2015.12.13

現在の教会はサタニストの影響下にある 3

現代の神父様方の考え方は

ポール・ロッカというサタニストのヴィジョンに似ている

前提記事: カトリック信者には普通の推理力さえないのか

以前、この本のことをちょこっと取り上げました。
聖ピオ十世会のディディエ・ボンテール神父様の御著書です。

この本の中にポール・ロッカの言葉が二つ記されています。
訳してみます。

私は、ローマ教会の今あるような、典礼、祭儀、儀式、そして諸規則によって管理されている神礼拝は、近い将来、一つの公会議によって、それ自身を使徒たちの黄金時代の尊敬すべき単純さへ回帰させるところの、また、それ自身を現代文明の新しい意識の状態と調和させるところの、一つの変容を被るだろうと信ずる。

棄教した司祭、サタニスト、ポール・ロッカ
(1830-1893)の『アベ・ガブリエル』から

I believe that divine worship as it is regulated by the liturgy, the ceremonial, the ritual, and the regulations of the Roman Church will, in the near future at an ecumenical council, undergo a transtormation that will restore to it the venerable simplicity of the Apostolic golden age and harmonize it with modern civilization's new state of consciousness.

Paul Roca (1830-1893), apostate priest and Satanist in L’Abbé Gabriel

キリスト教が打ち立てようとするのは塔パゴダではなく、全ての宗教を包含する普遍的な宗教である。

同著者の『素晴らしき百年祭』から

What Christianity seeks to build is, not a pagoda, but a universal religion that includes all religions.

By the same author in Glorieux Centenaire

どうでしょう、現代の神父様方が喜びそうな、すぐに頷きそうな言葉が並んでいると思いませんか。
そして、この言葉に前回見た「エウカリスティアは普遍的な愛の会食のシンボル」という言葉を加えると、これはまったく(或いは、ほとんどまったく)第二バチカン公会議後に神父様方が持つようになった世界観・信仰観だとは思いませんか。

今回の情報(ロッカの言葉とされる上の言葉)は「確実情報」です。何故なら、ポール・ロッカの著作は Google Books などで幾らか読むことができるのですが、私は上のこれらの言葉がロッカの著作の中に確かにあることを確認したからです。(後述)

気づいている人も居るでしょうが、ロッカのことは日本語環境でも既に紹介されています。みこころネットさんが訳して下さっているファチマ・クルセイダーの「悪魔の最後の戦い」の第五章第六章第七章──特に第五章に──「カノン・ロカ」として言及されています。上の最初の言葉などもそこで紹介されています。

ここでロッカの呼び名のことを整理しておきます。
およそ三つあります。

Paul Roca

本名

Abbé Roca

Abbé は聖職者に付ける或る種の尊称

Canon Roca

ロッカがしばしば「Canon Roca」と呼ばれるのは、彼が教会法の名誉博士号だかを持っているからではないかと思います。フランス語では「chanoine Roca」となるようです。

それから、ロッカの姿を映した写真あるいは肖像画は、Web上、私が調べた限り、見当たりません。
海外の幾つかのサイトで「ロッカの写真」を掲げているものがありますが(ここここここここここ)、しかしその写真は一般にスタニスラス・ド・ガイタの写真とされているものです。

前回の記事で私の目が行ったのは、ロッカのことを称して「ロッジの影の権力者(éminence grise、黒幕)、フリーメイソンの33階級 “超” の者(super 33rd degree of Freemasonry)」と言っていたことです。ロッカは単に「背教し、破門された司祭」と云うに留まらず、また「その思想ゆえにフリーメイソンのグランドマスターの目にちょっと止まった者」という程度のものでもなく・・・詰まりはそういう者だったのかも知れません。

関連記事

外部サイト

閲覧可能なロッカの原著

「罪の概念は中世の哲学が聖書の内容を悲観的に解釈したものである、という考えを徐々に刷り込むことによって」

フリーメイソンの雑誌『Humanisme』1968年11月/12月号 より

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