メディアとつきあうツール  更新:2003-07-10
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<ジャーナリスト坂本 衛のサイト>

東京新聞「からむニスト」
2003年

ここでは、東京新聞のラ・テ欄で、2002年4月から不定期連載を始めたコラムを掲載しています。

≪このページの目次≫
芸人の呼称で感じること (2003年4月12日)
平時だけのハイビジョン? (2003年4月16日)
戦争の意味こそ伝えよ (2003年4月19日)
愚劣な法案、なぜ見逃す? (2003年4月25日)
誤った丁寧語使用はヤメヨ (2003年4月30日)
高齢化 (2003年5月??日)
次の戦争では (2003年5月??日)
破綻計画 (2003年5月??日)
サラ金 (2003年5月??日)
りそな報道の怪 (2003年5月??日)
以下は準備中

芸人の呼称で感じること

 番組改編期になると、TBSが俳優やタレントを集めて、早押しクイズやマラソンをやる特番を流す。

 むろんおもしろいコーナーもあるのだが、いつも気になるのは、司会者の芸人が対するタレントによって「○○師匠」「△△さん」「××」(呼び捨て)と露骨に呼び方を変え、態度を一変させることである。

 吉本芸人の序列がわかる効用は認めるが、とくに自分より格下のタレントをいたぶる姿を見るのは、気分のよいものではない。この番組に限らないが、先生という意味の「師匠」は、弟子筋以外の者(たとえばアナウンサー)が口にすべき呼称ではないとも思う。

 一緒に見ていた子どもら(中高生)は、「こういう偉そうな態度を取るヤツは最低で、大っ嫌い。トーク主体の歌番組の司会をやってる2人も同じ」と、露骨に拒否反応を示す。

 当人のためにもならないと思うから、誰か忠告したほうがよいのではないか。(「東京新聞」2003年4月12日朝刊)

平時だけのハイビジョン?

 イラク戦争報道が始まって1か月近く。NHKニュースからハイビジョン映像が姿を消したことに、お気づきか?

 ハイビジョンはBSデジタルで放送中の横長・高画質映像。年末に始まる地上デジタル放送でも流し、8年後にすべてのテレビをハイビジョン化するのが日本国政府の方針である。

 横長でない普通のテレビに、ハイビジョンカメラで撮った映像を流すと上下に黒枠が出る。ニュースにもよく出てきたが、戦争報道では全然見かけない。

 ハイビジョンに興味がない海外メディア製の映像ばかりだから当然といえば当然だが、NHK記者が乗船する空母キティホークからの映像も乱れに乱れた低画質映像。横長・高画質映像は、現在の戦争報道では、出る幕のない無用の長物なのだ。

 しかし、戦争報道で出る幕がないハイビジョンに、災害や事件報道で出る幕があるとは思えない。有事対応に狂奔する政府が平時専用の放送政策を推進する姿は滑稽《こっけい》だ。(「東京新聞」2003年4月16日朝刊)

戦争の意味こそ伝えよ

 ブッシュの始めた戦争が、いよいよその本性を現してきた。買っているほうは「万事順調」というが、「市民を殺さず1〜2週間で決着」は大嘘《うそ》。米軍がフセインを殺しバクダッドを占領しても、パレスチナのような殺し合いが続く恐れはある。

 開戦直後、私は知り合いの心理学者Kに「この戦争は生物化学兵器を使った瞬間にフセインの負け。3か月もったらブッシュの負け」と話した。するとKは「まあ、最初から両方とも負けているけど。どっちが本当の負けか決める戦争とは、いえるかもしれないね」といった。

 そこで問題は、主として米側から日々の戦況を伝える現在の戦争報道では、この戦争の愚劣さが、いまひとつ伝わってこないことである。もっとも、いまテレビに出ている戦争評論家の多くは「すぐ終わる」とい武器を紹介しただけだから、その愚劣さだけは伝わったわけだが。

 テレビは戦況報道と同時に、戦争の「意味」こそを伝えるべきではないのか。(「東京新聞」2003年4月19日朝刊)

愚劣な法案、なぜ見逃す?

 個人情報保護法案は、近来まれに見る愚劣な法案である。

 趣旨は「個人情報を数千件以上持つ者は、企業だろうがNPOだろうが、大人だろうが子どもだろうが、『個人情報取扱事業者』として役所(大臣)の規制をかける」というものだ。

 愚劣な第一の理由は、個人情報をもっとも大量に持っている国や自治体はそれをどう使おうと勝手なのに、民間だけを規制するから。「役所は個人情報の誤った使い方はしない」という経験上誤った考え方に基づいて立案された、バカげた法案だ。

 第二の理由は、著しく実効性に欠けるから。「宗教」「学校の勉強」と言い逃れがきく。お上が下々の持つ情報に網をかけたいという以外、意味がない。

 こんな粗雑な法律で人びとを縛るよりは、国・自治体、情報通信、金融、一般企業など対象者別に個人情報の取扱規定を決めたほうがはるかによい。

 これほどの愚劣法案が与野党談合で通るのを、なぜマスコミは見逃すのだ?(「東京新聞」2003年4月25日朝刊)

誤った丁寧語使用はヤメヨ

 区議会議員選挙の不在者投票に行ってきた。私の住んでいる地域では、記入した投票用紙を茶封筒に入れ、さらに水色の封筒に入れ、表に自分の名前を書き、その脇に立会人の署名をもらってから、投票箱に入れる。

 ところが、選管の腕章をつけた女の子が以上の段取りを説明するのに、「ここにお客さまの名前を書いて」というので驚いた。「ちょっと、私はお客さまじゃないよ。『あなたの名前』というべきでしょう」と注意したら、ポカンとした顔。

 選管が投票者を客のように丁寧に扱うのはいいが、選挙民を「お客さま」と呼んだ日には、民主主義は相当によろめく。

 最近、この種の「バカ丁寧な敬語」が無意識に出てしまう場面を、テレビでよく見かける。

 首相動静を敬語で伝えるキャスター。「報道陣の方が大勢いらして」というレポーター。巨人関係者だけに敬語を使う某局アナ――こういうのはやめてくれ。それはテレビのよろめきを示すからである。(「東京新聞」2003年4月30日朝刊)

高齢化(タイトルチェック中)

 調べものをしていたらテレビの将来、いや日本の将来についての衝撃的な画像を見つけた。それは2050年の日本の人口ピラミッド(国立社会保障・人口問題研究所サイトを参照)。

 人口ピラミッドとは中央縦軸に年齢をきざみ、左右に男女の年齢別人口を棒グラフで表した図だ。子どものころ「日本は釣り鐘型」と習った覚えがある。

 それにしても、47年後はすごい。ふた付きポリバケツ型かベーゴマ上半分型というか。

 110歳以上の女性人口が、34歳以下のどの年齢の女性人口より多い。最多人口層は65〜90歳老人で、20歳人口は80歳老人の半分以下。実に恐るべき時代がくる。私はこの図を息子と娘に見せ「早いとこ日本から出ていけ」と説得中。

 ある放送局の技術局長は「50年後を考えてデジタル化が必要」といったが、そんなのどうでもいいといわざるをえない。日本で始まった人類史上未曾有の高齢化、なぜメディアは取り上げないのか?(「東京新聞」2003年5月??日朝刊)

次の戦争(タイトルチェック中)

 「で、大量破壊兵器はどこにあったワケ?」と問うほかないイラク戦争だが、忘れないうち次回の戦争報道でテレビに改善してほしいことを書いておく。

 第一に、NHKはじめ各局が現地に行かないのでは話にならない。従軍・司令部・米政府レポートは大本営発表の垂れ流しだ。やめよとはいわないが、それだけではダメである。

 第二に、北朝鮮報道のときの議論をみんな忘れたようだが、取材に制約や条件が課せられているなら、それをすべて伝えたうえで報道すべきである。

 第三に、他国や他局の映像素材を流すときクレジットを、最初の一瞬だけ表示するのは姑息だ。常時表示すべきである。

 第四に、兵器や戦術を解説する軍事評論家に頼ると「戦況」報道しかできない。戦争の意味を伝える解説者を配し「戦争」こそを報道すべきである。

 第五に、戦争が終われば報道も終わり、ではない。アフガンもイラクも戦争の検証報道を続けるべきである。(「東京新聞」2003年5月??日朝刊)

破綻計画(タイトルチェック中)

 この2月にアナアナ変換が始まり、12月には大都市圏で電波が出る地上デジタル放送。

 総務省は家電メーカー、局、諸団体の尻を叩いて「実施推進会議」作りに狂奔《きょうほん》中。自治体にも参加せよと圧力をかける。例によって東京都だけは「業者発起の会になぜ都が?」「国策なのになぜ必要?」と、よい返事を伝えていないらしい。

 だが、総務省には気の毒で、無理やり会議に入れられる企業や自治体にはなお気の毒な話だが、推進会議などいくら作っても現行計画の破綻は決定的だ。

 国産テレビの出荷台数は年に1000万台以下。日本にあるテレビは一億数千万台。すべてのテレビを明日から地上デジタル対応にしても、2011年に8000万台しか普及しない。そのときアナログ放送にしか対応しないテレビが数千万台以上残るから、計画は失敗する!!

 絶対に失敗する現行計画を、見直しもせずに推進するのは、無責任を通り越して間抜けな話ではあるまいか。(「東京新聞」2003年5月??日朝刊)

サラ金(タイトルチェック中)

 「サラ金」(消費者金融)のテレビCMが氾濫している。一方で、サラ金CMはけからんという視聴者の声が強い。

 そこで民放連・放送基準審議会は3月、「児童向け番組では放送しない」「5時〜9時は啓発型を除き自粛が望ましい」などとする見解を発表した。

 多くの人は妥当な見解と受け止めたろうが、筆者は不満だ。なぜサラ金だけが「悪」か、説得力に欠けるからである。

 サラ金借金苦で首を吊る人が多いと聞くが、誰か銀行貸し渋りで首を吊った人の数と比べたか。借金一兆数千億円を踏み倒すデパートとサラ金はどちらが社会悪か、誰か検証したのか。筆者は銀行やデパートのほうが「悪」かもしれないと思う。

 そもそもサラ金が「社会悪」ならば、存在できないように制度を変えるべき。誰もそうしないのは存在意義を認めるからだろう。だがCMだけは自粛、しかももっと「悪」かもしれない企業CMは黙認というのは、おかしな話である。(「東京新聞」2003年5月??日朝刊)

りそな報道の怪(タイトルチェック中)

 りそな銀行に2兆円ともいう公的資金が投入され、事実上の国家管理に移行すると決まった。「りそな」とは「理想的な」の略とか。筆者は「ダメになりそな」の略と思っていたから、まあ不思議はない。不思議なのはこの問題に関する報道である。

 まず、銀行が首脳5人の退陣以外これといって責任を明確にしないのは、なんなのだ。ダメ経営陣5人が退くだけで、国民から2兆借りたうえ日銀から無制限の融資を受けられるというのは、実にふざけた話だと筆者は思う。だが、そう指摘する報道を見ない。不思議だ。

 「問題ないのに、監査法人のせいでこうなった」と口走る銀行首脳に、「何いってんだ?」と突っ込む記者がいなかったのも不思議。本当にそうなら、告訴でも殴り込みでも何でもするがいい。それはせず監査を受け入れて、なお人のせいとは……。

 さらに、金融庁はこの問題を長く隠匿《いんとく》し、国民を裏切り続けた。その責任を問う報道も見ない。不思議だ。(「東京新聞」2003年5月??日朝刊)

以下は準備中です