2011.04.26

サタンの煙: 悪魔的芸術家たち (4)

レロ・スコルツェッリ
Lello Scorzelli (1921-1997)
教皇に対し呪いを刻んだ男
まず、或る英文サイトの彼についての記事を大雑把に翻訳する。画像と〔 〕とチャチャは管理人。
1921年、ナポリに生まれる。1997年、75歳でローマで死去。父親のエウジェニオはナポリの有名な画家。実戦を経験した第二次大戦後、彫刻に(特に肖像に)没頭する。1947年、カーヴァ・デ・ティッレーニ〔地名?〕での全国展示会で1位を獲得する。同じ年、ミラノで初の個展。続いて1948年にローマで展示会。1959年、未来の教皇、モンティーニ大司教に会う。モンティーニ大司教は彼に、教皇ヨハネ23世のエキュメニカルな会議に出席する全ての聖職者の肖像〔群像〕を作るように依頼。それはバチカン美術館に保存されている。↓
〔中央のゴチャゴチャした山のように見えるのは、題して「ペンテコステ」〕
〔「第二バチカン公会議は第二の聖霊降臨であった」と言いたいわけであろう。しかし、こうしてみたくなるのは私だけか。〕
1963年、教皇パウロ6世はこの彫刻家をローマに呼び寄せ、バチカンにスタジオを与える。彫刻家はそこに15年間留まることになる。彼の重要な宗教的な芸術作品のいくつかは、この時期から始まる。たとえば、十字架の道行きのブロンズ製のパネル、教皇のプライベート・チャペルの「最後の晩餐」(1964年)などである。最も重要な仕事は、聖ペテロ大聖堂のための Porta della Preghiera (Gate of Prayer) である。その三年間のプロジェクトは1971年に完了した。彼の最もよく知られた、また最も目に付く仕事のうちの一つは、1960年代に教皇のために彼が作った上部に無骨な磔刑像が付いた笏杖(しゃくじょう)である。しかしそれは現在ヨハネ・パウロ2世の教皇職との方により同一視されている。ベネディクト16世はもはやこれを使わない。教皇ピオ9世の笏杖を好むようである。けれども、彼が彼のゲストに与えるロザリオには、今でもスコルツェッリの磔刑像が付いたままである。〔翻訳終わり。元記事
 
まず、赤線を引いた部分について確認する。これは何を意味しているかと言えば、勿論、私達が「教皇様の笏杖(牧杖)papal cross, papal crucifix, papal staff, papal crozier」として最も見慣れている、俗に言う Bent Cross (右の写真)のことである(bent[形]曲がっている,屈曲[湾曲]した;ねじれた)。たまには twisted cross などと呼ばれたりもする。
そして、これを作ったのが彼、レロ・スコルツェッリなのだ、ということなのである。このことは、別にこの英文記事だけが言っていることではない。少し探せば、あなたにもそれは判明する。
このレロ・スコルツェッリという彫刻家に関しては、一般に(というか、私の場合「ウェブ上で」ということになるが)、情報が極めて乏しいようだ。「教皇によってバチカン内にスタジオを与えられ、そこで15年間仕事をした」にしては、また、右の扉(だと思う)を作ったにしては、また、今では「Papal Cross」と言えば誰しも彼の Bent Cross を真っ先に思い浮かべるほどであるにしては、情報が乏しいのである。Wikipedia においては、どの言語でも書かれていない(母語語であるイタリア語でも!)。顔写真はようやく一枚見つけることができただけである。参照
しかしまた、上にざっと訳した英文記事には少し不安な点があることも言っておかなければならない。この彫刻家の没年を間違えているようである。他のイタリア語のサイトと一致しない。修正しておいた。また、現教皇様は今でも Bent Cross の笏杖を時々はお使いなのではないか。
また、概して、情報は情報である。たとえ「確かそう」に見える情報でも、私は頭からは信用することはしないし、また、ことパウロ6世教皇様に関しては、どんなものでも頭からは信用する気になれない。たとえば「パウロ教皇がこの彫刻家をローマに呼び寄せた」とは言うが、たとえこれが一般的には正しい情報とされていても、あくまで「表の情報」であり「発表」なのだ。真実のところは、教皇様の悪しき側近が教皇様には適当なこと曖昧なことを言いつつ物事を進めた、ということもあり得ると思う。しかし、それはともかく・・・
大抵のカトリック信者なら、「上の扉を作った人なら信用できる、素晴らしい働きをしたんだから」と思うのみで、「疑う」などということは、まず決してしないに違いない。けれども、違う。まったく違う。彼の作品は悪魔的である。前に「ゲージツ家達には、作品が特別にオーダーされた場合、そこに『発注者』が存在する」と書いた。だから、彼の作品の悪魔性が彼から来たものか、それとも発注者から来たものか、正確なところは分からない。分かるのは、その「作品」が間違いなく悪魔的なものだということだ。
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メモ
Raffaele (Lello) Scorzelli という表記もある。
Lello は Raffaele とか Raffaello とかの愛称だろう。
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