいる。


卯建



卯建


 卯建は、防火壁の役割を果していた。卯建を上げることは出費が嵩むことから、卯建はその家の繁栄の象徴であった。逆の意味になる「うだつが上がらない」の語源である。
 これほど多くの卯建を一度に見たのは初めてだった。卯建は、富裕な家でなければできなかったから、この地が養蚕によって繁栄したことを証している。
 (卯建について、目次9、平成25年1月4日、「奥の細道旅日記」目次30、平成18年5月6日、同目次36、平成19年11月23日参照)

 煙抜きの小屋根を設けている家がある。


小屋根(気抜き)


 案内板に、「気抜(けぬ)き」として説明されている。

 「明治になると養蚕・製糸業が盛んになり、海野宿は蚕種・養蚕業で栄えました。蚕の飼育には保温が大切で、蚕室の1階の囲炉裏で桑の根などを燃やして暖をとりました。その煙出(けむだ)しと調節の為、気抜き窓が付いた小屋根が大屋根の上に取り付けられました。」

 通りに用水路が残されている。用水路は洗濯や融雪に利用されたと思われる。また、通りを行き交う荷車を曳く馬の水飲み場でもあっただろう。

 反対の方向へ歩く。



 建物の2階に、長短2本ずつ交互に組み込まれた格子がある。これは海野格子(うんのごうし)と呼ばれ、海野宿独特のものである。


海野格子


 海野宿の東端に位置する場所に白鳥神社が建っている。拝殿前に欅の大木が立っている。御神木である。胸高周囲約5、8m、樹高30mと説明されている。


白鳥神社 拝殿


 案内板の説明の一部を記す。


 「この神社は古代天皇の命を奉じて東征の途についた日本武尊が、この地に滞在されたことから白鳥神社と称し、古代から中世に栄えた豪族、海野氏の祖と伝わる貞元親王・善淵王(よしぶちおう)・海野広道公を祭神としています。
 また、海野氏と、その名跡を継承した真田氏の氏神として篤く奉祀され、真田信之(幸村の兄)により松代の舞鶴山(長野市松代町)へ分祀されています。」


 白鳥神社の前の通りを反対側へ渡る。
 
千曲川が流れている。千曲川は、左手の軽井沢方面から右手の長野方面に向かって滔々と流れている。


千曲川


 決めていた時間に来てくれたタクシーに乗って大屋駅に戻る。10時46分発の電車に乗る。10時52分に上田駅に着く。
 1時間ほど時間があるので駅の構内の食堂で、かき揚げ天ぷら蕎麦と焼きおにぎりを食べる。

 上田駅11時55分発「はくたか559号」に乗る。車窓から見る風景が雪景色に変わっていく。12時20分に飯山駅に着く。
 駅前から「野沢温泉行き」のバスに乗る。スキーシーズンだからだろう。バスを増発しているので、予定していたよりも早くバスに乗ることができた。

 バスは千曲川に架かる橋を渡る。先ほど海野宿で見た千曲川とは違って、今、車窓から見る千曲川は、深い雪に覆われた川岸の間を流れている。

 昨年2月15日から17日まで2泊3日、野沢温泉の旅をした。2日目の16日、標高1、300mの上ノ平(うえのたいら)高原を走る雪上車遊覧を楽しんだ(目次26、平成28年2月15日及び16日参照)。
 雪上車に乗ることもなかなか体験できないが、標高1、300mの高さから見た北信濃の白く輝く山々は、素晴らしい眺めだった。また、あの神々しい山々を眺めたいと思って今年も今日から15日まで2泊3日、野沢温泉に来た。宿は昨年と同じ民宿・白樺を予約し、明日、乗車する雪上車も9時45分の①便を予約した。

 土田芳樹さんが雪上車に同乗し、車窓から見える風景を説明し、途中2回、車から降りて、周辺に聳える北信濃の山々や谷の案内をしてくださる。ユーモアを交えてお話しされるので、楽しく伺うことができて、所要時間の45分がすぐに経ってしまう。
 
土田さんは、日本経済新聞社を定年後、冬の間、野沢温泉に滞在し、雪上車遊覧のガイドのお仕事をされている。お仕事の合間には、スキー、温泉、地元の住民との交流を楽しんでおられる。
 私は、土田さんとは「奥の細道」の旅を通じて知り合いになることができた(目次26、平成28年2月15日及び16日、目次12、平成25年9月17日参照)。

 バスは約25分で、中央ターミナルに着く。午後1時だった。白樺のチェックインは午後2時だからまだ1時間早いが、ともかく白樺へ行く。
 女将さんは私のことを憶えてくださっていた。私が、まだ時間が早いですね、と話すと、いいですよ、どうぞ、と言って、部屋へ案内してくれた。

 疲れていたので、そのまま部屋で休んでいた。
 夕食の時間の6時半になったので食堂へ行く。食事はご馳走だった。ごはんがおいしい。「米は自家製産コシヒカリ」と表示されている。


・同年2月14日(火) 野沢温泉 上ノ平高原

 朝食は7時半だった。朝食後、8時に白樺を出る。
 温泉街に幅の狭い急坂がいくつも岐れている。
昨年、土田さんに、野沢温泉のマップに雪上車の発着場までの道順を書いていただいたので、そのマップを持って道を間違えないように坂を上っていく。
 おおぜいの人たちがスキーの板や、スノーボードをかついで上がっている。半分は外国人である。

 湯沢神社の両部鳥居の前に着いた。左に曲がり坂を上る。
 動く歩道の「遊ロード」に着いた。
「遊ロード」は100m近くはあるのではないかと思うほど長い。山の斜面を這うようにして上がる。途中、雪上車遊覧のポスターが張ってあった。下段に「わたしが案内します」と印刷された文字があり、その上に土田さんの写真が載っていた。

 一度降りて平らな金網を歩く。また、「遊ロード」が始まる。
 「遊ロード」を降りる。目の前に日影ゲレンデが広がっている。右に、日影インフォメーションセンターが建っている。そこで、日影ゴンドラリフトの往復チケットを買う。

 日影駅からゴンドラに乗る。ゴンドラが上がるにつれて、眼下に広がる温泉街と、周辺の山々が見えてきた。雪で白一色に変わったブナの原生林の真上を通る。 

 約8分乗って上ノ平駅に着いた。9時前だった。赤い雪上車「かもしか号」が上ノ平ゲレンデの雪上車の発着場に既に待機している。


雪上車「かもしか号」


 上ノ平スキーセンターで雪上車の料金を払う。ドリンク代が含まれている。缶コーヒーを頼む。温めときますから帰りに受け取ってください、と言われる。

 ストーブで暖められている休憩室で休んでいると、土田さんが来られた。挨拶をする。土田さんにお目にかかるのは1年ぶりだった。また今日、土田さんにお世話になる。
 出発5分前に雪上車の発着場へ行く。運転手さんに挨拶する。車に取り付けられた梯子を使って車内に乗り込む。乗客は私の他に1組の若いカップルだった。

 定刻の9時45分に発車する。
 雪上車は上ノ平ゲレンデの斜面を上り、標高1、300mの上ノ平高原に入る。
 車は、ブナや白樺の森の中を走る。車が下って、雪の壁の間を走る。昨年はこんな所は通らなかったと思っていたら、今年、ここの積雪が3mになったので、雪が深い所は雪を掘りました、と土田さんが話された。
 昨年、上ノ平高原の積雪は1、5mと伺った。今年の積雪は昨年の2倍の高さである。

 雪の上に動物の足跡が続いている。二つの足跡が続いているのはカモシカです。ウサギは四つです。他にキツネがいます。いずれも夜行性です、と土田さんの説明があった。

 10分程走る。左手に、大きな楕円形で、平らに雪が積もっている場所が見えてきた。「これは、巣鷹湖(すたかこ)という名前の湖です。湖面は凍ってなくて雪に覆われているだけです。湖に流れ込む伏流水の温度が高く、積雪が保温の働きをしているからです。」という説明があった。
 巣鷹湖の周辺は、夏、キャンプ場になる。

 湖を半周程走って車が停まった。車から降りる。
 湖の向こうの正面に、標高1、650mの毛無山(けなしやま)が聳えている。
 毛無山について、「毛無山の本当の名前は御巣鷹山。日航ジャンボ機が墜落した群馬県の御巣鷹山と同じ名前です。江戸時代、将軍家に献上する鷹狩の鷹の雛を育てた山です。」と説明があった。

 1、300mの上ノ平高原の、更に積雪が3mある場所から眺めると、1、650mの毛無山もそれほど高い山に見えない。
 昨年は、朝から晴れて、青空が広がり、毛無山に陽が当たって、毛無山が白く輝いて見えたが、今日は、曇っているから山全体が昨年ほどくっきりと見えない。
 毛無山の頂上から、稀に、日本海に浮かぶ佐渡ヶ島が見える、と土田さんが話された。



 車に乗る。車の中で、巣鷹湖周辺の秋の風景を写した写真を見せていただいた。湖の周囲の樹木が紅葉し、湖に写っている。また、毛無山のブナが黄葉している写真も見せていただいた。どちらも美しい写真だった。 

 車は湖を一周してもとに戻る。発着場を見下ろす高い場所に車が停まる。車から降りる。
 ここは、ヘリポートにもなります、と説明があった。

 昨年は、ここから壮大な景色を見たのだが、今日は曇っているために山々の頂上付近は雲に隠れていた。


北信濃の山々


 土田さんがここから見える山の説明をされた。昨年も伺ったが、素晴らしい説明だった。昨年とほぼ同じ説明だったので、昨年の説明と同じものをここに載せる。


 「正面に頂上が台形のかたちをした特徴ある山が妙高山(みょうこうさん)です。その右の白いピラミッドのような三角の山が火打山(ひうちやま)、妙高、火打とも、深田久弥の日本百名山に名を連ねる名峰です。
 妙高山は野沢温泉からみて真西にあたります。妙高から左、つまり南西方向に向かって見える富士山のような格好の山が
黒姫山(くろひめやま)です。そのすぐ左奥にゴツゴツした感じの岩山が戸隠山(とがくしやま)、黒姫山の左手前にあるゲレンデが三つに分かれた山が斑尾山(まだらおさん)、その左後ろ、どっしりした山容を誇っているのが飯縄山(いいづなやま)です。
 南から西へ
、飯縄、斑尾、戸隠、黒姫、妙高を、北信濃の名だたる山ということで、地元では”北信五岳(ほくしんごがく)”と呼んでいます。

 黒姫山の右うしろ、白い屏風を立てたような山が高妻山(たかつまやま)、これも日本百名山の一つです。その高妻山の右奥、白い二等辺三角形の山が白馬岳(しろうまだけ)、白馬の並びで左側に唐松岳(からまつだけ)五竜岳(ごりゅうだけ)鹿島槍ヶ岳(かしまやりがたけ)といった後立山連峰(うしろたてやまれんぽう)の山々も比較的よく見えます。

 すこし霞んでいますが、飯縄山の左に連なるのが北アルプスの主脈で、真ん中あたりのピークが槍ヶ岳(やりがたけ)、その左の峰が穂高連峰(ほたかれんぽう)です。きょうは視認できませんが、気象条件が良ければ、その左に乗鞍岳(のりくらだけ)、そして木曽の御嶽山(おんたけさん)まで望むことができます。」


 妙高山(2、446m)、火打山(2、468m)、高妻山(2、353m)は、日本百名山であるが、百名山が三つも一度に望むことができる地点は全国でも珍しいのではないだろうか。 

 説明が山から谷に移る。谷間を貫流する千曲川とその流域について説明された。これも伺って深く感動した。この説明も昨年とほぼ同じだったので、昨年の説明と同じものを記す。


 「谷間を左から右に流れているのが千曲川。10数キロ下って新潟県に入ると信濃川と名前を変えます。源流は奥秩父の甲武信岳です。佐久平、上田盆地を潤し、長野の善光寺平で犀川と合流します。その上流に上高地を流れる有名な梓川があります。飯山盆地に入り、野沢の下を激しく蛇行しながら流れ下ります。千曲川を『千』に『曲る』と書くのはそのためでしょう。新潟県に入り、津南、十日町、小千谷、長岡を流れ、新潟で日本海に注ぎます。全長367km、日本でいちばん長い川です。

 5月の連休の頃になると千曲川の流域は菜の花で黄色に染まります。小学唱歌に『おぼろ月夜』という歌がありますが、あれは、この野沢から飯山にかけての早春の景色をうたったものなのです。ここが、あの歌の舞台です。
 作詞は高野辰之さん。彼のいちばん有名な歌は『ふるさと』でしょう。“うさぎを追ったかの山”がいま見えているあの斑尾山、“小鮒を釣ったかの川”は千曲川の支流の
斑尾川なのです。
 高野辰之さんは、斑尾山のふもとの豊田村(現・中野市)の出身ですが、晩年は、気に入った野沢温泉に山荘を構え、戦後まもなく、昭和22年、野沢で亡くなっています。その後、東京の自宅にあった斑山(はんざん)文庫を野沢に移し、いま、『おぼろ月夜の館』として記念館となっています。」


 車は発着場に戻る。10時30分発の②便を6人の人たちが待っていた。運転手さんと土田さんにお礼を申し上げる。


上ノ平ゲレンデの斜面を上がる雪上車


 上ノ平スキーセンターで缶コーヒーをいただく。暖かい休憩室で熱い缶コーヒーを飲みながら休む。

 下りのゴンドラに乗る。ゴンドラがレールの上を滑ってレールを離れるとき、いつも体が空中に放り出されるような恐怖を感じて、手すりを掴む手に力が入る。

 下に降りた頃、天気が良くなり青空が見えてきた。
 
湯沢神社の前に出る。湯沢神社は、野沢温泉村の総鎮守である。鳥居が半分ほど雪に埋まっている。鳥居の先の長い石段も深い積雪があり、拝殿に近づきにくい。


湯沢神社


 後戻りして、横から鎮守の森に囲まれた拝殿を見る。昨年も同じ位置から写真を撮ったが、比べてみると、積雪が、ここも昨年の2倍ということが分かる。


湯沢神社 拝殿


 坂を下り大湯通りに入る。外湯・大湯の前の十字路を右へ曲がり、坂を下って、また上がる。左側に食堂・新屋(あたらしや)が建っている。清潔できれいな食堂である。昨年も新屋で食事をした。昨年は、うな重を食べたが、今日は、焼き鳥丼を食べる。
 鶏(とり)肉とは思えないほど柔らかくておいしい。若鶏(わかどり)の肉だけを使っているのだろう。たれも肉によく合っている。さすがに新屋で最も人気のあるメニューだと思った。

 食事を終えて、また大湯の前の十字路に戻る。右へ曲がり大湯通りを歩く。両側に野沢菜や温泉饅頭などを売っている店が並んでいる。三つ目の角を左へ曲がり、坂を上る。正面に、「おぼろ月夜の館」が建っている。


おぼろ月夜の館


 先ほど車の中で、土田さんに「おぼろ月夜の館」を訪ねるように勧められた。
 「おぼろ月夜の館」は、土田さんの説明にもあったように国文学者であり、作詞家でもあった
高野辰之(1876~1947)の「斑山文庫」を野沢温泉に移し、記念館として開館したものである。高野辰之は、自身が収集した書画を保存する書庫を「斑山文庫」と称していた。

 中へ入る。1階に高野辰之の書斎を再現し、「斑山文庫」の一部を展示している。他に、高野辰之の著書、書、書簡などを展示している。
 高野辰之は、作曲家・
岡野貞一(1878~1941)と共に多くの名曲を世に出した。「故郷(ふるさと)」、「朧月夜(おぼろづきよ)」、「もみじ」、「春がきた」、「春の小川」、「日の丸の旗」などである。「故郷」、「朧月夜」、「春がきた」、「春の小川」は高野辰之の作詞であることは知っていたが、“秋の夕日に照る山紅葉”の「もみじ」と、“白地に赤く日の丸染めて”の「日の丸の旗」も高野辰之の作詞であったことは、今日、ここで初めて知った。
 ビデオが備えられて、高野辰之作詞の、みんなが知っている名曲に合わせて、飯山市や野沢温泉の美しい映像が流れている。

 2階はホールになっている。地元出身の写真家による写真展が開かれていた。野沢温泉の過激な祭りである道祖神祭りの写真が展示されていた。

 「おぼろ月夜の館」の玄関と、玄関から立ち上がった塔屋のデザインが変わっているので、職員に、何を表しているんですか、と伺ったら、職員は、分かりません、と言って、この場所は以前、役所が建ってたんですよ、その前は学校だったんです、と言った。
 明治初期の役所や学校は正面中央に塔屋を設けているのが珍しくなかったので、その時代の塔屋をデザインしたのかな、と思った。また、共同湯の屋根の湯気抜きにも似ているな、とも思った。

 坂を下り、大湯通りへ入る。右へ曲がり、大湯の前の十字路に戻る。左へ曲がり坂を下る。外湯・河原湯の前は三叉路になっている。右へ曲がり、共同湯「ふるさとの湯」へ行く。「ふるさとの湯」は、13軒の外湯の他の共同湯である。
 「あつ湯」と「ぬる湯」と露天風呂がある。「ぬる湯」にゆっくり入って温まる。風呂から上がって休憩室で休む。

 宿に戻って部屋で休む。

 夜、土田さんに案内されて、昨年も行った焼肉屋・萬里(ばんり)へ行く。
 ビールで乾杯し、お互いの1日の疲れをねぎらう。昨年、土田さんが、ここは、かつ丼も美味いんですよ、と仰ったが、その前にお腹いっぱい焼き肉を食べていたので、かつ丼は食べられなかった。それでかつ丼は次回の楽しみに取っていた。

 今日は、かつ丼を先に食べることにする。
 運ばれてきたかつ丼は揚げた肉と卵と醤油が香ばしい匂いを立てている。からっと揚がった分厚い肉に、たっぷりの量の卵でとじてありとてもおいしかった。
 焼き肉もおいしいが、地元産と思われる野菜もおいしい。

 「おぼろ月夜の館」へ行ったことを話した。「もみじ」や「日の丸の旗」も高野辰之の作詞だったんですね、と話したら、土田さんが、「もみじ」は、高野辰之が故郷と東京の間を列車で通るときに車窓から見た碓氷峠の紅葉を詞にしたんですよ、と話された。

 土田さんは、5月に野沢温泉村が主催する「菜の花ウォーキング」に参加する、と仰った。見渡す限り黄色に染まった菜の花畑の間を歩くのは楽しいだろうな、と思った。


・同年2月15日(水) (帰京)

 7時30分に朝ごはんを食べる。ごはんがおいしいので、みそ汁と野沢菜だけでも、ごはんを三杯は食べられそうな気がする。





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