2011.04.26

サタンの煙: 悪魔的芸術家たち (3)

フロリアーノ・ボディーニ
Floriano Bodini (1933-2005)
凶悪な「パウロ6世像」を作った男
出生順に取り上げるなら、次はレロ・スコルツェッリなのだが、彼はあまりにも重大な問題を含んでいるので、先にこの人を扱う。
イタリア語の Wikipedia(英語版はない)を見ると、彼もまた教会と浅からぬ関係を持ち、聖職者の彫像や大聖堂の祭壇などを複数手掛けているようだ。
その中の一つ、ラテラノの聖ヨハネ大聖堂の「聖なる扉」
 
ヨハネ・パウロ教皇様か
悪くないじゃないか、と思う。
ところが……
 
(左下の写真だけ色調がかなり違うが、しかし同じ彫像を撮ったものである)
これが置かれているのは、イタリア最北の都市ヴァレーゼ (Varese) のサクロ・モンテ (Sacro Monte) の頂上であるらしい。ということは、やはりカトリック教会が像の制作をボディーニに依頼し、そして完成したものをやはりカトリック教会が受け取った(受け容れた)ものだろう。まったく考えられないことだ。
この像がサクロ・モンテにあることは Wikipedia の記述で分かるが、なぜ「頂上」と言ったか、言えたかといえば、この像を写真に撮った人の言葉を読んだからだ。その人は、大の、いい歳をした大人の男のようだが、自分が撮った写真に添えたコメントで「scary」という言葉を出している。It was scary(怖かった)と。しかし笑うことは出来ないと思う。幼い子供をこの像の傍に連れて行けば、まず確実に泣くだろう。しかし、これが「教皇」を象った像なのである。異常以外の何ものでもない。
教皇の着るマントが不気味に揺らいでいる。しかもその裾の下にドクロが置かれている。私だって、人間は「死」というものを「不吉なもの」とばかり受け取っていていいものではない、ということぐらい弁えている。
一休さん
 
聖フランシスコ
人間はいつも「死」を、ある意味「身近」に置いておくべきものである。
しかし、そうは言え、なぜ「教皇」様のマントの裾のその下に、わざわざドクロを入れ込まなければならないのか、という話である。「教皇」は、世間にとってはともかく、少なくともこの像を受け容れたところの「カトリック教会」にとっては、まずもって、確実に、「栄え(はえ)ある」存在でなければならない──その筈であるのに。
そして、この像の全体としての不気味さ。やはり決して普通のものではない。
 
上の像の小型版とでも言うべきものである。しかし私にはどうしても「魔法使いの飛行」にしか見えない。
この像は教皇を「劇画化」している。ハリウッドのアニメ映画にうってつけだ。
 
教皇(1961年)
乞食にしか見えない。
(「乞食」というのが差別語だったなら、ご免なさい。)
「魔法使いの飛行にしか見えない」と言い、「乞食にしか見えない」と言うのを聞いて、中には笑った人もいるだろう。いや、ここで笑うのはそんなに罪ではない。けれど、そう、人間は笑いに弱い。誰かが教皇を描いたこの像に立腹して抗議したとする。すると誰かが言う、「いや、ちょっとしたユーモアですよ。いやだなぁ」。そしてもし更に抗議を続けると、「ユーモアの分からない不粋な奴」というレッテルを貼られる。意外とそんな心理も手伝って、今まで多くの聖職者や信者達が口をつぐんで来たのではないか。人間なんてそんなものだ。「教会」の八割は、実際、「世間」である。
 
司教(1967年)
何という不気味さだ。(読者よ、俺をオカルト呼ばわりするより、こいつをオカルト呼ばわりしろ。)最もどぎついオマケ
彼には彼のブンガクがあるだけであり、聖職者に対する尊敬はないのである(かく言う私も足りないかも知れないが)。たとえ何かそれに似たものがあったとしても、それは自分と気の合うモダニズム/ヒューマニズムの聖職者に対してだけだろう。
 
やはりお化けに近い。
 
おろろろろ〜〜〜
 
ドルイド教を思わせる。いわゆるゲージツ家の中には、全くのドルイド「教徒」ではなくても、自然崇拝的な心情を持った者(ナチュラリスト、というのだろうか)が多く居ても、まったく不思議ではない。(TIA が指摘したように、ファッツィーニの『復活』もそれを思わせるものであった。)
右上の木の絵をクリックすれば拡大される。私には、どうも、右の枝の先に人間の顔が見える。ファッツィーニの『復活』の中に枝とドクロが見えたように。
 
メドゥーサ
イタリア語で medusa と言えば「クラゲ」のことでもあるようだが、ここは違う。固有名詞であるところの、あの怪物のメドゥーサである。蛇が舌を出している。
さて、そろそろ終わりにする。切りがないから。
最後は、パウロ6世教皇様をモチーフにしたメダルである。
しかし、これもなんと不気……もう言い飽きた。
そして、気になるのは、やはりこれをバチカンが承認/受容したのかということであるが、コイン販売サイトのこのメダルに関するディテールを見ると、そこには「official」という語も「Vatican City」という語もある
さて、次はいよいよ本丸である。
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