2016.04.21

大塚司教様(京都教区) 1

現代世界憲章から何を学ぶか」などと、大層真面目な “学びたがり

屋” さんであるあなた方。しかし、「公会議文書」や「社会教説」を

どんなに熱心に学んでも、もし福音書の基本的なところさえまともに

理解できないなら、あなた方は “牧者” として務まるだろうか?

多くの司祭がいかにも確信深げに「これはこうです。あれはああです。こういう意味です」と自信満々に解説している。しかし、それにも拘わらず、彼らの話すことは時に卒倒するほど変である。

下は「司教」の位にある人の聖書解釈である。部分引用なので、前後関係を見たい人は引用元を参照のこと。しかし、前後関係によっては彼の解釈のおかしさは擁護できないだろう。

カトリック伏見教会

2011年9月3日(土)

カトリック伏見教会 献堂60周年記念 感謝ミサ 説教

カトリック伏見教会 献堂60周年記念

説教

+パウロ大塚喜直

〔…〕

今日の福音は、イエスによって救いの完成が始まる新しい時代の到来を予告する意味があります。イエスは、過越祭が近づいた神殿で、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」と言われました。

「商売の家にしてはならない」とは、これからはもう、神殿で犠牲を捧げる必要はなくなる。イエスが十字架で捧げる犠牲が永遠の奉献となるという意味です。

イエスは「三日で建て直してみせる。」といって、神殿が御自分の体のことであり、十字架でなくなり、3日目に復活することを予告されます。

弟子たちは、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い出します。

弟子たちは、「神の家を思う熱意、実は、神の思いでなく、自分の思いを通すための、誤った熱意だ」と気づいたのです。

この「司教」が言っていることのおかしさが瞬時に分かる人は、この先を読む必要がない。

「司教」の位にある人が、何故こんな変なことを言うのか? それとも、私は一抹の不安を覚えるべきだろうか?「ひょっとしたら、これは伏見教会のサイト管理者が、大塚司教様が言ってもいないことを書いた、或いは、非常に不完全な再現をしたということではないか?」と。──しかし、この記事はアップされてからもう4年半経っているのである。そしてまた、これは伏見教会にとって大切な御ミサ、「献堂60周年記念」の御ミサでのことなのである。そのような特別な場での「司教」という位高い人のお説教を、いい加減に、不完全に再現したりするものだろうか。

それに、それとは別に、兎に角このようなものが「司教の言葉」として掲げられ続けていることがおかしい。つまり、信徒はどうした。これまで信徒の間から「司教様がおっしゃったとされるこの言葉はちょっとおかしいのではありませんか」という声が挙がらなかったのか。

とにかく、「司教の言葉」として挙げられているのは事実だから、一応そのように見て、書かせて頂く。

彼が言及している福音の箇所は「聖ヨハネ福音書 2章13-22節」である。御ミサで使っている新共同訳は次の場所で読める。
Laudate,  平和の使徒推進本部,  札幌北26条教会

また、私は最下段に、聖ヨハネのその箇所と併せて、他の三つの福音書の同様箇所を掲げておいた。フランシスコ会訳。

まず、順序は逆だが、後半部分から。

弟子たちは、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い出します。

弟子たちは、「神の家を思う熱意、実は、神の思いでなく、自分の思いを通すための、誤った熱意だ」と気づいたのです。

何故、こんな読み方をするのか? ひょっとして大塚司教様は、「食い尽くす」という言葉の表面上の語感から、これが何かネガティブな表現だと思ったのか?

確かに、私たちの日常生活では、何かが「食い尽され」たら、シロアリにやられたみたいで、「全滅」みたいで、ちょっと悲しい気がする。しかし、聖書に於けるこの表現は、そういうものではない。それは単に、基本的には、情熱の激しさを言ったものに過ぎない。

なにかというと「日常から、日常から」と言うカトリック信者は、いつしかその言語感覚まで全く「日常的」になってしまったのか? 上の「食い尽くす」は、まあ、一つの「文学的」な言い方なのである。大塚司教様にはそれが分からないのか?

私は最下段で、弟子たちが思い出したという詩篇の言葉を引いておいた。それはどんな世界を描いているか? 一言で云って、神に対する愛と忠誠を尽そうとするところから世から迫害や侮辱を受けることになった人の苦しみと希望を描いている。そうではないか?

人は普通、どんな時代の人も、第一には自分の生命や生活の安穏を考える。しかし稀に、神に対する愛と忠誠に燃やされて、一般の者から見て非常に「危ない橋」を渡っているように見える人が出る。弟子たちの目から見て、神殿でそのような御振舞いをするイエズス様の姿は、正にそのように見えただろう。弟子たちはそこに、御自分の身の安全は問題にしないほどの、御自分の身を滅ぼしかねないほどの、御父に対する激し過ぎる情熱の炎を見たように思った。──そういうことだろう? 普通。

だから、その言葉「食い尽くす」は、私たちの日常的感覚からすれば「穏やかなものではない」ということになりそうだが、宗教的感覚からすれば、ネガティブどころかポジティブなものなのである。(私は中学生に教えているのか?)

もう一度言う。
弟子たちは、神殿でのイエズス様のその御振舞いの中に、詩篇の言う「あなたの家を思う熱意」を見たと思ったのである。この読み方が正しい(とわざわざ言わなければならないのが悲しいほど、これは当り前のことである)。その「熱意」は基本的に(弟子たちはかなりビビったとしても)弟子たちにとって「肯定」の対象である。

ところが大塚司教様は──

“

弟子たちは、イエズス様によって追い出されなければならなかった人たち、従来的な神殿の世界の中に生きていた人たちの中に、詩篇の言う「あなたの家を思う熱意」を見たと思ったのです。そして弟子たちは、そのような熱意は一見「神の家を思う熱意」のようでも、実は神の思いと一致していない、ただ自分の思いを通すための誤った熱意であると気づいたのです。

”

──と言っているのである。全く逆の読み方をしているのである。カトリック信者たち、考えられよ。彼が相手にしているのは(解説しているのは)「福音書」である!

そう、彼はカトリック司祭であり、そして「司教」である。だから当然、人に聖書を教えるのだ。「教える」!

しかし、大して難しくもない箇所をこれほど的外れな解釈をする人には、私なら、聖書を教わりたくない。

この「司教」の脳内で何が起こったのか?
つまりは、あの輝かしい「公会議の精神」が、彼の頭を引っ張り、彼をして、本来初歩的な理解力だけで済む筈の聖書中の逸話に関して目も当てられぬほどの《誤読》をさせたということだろう。

もう少し読み進めてみよう。 

 は管理人。

カトリック伏見教会

(…)

弟子たちは、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い出します。

弟子たちは、「神の家を思う熱意、実は、神の思いでなく、自分の思いを通すための、誤った熱意だ」と気づいたのです。

私たちの教会は、このキリストによる新しい奉献によってできた神殿、つまり、キリストによって集められた共同体です。

この交わりの中にキリストご自身がおられるのです。このことは、今日の記念を祝う時、決して忘れてはならないことです。

キリストの兄弟姉妹として、キリストと共に集う私たちは、自分の思いではなく、キリストの思いを実行する共同体に属しているのです。

そして、特に小教区としての教会とは何であるかを反省するために、重要なポイントとして、教会が「宣教の拠点」であるということを大切にしたいと思います。

共同宣教司牧によって、私たちは教会のこの「宣教の拠点」と言う側面を以前にもまして強調し意識しています。

彼は教会が「宣教の拠点」であることは認めるのである。それどころか、それを「以前にもまして強調し意識」するのである。しかし、それは果たしてどんな形の「宣教の拠点」なのか。私たちはそれをこれから観察することができるだろう。

   

教会をギリシャ語で、「エクレジア」といいます。呼び集められたという言葉からきます。呼ばれたのは、そこに場所に留まるためにではなく、派遣されるためです。

「それはそうです」と、一応答えておこう。「そうです、派遣されるためです」と。しかし、もしや、「派遣されっぱなし」ではないだろうな。
私は、信者が外に「派遣」されて、そして、神のことを知りたいと願う未信者さんを連れて「戻って来る」のが、真の、普通の、「宣教」だと思うのだが。参照

   

教会に来た時だけ信者で、一歩教会の外に出て生活する時は、心に信仰を秘めて生きる『隠れキリシタン』ではいけないのです。

そもそも、キリストの愛によって信徒が交わることは、教会の中での内輪の平和のためではありません。

教会の外で、信徒が一致して信仰の証をするためです。

一昔前まで、教会のなかで共同体ということばさえ使われなかったのは、教会がお寺のように祈る場所と言うイメージが強く、そこでは個人個人の信仰を守ることが大切されていました。信徒同士のつながりも、いわば内輪の交流の為に必要なものを思いがちでした。

しかし、信徒として、社会に派遣されるという信徒としての最大の務めを今、第一にして共同宣教司牧を推進しているのです。

宣教とは、教会に人を呼んでくることではなく、人々に神の愛を伝えることです。

出た、馬鹿な宣言。
そう、はっきり言おう。馬鹿な宣言!

彼の心の中にあることを代弁しよう。彼は「教会に人を呼んでくることは駄目なことなんですか?」と訊かれれば、「いや、私はそれが駄目だと言っているのではないのです」と答えるに決まっている。なら、どういうことか? 彼の心の中にあるのはこうである──「私は、教会に人を呼んでくることは駄目なことだと言っているのではないのです。しかし、今や “宣教” に於いて、それは主要なことではありません」。

しかし、信仰と秘跡のあらゆる恵みがある教会に人をお連れすることは「人に神の愛を伝えること」の最上級の形態である。だから、大塚司教様のそのような考えはまったくどうかしていると言わねばならない。

   

キリスト者は、神の愛に最も飢え、最も気づいてほしい人々に向かって、言い換えれば、最も救いを必要としている人々のところ遣わされているのです。私たちは、神の愛の宣教者として周囲の人々に近づき、神の愛を具体的に表す使命があるのです。信仰がそうさせるのです。また、そのための信仰なのです。

しかし、そのように謂わば「人間社会の中での神の愛の具体化・行動化」に精出すならば、人々が「救い主イエズス・キリスト」を知るに至らなくても、洗礼や御聖体のお恵みに与るに至らなくても、私たちとしては「神の愛の宣教者としての使命」を立派に果たしたことになると云うのか?
そもそも、天主の教会が教える真理や与える秘跡の恵みを取り次ぐことのない「神の愛の伝達」は、真にその名、「神の愛の伝達」の名に値するのか?
大塚司教様ばかりでなく、よくお考えになった方がいい。

   

〔以下省略〕

そんなこんなで、彼は安心して「宗教サミット」にも参加できる。

そうすることが「カトリック司祭」としての自分の “本分” の一つと信じて、信じ切って。その心にどんな不安の影も懸念もなく。
(もちろん、これは彼だけの話ではない)

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フランシスコ会訳。強調は私。

聖ヨハネ 2

神殿から商人を追い出す

13 さて、ユダヤ人の過越の祭りが近づき、イエズスはエルサレムにお上りになった。14 イエズスは神殿の境内で、牛、羊、鳩を売る者や両替屋が座っているのを見て、15 縄で鞭を作り、牛や羊をことごとく境内から追い出し、両替屋の金をまき散らし、その台をひっくり返し、16 鳩を売る者たちに仰せになった。「こんな物はここから運び出せ。わたしの父の家を商いの家にするな」。17 弟子たちは、「あなたの家を思う熱意が、わたしを食い尽くす(6) と書き記されているのを思い出した。

聖マタイ 21

神殿は祈りの家

12 イエズスは神殿の境内にお入りになった。そしてそこで物を売る人や買う人を皆追い出し、両替人の台や、鳩を売っている人たちの腰掛を倒して、13「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる』と書き記されているのに、おまえたちはそれを強盗の巣にしている」と仰せになった。

聖マルコ 11

神殿は祈りの家

15 一行はエルサレムに着いた。イエズスは神殿の境内に入り、そこで売買している人々を追い出し始め、両替人の机や、鳩を売っている人たちの腰掛を倒し、16 また境内を通って品物を持ち運ぶことをだれにも許さず、17 人々に教えて仰せになった。「『わたしの家はすべての民族のための祈りの家と呼ばれる』と書き記されているではないか。ところが、おまえたちはそれを強盗の巣にしてしまった」。

聖ルカ 19

神殿は祈りの家

45 それからイエズスは神殿の境内に入り、そこで商売をしていた人々を追い出し始め、46 彼らに、「『わたしの家は祈りの家でなければならない』と書かれているのに、おまえたちはそれを強盗の巣にしてしまった」と仰せになった。

次に、上の聖ヨハネの注で引かれていた詩篇から少し引用しておこう。バルバロ訳。

詩篇 6

8

あなたのために、私は侮辱にたえ、

恥辱に私の顔はおおわれた。

9

私は、兄弟たちには、他人となり、

私の母の子らには、見知らぬ人となった。

10

それは、あなたの家への熱心が、私をくいつくし、

あなたをののしる者の冒涜が、私の上におちたからだった。

11

私が断食して、魂をくるしめれば、

それが、私への侮辱の種となった。

12

私が服を袋にかえれば、

それが、かれらの揶揄のもととなった。

13

私は、門にすわる者たちの話の種になり、

酒呑みの唄となった。

14

しかし、主よ、私は、あなたに祈る、

時を得たら、

神よ、あなたの深い愛によって、

あなたの真実の救いによって、私に答えられよ。

「罪の概念は中世の哲学が聖書の内容を悲観的に解釈したものである、という考えを徐々に刷り込むことによって」

フリーメイソンの雑誌『Humanisme』1968年11月/12月号 より

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