メディアとつきあうツール  更新:2003-09-14
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<ジャーナリスト坂本 衛のサイト>

――ソフトに口は挟まない――

カリスマ
日本テレビ
氏家齊一郎社長の民放経営術

≪リード≫
ここにリードが入る

(「放送批評」1996年04月号)

 1995年は、日本テレビが2年連続で「視聴率三冠王」を獲得した。

 95年の日テレの年間平均視聴率(ビデオリサーチによる関東地区の数字)は、全日(6〜24四時)が10.7%、ゴールデンタイム(19〜22時)が16.0%、プライムタイム(19〜23時)が15.8%。いずれもフジテレビをおさえての第1位である。

 フジとの差は、それぞれ1.2%、0.6%、0.9%。とくに全日の1%台という差は大きく、3年かかっても、とても追いつけそうにない。視聴率でみる限り、当分は日テレの独走が続くと思われる。

 なお、日テレでは「うちは三冠王ではなく四冠王だ」という。全日、ゴールデン、プライムに加えて、ノンプライム(6〜19時と23〜24時)の年間平均視聴率が9.3%で、フジの8.0%を上回るというのだ。ゴールデンとプライムを区別することにはあまり意味がないので、こちらの数字も紹介しておこう。

平日帯、プライム情報系、ドラマの三本立て

 日テレの高視聴率の中身は、大きく三つの分野にわけて説明することができる。

 第一に、全日の帯番組で、まんべんなく高い視聴率をとっていることだ。まず、朝6時から8時台の情報系番組が断トツで、この時間帯はNHKよりも強い。ワイドショーも強い。昼の12時台だけは相変わらずフジの「笑っていいとも」がトップだが、年間視聴率では夏休みに子どもが見る分が底上げされるため、これを除けば日テレがほとんど肩を並べたと思われる。午後2時台のワイドショーや深夜11時台の帯ニュースも民放トップだ。

 つまり日テレは、ノンプライムのほとんどすべての番組で、確実にフジより高い視聴率をあげている。

 第二に、ゴールデンやプライムという主戦場で、日テレの売り物である情報バラエティやクイズ(日テレは「知的エンターテインメント」と呼ぶ)が相変わらず好調なことだ。とくに「マジカル頭脳パワー!!」は20%台の後半をコンスタントに稼ぐ、民放トップの高視聴率番組に育った。

 「世界まる見え!テレビ特報部」「投稿!特ホウ王国」「新装開店!SHOW・by・ショーバイ2」「知ってるつもり?!」なども、日テレ十八番の知的エンターテインメント。いずれもゴールデンにあって高い視聴率を稼いでいる。

 第三に、長年弱点といわれてきたドラマでも、ここ2〜3年ヒットが出るようになった。95年で視聴率が高かったのは、「金田一少年の事件簿」「家なき子2」などである。

 95年は、ジャイアンツの息切れでナイター中継が不振だった。また、「子会社」ヴェルディが優勝できずJリーグは絶不調。フジの絶叫バレーボールにお株を奪われ、日テレお得意のスポーツはパッとしなかった。

 しかし、朝から晩までの平日帯番組、ゴールデンとプライムの主戦場、弱点だったドラマという三本立ての高視聴率は、野球やサッカーの息切れをおぎなって、余りあるものだった。これでジャイアンツが優勝でもすれば、日テレとフジの差はさらに拡大することになる。

「SI35」から「ビジョン90」へ

 では、日テレの高視聴率の原因はどこにあるのか。日テレの社内事情を探ると、視聴率三冠王こそまだ2年目だが、少なくともここ数年、視聴率アップのためにさまざまな試行錯誤が繰り返されてきたことがわかる。

 最初のターニング・ポイントは、開局35周年の1988年に始まった経営改革「SI35」である。SIとはソフト・イノベーションの頭文字。当時の社長・高木盛久の指揮下に、編成、組織・人事、経営、企画の4つのプロジェクトチームが設けられ、社内活性化と組織改革のプランが練られた。

 「日テレのウミを出そう」という掛け声とともに、さまざまな番組強化策や組織改革案が打ち出されたが、一貫していた方針は、SI35のネーミングが示すように「ソフト重視」だった。

 このころ、日テレ内では「魔の水曜日」といわれた夜8時台の企画が募集され、小杉善信、渡辺弘、高田真治といった昭和51年組のプロデューサー、ディレクターたちが企画をまかされている。彼らがつくった番組が、「SHOW・BY・ショーバイ」であり「マジカル頭脳パワー!!」だった。

 このSI35は、やがて経営戦略「ビジョン90」としてまとめられていく。ビジョン90では、若手の積極的な登用、経営感覚ある管理職の配置、ドラマ管理体制の見直し、大部屋プロデューサー制の堅持、ドラマとドラマ以外といった異なる分野の積極的な人事交流などがうたわれている。

 つまり日テレの経営改革は、おおむね90年までに方向づけられたといえる。

ソフトには口をはさまず

 「日テレが好調な原因は、氏家体制の経営改革による」という解説をよく聞くが、上に書いたように、氏家齊一郎が社長に復帰する1992年11月以前に、改革の種はまかれていた。

 しかし、この種を大きく育て、実らせたのは、氏家社長の強烈なリーダーシップに負うところが小さくない。第二のターニング・ポイントは「帰ってきた氏家」である。
 氏家は、「放送というソフト産業では、個々人がどれだけおのれの能力を発揮できるかがもっとも重要だ」というのが持論。これはまったくそのとおりで、「ソフトは人だ」というのは、過去のテレビの歴史を振り返っても明らかだ。
 どのテレビ局でも、優れた番組や企画はほんの一握りの人間によって生み出されてきた。現在でもそうである。みんなで相談してどうなる、というものではない。ならば、その優れた個人を発掘し、伸び伸びと仕事ができる環境をつくることが、経営者の大切な役割となる。

 そこで、氏家体制下では、若手の登用や権限委譲によって新しい感性を番組に反映させる、あるいは制作・編成・社会情報を合体させ屋上屋を重ねるような組織の壁を取り払うという方向が、いっそう強調された。

 日テレでは昔、ドラマのタイトルまで役員会で決めていたそうだが、組織の壁がなく現場の裁量権が大きい現在では、企画の決定がとても早い。中間管理職以上は、ソフトについてはほとんど口を挟まず、三十代の若手が大変動きやすい。

 日テレは、1971年から5年間、定期採用を控えた時期があるが、これもいま思えば好都合だった。42〜43歳の働き盛りを迎えた昭和51年組にとっては、目の上のタンコブが5年分そっくり存在しないからだ。この点、若手には重しとなっていた「横澤一家」のディレクターたちの現場離れが、最近ようやく始まったフジとは対照的だ。

 さらに若い世代も、台頭が著しい。昭和55年組には「マジカル」「特ホウ王国」「SHOW・by」などのヒット番組を演出する五味一男、56年組には「世界まる見え!」の吉川圭三、58年入社組には「金田一」の櫨山裕子、「鳴呼!バラ色の珍生!!」の雨宮秀彦らがいる。

 こうしてみると、現在の日テレの姿は、毎年視聴率三冠王を取り続けていた頃のフジに重なってくる。風通しのよさも、若手への権限委譲も、強い頃のフジそのものだ。フジ・サンケイグループのカリスマ鹿内父子と、読売・日テレグループのナベツネ(渡辺恒雄)・氏家コンビも二重写しになる。だいたいマスコミというのは、思想や倫理などの「質」は別として、視聴率や売上高という「量」では、強烈なカリスマに率いられたほうが具合がよいようだ。

 実際ここ数年、日テレはフジの研究を重ね、フジに学び、フジの手法を真似た。

 たとえば「CMフォーマットプロジェクト」は、フジと日テレのCMの入れ方をこと細かに比較検討したもので、この結果、クイズ番組で答えはCMの後でとか、定時の5分前に番組をスタートさせるといった手法が導入された。また、小刻みに時間を切って、0.1%でも視聴率を稼ぐにはどうすべきかという、新しい問題意識が生まれた。

 重要なことは、氏家は現場をこまめに回って若手とも積極的な交流を図り、彼らの動きやすい環境づくりを推進したが、「番組の中身は俺はわからん」と、ソフトについては一切口出ししなかったことである。

 氏家は「日テレが三冠王を取れたのは、俺が番組に口を出さなかったからだ」といったことがあるが、冗談めかしているようでも、これは冗談ではないのだ。

トップダウンで営業テコ入れ

 ソフトには口をはさまない氏家社長も、こと経営や営業に関しては黙っていない。もっぱらトップダウンによって、次々とフジ追撃策を打ち出していった。

 まず、コスト意識の徹底を図り、リストラを推進。不採算部門のPCM音楽放送から、いち早く撤退した。

 1993年6月からは「営業改革プロジェクト」に着手。これまたフジの手法を徹底的に研究し、スポンサーや代理店からの情報収集に力を注いだ。広告主200社へのアンケート調査も実施した。

 「日テレの営業はどうあるべきか」をテーマに、営業部門が全員参加する研修合宿もおこなった。ブレーン・ストーミングで問題点を洗い出し、改善策を打ち出すのだが、管理職は後から合流したそうだ。これが、セールスアップ・スキルアップなどのマニュアルづくりや、売り方研究会・個人視聴率研究会・新料金体系研究会などさまざまな研究会づくりにつながった。

 また、制作から営業に人を回したり、若返りも図ったほか、降格人事もおこなった。同時に氏家は「絶対に業界トップになる」と営業にハッパをかけ続けた。ハッパをかけるだけではない。氏家は、連日連夜スポンサーの社長と会食して、トップセールスを展開中という。

 こうした営業改革が実を結んだというべきだろう。95年11月に、日テレのスポット獲得実績は108.1億円と、フジの104.92億円を上回った。日テレがフジを抜いたのはフジの独走以来初めて、しかも民放史上最高の実績である。

 大手広告会社筋によると、フジは、視聴率は抜かれてもここだけはと、毎月のスポット獲得第1位の座を死守してきた。日テレも今月こそフジを抜くのだと、必死の営業展開をした。その結果、過去何度も挑戦して落とせなかった牙城をついに落としたのだという。これをきっかけに、風向きがガラリと変わり、今後は日テレの連戦連勝が続くと見る関係者が少なくない。

 もちろん、フジの底力はまだまだ侮《あなど》れない。各局の95年度中間決算(95年4〜9月)の営業収入は、フジ1344億円に日テレ1135億円。経常利益は、フジ133億円に日テレ129億円。スポット広告収入は、フジ536億円に日テレ470億円。どの指標をとっても規模はフジが上だ。

 ただし、対前年比伸び率を見ると、営業収入は、フジ3.3%に日テレ9.5%。経常利益は、フジ19.7%に日テレ63.6%。スポット広告収入は、フジ11.6%に日テレ12.5%。やはり勢いでは日テレである。

 このまま日テレの視聴率トップが続けば、右に掲げたような経営指標の数字でも、2〜3年で日テレがトップに立つ可能性が大きいだろう。

CSデジタルでも独自展開

 さて、郵政省の意向にもめげず、不採算のPCM音楽放送からはさっさと撤退した日テレだが、CSデジタル放送には大いに触手を伸ばしている。

 1995年夏に打ち上げられたJCSAT−3を使うCSデジタル放送では、40社以上が参加し50チャンネルの放送を目指す最大勢力の日本デジタルサービス(DMC)には参加せず、独自路線を追求する。

 計画によると、96年6月からトランスポンダ1本で数チャンネルの放送をスタートする。DMCに加わらないのは「独自の幅広い実験放送をおこないたいため」とされる。当面は現行の地上放送を流す、やがてジャイアンツ・チャンネルの全国放送が始まる、読売新聞と協力してデータ放送や電子新聞を狙っている、電話サービスの可能性を探るなどといわれており、こうした実験がおこなわれると見られる。

 投資額は年間3億円程度で、不透明なBSの先行きを見守りながらも、CSに手をつけておくという構えである。日テレは、こうした衛星戦略でも、何事も横並びを重んじる民放界から一歩先んじて、独自の道を歩もうとしている。

 地上波の高視聴率という裏打ちがあるだけに、衛星への対応にも余裕が感じられる。日テレの動きは、民放キー局の今後の動き方を占うモデルケースとして、注目する必要がありそうだ。