メディアとつきあうツール  更新:2005-10-21
すべてを疑え!! MAMO's Site(テレビ放送や地上デジタル・BSデジタル・CSデジタルなど)/サイトのタイトル
<ジャーナリスト坂本 衛のサイト>

「ネットと放送の融合」という幻想
(放送と通信の融合、ライブドアvs.フジ、楽天vs.TBS問題)

―2005 放送局クライシス 異業種が狙う放送ビジネス!?―

≪リード≫
ニッポン放送をめぐるライブドアとフジテレビの買収合戦。
「ホリエモン」「M&A」「TOB」「クラウンジェル」「ホワイトナイト」などのカナ文字や英語を濫発し、大事件と騒ぎ立てるメディア。
しかしその結末は「大人」の「和解」……。
この顛末《てんまつ》を巨視的に、冷静に分析する。
(「GALAC」2005年06月号 特集「2005 放送局クライシス」)

≪参考 この特集の目次≫
五十年にわたり繰り返される「内なる危機」「外からの危機」 小田桐誠(GALAC編集長)
 フジテレビvs.ライブドア 
異業種が狙う放送ビジネス!? 「ネットと放送の融合」という幻想 坂本 衛(ジャーナリスト)
ライブドアが放送界に提起したこと 千田利史(メディアビジネスコンサルタント)
鹿内信隆が残した負の遺産 嶋田親一(元ニッポン放送・フジテレビプロデューサー)
 NHK 
公共放送NHKを「制度設計」し直せ!! 岩本太郎
 国民投票法案 
成立すれば「メディア規制」が合憲!? 田北康成

≪このページの目次≫

 実は私は、ニッポン放送をめぐるライブドア対フジテレビの買収合戦にあまり興味がない。

 ライブドアが立会外取引でニッポン放送株を大量に取得し、「フジサンケイグループとの提携によるインターネットと放送の融合」を掲げて保有率三五%超の筆頭株主に躍り出たのは、二〇〇五年二月八日。直後の十一日、自分のサイトで私が書いたのは、次の二つだ。

「二十年ほど前M&A(企業買収)が流行りはじめたころ、『BIGMAN』あたりで田原総一朗などとさんざん取材した。東洋経済の記者とはミネベアの高橋高見を追いかけ、田園調布の家の前で張り込んで帰宅したところ家に上げてもらったり、軽井沢の工場に行ったり、本社から出てくる社員を喫茶店に連れ込んで取材したりもした。企業買収で会社を大きくし毀誉褒貶の激しい人物ですが、『だいたい経営というのは時間を買うもんだ』『融資してうまくいかない企業に人を送り込みボロボロにして、結局乗っ取るのが日本の銀行。腐っているのはやつらだ。私の企業買収のどこが悪いんだ?』という言葉を鮮明に覚えている。正論です」

「そういうことを知っていたから、私が編集長だったGALACの編集会議で『放送局の買い方教えます』という企画を検討したことがある。しかし、放送局が無防備すぎ、今回のような手口があまりにも簡単にできるので、ボツにしたことがあります。ただし、この手の話は最終的にカネ(資金調達力)のあるヤツが勝つので、ライブドアはフジテレビの敵ではない。どこで手打ちをするか、というだけの問題(間違えるとヤバイのはライブドア)」(以上『すべてを疑え!! MAMO's Site』日録メモ風の更新情報)

 次に書いたのは二月十四日。

「私は『どこで手打ちするかの問題』と書きましたが、(注 フジ側の)『手打ちしない宣言』が出てしまったので問題はこじれるでしょう。それにしても、この手の問題で、しかもこんな段階で会長を出すとは、驚きました。大きな会社でこういう問題が起こったとき、業界団体のトップまで務める会長がテレビで何かいうものですかねえ?」(同。注は新たに挿入)

 以後、求められればテレビや新聞でコメントしたが、自分からは書いてない。大前提として私は「放送は、最終的に全コストを負担して番組を享受する視聴者のもの」と考えており、誰が放送局の経営者でもよいからである。

 それに加えて「どこで手打ちするかの問題」――ようするに大騒ぎする話ではないと思っており、実際、この原稿を書いている段階(三月中旬)で、フジとライブドアはどこで手打ちするかという和解交渉を詰めている。ライブドア社長の堀江貴文は「将棋は詰んでいる」といったが、大局観からすればライブドアがフジを支配するのは最初から「無理筋」で、和解以外に落としどころはないと見るのが当たり前だ。

 そんな私の見方は、すわ大事件だ乗っ取りだと騒いだマスコミ一般の見方とは違っている。まず、私の見方の根拠を記そう。

極めて「特殊なケース」で
しかも「お粗末なケース」

 第一に指摘すべきは、今回の出来事が極めて「特殊なケース」であり、放送メディアの根幹を揺るがす問題と言うのも憚られる「お粗末なケース」だということである。これは買収を仕掛けた側と仕掛けられた側の双方にいえる。

 ライブドアについては、村上ファンドその他のファンド(投資家)と組み、立会によらない時間外取引という「抜け道」的な手法を使ってニッポン放送株を手に入れた。

 多くの株主は、証券取引市場というのは午前九時〜十一時(前場)と午後〇時半〜三時(後場)に開かれ、そこで公明正大に売り買いするものだと思っている。しかし、株主資本主義という立場を標榜して「会社は株主のもの」「大株主の権利を認めよ」とフジテレビに迫ったライブドアが、多くの株主が従っている周知のルールによらず、株式市場の全参加者を軽んじたことは確かだろう。

 多くの株主を尊重するならば、市場でTBO(株式公開買い付け)を宣言するのが筋。それはやらなかったのだから、株主資本主義などと偉そうにいえる立場とも思えない。違法行為はしていなくても、コソコソと策を弄した観が否めないのはお粗末である。

 今回の抜け道は金融庁その他が問題視したため、同じ手法はもう使えない(大量取得が制限される)。すると今回の騒動は一回きりの「特殊なケース」に終わるわけで、放送局一般の問題としてとらえるにも無理がある。

 フジテレビ側の特殊な事情は、上場すれば当然、株の買い占めその他の攻撃にさらされることが明らかなのに、規模の小さなラジオ局であるニッポン放送が最大規模の民放テレビ局フジテレビの大株主になっている「ねじれ」を放置したことだ。必要な対応をせず後手後手に回ったのは、誉められた話ではない。

 金融機関のペイオフが全面解禁となった今、日本に最後に残る護送船団の放送業界では、過去に世間一般の意味の「経営」がなされたことは(この国に民放をもたらした「大正力」こと正力松太郎の場合を除き)ほとんどないと、私は思う。社員千数百人にも満たない東京キー局が、国内最高水準の給与を払ってなお都心に超高層の本社ビルを構えることができるのは、別に「経営者」が優れていたからではなく、ただ競争のない寡占状態で保護されてきたからにすぎないというのが、私の持論である。

 だから放送局は、上場しても、さまざまな企業が過去に経験している仕手筋との争闘やそれを通じて学んだ対応策に思いをめぐらせることがなかったのだろう。

 さらに、フジテレビが対抗策として打ち出した「ニッポン放送が新株予約権を発行しフジが引き受ける」という作戦は、明らかにニッポン放送の株主(ライブドアが筆頭)を無視したものだった。日本を代表する民間放送局の経営判断を、地裁と高裁が二度までも無効と判定したことは、残念ながら放送業界のイメージを大きく損なってしまった。

ライブドアの資金調達に限界
外資の過剰な心配も不要

 第二に、今回の騒動では背後に外資が控えているという見方が一部に出され、日本の放送局が買われてしまう懸念も生じたが、これは過剰な心配というか、ライブドアへの過大な評価と思われる。

 ライブドアの背後には信販会社や商工ローンその他の投資家の影もちらつくが、政界や財界が一斉に「他人の家に土足で上がり込む暴挙」と言い出したので、表に出ることができなくなくなった。政治家に献金したり財界活動をしたりする経営者が、今回の一件で儲けようとしていたとバレてはまずい。

 「ハゲタカ・ファンド」と呼ぶらしいカネ目当ての投機筋はさておき、国内のまともな投資家は「土足で上がり込む者と同じ穴のムジナ」と見なされることを恐れ、近づかない。だから新たなファイナンス先を見つけるのが難しい。ライブドアは資金面から見て長期戦ができず、早期に手仕舞うしか道はない。

 国内投資家は敬遠するかもしれないが、世界には三〇〇兆円以上ともいわれるファンドが、投資先を求めて蠢いている。これが脅威だという見方はあって当然だ。

 しかし、平均すれば、すでに日本の上場企業株の三五%は外資が所有しているという(大前研一「荒野のガンマンvs.白馬の騎士」文藝春秋二〇〇五年五月号)。その状況下で、外資が日本企業の間接支配に乗り出したと騒ぐのも、何をいまさらと思わざるをえない。

 しかも、日本国全体の公共財である電波を借りて寡占的に営業する放送局は、流す情報の社会に与える影響が大きいこともあって、外資規制も含めてさまざまな規制に縛られている。日本の放送局の株を買って儲けたい外国の投資家は大勢いても、日本独自の文化的・経済的な土壌にあって日本人むけに番組を流す放送局を買おうという外国人は、普通はいない。

 旧郵政省は一九九三年、テレビ朝日の報道局長が「新政権を応援する方向で選挙報道をした」と産経新聞が書いただけで、事情を調べもせずに即日「停波(免許取り上げ)もありうる」という見解を発表した。つまり、放送免許はどんな理由でも取り上げると脅すことができる。放送局への外資支配の排除など、恣意的にどうにでもなるともいえる。外国勢力に乗っ取られて困るなら、免許を取り上げればよい。

 なお、総務省情報通信政策局は、四月八日に「放送局の外資規制に関する法改正の基本的考え方」という文書を出した。電波法を改正し、NTTの外資規制にならって地上放送への間接出資規制を導入する。早ければ六月までに改正電波法が国会で成立する見込みだ。

インターネットと放送の融合」に
中身がない

 第三に、ライブドア側のいう「インターネットと放送の融合」が、単なる思いつきか、内容のない空疎なキャッチフレーズにすぎないのではないかと強く疑われる。

 たとえば、堀江貴文は「最終的にはすべてインターネットになるわけだから、いかに新聞、テレビを殺していくかが問題」(週刊ダイヤモンド)という。放っておいて死ぬものなら、殺し方などどうでもよく、わざわざ支配する必要など、なおなさそうに思える。

 一方、ライブドアはインターネットビジネスにおいて、孫正義が率いるソフトバンク・ヤフーBBや三木谷浩史が率いる楽天に、明らかに遅れを取っている。どちらもプロ野球に参入できたのに、ライブドアはできなかった。

 すると、このままではテレビや新聞が死んだ後すべてのメディアの王様として君臨するインターネットの、堀江貴文は三番手以下となるわけだろう。ならば、インターネットで競争して孫正義や三木谷浩史を追い越すほうが、テレビにちょっかいを出すより必要なことと思える。

 「その競争上はテレビ局を手に入れたほうが有利」と思えば「テレビを殺していく」などと放送局が怒りそうなことはいわずにテレビに近づけばよいと思う。なぜそうしないのか、よくわからない。

 「平成ホリエモン事件」を特集した文藝春秋五月号のインタビューでライブドア社長は、
「僕はずっと『既存メディアとインターネットの融合』と言ってきました」
「インターネットとは、その通信、放送のすべてを包括する概念ですから、将来、通信や放送をのみこんでいくのは宿命といっていい」
 と、同じページで語っている。こういう言葉づかいも、よくわからない。

 「果物はリンゴやミカンを包括する概念」というのはよい。「リンゴとミカンを掛け合わせたい(融合)」というのもよい。だが、同時に「リンゴと果物の融合」といっているようだから、「?」《ん?》と思わざるをえない。

 結局、現状では「インターネットと放送の融合」に深い中身はないのだろうと判断するしかなく、興味が湧かないのだ。何か別の考えがあって「インターネットと放送の融合」といっているなら、額面通り受け取って論じる意味は、ますます薄れる。

インターネットと放送は
どこが違うか

 右に書いたような理由で、私はあまり関心がないのだが、この際、書いておいたほうがよいと思うことがある。

 それは「インターネットと放送の融合」というキャッチフレーズを、あまりにも無邪気に信じる人が多いということである。

 たとえば、楽天の三木谷浩史も、
「同じパソコンの画面で見ているのに、ネット(経由)で見るのと地上波(のテレビ経由)で見るのは、何が違うのか。(放送と通信を)分けている意味がない。いずれ融合するのでしょう。二十年先なのか五年先なのかはわからないが」(読売新聞二〇〇五年四月十三日)
 と語っている。

 もちろんインターネットで商売をする人びとが、自らの企業に資金を集めたり、事業を展開しやすくするためにインターネットの成長性を強調し、やがてメディアの王様になると主張するのは当たり前。自分の業界は成長性がないなどという経営者はおらず、ビル・ゲイツも孫正義も三木谷浩史も堀江貴文も、インターネットがテレビを飲み込むと発言するのは当然だろうし、とくに文句もない。

 だが、冷静に考えて彼らの主張通りになるかといえば、そう簡単にはいかない。少なくとも私が生きている間は、そんなことにはならないと私は考えている。

 というのは、テレビとパソコンは、形態が同じモニタを使うため多くの人が同じようなメディアと考えているが、それはハードに引きずられた誤解だからである。新聞の社説が盛んに通信と放送の融合と書くが、わかって書いているとはまったく思えない。

 テレビは居間に置き、家族がみんなで見る。家族がいなければ一人で見るしかないが、テレビは大勢で見たほうがおもしろい。対してパソコンは書斎や子ども部屋などの机上に置き、個人が一人で使う。だから「パーソナル・コンピュータ」「デスクトップ」などと呼ばれる。

 テレビは小型で九八〇〇円とか大型で五万円とかいう価格のものを買ってアンテナにつなげば、スイッチを入れるだけで映る。しかも基本的にタダだ。パソコンは十数万円するものを買い、それとは別に通信回線を自前で用意してプロバイダと面倒な契約(月額一〇〇〇円〜数千円)を交わす必要があり、しかもスイッチを入れただけでは望みの情報は得られない。

 一〇〇個(それもEnterだのDeleteだの、よその国の言葉が刻印されている!)からあるボタンをあれこれ間違いなく押さなければ、テレビの番組表(テレビ番組ではない)すらも、表示させることはできない。

 テレビのニュースやドラマや野球は、居間に寝っ転がってビールを飲みながら見ることができる。しかし、現時点でパソコンで同じものを見るには、寝っ転がっては不可能だ。寝っ転がってボタンを二つ三つ押せば使えるパソコンが十年後に登場すると思っている技術者は、全世界に一人もいないだろう。

 現在のテレビをパソコンで置き換えることができると思うのは、テレビが何であるかもパソコンやインターネットが何であるかも突き詰めて考えたことのない者の「幻想」である。

 著作権の問題があるからインターネットにテレビ番組が流れないという以前に「メディアが違う」のだ。同様に、パソコンは本や雑誌の紙面と同じものを表示することができるが、本や雑誌をパソコンで置き換えることは当面できない。これも「メディアが違う」。

 地上デジタルの一セグ放送が携帯電話で見られることをもって、通信と放送が融合しはじめるという意見があるが、これもまったく的はずれ。地上デジタルの携帯受信は、これまで車載用や携帯用に使われていた小型液晶テレビが携帯電話と合体するだけの話。「ハードが合体する」のと「メディアが融合する」のは異なる。同じラジカセでFM放送とCDを聴くことができても、FMラジオ放送とCD音楽産業が融合したとはいわない。

FTTH加入二〇〇万世帯で
ネットがテレビを飲み込む?

 そもそもテレビ放送は、高画質の映像情報を数千万という規模の受信者(家庭や企業)に送り届けるには、現時点でもっとも低コストのシステムである。これをわざわざ光ファイバーで送らなければならない積極的な理由などない。

 大多数の人びとは「一方向システム」のテレビを喜んで見ているのだから、番組を送信するために双方向の回線を引くのはムダである。

 視聴率四〇%のNHK紅白歌合戦は何千万人かが同時に見る。何千万人かが同時に高画質映像を見ることのできるインターネットのシステムが存在しているとは、私は聞いていない。ADSLという「つなぎ」のナローバンドでハイビジョンのような高画質映像を簡単に送信できるとも思わない。

 総務省によると、FTTH(ファイバー・トゥー・ザ・ホーム)の加入世帯は二〇〇四年九月末でたったの二〇三万。情報通信白書に書かれた二〇〇二年十月時点のFTTHの加入「可能」世帯数は、一六〇〇万世帯にすぎない。

 光ファイバーを引き込むことのできる(あくまで可能性がある)世帯がテレビを見る四八〇〇万世帯の三分の一、実際に光ファイバーを引き込む世帯が二〇〇万という現状で、インターネットがテレビを飲み込むうんぬんは、リアルなビジネスの話とはなりえない。

 なお、NTTによれば最終的にFTTHを実現できるのは全世帯の八割強だから、通信と放送が融合しようとしまいと、日本の世帯の二割近く(一〇〇〇万世帯前後)は通信によらない放送を視聴し見続ける見込みである。

 ライブドア側が右のことを知らないか、知っていて黙っているのかは、私は関知しない。

 いずれにせよ、インターネットと放送の融合の例として「テレビドラマに出てきたTシャツをやバッグをインターネットで売る」などというようでは、話にならないと思うのが正解だろう。ドラマグッズをネット販売したければ、テレビ局やグッズの提供先に申し入れればよく、八〇〇億円も動かす必要はなかろう。

会社は株主のもの」なら
「テレビやラジオは誰のもの」だ?

 さて、報道によればライブドアとフジテレビは和解し、ライブドアが持つニッポン放送株の全数がフジテレビに渡るようである。(注)

 つまり、フジテレビは長年の懸案だったニッポン放送との資本の「ねじれ」を、ライブドアのお陰でほんの二〜三か月で一気に解消できることになる。ニッポン放送やフジテレビが上場したのは、かつてフジサンケイグループを乗っ取った鹿内(信隆)一族の支配を断ち切るためだったが、これも片付く。

 この点でライブドアのフジに対する貢献は極めて大きい。そのための必要経費と思えば、フジサンケイグループにとっては三〇〇億円や五〇〇億円をライブドアに渡しても安いものなのかもしれない。結果的にライブドアが宣伝になり一定の利益も得たとなれば、ライブドアはフジテレビとニッポン放送のねじれ解消業務を請け負ったのと同然、ともいえる。

 それだけでは身も蓋もないからライブドア登場の意味を探せば、会社は株主のものという当然の考えを広めM&Aに警鐘を鳴らしたこと、堀江貴文が「メディア相手でもこの程度の立ち回りはできる」と世間に示し、若い世代に希望を与えたことだろうか。

 最後に一言。今回の騒ぎにあった「会社は誰のもの?」という議論を聞くにつけ思い出すのは「テレビは誰のもの?」という問いである。

 日本の放送所管官庁(総務省)、全放送局(NHKと全民放)、全家電メーカーが合意している「国策」によれば、現在の地上テレビ放送はあと六年余で完全に停止されることになっている。その受信機は現在三〇〇万台程度が普及した段階で、現在の放送しか見ることのできないテレビが依然として一億二〇〇〇万〜一億三〇〇〇万台ほど残っている。これでは視聴者は、テレビ局が誰に買われようが知ったことかと思って当然だろうと、私は思う。

 「一放送局が買われるか、買われないか」をテレビのクライシス(危機)と呼ぶなら、「全世帯四八〇〇万世帯で現在の放送が映らなくなる」という国策を、私たちは何と呼ぶべきだろうか。

(注) その後の経緯について

 なお2005年4月18日、フジテレビとライブドアの和解が成立。条件は(1)ライブドアが50%超を買い占めたニッポン放送株をフジが全株取得しニッポン放送を完全子会社化。(2)フジが支払う金額は約1030億円(1株あたり6300円)。(3)以上と別にフジはライブドアに440億円を出資しライブドア株の12.75%を保有。(4)ネットと放送の融合への業務提携は今後、共同委員会で検討。ライブドアは笑いが止まらない結末だ。

サイトだけの付録
インターネット(パソコン)と放送(テレビ)
何がどう違うか?

 ライブドアの堀江貴文や楽天の三木谷浩史は、ネットと放送はいずれ融合すると主張している。しかしインターネット(パソコン)と放送(テレビ)には、ハード面、ソフト面、制度面など、実にさまざまな違いがある。その違いの主なものを乗り越えなければ、簡単には融合などしない。

 クルマを「車輪が四つついている動く乗り物」といえば、バスもトラックも乗用車はどれもクルマだが、それぞれ用途やユーザーやメーカーは違う。「同じ四角い表示装置(モニタ)で見るもの」といえば、パソコンもテレビもよく似ているが、それぞれ用途やユーザーやメーカーは違う。当たり前の話である。

 そして、「バスもトラックも乗用車はどれも同じクルマであるから、それぞれの企業が経営統合すれば、どれも性能が向上してよく売れるようになる」と無条件ではいえないように、「同じ四角い表示装置で見るものであるから、インターネット企業と放送局が経営統合すれば、サイトも番組もよりよいものになってよく売れるようになる」と無条件ではいえない。これも当たり前。

 こんなに違うのだから、融合させるなら違いをなんとかしたほうがよさそうだというのが、当たり前の考え方であって、その観点のない通信と放送の融合論など、ただのキャッチフレーズであり幻想にすぎない。

 とりあえず、インターネット(パソコン)と放送(テレビ)の主な違いを示す表を以下に掲げておく。ネットと放送の融合は、この違いの何をどうしようというのか明らかにしなければ、話にならない。この違いをそのままに、IT企業が放送局とただ一緒になるなら、それは「ネット企業と放送企業の融合」(企業の融合)であって、「ネットと放送の融合」(メディアの融合)ではない。

項目 インターネット(パソコン) 放送(テレビ)
主な用途仕事(通信・文書や資料作成、情報収集)、学習(文書や資料作成、情報収集)、娯楽(ゲーム、アダルト、テレビ・DVD・CDなど)娯楽(スポーツ・バラエティ・ドラマ・音楽など)、情報(ニュースなど)
装置の機能文書作成機、通信機(メールや電話)、テレビ・ラジオ受信機、CD・DVDその他再生機、ゲーム機などの多用途(万能機)テレビ受像機のみの単一用途(単能機)
※別途購入のVTR・HDR・LD・DVD・ゲーム機などを接続し、その表示装置として使われる場合がよくある
装置のコスト5万円前後(特価品)、数万〜十数万円(普及品)、15〜30万円(初心者の買う普及品)
※1万円前後〜のプリンタを同時購入するのが普通
数千円(液晶ポケットテレビ特価品)、1〜2万円(小型普及品)、3〜6万円(中〜大型普及品)、15〜100万円(地上デジタル放送対応)
※別途アンテナ設置またはケーブル敷設が必要
ランニング・コスト電気代、通信費、プロバイダ料金、必要に応じ有料閲覧料(コンテンツ代以外に電気代と通信・接続料が月に数千円以上かかる)電気代、NHK受信料、必要に応じ有料放送視聴料(コンテンツ代以外に電気代のみ)
マニュアルの厚さ3cm程度(読まなくては何もできず、完全に読みこなすことは大学卒の平均学力をもってしても不可能)5mm程度(読まなくても使うことができる)
初期設定購入→周辺機器との接続→初期設定→通信回線を確保しプロバイダと契約→通信回線に接続→表示させたいもののURIを入力→表示(各種契約を含めて数日、含めなくても1〜2時間以上)購入→アンテナ(またはケーブル)と電源に接続→チューニング(自動)→映る(10分)
毎回必要な操作電源オン→起動(自動)→URI入力やチャンネル選択(1〜2分以上)電源オン→チャンネル選択(数秒)
インターフェイス(人と機械の間に介在する装置)キーボード(ボタン数100以上。英語表示)リモコン(ボタン数20以下。日本語表示)
装置の使い勝手複雑、わかりにくい、ある程度の知識が必要簡単、わかりやすい、専門的な知識は不要
装置の安定性いきなり停止することが珍しくない(ハード・ソフト・通信回線の問題・ウイルスなどトラブルは多様で、複合要因の場合は原因不明のことも多い)世界最高水準の成熟家電で、極めて安定している(地上アナログ放送ではビルなどによるゴースト障害、衛星放送では降雨減衰が起こりうる)
使う人の条件両手指先で1cm角のボタン100個を打ち分ける技能があることが望ましいとくになし
使う人の姿勢入力(アクセス)時には、表示装置と正対し、背筋を伸ばし、両手をキーボード上に置くことが望ましいとくになし(リモコン入力時でも、寝っ転がってビール片手でオーケー)
使う人の態度能動的、積極的(検索・入力しないと望みのコンテンツが表示されない)能動・受動的、積極・消極的(どちらも可。ボタンひと押しで何かしら映る。ながら視聴可)
表示装置の大きさ14〜17型が主流10型以下が1割、14〜21型が5割、25〜36型が3割以上、40型以上が1割以下(坂本推定)
表示装置の画素数数十万(800×600、1024×768)〜100万(1280×1024)35万(普通のテレビ)〜160万(ハイビジョン)
表示装置の寿命過渡期であり、数年で陳腐化する、本体やOSの寿命が数年以下であることから、現状は数年以下10年以上
表示装置の置かれる部屋書斎、子ども部屋、台所・食堂(の片隅の主婦仕事コーナー)など居間、台所・食堂、寝室、子ども部屋、隠居部屋など
表示装置の置かれる場所机の上(ノート型は置き場所を選ばない)専用テレビ台の上、AVラックの上、棚の上、壁掛けなど
視聴距離30cm前後1〜3m
同時視聴者1人(個人)1〜10人前後(表示装置が置かれた部屋の大きさによる)
最低使用年齢小学校低学年以上(学習のうえ親の補助があれば使える)見るだけなら0歳以上、推奨2〜3歳以上(幼児から1人で使える)
コンテンツテキスト(文字)が中心のホームページ、一部画像や音声付き映像テレビ放送(番組・CMの音声付き映像、一部ラジオやデータ放送)
受信コンテンツのデータ量テキスト中心の当サイトを1時間本1冊(400字250枚)の猛スピードで読むとして1時間分で1MB以下アナログ放送1時間分で数十GB、ハイビジョンは百数十GB
コンテンツ提供者世界中の団体、企業、個人(数億)国内の放送局(通常10以下、多チャンネルの場合でも300以下)
※地上放送局は提供エリアに県域・広域の制限あり
コンテンツの受信経路電話線(ADSL)、光ファイバ専用線、CATVケーブル無線(地上鉄塔や衛星からの電波)、光ファイバ専用線、CATVケーブル
主な規制とくになし(エロ・グロ・アダルト・サラ金・ギャンブル・犯罪・テロリストサイトその他、原則として野放し)放送法、放送免許(広域・県域単位)、マスメディア集中排除原則、外資規制、各種の放送基準・放送倫理規定、CM総量規制など
双方向性あり(もともと双方向である)なし
※地上デジタル放送では「上り」に視聴者の電話回線を使うことで、上り下りを流れる情報量に極端な差があるものの擬似的に実現
コンテンツの複製簡単
※コンテンツ提供者には著作権の未整備・複製の容易さを懸念し、ネット上で提供しない者が少なくない(たとえばジャニーズ事務所)
地上アナログ・CSデジタル放送は簡単
地上デジタル・BSデジタル放送はコピーワンスで1回に制限
アクセス数の目安ソフトバンク対ロッテのプレーオフ野球中継で23万アクセス、シーズン中は平均5万アクセス/1試合関東地区ビデオリサーチ調査で視聴率1%は16万世帯。視聴率(厳密には個人視聴率)10%の番組で400万人前後が見ている計算

※当サイト用に坂本が新たに作成。まだ作りかけで、適宜追加していきます(兼高センセはじめアイディアのある人は、どんどんメールで寄せてください)。
※ハード・ソフト・ユーザー・環境などをごっちゃにし「だいたいこうなってる」と示す粗っぽい表であることをお忘れなく。