前回の転載記事に「十字架は1998年にヨハネ・パウロ2世がロンバルディア州を訪問した際に制作され、2005年にチェーボ村近くの景勝地に設置された」とあった。しかし、これだけでは、その "十字架" がそもそもの1998年にはどう扱われたかが分からない。少し調べた。
「ロンバルディア州を訪問」とあるが、具体的には、1998年8月にブレーシア(ロンバルディア州)へ司牧訪問されたのである。参照
で、以下が、その時のその "十字架" の有様である。
しかし、その司牧旅行は単なる司牧旅行だったのではなく、或る一人の人を "列福" するためでもあった。上の写真の左側に大きな肖像画が映っているが、それがその人である。ジュゼッペ・トヴィーニ(Giuseppe Antonio Tovini, 1841–1897)。ブレーシア出身の銀行家(また弁護士)。アンブロシアーノ銀行の設立者。wiki-it, wiki-en
ちなみに、上のトヴィーニの薄っぺらな肖像画(wiki)を描いたのは、あの全裸の "聖ミカエル像"を造ったロムッシオである。
列福式(1998年8月20日)
教皇様が居られる。
教皇様はこの異様なものを許容されたのである。
お帰りの時だろうか。
この場所はかなり山深いところのように見えるが、ブレーシアの或る "競技場" だということである。確かに、一番上の写真の右端に、ナイター用の照明設備のようなものが半分映っている。
式典後、ここが競技場であれば当然のことだが、このステージは解体された。そして、この巨大な Bent Cross は数年の間、或る都市で保管されたそうである。そして、教皇様御帰天の2005年に、そこから引っ張り出され、チェーボに移され、設置された。そして、教皇様列聖の直前、前回紹介した事故が起きたのである。
この教皇様に関係する "しるし" と思われるものは、明るくない。
そして彼は、御自分の教皇職を泣きながら終えたのである。
私は彼のことを馬鹿にしない。一人の人間として、また罪人として、そんなことはできない。しかし、彼はいわば「オカルティストに弄ばれた教皇」である。そして、彼らは今も彼を利用している。それがこの度の列聖の意味である。
Bent Cross について
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