2016.04.21

古 書

シエナの聖カタリナ『対話』(岳野慶作訳、1988年、中央出版社)

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聖アルフォンソ・ロドリゲス著『修徳指南』第三巻(浦川和三郎改訳、1944年、中央出版社)

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(第三巻のみ)

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『対話』はテキストベースで作ったので、印刷に向いています。

『修徳指南』の方は、質がよくない画像から作りました。
何とか “白く” しましたが、印刷にはどうか。まあ、厳しいか。

上の書名では分からないけれど、彼は聖人です。1888年にレオ十三世教皇様によって列聖されました。Wikipedia
同書は、英語では Practice of Christian and Religious Perfection とか Practice of Perfection and Christian Virtues とか呼ばれていますがInternet Archive、彼の有名な著作らしいです。

ちなみに、以前「菊地司教様は聖ヴィアンネの何に感心なさっているのか」と訝ったように、私は、札幌の場崎神父様が聖アルフォンソ・ロドリゲスについて「何を」私たちに教え得るのか疑問です。参照

良い本が絶版になったままという “憤慨的状況” のために(場崎神父のあのような本は出版されるのに)、次のものもアップしておきます。

聖フランシスコ・サレジオの信心生活の入門

画像ベースのPDF。5ファイル、合計205MB
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シスター・ヨゼファ・メネンデス『愛の招き』

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ふと目にとまった絵

Pietro Rizieri Calcinardi, Morte di S. Angela Merici, 1834, Desenzano del Garda

Pietro Rizieri Calcinardi 「聖アンジェラ・メリチの死」 1834年 Desenzano del Garda

人生の最期にたとえ独りぼっちでも、こうなれば幸いですね。
(聖メリチは実際には独りぼっちではありませんでしたが)

──などと言うと、次のような勧めをされそうですね。

Q3 社会問題にかかわることとキリスト教の説く「救い」とは関係があるのですか?

 この問題は、わたしたちが何げなく使っている「救い」ということばをどうとらえるかということと深くつながっています。
 イメージとしては、自分一人で神さまのいらっしゃる楽園にいることを救いと考えるよりも、神さまのふところで皆が本当に仲良くなっている中に自分も一緒にいることを救いと考えるほうが、より聖書的といえるでしょう。

なぜ教会は社会問題にかかわるのかQ&A pp. 20-21

聖書的? しかし、当サイトで今まで沢山見て来たように、あなた方はそもそも聖書を「読めない」じゃありませんか。
たとえ読んでも「勝手な読み方」をするじゃありませんか。
そんなあなた方にどんな「確かな」ことが言えるんです?

参照

これはアリンゼ枢機卿様のお言葉を集めた “オーディオ・ブック” だということです。私も聴いてません。聴いたら意外とガッカリするかも知れません。しかしそれは兎も角... 私がお見せしたいのはこの表題です── “Alone with God”。

私は、この一つの精神的境涯、“Alone with God” であることは、信仰者にとって “基礎的に大事” と言っていいものだと思います。しかし、このような言葉を前にして咄嗟に──automatically に──「それは “利己的” なんじゃないの?」と考えがちなのが、今のカトリック聖職者たちの “ちょっと病気” なところだと思います。深く「マインド・コントロール」にかかっているところ(症状)だと思います。

啓示された宗教を「社会的」な宗教と入れ替えよ。

参照

人間が「社会的生物」であるのは確かですが、さりとて「社会性」というものの中に “埋まって” いていいというものでもないというのも真であります。

「罪の概念は中世の哲学が聖書の内容を悲観的に解釈したものである、という考えを徐々に刷り込むことによって」

フリーメイソンの雑誌『Humanisme』1968年11月/12月号 より

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