川越の落語・講談


<目 次>
落語家戦後落語史
落 語落語百選(春)落語百選(夏)落語百選(秋)落語百選(冬)古典落語100席千字寄席ことば遊びの楽しみ
講 談埼玉英傑傳

 トップページ  サイトマップ
落語家
「戦後落語史」 吉川潮 新潮新書 2009年 ★★
第六章 平成元年〜十年
六、小さんが人間国宝に認定される
   (前略)
 (平成七年)四月に行われた川越市議会選挙に三遊亭円窓門下の窓里が立候補、見事当選を果たした。幼な子を亡くしたことで福祉活動に目覚めた窓里はあ、「子供のためのソウリ」を公約に出馬する。連日落語家が応援演説に来た。私も応援に参じたが、川越駅前で高座着姿の窓里と数人の落語家が並んで演説を行う様子は、市議会選挙では珍しい光景であった。
 窓里は現在四期目で、高座からは遠ざかり、もっぱら市議会でおしゃべりをしているようだ。
   (後略)

落 語
「落語百選 春」 麻生芳伸篇 ちくま文庫 1999年 ★
猫久/たらちね/湯屋番/浮世床/長屋の花見/三人旅/三方一両損/饅頭こわい/粗忽の使者/明烏/王子の狐/猫の皿/蟇の油 /〆込み/花見酒/崇徳院/大工調べ/四段目/付き馬/松山鏡/豊竹屋/一つ穴/こんにゃく問答/百年目/あたま山

 大工調べ
「江戸食べもの誌」に紹介された、「大工調べ」が収録されています。
少し表現の異なる部分だけを記載します。
 六兵衛はなあ、町内でも評判の焼き芋屋だ。川越の本場のを厚く切って安く売るから、みろい、子供は正直だい。 ほかの芋屋を五軒も六軒も通り越して遠くから買いに来たもんだ。てめえの代になってからはなんてえざまだい。
 この後、大工の棟梁政五郎は、奉行所へ訴え出て、南町奉行大岡越前守の裁きをうけますが、テレビ時代劇「大岡越前」で、 この落語を元にした話を再放送していました。
 この落語のおち(サゲ)はつぎのようになっています。
「…よいか…では、一同の者、立てっ…ああ、政五郎、これへ参れ。一両二分と八百の公事、三両二分とは、ちと儲かったな。しかし、徒弟をあわれみ世話する奇特、奉行感服いたしたぞ」
「ありがとう存じます」
「さすが、大工は棟梁(細工は流々)」
「へえ、調べ(仕上げ)をご覧じろ」

落語百選 夏 麻生芳伸篇 ちくま文庫 1999年
出来心/道灌/狸賽/笠碁/金明竹/鹿政談/しわい屋/百川/青菜/一眼国/素人鰻/二十四孝/売り声/船徳/お化け長屋/たが屋 /夏の医者/佃祭/あくび指南/水屋の富/紙入れ/千両みかん/麻のれん/三年目/唐茄子屋

「落語百選 秋」 麻生芳伸篇 ちくま文庫 1999年 ★★
道具屋/天災/つるつる/目黒のさんま/厩火事/寿限無/時そば/五人回し/ねずみ/やかん/山崎屋/三人無筆/真田小僧/返し馬/茶の湯/宿屋の仇討/一人酒盛/ぞろぞろ/猫怪談/野ざらし/碁どろ/干物箱/死神/粗忽の釘/子別れ

落語百選 冬 麻生芳伸篇 ちくま文庫 1999年
うどんや/牛ほめ/弥次郎/寝床/火炎太鼓/首提灯/勘定板/鼠穴/二番煎じ/火事息子/按摩の炬燵/大仏餅/文七元結/芝浜/掛取万歳 /御慶/かつぎや/千早振る/藪入り/阿武松/初天神/妾馬/雪てん/夢の瀬川/粗忽長屋/落語題名一覧 

    宿屋の仇討
 宿屋では、夕方、灯がはいると、宿屋の若い衆や女中が店先へ出て、さかんに客を呼んでいる。
「ェェお泊まりさまではございませんか、ェェ玉屋でございます」
「ェェお泊まりさまではございませんか、ェェ蔦屋でございます」
「ェェお泊まりさまではございませんか、吉田屋でございます」
「ェェ、てまえどもは武蔵屋でございますが……」

 年齢のころ、三十七、八、色は浅黒いが人品のいい武士、細身の大小をたばさみ、右の手に鉄扇を持っている。
「許せよ」
「いらしゃいまし、ェェお泊まりさまでございますか、武蔵屋と申します」
「ほう、当家は武蔵屋と申すか。ひとり旅じゃが泊めてくれるか?」
「へえ、結構でございますとも、どうぞお泊まりくださいまし」
「しからば厄介になるぞ」
「へえ、ありがとうございます」
「拙者は、万事世話九郎と申すもの。夜前は相州小田原宿、大久保加賀守殿のご領分にて、むじな屋と申す宿屋に泊まりしところ、なにはさて雑魚ももぞうもひとつに寝かせおき、親子の巡礼が泣くやら、駆落者が夜っぴて話をするやら、相撲取りがいびきをかくやら、とんと寝かしおらん。今宵は間狭でもよいが、静かな部屋へ案内をしてもらいたい」
「かしこまりました」
「その方の名はなんと申す?」
「ェェ伊八と申します」
「ああ、その方だな、鶏の尻から生き血を吸うのは?」
「えっ、なんでございます?」
「鼬ともうした」
「いいえ、いたちではございません。伊八でございます」
「ああ、それで重畳、夜前がむじな屋で、また今晩は鼬に出会ったかと……」
「おからかいになっては困ります……どうぞこちらへ……お花どん、お武家さまにお洗足をお取り申して……それから、奥の八番さんへご案内だよ」

 あとから来たのが、江戸の魚河岸の連中三人づれ、結城の着物に献上の博多の帯、脚絆甲掛け、草鞋ばき、金沢八景を見物しようという、ごくのんきな旅……。
「おッとッとッとッと、そうあわてて行っちまっちゃしょうがねえじゃねえか、宿場ァ通り抜けちまわァな。どっかいいかげんなとこで宿を取ろうじゃねえか」
「ェェお早いお着きさまでございます、お泊まりさまではございませんか、武蔵屋でございます」
「おゥおゥ、若え衆がなんか言ってるぜ、おい、ええ? 武蔵屋だとよ」
「待ちなよ……武蔵屋?」
「へえ、武蔵屋でございます」
「武蔵っていえば江戸のことだ。こちとら江戸っ子だ、気に入ったぜ」
「なにょう言ってやンでえ、武蔵ばかりが江戸じゃアねえや。武蔵ってなァそこらじゅうにあらア」
「そんなにあるのか?」
「昔ッからおめえ、十六武蔵ってえじゃァねえか」
「いいかい、おい? 若え衆が変な顔して笑ってるぜ。……おい若え衆、こちとら魚河岸のしじゅう三人だけど、どうだ、泊まれるか?」
「へえ、ありがとうございます。へえ、てまえども大勢さんほど結構でございまして……。おーいッ、喜助さァん、お客さま大勢さんだから、すぐ魚のほうへかかって……おもよさん、さっそくご飯を、釜のほうへどんどんしかけてくださいよっ、お客さまはみなさん江戸の方だから、お気が短いから……ありがとう存じます。さァさァ、お客さま、お洗足をどうぞ……てまえどもちょっと見ますと狭いように見えますが、中ィ入りますと、これがわりあい間数もございます。もう、みなさんゆっくりおやすみになれます。で、あのゥ、おあと四十人さまはいつごろお見えになりましょう?」
「え? なんだい、そのあと四十人さまてえなあ?」
「あァた、いま四十三人とおっしゃいました」
「おい、おめえ、欲ばったことを言うねえ。落ち着いて聞きなよ、おれたち三人は、飯を食うにも三人、湯ィ入るにも三人、酒ェ飲むのも三人、女郎買いにいくのも三人、旅へ出るのも三人、年じゅう三人つるんで歩いてるから、それでこちとらァ魚河岸のしじゅう三人てんだ」
「はァはァ、始終三人ですか?」
「討入りするんじゃァあるめえし、四十何だなんてまとまって旅するわけはねえじゃねえか」
「ああそうですか。あァた、妙な言い方するからまちがえちゃうんですよ。……あのゥ喜助さん、あわてちゃいけないよ、魚はどうした? え? 切っちゃた。……おもよさん、ご飯は? しかけた。しょうがねえなァ、こんなときにかぎって手がまわるんだから……ちがうんだよ、客はたった三人だよゥ」
「おうおう、いやな言い方しやがンなァ、たった三人で悪けりゃどっか他所へ泊まろうじゃねえか」
「いやァ、とんだことがお耳に入りまして……これはてまえどもの内緒話で……」
「内緒話でどなるやつがあるかい」
「へえ、ご勘弁願います。どうぞお泊まりくださいまし」
「そうだなァ、足も洗っちっまったことだし、おめンとこィ泊まろうか」
「ええ、どうぞお上がりくださいまし。おすみさん、奥の七番へご案内しておくれ」
「どうでえ、どうせ上がるんなら景気をつけた上がってやろうじゃねえか……わァ…い、らァらァらァらァらァッ……」
「あァた困りますなァ」
「なにを言ってやんでえ、景気よく上がってるんじゃねえか」
「いえ、その声の大きいのァかまわないんですけどもねェ……おあとからいらっしった方、まだ草鞋をはいたままお上がり……」
「草鞋取ってやれやい、かあいそうに、ねェ、足を洗おうとおもって待ってるじゃァねえか」
「どこだどこだどこだどこだいッ」
 宿屋へ着いたんだか火事場へ着いたんだかわからないような騒ぎ、……この三人が最前の武士の隣の部屋に陣取った。
「おォい、え? 若え衆呼んで……とにかく、おい、姐や、おめえじゃ話がわからねえかもしれねえ、だれでもいいや、若え衆に来てもらおうじゃねえか」

「……ェェ、ありがとうございます、お呼びで……?」
「おい若え衆、ずうっとこっちへ入っちゃってくれ……さっきも言うとおり、おれたちゃァまァ、魚河岸の三人だ、いいかい? これからまァ、おとなしく湯ィ入って飯を食って床ン中ィ入るなんて、そんな素直なことはできねえよ、おれたちのこったからよゥ、うん。とりあえず一杯飲みてえってやつだ、うん。生意気なことを言うわけじゃねえけれどもねェ、酒は極上てえやつを頼むぜ。頭ィぴィんとくるようなのはいけねえや。それから魚、さっきも言うとおり、魚河岸の連中だァ、ふだんぴんぴん跳ねてるような魚ァ食ってるんだ。こいつを吟味してもれえてえなァ。それから、芸者ァ三人ばかし頼もうじゃねえか。腕の達者なところを、ひとつ生け捕ってもれえてえなァ。いくら腕が達者だって、やけに酒の強いなァいけねえぜ。そうかといって、膳の上にあるものをむしゃむしゃ食うてえやつも、これもあんまり色気がねえなあ、とにかく、芸が達者で、器量よしで、酒を飲みたがらねえで、ものを食いたがらねえで、こちら三人にいくらか小遣いをくれるような……」
「それはありません」
「そうかい、ねえかい? いなかは不便だ」
「どこへ行ったってありません」
「そうかい、ま、そいつァ冗談だけどもね、とにかくねェ、威勢のいいのを三人呼んでくれ。今夜は夜っぴて騒ごうてんだ、ええ」
「……今晩ありィ……」
 と芸者衆が来る。
「おゥ、……ありがてえありがてえ、待ってたんだよ。すぐにその、なんだ……お座つき? お座つきなんぞァいいんだよゥ、もう……とォんとぶっつけてもらおうじゃァねえか、都々逸でいこうじゃねえか」
 そのうちに、
「どうだいひとつ、もっと、ぱァッといこうじゃねえか、ねェ、にぎやかに……おれ、裸で踊るから、相撲甚句でも、磯節でもなんでも威勢よくやってくンねえッ」

「伊八いィ……伊八いィ(と、ぽんぽんと手を打つ)……」
「へえェい……奥の八番さん、伊八っつァん、お呼びだよ」
「へえェい……へえ、お武家さま、お呼びになりましたか?」
「これ、敷居越しでは話ができん、もそっとこれへ進め。これ伊八、拙者、先刻泊まりの節、その方になんと申した? 夜前は相州小田原宿、大久保加賀守殿のご領分にて、むじな屋と申す間狭な宿屋に泊まりしところ、なにはさて雑魚ももぞうもひとつに寝かせおき、親子の巡礼が泣くやら、駆落者が夜っぴて話をするやら、相撲取りがいびきをかくやら、とんと寝かしおらん。今宵は間狭でもよいが静かな部屋に案内してくれと、その方に申したではないか。なんだ隣の騒ぎは……宵からじゃんじゃかじゃんじゃか三味線を弾いて、あの騒ぎではとても寝られん。静かな部屋と取り替えてくれ」
「あいすみませんでございます。先ほどでございますと、まだ旦那さまに入っていただくお部屋もございましたが、もうどの部屋もふさがってしまいまして、ェェ隣にまいりまして、隣の客を鎮めてまいりますから、この部屋でどうぞご辛抱を……」
「しからば、早く鎮めてくれ」
「へえへ、かしこまりました」

「ェェごめんください」
「よゥッ、来たな?……おい、この野郎だよ、入口でたいへん世話ァやかしっちゃた……こっちィ入れ、こっちィ入ンなよ、おい、一杯やってくれ、大きなもので飲みなよ、飲めよ」
「へえ、ありがとうございます、へえ、ただいまいただきます。……あいすみませんが、少々静かに願いたいんですが……」
「なんだと? お静かにとはなんだ? ふざけちゃァいけねえや。こちとらァお通夜へ来て酒ェ飲んでるんじゃねんだぞ、陽気にぱァッと騒ぎてえから飲んでるんじゃァねえか、おめえんとこだって、でえいち景気がついていいじゃねえか」
「へえ、そりゃァたいへんに結構なんでございますが、お隣においでンなりますお客さまが、どうもやかましくて寝られないとおっしゃいます」
「なんだ? 隣にいる客がやかましくて寝られねえ? その野郎ォここへ連れてこい、その野郎を。言って聞かしてやるから。宿屋 へ泊まってやかましくて寝られねえなんて言うなら、宿屋一人で買い切りにしろッて……その野郎ここへ引きずってこい……ぴィッとふたつに裂いて洟ァかんじまうから」
「ちり紙だね、まるで……お隣のお客さまてえものが、只者じゃァございませんで……」
「只者じゃァねえ? なに者なんだ?」
「じつは、差していらっしゃいますんで……」
「差してる? 簪かァ?」
「簪じゃありません……腰へ差してるんですよ」
「煙草入れだろう?」
「いいえ、二本差してるんですがねェ」
「なんだ、なにを言ってやんでえ。二本差してようと、三本差してようと、こちとらァ、矢でも鉄砲でも待ってこいってんだ、おどろくんじゃァねえんだ。なんだって若え衆、なにを言いに来たんだい」
「ちょいと清ちゃんお待ちよ。おしまいのほうで若え衆の言ったことで少ゥし気になることがあるんだけどもね……なんだか二本差してるってじゃねえか、腰へよゥ」
「なんだァ? 二本差してる? 焼豆腐みてえな野郎……なんだい、矢でも鉄砲でも持ってこいってんだ、おどろくじゃねえや……え? 二本? 二本、腰へ?……おい、ちょいと断わっとくけど、それはなんだろうね? 刀じゃねえだろうねェ」
「腰へ二本差してるんですから、まァ刀でございますなァ……えへへ……あァた……あァた、いま矢でも鉄砲でも持ってこいっておっしゃった」
「矢でも鉄砲でもとは言ったけども、刀とまでは言わねえじゃねえか。じゃァおめえ、二本差してちゃ侍じゃァねえか」
「へえへえ、たいへん威勢がよかったようですが、やっぱりお侍となりますと、おそろしゅうございますか?」
「おそろしかァねえけども、怖えじゃねえか」
「おんなしだな、それァ……」
「そんなおめえ、怖えッたってよゥ、どうも侍てやつは虫が好かねえんだよ。侍と茄子の煮たのはおれァ虫が好かねえんだよ……なにも怖がるわけじゃねえけどもよゥ……で、なんだってんだい、静かにしてくれってのかい? よし、わかったわかった。静かにすりゃァいいんだろ? 静かにすりゃァ。若え衆、静かにするって隣へ言っとくれ……おゥ、それから芸者衆、すまねえなあ、じゃ三味線たたんで、早く引きあげてくれ、相手が悪いや……ああァ、せっかくいい心持ちに酔っぱらったのが醒めちまったぜ。とにかく侍は始末が悪いや。気に食わねえと、抜きやァがるからね、あれを抜かれると、ぞォッとするんだよ。だめだめ……とにかくもおとなしく寝ようぜ、もうこうなりゃあ、寝るよりほかに手はねえや……姐や、ぼんやりしてねえで、早くこっちへ来て、早く床敷いてくれ」
「あれ、おやすみンなりますか?」
「なにを言ってるんだい、おやすみになりますかって、夜っぴて起きてられるかい。床敷いとくれ、……おゥおゥ、姐や、気の利かねえなァ、そうやって三つ並べて敷いちゃったひにゃあ真ン中のやつと端のやつとしゃべるときはいいけどもよゥ、端と端としゃべるときにゃあ、大きな声を出さなくっちゃならねえ、そうなりゃあ、また隣の侍がうるせえやなんか苦情ォ言うだろう。巴寝にしてくれ、巴寝に」
「巴寝といいますと?」
「布団を並べねえで、こう、頭を三つ寄せて敷いてくれ。そうすりゃァ巴みてえな格好になるじゃねえか、宿屋の女中だァ、そのくれえのこと覚えとけ……さあ、床へ入ろう」
「ふん、こんなばかな話はねえや、なあ? ようやくおもしろくなってきたなとおもったら、隣の侍がうるせえことを言うじゃあねえか。こうなりゃあ、早く江戸へ帰って飲み直しといこうぜ」
「江戸ってえと、帰るとたんに相撲だなァ。おれァ、あの相撲が好きよ、ほら、捨衣(すてごろも)ってやつ、名前がおもしれえじゃねえか。もと坊主だったやつが還俗して相撲取りンなったんで捨衣ってんだよ。出足の早えやつよ、なァ。行司が軍配を持って、呼吸をはかってよ、さッと軍配を引くとたんにどォんとひとつ上突っ張りでもって向こうの身体ァ起しておいて、ぐっとこう(と、帯をさぐって)左が入って……」
「痛いッ痛いッ、痛いよ、おい……おめえ、ずいぶん手が長えんだな、おい。そんなとっから手が届くとはおもわねえやな、おい」
「なにおこン畜生……やる気か? よォし、来いッ」
「いや、お待ちよ、寝てえちゃどうにもしょうがないよ、一ぺんお放しよ、また持たしてやるよ……褌を締め直そう、竪褌(たてみつ)と前袋ォ気をつけとくれ……さ、来いッ」
「よいしょッ」
「なにくそッ」
 真ん中の男も黙って見ているわけにもいかない。お盆を取って軍配の代わりにして、
「はっけよい、残った、残った残った、残った残ったッ……はっけよいッ」
 どたんばたん、どすんどすん、めりめりめりめりッ……。

「伊八いィ……伊八いィ(と、ぽんぽんと手を打つ)……」
「しょうがねえなこりゃあ……へェ…い、お呼びになりまして……?」
「これ、敷居越しでは話ができん、もそっと前へ進め。これ伊八、拙者、先刻泊まりの節、その方になんと申した? 夜前は相州小田原宿、大久保加賀守殿のご領分にて、むじな屋と申す間狭な宿屋に泊まりしところ、なにはさて雑魚ももぞうもひとつに寝かしおき、親子の巡礼が泣くやら、駆落者が夜っぴて話をするやら、相撲取りがいびきをかくやら、とんと寝かしおらん。今宵は間狭でもよいが静かな部屋へ案内をしてくれと、その方に申したではないか。なんだ隣の騒ぎは。三味線と踊りがやんだとおもえば、相撲取りだ。どたんばたん、どすんどすん、めりめりめりッ……唐紙からこっちへ片足を出したぞ……さようなことはどうでもよいが、あの騒ぎではやかましくッて寝られん。静かな部屋と取り替えてくれ」
「あいすみません。最前申しましたとおり、どの部屋もふさっがっております。隣へまいりまして客を鎮めてまいりますから、この部屋でご辛抱を……」
「しからば、早く鎮めてまいれ」
「どうもあいすいません……弱っちゃったなどうも、手がかかっちゃってしょうがねえな……」

「ェェごめんください」
「よう来たな、野郎……一番来るか」
「寝られねえや、これは……あァたさっきお願いしたじゃありませんか、お隣のお客さまがやかましくて寝られない……」
「あっ、そうそう。すまねえ、すっかり忘れちゃった。いや、もうすぐ寝るよ。いえ、もう大丈夫、もう話なんかしないよ。もういびきもかかない。息もしない。もうすぐ寝る。安心して帰れよ、すまねえ、あとぴったり締めてってくれや……ああ、おどろいたおどろいた、いけねえいけねえ、またやりそくなっちゃった、え? だめだよ、あんな力の入る話をするから、どたんばたん、どすんどすん、めりめりめりンなっちまうんだよ。もっとねェ、力の入らねえ話をしようぜ。なんかねえかな、力の入らねえ話は?」
「力の入らねえ話とくりゃあ、女出入りなんだけどもね、これはいちばん静かでいいんだが、ま、おたがいさまに、いずれをみても山家育ちってやつでね、女出入りにゃああんまり縁のねえ面だからな」
「おゥッとッとッと……ちょっと待ってくれ、清ちゃん。いかに親しい仲だとは言いながら、少ゥし言葉が過ぎやしねえかい?」
「なにが?」
「だってそうじゃァねえか。なんだいその、いずれをみても山家育ち、女出入りにゃああんまり縁のねえ面だとは、少し言葉が過ぎるだろう? 気障なことを言うんじゃァねえが、色事なんてもなあ、顔や姿でできるんじゃねえんだよ。……人をふたァり殺して、金を百両盗って、間男をして、三年経っていまだに知れねえってんだ。どうせ色事をするんなら、このくれえ手のこんだ色事をしてもれえてえなァ」
「へーえ、してもらいてえなってところをみると、源ちゃんはそういう色事をしたことがあるのかい?」
「あたりめえよ。あるから言うんじゃねえか。おれが三年ばかり前に江戸をはなれて、川越の方へ行ったことがあったろう?」
「うんうん、そんなことがあったっけなァ」
「あんときゃ、川越にいる伯父貴ンところへ行ってたんだよ。伯父貴はな、小間物屋をやってるんだが、店で商いをするだけでなくって、荷物を背負って、ご城内のお侍のお小屋お小屋を歩く、まあ、糶(せり)小間物屋とでも言うのかなァ」
「ふゥん」
「おれもいい若え者だ、毎日ぶらぶらしてるのも気がひけるから、『伯父さん、おれもひとつ手伝おうじゃねえか、なァに、伯父さん年をとってるからそんなに大きな荷物を持ってちゃあ骨が折れるだろう、おれが担ぐからいいよ』ってんで、伯父貴にくっついて、毎日城内のお侍のお小屋を歩いてた。ある日、伯父貴が具合いが悪いもんだから、おれが一人で荷物を背負って、ご城内のお侍のお小屋を歩いていると、お馬廻り役、百五十石取りのお侍で、石坂段右衛門という、この人のご新造さんが家中でも評判の器量よしだ、なあ? おれがここの家へ行って、『こんにちは、ごめんくださいまし』と言うと、いつもなら女中さんが出てくるんだけども、その日にかぎって、ご新造さんが出てきて『おゥ小間物屋、ちょうどよいところへ来た、どうぞこちらへ上がってくりゃれ』と、こう言うんだ」
「なんだい、その『上がってくりゃれ』てえなあ」
「おめえなんか知らねえんだよ。お侍のご新造さんなんてえなあ、こういう、くりゃれ言葉てえのを使うんだ、なァ? それからおれが上がってくりゃれた」
「なんだい、おまえまでが使うことァねえじゃねえか」
「お座敷へ通されると、ご新造さんが『小間物屋、そなたは酒(ささ)を食べるか』と、こう言うんだ。それからまァ『たんとはいただきませんが、少しぐらいなら』と、おれが返事したんだ」
「へえェ、おまえがか? 笹を? そうかねェ……筍を食うことは知ってたけどもねェ……笹を食うてえなァ気がつかなかったなァ……あァ、そう言われてみりゃあ、きのうも、海苔巻がなくなってから、まだ口をもごもごやってるのァ……」
「なに言ってやんでえ。ささったって、笹っ葉じゃねえやい。酒のことをささというんだよ、なァ? ま、そんなことはどうでもいいや……しばらくすると、お膳が出てきて、乙なつまみもンが二品三品あって、ご新造さんが、おれに盃を渡してくれて、お酌までしてくれるじゃあねえか。せっかくのお心持ちだから、おれは一杯いただいて、ご新造さんのほうを見ると、ご新造さんがなんか召しあがりてえようなお顔をしているんだよ。これはおれだけごちそうンなってちゃァまずいなとおもうから『失礼でございますが、ご新造さんも、おひとついかがでございます?』と言うと、ご新造さんが、にこッと笑って、その盃を受け取る。おれがお酌をする、ご新造さんが飲んでおれにくる、おれが飲んでご新造さんに返す、ご新造さんが飲んでおれにくれる、やったり取ったりしているうちに、縁は異なものてえのかな、このご新造さんとおれと割りなき仲になったとおもいねえ」
「おもえない! おめえは器量のいいご新造さんと割りなき仲ンなる顔じゃァねえもの。おめえは、その器量のいいご新造さんに使われている、ちんくしゃの女中と薪でも割ってる顔だよ」
「なによゥ言ってやンでえ、縁は異なもの味なものてえのァそこなんだよ、なァ? それからというものは、おらあ、石坂さんの留守をうかがっちゃあ通ってたんだよ」
「泥棒猫だねェ、まるで……うん」
「ある日のこと、ご新造さんとおれとが盃をやったり取ったりしていると、段右衛門さんの弟で石坂大助、家中一等の使い手だよ。この人が朱鞘の大小のぐーっと長えのを差して『姉上はいずれにござる、姉上、姉上……』がらッと唐紙をあけると、ご新造さんとおれが盃をやったり取ったりしている。これを見ると、この大助てえ野郎が怒ったの怒らねえの『姉上にはみだらなことを。不義の相手は小間物屋、なんじから先に、兄上に代って成敗してくれん』ってえと長えやつをずばりと抜きやがった。おどろいたねェ、おれは。斬られちゃァたまらねえとおもうから、ぱァッと廊下へ跳び出す。続いて大助てえ野郎も跳び出してきた。こっちはたまらねえから夢中でうわッと逃げ出した。大助てえ野郎が『やァ逃げるとは卑怯なやつ、返せェ戻せェッ』とどなってやがら。こっちは返したり戻したりしちゃァたまらねえからよ、夢中で駆け出した……そうたいして広いお屋敷じゃァねえから突きあたりになっちまった。どうにもしょうがねえから、ぱッと庭へ跳び降りると、続いて大助てえ野郎も跳び降りてきたが、人間、運不運てえやつはしかたのねえもんだ。大助てえ野郎が足袋の新しいのを穿いてやがったもんだから、雨あがりの赤土の上でつるりとすべって、すぽォんと横っ倒しになったとたん、敷石でもって、したたか肘を打った。手がしびれたから持っていた刀をそこへ放り出した。しめたッとおもうから、その刀をおれが拾ってね、大助てえ野郎を、うわーッとめった斬りにしちまった」
「えれェことをやりゃァがったなあ……それで?」
「ご新造さんはまッ青な顔ンなって、なにをおもったか箪笥の抽出しを開けると、このくらいの袱紗包みをつかんで、『小間物屋、ここに金子が百両ある、これを持ってわらわを連れて逃げてくりゃれ』ってんだよ。『ええ、よろしゅうござんすとも』ってんで百両の金をおれは懐中へ入れちゃった。ご新造さんが着替えの着物をってんで、箪笥を開けて着物を出している隙をうかがって、うしろからおらァご新造さんを、うわーッとめった斬りにしちまった」
「ひでえことをしやがったなァ……ご新造さんを殺すことはねえじゃねえか」
「そうはいかないよゥ、おめえ。あとから追手のかかる身だよ。足弱なんぞ連れて逃げきれるもんか。とうとうおれは川越を逐電よ。どうでえ? 金を百両盗って、間男をして、人をふたァり殺して、三年たっていまだに知れねえッてんだい。どうせ色事をするッてんなら、おれはこのくれえ手のこんだ色事をしてもらいてえなァ」
「へえェッ……人は見かけによらないッてえけど、ほんとうだねェ。たいした色事師だねェ、これだけの色事をする人とはおもわなっかたなァ、え? 色事師だよ、源ちゃんは……色事師は源兵衛、源兵衛は色事師、スッテンテレツク、テンツクツ、スケテンテレツク、テンツクツ……源兵衛は色事師、色事師は源……」

「伊八ィ(と、ぽんぽんと手を打つ)」
「寝られねえや、また手が鳴ってやがる、こりゃどうも……へえェい、……お呼びになりまして……?」
「これ、敷居越しでは話ができん、もそっと前へ進め。これ伊八、拙者、先刻泊まりの節その方になんと申した?」
「夜前は相州小田原宿、大久保加賀守殿のご領分にて…」
「黙れッ、万事世話九郎と申したは世を忍ぶ仮の名、まことは川越の藩中にして、石坂段右衛門と申す者。前年妻弟を討たれ、逆縁ながらその仇を討たんがため、雨に打たれ風にさらされ、めぐりめぐって三年目、隣の部屋に仇の源兵衛というやつがいることがあいわかった。すぐに隣の部屋に踏ンごんで斬り捨てようとは存じたが、それではあまりに理不尽。一応その方まで申し入れるが、てまえが隣の部屋へ参るか、隣の部屋から源兵衛と申す者が斬られに来るか、二つに一つの返答を聞いて参れッ」
「これはどうも……少々お待ちください……こりゃたいへんなことンなった、えらいことだぞォ……」

「ええ、ごめんくださいッ」
「スッテンテレツク、テンツクツ、スケテンテレツク、テンツクツ、源兵衛は色事師、色事師は源……あァツ、はッはッは、また来やがった。わかったわかった、すぐ寝る」
「いえ、こんだァ寝ないで起きててください……こン中に源兵衛さんてえ人がいますか?」
「おれだよ」
「あァたねェ、人を殺めたとか傷つけたとかいう覚えはありませんか?」
「え?……ああそうか。廊下かなんかで聞いてやがったんだよ……おゥ、若え衆、もう少しこっちへ入ンな。生意気なことを言うわけじゃァねえけどねェ、色事をするんならこのくれえ手のこんだ色事をしてもらいてえ、いいかい? 人を二人殺して、金を百両盗って、間男をして、三年経っていまだに知れねえてんだ、どうだ、てえしたもんだろう?」
「いえ、あんまりたいしたもんじゃァありません。お隣のお侍さまは、石坂段右衛門とおっしゃいます。三年前にご新造さんと弟さんを殺されて、その仇を討たんがため、雨に打たれ風にさらされ、めぐりめぐって三年目、隣に源兵衛……あ、あァた……あなたですよ……仇のいることがわかった。すぐ踏ンごんで斬り捨てようとおもったが、まァわたしを呼んでね、源兵衛のほうで隣の部屋に斬られに来るか、そのお侍がこっちへあァたを斬りに来るか、二つに一つの返答を聞いて参れッてんですけどもねェ、あァた隣に斬られに行きますか?」
「おい、ほんとうかい? それァ、おい、ちょっと待ってくれ、そいつァ。落ち着いとくれよ」
「あァたが落ち着くんですよ」
「若え衆、まァ聞いとくれ、世の中に石坂段右衛門なんて、そんな間抜けな名前の人があったのかい、おい? 知らねえやな、こっちは……まァ聞いとくれよ、こういうわけだ、おれがね、両国の小料理屋でもって、一杯飲んでたんだ。そうしたらそばでもって、この話をしていたやつがあるんだよ。そンときおれは、あァおもしろそうな話だな、どっかでもってこいつを一ぺん使ってみてえなあとおもってたんだよ。そうしたら清ちゃんが、さっき、色事のできる顔は一つもいねえなんてことを言やがったろう? しめた、ここだなとおもうから、おれァもう、両国で聞いた話をいまおもい出しながら、ここで話をしたんだよ。めった斬りにしたてのはね、両国にいるんだから、その隣の人に両国へ行ってもらって……」
「じゃあ、なんですか? この話は受け売りなんですか? あァたねえ、こんなややっこしい話を口から出まかせに、むやみに受け売りなんぞしちゃあ困りますよ」
「いや、面目ねえ。つい調子に乗っちまったもんで」
「こいつァなにしろ魚河岸きってのおしゃべりだからしょうがねえ」
「ほんとにしょうがァありませんねェ。あなた方のために、こっちゃあ寝られやしねえんだから……ま、まァなんてえかわからねえけれど、とにかく、隣へ行ってお侍さまによく話をしますからね……しょうがねえなあ、ほんとうに世話ばっかり焼かせて、どうも……」

「ェェどうもお待たせをいたしました」
「いかがいたした?」
「へえ、どうも……なにかのおまちがいじゃァございませんか? まァ間男をしたの、金を百両盗って、人を殺したのなんのというお話でしたが、いえ、とても間男をするどころの男じゃァございません。いまごろ自分のかみさんが、もう間男をされてるような顔でございまして……それでとても人を殺すなんて、とてもそんな度胸のある男じゃァございませんで、源兵衛という男の申しますには、あれは、なんでも両国の小料理屋でもって、隣で……」
「黙れッ。現在、自分の口から金を盗った、人を殺したと白状しておきながら、ことここにおよんで、嘘だ冗談だですむとおもうか、たわけ者め。さようなことを言って、この場を逃れんとする不届至極の悪人めッ、ただちに隣室に踏みこみ、そやつの素っ首叩き落とし、血煙あげて……」
「少々お待ちください、お武家さま、ただの煙とはちがいますよ、その血煙ってのァいけませんよ。武蔵屋でもってあの部屋で血煙があがったなんてえことが評判になりますと、てまえどもにこれから先お客さまが泊まってくださる方がございませんで、どうか、せめて庭へでも引きずり出して、血煙をおあげになるというようなことに願いたいもんで……」
「いや、わかった。その方の申すところ一応もっともだ。仇討とはいいながら、死人が出たとあっては、当家へ迷惑をかける。……しからばかよういたそう、明日までそやつの命をその方に預けおこう。明朝、当宿はずれにおいて、出会い敵といたそう。しからば、当家に迷惑はかかるまい」
「へえ、ありがとうございます。大助かりでございます、ええ。そう願えればもう、このうえありがたいことはございません」
「さようか。仇は源兵衛一人であるが、あと朋友が二名おったな。これはきっと朋友のよしみをもって助太刀いたすであろう。よしんば助太刀をいたすにもせよ、いたさぬにもせよ、ことのついでに首をはねるゆえ、三名のうち、たとえ一名たりともとり逃がすようなことがあらば、当家はみな殺しにいたすから、さよう心得ろ」
「えっ、一名でもとり逃がすと、当家はみな殺し?! へえへえ、いえ、もうかならず逃がすようなことはいたしません。へえ、かしこまりました。いえもう逃がすどころではございませんで、てまえどもも大助かりで、たしかにお請けあいいたしました。へい、ありがとう存じます。では、そうぞ、旦那さま、ご心配なくおやすみくださいまし……さあ、善どん、益どん、寅どん、喜助どん、みんな来てくださいよ。いえね、悪くすると家で仇討が始まるとこだった。お武家さまのおはからいで、明朝、当宿はずれで出会い敵ってえことになった。その代わりね、三人のうち一人でも逃がすようなことがあると、家じゅうみな殺しだってんだから、こりゃおだやかじゃあないよ。え? そうだよ、仇は、さっき泊まった江戸の、うん、あいつらだよ。悪いやつらなんだ、逃がしたひにゃァえらいことになる。……縄ァ持ってきて、で、あたしが声をかけたら、かまうことァないから、あいつら、ぐるぐる巻きにふンじばって、柱へでもなんでも縛りつけとかなくちゃァ、うん。今夜は寝ずの番だよ、みんな覚悟しといてくれ……」

「ごめんください」
「おゥ、どうしたい、若え衆、話はついたかい?」
「つきました、あしたの朝までつきました。明朝、当宿はずれで出会い敵ということで、話は無事につきました」
「おいおい、話は無事についたなんて言ってるけど、冗談じゃァねえや、その出会い敵てえのはなんだい?」
「ええ、宿はずれであァた殺られます。ェェそれでね、仇は源兵衛一人であるが、あとの二人、これは朋友のよしみで助太刀をするだろう……?」
「しないッ……しないよ、こっちは」
「ああ、しないよ、二人とも……」
「いいえ、してもしなくても、ことのついでに首をはねる」
「おいおい、ことのついでにって、気やすく言うなよ」
「あァた方のうち一人でも逃がすようなことがあると、こんだ、こっちの笠の台が飛んじまう、家じゅうみな殺しというようなことで……まことにお気の毒ですが、少し窮屈かもしれませんが、あァた方一ぺん縛らせて……」
「おい若え衆、おい堪忍……」
「堪忍もくそもあるもんか」
「おい、なにをするッ……」
「なにもくそもあるもんか……おい、みんな、かまうこたァねえから、縛っちまえッ」
 店じゅうの者が、寄ってたかって三人をぎゅうぎゅう縛りあげて、柱へ結いつけた。江戸っ子三人は、さっきの元気はどこへやら、青菜に塩で、べそをかいている。一方、侍のほうは、さすがに度胸がすわっているとみえて、隣の部屋に仇を置いて、大いびきで、ぐっすり寝てしまっう……。

 一夜明けて、侍は、うがい手水をすませ、ゆうゆうと朝食も終えた。
「ェェお早うございます」
「おう、伊八か。昨夜はいろいろとその方に世話を焼かせたな」
「へ、ェェどういたしまして……ェェ先ほどはまた、多分にお茶代まで頂戴いたしまして、ありがとう存じます」
「いや、まことに些少であった。今後、当地へ参った節は、かならず当家に厄介になるぞ」
「ありがとう存じます……ェェそれから旦那さま、あの昨夜の源兵衛でございますが……」
「源兵衛?」
「はい。ただいま、あの、一ぺんその唐紙をあけてお目にかけます……ェェ旦那さま、よく顔をおおぼえになっておいていただきませんといけないと存じますが……あの、真ン中に縛ってございますのが、あれが源兵衛でございます。その向こうでべそをかいておりますのが清八に喜六でございます」
「ほほう、ひどく厳重にいましめられておるが、昨夜、なにかよほど悪事でも犯したか?」
「いえ、あの方は、別に悪事というほどのことはいたしません。ただ、裸でかっぽれを踊ったくらいでございます……」
「それが、なにゆえあのように?」
「でございますから、あの真ン中の源兵衛が、旦那さまの奥さまと弟御さまを殺した悪人でございます」
「ほほう、それは、なにかまちがいではないか? 拙者、ゆえあっていまだ妻をめとったおぼえもなく、弟とてもないぞ」
「いえ、そんなはずはございません。ねエ、お武家さま、あァた昨夜おしゃったでしょう。前年妻弟を討たれ、その仇を討たんがため、雨に打たれ風にさらされ……って」
「ああ、昨夜のあれか、はッはッはッ……あれは座興じゃ座興じゃ」
「えっ、座興? 座興とおっしゃいますと、口から出まかせで……? 旦那も口から出まかせにおっしゃったんで?……へーえ、口から出まかせが流行るね、こりゃどうも……しかし、旦那さま、冗談じゃァございませんよ。あァたが一人でも逃がしたら、家じゅうみな殺しだっておっしゃったでしょう? あァたがそうおっしゃったから、家じゅう一人だって寝た者はおりません。ええ、逃がしちゃァたいへんだとおもうから、みんな寝ずの番で、あの三人を……あの三人だってかわいそうに、生きた心地はありませんよ。みんなまッ青になって、あそこへ縛られてべそをかいて……寝てるものは一人もいませんよ。あァた、なんだってそんな口から出まかせの嘘をおっしゃったんでございます?」
「いや、あのくらい申しておかんと、拙者が夜っぴて寝られん」

古典落語100席 立川志の輔選・監修/PHP研究所編 PHP文庫 1997年
(7)抱腹絶倒の大ボケ噺
 82 大工調べ落語に出てくるお奉行様はチャンバラがなくても、こんなにカッコいいんです。
 88 宿屋の仇討ち温泉へでもいってパーッとやりたい。これは江戸時代から続いているようです
 落語豆知識
おち―@」 サゲも同じ意味。噺のラストに配される笑いのフレーズで、「考えおち」「とたんおち」「仕込みおち」など多くのパターンがある。噺の構成にはかかせない。
おち―Aぶっつけおち 相手が言っていることを別の意味にとって笑わせるおち。ぶっつけおちの噺は非常に多い。本書中では『らくだ』『宿屋の仇討ち』『火事息子』など。
おち―B間抜けおち 文字どおり登場人物の行為が間抜けな結果に終わるおち。本書では『主観長屋』『穴どろ』『風呂敷』『時そば』などいかにも落語らしい噺が多い。
おち―C途端おち 仕込みも洒落も使わず最後の一言でスッキリときまるおち。本書中では『うどん屋』『寝床』『わら人形』『芝浜』など。
おち―D考えおち 洒落のようにストレートにわかるおちではなく、少しひねった表現で笑わせるおち。直接的な表現を使わずにニヤリとさせる「ばれ噺」に考えおちが多い。
おち―Eさかさおち 本題でずっと話してきたことが、最後に逆転して笑わせるおち。本書中なら『短命』『一眼国』『あたま山』などがそれに当たる。
おち―F地口おち 洒落になっているおちのこと。あまりおもしろくはないが地口おちでさげる噺は多い。本書では『錦の袈裟』『大工調べ』『鰍沢』など。
おち―G仕込みおち いきなりではわからないので、噺の途中に伏線が張ってあり、それによっておもしろさがわかるおち。本書中では『明け烏』『たが屋』『みそ蔵』など。

「千字寄席」 立川志の輔監修 古木優・高田裕史 PHP文庫 2000年 ★
真田小僧 別題 六文銭
 鍵語 ●焼きイモ
鈴ふり 別題 鈴まら
 余話 十八檀林
宿屋の仇討 別題 庚申待ち・甲子待ち・宿屋敵
 

「ことば遊びの楽しみ」 阿刀田高 岩波新書 2006年
「竹やぶ焼けた」「貴社の記者、汽車で帰社した」「世の中は澄むと濁るの違いにて、刷毛に毛があり禿に毛がなし」。日本語ほど盛んにことば遊びが楽しまれてきた言語はあるまい。幼い頃からその多彩な遊びを愛してきた作家が、古今の傑作や自らの創作をまじえて、駄じゃれ、いろは歌、回文、アナグラムなどの豊かな世界へと案内する。

第1章 日本語とことば遊び
「みの一つだになきぞ悲しき」
 笑いを生むために、ことさらに作られた作品ということなら、私たち日本人は世界に冠たる(と自負してよいと思うのだが)落語を持っている。この話芸でも到るところで、ことばのしゃれが使われている。一例として『道灌』をさぐってみよう。
 登場人物は毎度おなじみ、熊さんとご隠居さんである。狩に出た太田道灌がにわか雨に遭い、傘を借りようとすると、少女が山吹の枝をさし出す、という話を聞かされ、熊さんが、
 「あ、わかった。頭の上でこれをクルクルまわして雨を払えって」
 「ちがう。道灌の家来がそっと教えてくれた。有名な歌がございます。七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき≠ニ言ったな」
 「へえー?」
 「わかるのか」
 「わかりません」
 「昔の歌にかけて、蓑(みの)一つだになきぞ悲しき≠ニ断ったわけだな」
 「ああ、蓑がなかったんですか」
 「さよう。すぐにわからなかった太田道灌はああ、おれは歌道に暗い≠ニ嘆いて、それから一層勉強に励んだという話だ」
 「へえー、偉いんですね。ご隠居さん、その歌、紙に書いてください」
 と、熊さんはどこまでわかったのか、歌を書いてもらって持ち帰る。
 少女のビヘイビアは、まちがいなく、ことば遊び、しゃれの一種ですね。山吹が実の一つ≠ウえつけないことを例にして蓑一つ≠ウえないことを訴えたわけだから、風流と言えば風流、実際、昔の教養人はこんなことば遊びに通じていたようだ。
 熊さんは自分でもこのエピソードを演じてみたい。手ぐすねを引いていると、仲間が飛び込んで来て、
 「提灯を貸してくれ」
 「提灯? そりゃ、まずい。雨具を借りに来い」
 「借りたいのは提灯だ」
 「提灯を借りたくても雨具を借りたいと言え」
 「わからんなあ」
 しかし熊さんにしつこく言われて、
 「じゃあ、雨具を借してくれ」
 と言えば、熊さんはすかさずあんちょこを取り出して読みあげた。
 「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき、てなもんだ。どうだ、わかるか」
 「わからん」
 「おめえ、歌道に暗いな」
 「そうとも、角(かど)が暗いから提灯を借りに来たんだ」
 と、これもまた紛れようもないことばのしゃれである。『道灌』は二重三重にしゃれをちりばめた落語と称してもよいだろう。
 落語のキイポイントとなる落ちについては、考え落ち、地口落ち、見立て落ち、仕込み落ち……いくつかに分類されてるが、しゃれをキイとする地口落ちは全ての落語の中でかなりのパーセンテージを占めているだろう。落ちだけではなく、話の途中でも、ところどころにさなからボクシングのジャブのように飛び散って、笑いのポイントを稼いでいる。

 落語協会落語芸術協会落語に関する本


講 談
「埼玉英傑傳」 六代目宝井馬琴 さきたま出版会 1998年 ★★
 川越城主 智恵伊豆 松平信綱
 信綱は大河内久綱の子で正永から長四郎、後に叔父である松平正綱の養子となった。慶長九年即ち九歳の時から幼君・竹千代(後の家光)に仕えた。
 腕白竹千代の一節は昔から盛んに高座にかけられ、現在でも女流講談師が好んで演じている。日吉堂が明治二六年一二月に刊行した初代如燕の『桃川十八講談』のなかに「宿直袋」(とのいぶくろ)として収録されている。冒頭、松平伊豆守信綱公幼名を大河内長四郎と申されまして、十一の年に三代公のお相手役を仰せ付けられました。三代公御幼名を竹千代丸様、其の竹千代丸様の乳母は春日の局……お守りのお役は土井大炊頭利資(としかず)酒井讃岐守忠勝、青山伯耆守行成、是を智仁勇のお守り役……お相手(お遊びの相手)は大河内長四郎、堀田庄五郎後に加賀守正盛、阿部鉄丸後豊後守忠秋是を智仁勇のお相手……といった調子である。
 家光が将軍となるや伊豆守に任じられ、寛永一〇年に老中、忍(おし)城主となり二万六千石。嶋原の乱に功があって川越城に転じ六万石の領主に出世。「智恵伊豆」として長年幕政に参画、徳川政権の基礎を確立した。
 講談では「天草騒動」(松林伯円の「徳川十五代記」に伊豆味噌噂の事あり)や、「慶安の変」に登場。講談社の少年講談「由井正雪」(昭和七年六月)には二人の暗闘がおもしろく描かれている。本県の新田開発(野火止用水)や新河岸川の舟運にも貢献した。

 講談協会


 ▲目次  サイトマップ  トップページ


作成:川越原人  更新:2020/11/02