現代の司祭の肖像
愚かさ
頭の枠[わく]
私たちは本当に自分の頭で考えているのだろうか?
あなたの頭に「枠[わく]」を嵌めた人は居ませんか?
「物をこのように見、このように考えよ」と。
誰があなたに「教会のこれまでの慣行、宗教的な意味のこもった慣行を、教会外の人々の慣習と感覚から見直せ」と教えましたか?
「外へ」
頭を持って行かれる司祭
もちろん「世界のことを考えること」は必要だけれど、 しかし、大事なのは考える “筋道” なんじゃないですか? 本当に信仰の正しい線に乗りながらそうしていますか? |
「罪の概念は中世の哲学が聖書の内容を悲観的に解釈したものである、という考えを徐々に刷り込むことによって」