メディアとつきあうツール  更新:2004-05-25
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<ジャーナリスト坂本 衛のサイト>

北朝鮮問題・報道の「これが常識だ!!」

〜北朝鮮問題をあつかう
すべての放送関係者・学生諸君必携〜

≪はじめに≫
2002年9月の日朝首脳会談後、GALACは座談会「これでいいのか? 北朝鮮報道」を開き、筆者は同じ頃「『北朝鮮報道のあり方』を考える記者会見・討論会」の呼びかけ人も務めました。当時、北朝鮮報道を考えるには基本的な(まずまず妥当な)事実についてのコンパクトなまとめが必要と思い、外務省資料・各種歴史事典などを参考に書いたのがこれ。座談会の付録としてB5版1ページに収める必要があったため言葉たらずの部分が多いのですが、サイト掲載にあたって多少加筆・修正してあります。
(「GALAC」2003年01月号 座談会「これでいいのか? 北朝鮮報道」)

≪このページの目次≫

日朝(日本―朝鮮)関係小史

4世紀初め
高句麗《こうくり》が朝鮮半島北部を領有、新羅《しらぎ》、百済《くだら》三者が鼎立《ていりつ=3つのものが並び立つこと》。当時日本は出兵し、任那《みまな》を領有。
7世紀後半
百済・高句麗の亡命者などが日本に渡来(帰化人)。
13世紀後半
936年に朝鮮を統一した高麗《こうらい》を隷属させた元が、日本・北九州に襲来(元寇《げんこう》/蒙古襲来)。高麗は元側につき、その先兵となった。
※1274年「文永の役《えき》」と1281年「弘安の役」。「船酔いで二敗」と覚えるといい。元側はまず対馬を襲い、人びとの掌《てのひら》に穴を開けて数珠つなぎにしたと伝えられている。
16世紀末
李氏朝鮮の時代、豊臣秀吉が朝鮮に出兵。
19世紀末
朝鮮は清に貢いでいたが、日本やロシアが進出。1897年国号を「大韓」に。朝鮮半島の支配をめぐって日清戦争(1894年)・日露戦争(1904年)勃発。日本の朝鮮支配が進んだ。
1910年(明治43年)
日韓併合(日本による朝鮮の植民地化)。このとき朝鮮人は日本にほとんどいなかったが 太平洋戦争(第二次世界大戦)敗戦時の1945年には内務省の発表で240万人に。来日の理由は、徴兵・徴用・移住・出稼ぎ・留学・日本人と結婚など。このなかには、強制連行や拉致に当たるケースがありうる。
1923年(大正12年)
関東大震災直後に発生したデマで在日朝鮮人が虐殺される。被害者数はハッキリしないが、唱えられている最大の数で6000人。
※いわゆる「南京大虐殺」の被害者数が30〜20万人(中国側)〜1万数千人(たとえば偕行社=旧軍将校のOB組織)〜ほとんどなし(「南京大虐殺=幻だった」説)と諸説あり、30〜20万人が過大な見積もりである可能性が強いように、6000人も過大な見積もりである可能性が強い。ただし、当時の日本は軍などが一部の日本人を平気で虐殺していた国であって、在日朝鮮人の虐殺がまったくの幻だったというのは非現実的な見方だろう。
1945年(昭和20年)
米ソ両軍がほぼ北緯38度線を境に朝鮮半島を占領。
1948年(昭和23年)
大韓民国(韓国)・朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が成立。
1950年(昭和25年)
朝鮮戦争勃発(〜1953年)。日本は特需に沸《わ》き、戦後復興の原動力に。
1965年(昭和40年)
日韓基本条約締結。日本は韓国とのみ国交正常化。

北朝鮮の政治体制

●政体は「共和国制」だが、実質は金正日とトップとする「独裁体制」。

●1998年の憲法修正で国家主席制が廃止に。現在、主要な国家機関は次の通り。

(1)国防委員会(国家主権の最高軍事指導機関・一切の武力を指揮統率)
委員長:金正日(キム・ジョンイル)
第一副委員長:趙明録(チョ・ミョンロク)
(2)最高人民会議(最高主権機関・立法権を行使・一院制・議席数687・任期5年)
常任委員会委員長:金永南(キム・ヨンナム)
(3)内閣(最高主権機関の行政的執行機関)
総理:洪成南(ホン・ソンナム)
外相:白南淳(ペク・ナムスン)

●政党は、朝鮮労働党(北朝鮮のすべての組織活動を指導。党員約300万名)による一党独裁体制。

総書記
金正日
政治局員
金永南 他6名
政治局員候補
洪成南 他6名
書記
桂応泰(ケ・ウンテ) 他8名

●基本政策は、主体《チュチュ》思想に基づく独自の社会主義建設。「政治の自主」「経済の自立」「国防の自衛」を骨子とする自主独立路線の推進。「強盛大国」の建設。

北朝鮮の最近の動向

 1994年7月、金日成(キム・イルソン)国家主席・総書記が死去すると、息子の金正日が97年10月に労働党総書記に就任。修正憲法のもと、98年9月に国防委員長に再選された。金正日総書記が全権を掌握しているとの見方が一般的。一方、深刻な食糧・経済危機に直面しており、この克服が重要な課題となっている。

韓国と北朝鮮の比較

項目 韓国 北朝鮮 南北格差
人口4727万人2400万人2対1
面積9万9274万平方km約12万平方km5対6
1人あたりGNI9770ドル706ドル14対1
国家予算700億ドル94億ドル7対1
鉄鋼産出量3440万トン221万トン15対1
自動車生産台数282万台8500台300対1
貿易額(輸出入計)2634億ドル14.8億ドル180対1


※中国と北朝鮮は川によって国を隔てているが、上流――朝鮮半島の付け根の中央付近は源流がはっきりせず、正確な国境が確定していない。このため、北朝鮮の面積も正確にはわからない。GNIは国民総所得。なるべく新しい数字を記したが、項目によって年次が異なるものがある。

※執筆時点から1年半以上たっていますが、調べ直す時間がなく数字はいじっていません。あしからず。

最近の日韓(日本―韓国)関係

 1965年12月に基本関係条約を締結し、国交正常化。竹島や過去の問題など懸案はあったが、98年10月金大中大統領の訪日・99年3月の小渕総理の訪韓で、21紀に向けた新たな日韓パートナーシップを構築していくことに合意。2001年には歴史教科書問題、総理の靖国神社参拝問題、北方四島周辺水域での韓国漁船の操業問題などがあった。2002年は、サッカー・ワールドカップが共催され、日韓国民交流年の年ともなった。

最近の日朝(日本―北朝鮮)関係

 今日に至るまで正式な外交関係はなく、国交がない。1991年1月から国交正常化交渉本会談が開始。92年11月に第8回本会談で中断。99年12月の村山訪朝団後、国交正常化交渉の再開・開催(2000年4月、8月、10月)。日朝赤十字会談開催(99年12月、2000年3月、2002年4月)。2002年9月に日朝首脳首脳会談が開かれ、平壌宣言が発せられた。

 なお、過去の日本からの要人の訪朝(この言葉は外国人の来日を意味する「来朝」「入朝」と紛らわしいので使わないほうがよさそう)北朝鮮訪問は、1990年9月 金丸信元副総理(自民)・田辺誠副委員長(社会)、95年3月 渡辺美智雄元副総理(自民)・久保亘書記長(社会)・鳩山由起夫代表幹事(さきがけ)、97年11月 森喜朗総務会長(自民)・伊藤茂幹事長(社民)・堂本暁子座長(さきがけ)、99年12月 村山富市元総理(社民)・野中広務幹事長代理(自民)・園田博之議員(無所属)など。

在日朝鮮人

 1945年の敗戦までに来日した朝鮮人は、日本の戸籍上は「朝鮮」出身とされたが、52年に日本国籍を失う。その後は、以前のままの「朝鮮籍」(北朝鮮籍ではない)の者、新しく「韓国籍」を取得する者、日本籍を取得(日本に帰化)する者があった。

 日本人と結婚する場合でも、国籍を変える人もあれば、籍を変えない(内縁関係となる)人もある。

 2002年6月現在の外務省のデータによれば、在日朝鮮人は、在日韓国人も含めて63万2000人である。ニューカマー(戦前までの来日に由来せず、その後に朝鮮半島から来日した人びと)を含めると100万人ともいわれている。

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