2011.04.26

サタンの煙: 悪魔的芸術家たち (5)

レロ・スコルツェッリのもう一つの笏杖
この磔刑像が、スコルツェッリ作の
もう一つの教皇用笏杖用のものだというのである。
あるカトリック・フォーラムによれば、次は、オッセルバトーレ・ロマーノの記事から取った、1986年10月18日、イタリアはフィエーゾレ(Fiesole)における教皇様の御ミサの模様を写した写真だという。
次も同じ御ミサの場面。が、今度は「libro(本)」からということである。(libro という言葉は「雑誌」も含むのかも知れないが)
十字架の部分を拡大した(裏側だが)
次の二枚も、上の写真と連続して表示されている。特に断わりがないので、同じ本からのものだろう。同じ御ミサでのものだろう。
カトリック・フォーラムからの写真はこれで終わりである。
しかし、これだけでは何を言いたいのか分からない。
次である。
ということである。
つまり、ボディーニの教皇パウロ6世の像と同じく、ここでも教皇様の傍にドクロが置かれているというわけである。
カトリック信者の中には、「いえ、これはイエス様が死や悪を征服なさったことを意味しているんです。だから十字架の足元にドクロがあるんです」等、反論を言いたくなる人もいるだろう。しかし私は、ボディーニの像に感じたと同じ意味合いの違和感を、ここでも感じないではおれない。なぜ、教皇様の笏杖にわざわざドクロなのか。そんな伝統があったか。しかもこのドクロは蛇にくるまれているように見えるではないか。蛇も征服の対象だから構わないのか。
言ってしまおう。私の理解では、教皇様の傍にドクロを「置きたい」連中(サタニスト/オカルティスト)が教会内部に居た、ということである。
カトリック・フォーラムの記事では、この笏杖の作者については言及されていないようである。けれどもドクロのはっきり見える写真を載せているサイトでは、この笏杖を「レロ・スコルツェッリの作」として紹介している。このサイトである。
このサイトのトップページは15秒経つと別のページに自動的に切り替わるようになっていて、厄介である。が、写真の下に「Lello Scorzelli - Pastorale für Johannes Paul II(レロ・スコルツェッリ - ヨハネ・パウロ2世のための牧杖)」と書かれているのが見て取れる。
このサイトは、よくは調べていないが、ドイツのカトリック司祭の真面目なサイトのようである。だから、カトリック・フォーラムの情報も、おそらくいい加減なものではない。つまり、実はヨハネ・パウロ教皇様はこの笏杖を持ったことなどなかったのに拘らず、「持っていた」と、「嘘」を、あるいは「捏造」を、そのカトリック・フォーラムは拵えていない。この笏杖は間違いなくヨハネ・パウロ教皇様のために作られたものであり、彼らは、回数は少なかったかも知れないが、この不吉な笏杖を何度かヨハネ・パウロ教皇様に「持たせた」のである。
さて、上の笏杖の作者と、私達が見慣れている下の笏杖の作者は、別人か?
否、否、否、である。同じ人物である。どちらも作者はレロ・スコルツェッリなのだ。既に書いたように、私達が見慣れている Papal Cross、すなわち俗に言う Bent Cross がスコルツェッリの作であることは、少し調べれば、あなたにも分かることである。
彼らは、今回取り上げた「レロ・スコルツェッリのもう一つの笏杖」に関しては、ヨハネ・パウロ2世教皇様に「一時的」に持たせただけだったが、いわゆる Bent Cross に関しては、ヨハネ・パウロ2世教皇様に、また他の教皇様方に、「恒常的」に持たせたのである。そのことに「成功」したのである。
そして、最近の教皇様方、特にヨハネ・パウロ2世教皇様は、この磔刑像を良いもの・問題ないものと信じながら、哀れにも、それをよすがに真心から祈りながら、実はこの呪われたものを「持たされて」いたのである。
あなたはまだ、ここに来てもまだ、私のこれらの言葉を「ちょっと考え過ぎではないか」と思っているかも知れない。しかし、次からのページで、その思いは吹き飛ぶだろう!
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備考 磔刑像大きな画像
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