2014.05.02

冒涜的なブレーシアのもう一つの Bent Cross  Part 2

 前回の転載記事に「十字架は1998年にヨハネ・パウロ2世がロンバルディア州を訪問した際に制作され、2005年にチェーボ村近くの景勝地に設置された」とあった。しかし、これだけでは、その "十字架" がそもそもの1998年にはどう扱われたかが分からない。少し調べた。

 「ロンバルディア州を訪問」とあるが、具体的には、1998年8月にブレーシア(ロンバルディア州)へ司牧訪問されたのである。参照

 で、以下が、その時のその "十字架" の有様である。

Otra Cruz Torcida de Brescia blasfema

 しかし、その司牧旅行は単なる司牧旅行だったのではなく、或る一人の人を "列福" するためでもあった。上の写真の左側に大きな肖像画が映っているが、それがその人である。ジュゼッペ・トヴィーニ(Giuseppe Antonio Tovini, 1841–1897)。ブレーシア出身の銀行家(また弁護士)。アンブロシアーノ銀行の設立者。wiki-it, wiki-en

 ちなみに、上のトヴィーニの薄っぺらな肖像画(wiki)を描いたのは、あの全裸の "聖ミカエル像"を造ったロムッシオである。

 列福式(1998年8月20日)

Another Bent Cross of blasphemous Brescia
Outra Cruz Vergada do Brescia blasfemo

教皇様が居られる。

Un'altra Croce Ritorta di Brescia blasfemo

教皇様はこの異様なものを許容されたのである。

Innym Krzywy Krzyż bluźnierczego Brescia

お帰りの時だろうか。

 この場所はかなり山深いところのように見えるが、ブレーシアの或る "競技場" だということである。確かに、一番上の写真の右端に、ナイター用の照明設備のようなものが半分映っている。

 式典後、ここが競技場であれば当然のことだが、このステージは解体された。そして、この巨大な Bent Cross は数年の間、或る都市で保管されたそうである。そして、教皇様御帰天の2005年に、そこから引っ張り出され、チェーボに移され、設置された。そして、教皇様列聖の直前、前回紹介した事故が起きたのである。

この教皇様に関係する "しるし" と思われるものは、明るくない。

そして彼は、御自分の教皇職を泣きながら終えたのである。

Innym Krzywy Krzyż bluźnierczego Brescia

 私は彼のことを馬鹿にしない。一人の人間として、また罪人として、そんなことはできない。しかし、彼はいわば「オカルティストに弄ばれた教皇」である。そして、彼らは今も彼を利用している。それがこの度の列聖の意味である。

Bent Cross について

ブレーシアについて

ヨハネ・パウロ二世教皇様について

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