メディアとつきあうツール  更新:2003-07-10
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<ジャーナリスト坂本 衛のサイト>

ビデオジャーナリストが
日本人の視点を変える日

マスコミ界の本質に関わる問題だ

≪リード≫
「ビデオジャーナリスト」という言葉をご存知だろうか。
ビデオ撮影機を持った「完全にフリーな」ジャーナリストとでもいえようか。
臆病で事なかれ主義が蔓延《まんえん》する日本のテレビ界の中で、
今は「危険な取材」の代行要員のような観もある。
しかし多チャンネル化が進めば、有能な「ビデオジャーナリスト」の存在が、
視聴率を左右するファクターになっていくだろう。

(「時事解説」2000年03月14日号)

※長く校正前の(見出しなどが抜けた)原稿を掲載しており
たいへん失礼しました。

彼は東ティモール取材中に散った

 「ビデオジャーナリスト」という言葉を聞いたことがおありだろうか。

 1999年9月25日、無政府状態に陥った東ティモールで、ある若いジャーナリストが反独立派民兵グループに射殺された。その名をアグス・ムリアワンという。バリ島生まれの26歳。避難民の救援活動を行っていた教会関係者に同行中、襲撃されたのだった。

 日本の新聞は、ごく小さく「教会関係者らが教われ射殺された」と報じただけである。しかし、実はムリアワン氏は、日本を拠点とするジャーナリストのネットワーク「アジアプレス」に所属する記者だった。

 彼は独立闘争のドキュメンタリーを撮るため99年2月に東ティモールに入った。以来、ビデオカメラを片時も離さず、島の激動する状況を記録していった。その一部は99年5月、NHK教育テレビ(ETV特集)などで放映されている。

 だからアグス・ムリアワン氏を「ビデオジャーナリスト」と呼んでいい。日本のテレビがその作品を放映したことのあるビデオジャーナリストで、取材途中に殉職したのは、おそらく彼が最初ではなかったか。

 ところが日本のテレビや新聞は、知ってか知らずか、そんな事情をほとんど報じなかったようだ(付記:筆者が関係する放送専門誌「GALAC」2000年2月号にささやかな追悼記事を掲載した。ご覧いただければ幸いである)。

米国ではスーパージャーナリスト

 「ビデオジャーナリスト」なる言葉が登場して10年ほどたつ。しかし、日本のマスコミはビデオジャーナリストの活躍する道をほとんど閉ざしたままでいる。これは一体なぜなのか。

 「ビデオジャーナリスト」という言葉が最初に使われたのは、80年代末から90年代初めのアメリカだった。

 その背景にあった最大のものはビデオテクノロジーの進歩、つまり、安くて軽くしかも画質と音質のよい小型ビデオカメラの登場だ。

 80年代に入ると米三大ネットは複合企業に経営を取って代わられ、報道部門は人員も予算も大幅に削減された。一方で、CNNに代表される新しいニュース専門放送局が誕生し、ニュースを24時間流す事が商売になる事実を示した。冷戦の終結で世界情勢が激変したことも、新興ニュース勢力には追い風となった。

 こうしたなか、たとえばニューヨークでは、車にビデオカメラを積み、警察無線や消防無線を傍受しながら街を流し、事件が発生すると誰よりも早く現場に駆け付けてリポートするというジャーナリストたちを輩出した。

 92年大統領選でクリントンの選挙本部にビデオジャーナリストが半年張り付いて取材したドキュメンタリーが、94年にアカデミー賞を取るというように、優れた作品も登場し始めた。

 もっともアメリカでは、ビデオジャーナリストという肩書きがテレビ画面に出ることはまずない。普通はただ「ジャーナリスト」で、キャスターが「彼は企画からカメラまで全部一人でやってしまうスーパージャーナリストです」とコメントしたりする。ジャーナリストの武器として、ペンや写真機にビデオが加わっただけで、新しい職業に就いたわけではないからだ。

MX「映像記者」は無理だった

 日本では、95年秋開局の東京メトロポリタンテレビ(MXテレビ)が、目玉のニュース番組「東京NEWS」をビデオジャーナリストが作ると発表して、話題になった。

 MXテレビでは「映像記者」と呼んでいる。小型ビデオカメラを持って街に飛び出し、企画、準備取材から撮影、リポート、インタビュー、さらに編集までを全部1人でこなす。この映像記者は24人(うち女性17人)でスタートした。警視庁、都庁、気象庁のクラブや、都内9つのエリアに2〜3人ずつ配置され、電車やタクシーで移動し取材するという話だった。

 ところが残念ながら、実際はうまくいかなかった。

 地下鉄サリン事件や阪神・淡路大震災を思い浮かべれば明らかなように、東京全域を24人でカバーすることが土台無理な注文だ。MXでは最初から「火事場は取材しない」と決めたほどである。とても編集までする余裕もなく、別の人間が担当した。ジャーナリストとしての経験や訓練も不足がちで突っ込んだ取材はできず、下町の祭りをリポートするぐらいが関の山だった。

テレビ局は責任を取りたくない

 二十一世紀型の新しいテレビ局を標榜《ひょうぼう》して開局したMXは例外に属するが、そのほかのテレビ局では90年代の半ばから、ビデオジャーナリストの映像をニュース番組の特集コーナーなどで紹介し始めた。

 ところが、登場の頻度《ひんど》は少なく、しかも取材対象が非常に限られている。ビデオジャーナリストが撮ってくる対象は、テレビ局員が行けない場所または事件に、ほとんど限定されてしまっている。

 それは第一に国際紛争地域の情勢――反政府ゲリラ、難民キャンプ、地雷撤去といったジャンル。第二に海外での大災害――地震や大津波といったジャンルだ。

 日本のテレビでビデオジャーナリストとして名が通っているのは、アジアプレス代表の野中章弘、フォトグラファー出身の山路徹、CSに力を入れる神保哲生くらいだが、3人とも地上波では右のようなテーマが多い。

 これ以外に、たとえば政治家インタビューや憲法9条など政治分野、中小企業倒産や失業ルポなど経済分野、オウム、老人介護、教育など社会分野などで、ビデオジャーナリストがもっと活躍してもよさそうなものだが、それは一切ない。それは自局や系列局や傘下のプロダクションで制作できるからだ。

 では、テレビ局はなぜ国際紛争や大災害を取材しないか。理由は極めて単純。「それは危険だから」に尽きる。

 日本の大手メディアは、放送局も新聞社も、危険な取材には社員が「行きたい」といっても行かせない。

 そこでテレビの場合は、ビデオジャーナリストを起用する。ところが、ビデオジャーナリストにも「取材してくれ」と正式には発注しない。事故が起こって責任問題が発生するのを恐れるからだ。

 だから、局のプロデューサーが地雷撤去の映像をほしいと思えば、ビデオジャーナリストに「カンボジアとか行く予定はないの?」と電話する。「あさって出発で×日ころ帰りますよ。200万円くらいかかるかな」と答えて、契約成立。万一、事故があった場合でも、テレビ局は一切関知しないというわけだ。

 こうした「契約」以外には、ビデオジャーナリストが地道な取材を重ねて、テレビ局に売り込むしか手はない。冒頭に紹介したムリアワン氏も、テレビ局から派遣されて東ティモールに行ったわけではないのである。

フリーを取り巻く厚い壁

 日本にビデオジャーナリストがほんの一握りしかいない理由はほかにもある。

 組織を至上のものと考える日本では、そもそもフリーの取材が非常に難しい。

 たとえば記者クラブ制度。日本の官庁は、記者クラブ加盟の組織ジャーナリズムと未加盟のジャーナリズムとで、出す情報に大きく差を付ける。

 筆者はフリーとして20年近く取材をしてきたが、警察、防衛庁などでは「その問題については記者会見で発表済みだから、取材を遠慮したい」というセリフを毎回のように聞いた。そのたびに「大手新聞社や放送局に答えて、当方の質問に答えない正当な理由を文書で示せ」と担当者に談判しなければならない。半ば身内の記者クラブには官庁のほうから喜んで配る情報でも、フリー記者が手に入れることは難しい。

 また、フリー記者は、ある問題を日常的に追っているジャーナリスト(新聞記者や放送記者など)に、話を聞きたい場合がよくあるが、これまた非協力的であることが少なくない。

 だから、ゼロから取材を始め、テレビ局が作る以上の水準のものをまとめる必要があるが、発注仕事ではなく資金的な裏付けも不十分だから、あるテーマを半年追うというような取材はほとんど不可能になってしまう。

 ムリアワン氏のような熱い志をもったジャーナリストは、東南アジアにも中国にも何十人もいる。テレビ局がソフト制作力を大切と思うなら、彼らの資金的な面倒を見るくらいのことがあって当然なのだ。

 ある問題を2年、3年と追い続けているビデオジャーナリストの仕事は、映像的にも地味なのが通り相場だが、そのようなドキュメンタリーに慣れ親しんでいない視聴者という存在も大きい。派手で手軽でわかりやすいニュースに慣らされた目には、細く深く穴を穿《うが》つような映像は受け入れられにくいといえる。

真剣勝負した映像の価値

 では、ビデオジャーナリストの芽は、この国では永久に育たないまま終わるのだろうか。筆者は、そんなことはなく、活躍の場は広がるに違いないと考えている。

 日本ではMXテレビの例もあり、「ビデオジャーナリストとは、何でも一人でやる安あがりの低コスト・ジャーナリスト」という誤解が広まってしまった観があるが、これは表層的な見方にすぎない。

 そうではなく、ビデオジャーナリストとは、組織ジャーナリズムの軛《くびき=車を引く牛馬の首にかける横木。転じて自由を束縛するもの》から離れて立つ自由な個人のジャーナリストが、企画から取材、インタビュー、映像の編集と、自らの主体性を貫き、報道の中身に全責任を追うことが重要なのだ。

 プロのカメラマンと比べれば、映像はブレてひどいかもしれないが、そんなことは瑣末な問題だ。

 ビデオジャーナリストの撮った映像の評価は、取材が深いか浅いか、的を射た得た鋭い質問をしているか、報道者が取材対象と真剣勝負しているか――に尽きる。それは映像を見れば一瞬のうちにわかってしまう。

 最近のテレビニュースには、レポーターやディレクターが登場してコメントする例が増えてきたが、まだまだ少ない。ビデオジャーナリストの映像は、そのような真剣勝負のニュースとして意味をもつ。

多チャンネルに埋没しないため

 99年の国旗・国歌法、日米ガイドライン協力関連法、盗聴法などを、ほとんど事後承諾のような形でしか報道できなかった日本のテレビ報道には、危ないものや面倒なものになるべく触れないでおこうという事なかれ主義が蔓延しつつある。だからこそ、「局の上層部はこの問題に及び腰だから……」というような組織の都合を考える必要のないビデオジャーナリストが、独自の大胆な主張を打ち出す余地は大いにある。

 多チャンネル化が進めば進むほど、既存の放送局と新しい放送局を分けるものは、報道以外になくなる。テレビは、もっと個性的な報道を展開しなければ、多チャンネルの中に埋没しかねない。そうならないための有力な手法の一つが、優れたビデオジャーナリストの育成・起用なのだ。

 視聴者の側も、耳目に快いニュースばかりを追わず、取っ付きにくいが意味のあるニュースを判別する訓練を、もっと積む必要がある。