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陽城人陳勝、字渉。 少与人傭畊。 輟畊之隴上、悵然久之曰、 「苟富貴、無相忘。」 傭者笑曰、 「若為傭畊、何富貴也。」 勝大息曰、 「嗟呼、燕雀安知鴻鵠之志哉。」 至是、与呉広起兵于蘄。 時發閭左、戍漁陽、勝・広為屯長。 会大雨道不通。 乃召徒属曰、 「公等失期、法当斬。 壮士不死則已、死則挙大名。 王侯将相、寧有種也。」 衆皆従之。 乃詐称公子扶蘇・項燕、称大楚。 勝自立為将軍、広為都尉。 |
陽城の人陳勝、字は渉。 少きとき人と傭畊す。 畊を輟めて隴上に之き、悵然たること久しうして曰はく、 「苟くも富貴とならば、相ひ忘るること無からん。」と。 傭者笑ひて曰はく、 「若傭畊を為す、何ぞ富貴とならんや。」と。 勝大息して曰はく、 「嗟呼、燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや。」と。 是に至りて、呉広と兵を蘄に起こす。 時に閭左を發して、漁陽を戍らしめ、勝・広屯長と為る。 会大雨して道通ぜず。 乃ち徒属を召して曰はく、 「公等期を失し、法斬に当たる。 壮士死せずんば則ち已む、死せば則ち大名を挙げんのみ。 王侯将相、寧くんぞ種有らんや。」と。 衆皆之に従ふ。 乃ち詐りて公子扶蘇・項燕と称し、大楚と称す。 勝は自立して将軍と為り、広は都尉と為る。 |
現代語訳/日本語訳
陽城の人、陳勝は字を渉と言った。
若いときは他の人と一緒に雇われて耕作をしていた。
ある時、耕作の手を休め、畑の中の小高いところに行き、長い間嘆いた様子を見せて、こう言った。
「もし金持ちで身分の高い人物になったら、あなたのことを忘れないようにしよう。」
雇われ人夫はこう言った、
「君は雇われて耕作などしている、どうして金持ちで身分の高い人物になれようか(、いやなれない)。」
陳勝はため息をついて嘆きながら、こう言った、
「ああ、ツバメやスズメのような小鳥に、どうして大鳥の志がわかろうか(、いやわからない)。」
その後、呉広と蘄県で挙兵した。
当時は集落の左側に住む免役者までも徴兵して、
漁陽郡の守備に動員することになっており、
陳渉と呉広はその前線守備隊の小隊長だった。
前線へ赴く途中、たまたま大雨が降って道を通れなかった。
そこで、仲間を呼んでこう言った、
「あなた方は到着の期日に間に合わない、これは秦の法律では斬殺の刑に当たる。
壮年のあなた方が、死にたくないのならば、ここまでである。
だが、死ぬ覚悟があれば、大きな名声を得ることも可能だ。
王や諸侯、将軍や宰相に、どうして血統があろうか(、いやない。今こそは我々がそうなれるチャンスだ)。」
そこにいた者は、みな陳勝の言葉に従った。
そこで、公子扶蘇と項燕の名を詐称し、
また、国を大楚と称した。
陳勝は自立して将軍となり、呉広は都尉となった。
解説
★陽城人陳勝、字渉。少与人傭畊。
ようじょうのひとちんしょう、あざなはしょう。わかきときひととようかうす。
「畊」は「耕」と同じ。
★輟畊之隴上、悵然久之曰、
こうをやめてろうじょうにゆき、ちゃうぜんたることひさしうしていはく、
「之」は"ゆく"。
「久之」の「之」は、俄然・唖然・敢然などの「然」と同じような感じで状態を表す語を作る。
「悵然」は嘆く様子。
これは、陳勝が、人に雇われて働かなくてはならない我が身の不遇を嘆いているものと言われている。
陳勝は富貴の身分になることに相当な憧れがあったものと見える。
★「苟富貴、無相忘。」
「いやしくもふうきとならば、あひわするることなからん。」と。
「苟」は仮定を表し、"もしも・かりにも・万が一にも"などと訳す。
「富貴」はここでは述語として用いられている。
「相」は"お互いに"ということも表すが、この場合は述語「忘」に対象があることを示す。
★傭者笑曰、「若為傭畊、何富貴也。」
ようじゃわらいていはく、「なんぢようかうをなす、なんぞふうきとならんや。」と。
「若」は汝(なんじ)。
★勝大息曰、「嗟呼、燕雀安知鴻鵠之志哉。」
しょうたいそくしていはく、「ああ、えんじゃくいづくんぞこうこくのこころざしをしらんや。」と。
「大息」は"ため息をついて嘆く"。
「嗟呼」はため息の擬音語。
燕雀は小人物、鴻鵠は大人物の喩えとして出されている。
もっと言えば、小人物とは、ここでは傭者、大人物とは陳勝のことである。
自分の大いなる志を同僚が理解してくれず、つい「太息」してしまった。
そんな感じだろう。
★至是、与呉広起兵于蘄。時發閭左、戍漁陽、勝・広為屯長。
ここにいたりて、ごこうとへいをきにおこす。
ときにりょさをはっして、ぎょようをまもらしめ、しょう・こうとんちょうとなる。
「發(発)」は"徴発する・徴兵する"の意。
「閭左」とは秦代に集落の左側に住んでいた貧しい民衆で、税・労働を免除された。
漁陽郡は、対匈奴戦線の前線であった。
陳勝が挙兵したのは、B.C.209年である。
★会大雨道不通。乃召徒属曰、
たまたまおおあめしてみちつうぜず。すなはちとぞくをめしていはく、
「会」は"たまたま"。
「徒属」はいっしょに物事を行う仲間。
★「公等失期、法当斬。
「こうらきをしっし、ほうざんにあたる。
「公等」の公は年長者か同輩への尊称、等は複数を示す接尾語、これは今でもよく使っているやつ。
「当」は相当する、相当の刑に処すの意。
しかし、"〜に当たる"と言うのは今でも普通に使うので深く考える必要はあるまい。
★壮士不死則已、死則挙大名。
そうししせずんばすなはちやむ、しせばすなはちたいめいをあげんのみ。
「已(やム)」は"やめにする・終わる・停止する・これまでである"の意。
「大名(たいめい)」は大きな名声。
「挙(あグ)」は"成し遂げる・達成する"の意。
★王侯将相、寧有種乎。」衆皆従之。
おうこうしょうそう、いづくんぞしゅあらんや。」と。しゅうみなこれにしたがふ。
「王」は王、「侯」は諸侯、「将」は将軍、「相」は宰相のこと。
「S寧V乎(SイヅくんぞVセンや)」は反語の句法で、"SがどうしてVしようか"と訳す。
「種」は血統の意。
★乃詐称公子扶蘇・項燕、称大楚。勝自立為将軍、広為都尉。
すなはち、いつはりてこうしふそ・こうえんとしょうし、たいそとしょうす。
しょうはじりつしてしょうぐんとなり、こうはといとなる。
「公子扶蘇」は、始皇帝の長男で人望があったが、
宰相李斯と宦官趙高の陰謀によって、名将蒙恬と共に自殺されられた。
「項燕」は、楚の名将で項羽の祖父である。
「大楚」は「張楚」とも言われる。
総括
陳勝が起こした叛乱は、歴史上陳勝・呉広の乱といわれている。
この陳勝の反乱が契機となって、劉邦・項羽などが挙兵し、秦を倒すさきがけとなった。
(参考:漢楚斉戦記1 陳勝・呉広の乱)