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中野近隣騒音殺人事件

1982年(昭和57年)10月6日午後6時50分ごろ、東京都中野区白鷺の住宅街でアパートに住む日本大学経済学部(2部)4年生のM(当時22歳)が下宿先の大家の真弓正次郎(95歳)の胸を包丁でひと突きし、続けて次女の貞子(65歳)を包丁で10ヶ所、さらにその隣家で食事中だった母親の森田朝子(44歳)を包丁で24ヶ所、長男の健(10歳)を包丁で18ヶ所、次男の聡(4歳)を包丁で10ヶ所刺し、合わせて5人を殺害した。その後、Mは近くの住宅街をうろついていたところを緊急逮捕された。

犯人のMは1年ほど前から真弓方に下宿していたが、半年ほど前から真弓宅に「テレビの音がうるさいので静かにしてほしい」と申し入れていた。同時にその隣家の森田宅にも「子どもの声がうるさい」と苦情を言っていた。しかし、自分の意見が聞き入れてもらえず、1ヶ月前から殺すしかないと犯行を決意、10日ほど前に刃渡り16.5センチの文化包丁を買い込んで犯行に及んだものだった。

Mの父親は中学教師を経て国立市議会の文教委員、共産党市議団長も務めており、母親も元教師である。Mは父親から一度も叱られたことがなく、母親に甘やかされて育ち、自分の思うようにならないとイライラする性格だったという。

Mは自宅で1浪して日大に進んだ直後、両親から民青(共産党傘下の青年組織)入りをオルグされた。これ以降、親子そろってのまともな会話がなくなったという。3年生になり、Mは自宅を離れて下宿生活をした。2部から1部への編入を希望していたが、叶えられず卒業学年になってしまった。そして、この頃から奇行が多くなっていった。

下宿の窓から帰宅途中の小学生に向かって「うるさい黙れ」と怒鳴り、近所にも幾度か「テレビを消せ」とネジ込んだ。アパートの隣りの部屋の下宿生に連日クレームをつけ壁を叩いたり怒鳴ったりを繰り返し、ついに隣室を空き部屋にした。その異常な行為に周辺では「怖い大学生」と評判になっていた。

大家は2度に渡ってM父子を呼び出し、「下宿を引き払ってほしい」と懇願したが、父親は「卒業までなんとか置いてやってください」と頭を下げるだけだった。

逮捕の翌日、就職活動していたMは取調官に向かってこう言った。

「今日、本当は会社訪問の日なんですよ。やっぱり行けませんよね」

M家の人々は「突発的な病気だと思う」と周囲に語った。

精神鑑定の結果、Mは「幻覚と妄想を伴う破瓜型精神分裂病」と診断され、犯行時、心神喪失状態にあったとした。

「精神分裂病」という名称は “schizophrenia”(シゾフレニア)を訳したものだが、2002年(平成14年)の夏から「統合失調症」という名称に変更されている。

現代の刑法では、責任能力の有無が問題にされているが、刑法39条では、心神喪失者は責任能力がないとされている。「心神喪失」とは「ものごとの是非善悪を理解する能力がなく、またはこの理解に従って行動する能力を欠く状態」を指すとされ、処罰されない。また、刑法39条2項では、「理解し、理解に従って行動する能力の著しく低い」者は、「心神耗弱」として、刑を軽くすることになっている。但し、心神喪失も心神耗弱も医学的判断とは別で、法律上の考え方であり、精神鑑定では責任能力なしと出ても、裁判官が独自に能力を認める場合もある。

1983年(昭和58年)3月24日、東京地検は責任能力なしとして不起訴処分とし、東京都世田谷区上北沢の都立松沢病院に措置入院となった。

驚くべきことに、Mは松沢病院で一度も精神分裂病と診断されておらず、入院初日から「幻覚妄想は一切なし」と診断されている。それからわずか7ヵ月後の10月31日で措置解除となっている。解除当日、松沢病院はMに対して「精神保健センターへの通所」で充分としたものの、両親がMの帰宅を頑なに拒否し続けているため、2002年(平成14年)6月現在も「家族の希望」で入院したままだという。Mは病院内で3度も殴打事件を起こしており、「やられた方が悪い。自分は被害者」と言っているという。Mは病院では人格障害者として扱われている。

1981年(昭和56年)からこの事件があった1982年(昭和57年)にかけては犯行時、心神喪失あるいは心神耗弱状態にあったとして「不起訴処分」や「減刑」になった大きな事件が他にも起きている。

1981年(昭和56年)6月11日のパリ人肉嗜食事件ではその犯人の佐川一政が精神鑑定で犯行当時、心神喪失状態にあったとして不起訴処分となっており、1983年(昭和58年)4月から、パリ郊外のアンリ・コラン精神病院に入院していたが、1984年(昭和59年)5月の帰国直後から同じく松沢病院に入院し、1985年(昭和60年)8月に退院した。

6月17日の深川通り魔殺人事件は覚醒剤の濫用者による死刑相当の4人殺害事件であったが、犯行時、心神耗弱状態にあったとして無期懲役に減刑されている。

1982年(昭和57年)2月7日の西成覚醒剤常習者通り魔事件でも4人殺害であったが、犯行時、心神耗弱状態にあったとして無期懲役に減刑されている。

2月9日の日航機「逆噴射」事件で24人もの死亡者と149人の重軽傷者を出す惨事となったが、当時機長だった片桐清二(当時35歳)は精神鑑定の結果、妄想型精神分裂症と診断され不起訴処分となっている。

7月4日、東京都新宿区で東大名誉教授の斎藤勇(95歳)が孫のT(当時27歳)によって殺害されるという事件が起きているが、やはり犯行時、心神喪失状態にあったとして不起訴処分となった。斎藤勇東大名誉教授惨殺事件

そうした判決がある一方で、近隣騒音殺人事件第1号となった1974年(昭和49年)8月28日のピアノ騒音殺人事件のように、「パラノイアに罹患していて責任能力なし」という精神鑑定の結果にもかかわらず、結局、死刑判決が下り確定している例もある。

刑法39条を題材にした映画作品に 『39〜刑法第三十九条〜』(監督・森田芳光/出演・鈴木京香、堤真一/松竹/1999)というサイコ・サスペンスがある。

参考文献・・・
『戦後欲望史 転換の七、八〇年代篇』(講談社/赤塚行雄/1985)

『日本の大量殺人総覧』(新潮社/村野薫/2002)
『そして、殺人者は野に放たれる』(新潮社/日垣隆/2003)
『刑法39条はもういらない』(青弓社/佐藤直樹/2006)
『刑法39条 心の病の現在』(新書館/小田晋&西村由貴&作田明/2006)
『新潮45』(2002年7月号)

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