メディアとつきあうツール  更新:2003-09-05
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<ジャーナリスト坂本 衛のサイト>

「テレビは数字がお好き!?」
症候群

≪リード≫
テレビは数字が大好きだ。テレビと数字ですぐ思い浮かぶのは「視聴率」。しかし、指摘したいのはそれじゃない。画面やアナウンサーの言葉に氾濫するさまざまな数字たちである。ちょっと病的なほど多く、テレビの生活習慣病と化したようだから、GALAC式のカルテを示す。思い当たる節がある番組制作者はさっそく節制に励むことをお勧めする。
(「GALAC」2003年08月号、高坂龍次郎名義の記事)

≪このページの目次≫

おとなというものは、
数字がすきです

 テレビを見ていると、あまりに普通で当たり前なのですっかり慣れ親しんでしまっているが、よく考えるとどうかしているのではあるまいかと思われることがある。たとえば字幕スーパーもその一つ。

 最近、こりゃ一種の病気じゃないかとさえ感じられるのが、テレビに氾濫《はんらん》する数字、数字、数字である。テレビというのは数字が大好きらしい。

 テレビは昔よりも盛んに数字を出す。「木島則夫モーニングショー」よりも現在の朝昼のワイドショー、「ニュースコープ」よりも現在の夕方情報ニュースのほうが、字幕スーパー、フリップ、アナウンサーの読み上げ、何にせよ数字がいっぱい出てくる。これは確かだ。

 ある朝フジテレビの情報番組を見ていると、観月ありさがパリ・コレ、オートクチュールのファッションショーに出るという話題。映像が出るが、「このドレスは180万円で、本番当日に着るのはもっと高い200万円」と紹介される(本番に着る服の映像はなく、値段だけをコメント)。続いてテツ&トモが出てきて、ジャージを冬用から夏用に替えたという。「冬用は10万円。でも夏用は半袖だから5万円」なのだ。

 午前8時を過ぎると、サッカーのベッカムがレアルマドリードに移籍したとの話題が始まり、「移籍金は49億円」「中田は33億円だった」「49億円はジャイアンツ(巨人軍)全員の年棒総額45億円より多い」「日本のプロ野球選手は780人で年棒総額は300億円。ベッカムは1人でその6分の1」などと、これでもかこれでもかと数字が羅列されていく。移籍金はクラブが受け取るカネで、選手が受け取る年俸と比べるのは妙だが、そんなことなどおかまいなしだ。

 いくつか理由がある。第一に、視聴者がものの金額や順位といった数値情報を好むからだ。テレビは社会の鏡であって、視聴者の「知りたい」「教えて」欲求に応えると、自然に大粒のダイヤ2800万円だの日本でNo.3だのといった表示が増えていく。

 第二に、数値というのは数以外の属性を切り捨てて抽象化した概念であり、それ自体短く明解でわかりやすく(誰かがその数字をいっていると注釈さえつければ)間違うことが少ない。だから物事の手軽な説明に好んで使われる。ベッカム様が「マンチェスターユナイテッドにおいて、あるいはプレミアリーグにおいてどのような位置をしめてきたか」を説明するのは面倒くさいが、「移籍金49億円」ならスポーツ紙から転記すれば済む。

 第三に、数値というのはそれ自体としてもっともらしく、科学的で信用するに足るありがたい情報のように思える。「金髪のベッカム」より「移籍金49億円のベッカム」のほうが、なんか調べて付加価値のある情報をもたらしている感じがする。世は情報化時代であって、テレビもただ映像を流すだけでなく、字幕スーパーや場合によってサブチャンネルで情報を付加するのが大流行《はや》り。その情報を埋めるのに数字ほど最適なものはない。

 しかし、である。ちょっと待て、である。

 サン=テグジユペリは『星の王子さま』で書いた。

 「おとなというものは、数字がすきです」

 彼は続けて、大人たちに「桃色のレンガでできていて、窓にジェラニュウムの鉢がおいてあって、屋根の上にハトがいる、きれいな家を見たよ」といってもピンとこない。「10万フランの家を見た」といわなくてはダメだという。

 目で見えないほんとうに大切なものを追い続けて空に消えた作家の言葉は、数字の氾濫するわがテレビへの、痛切な批判に聞こえないだろうか。

 そう、日本のテレビはあんまり大人すぎるのだ。桃色のレンガでできていて、窓にジェラニュウムの鉢がおいてあって、屋根の上にハトがいる、きれいな家を、せっかく映像でとらえながら、それに「1億2300万円」なんて赤くギラギラした字幕をかぶせて平気なのだ。その結果、テレビは「ものそのもの」「ことそのこと」については、ロクなことを伝えていないのではあるまいか。

 本稿では、以下にテレビが感染してしまったらしい「『テレビは数字がお好き!?』症候群」を分類・分析し、筆者の所見を加える。制作者は自己診断の目安としてもらいたい。

症例(1)
おカネ還元症
――何でもかんでも金額に還元する

【症状】何か伝えるべきものがあったとき、その映像やどうでもよい解説とともに、そのものの「金額」を強く前面に押し出して伝える。これによって制作者は何かを伝えた気になり、視聴者は何かがわかった気になる。

【診断】画面いっぱいにスーパーで数字が拡大されていたり、金額だけが赤字で強調されているときは、この症状を疑う。

【発症しやすい部位】情報バラエティ全般、とくに芸能人やスポーツ選手紹介コーナー、情報ニュース全般、難しい話題を伝えるニュース報道。

【影響】なんでも「金額」に換算する悪いクセを子どもに植えつける怖れがある。もともとおカネの話題が大好きな大人には、その金額還元思考をますます先鋭化させ、カネのことしか頭にない醜い俗物ニッポン人を増加させる。

【参考】何でもおカネに還元しようじゃないかと逆に開き直った名企画が、テレビ東京の「開運!なんでも鑑定団」。(以下はサイトアップ時に加筆)おカネなんかではない、新しい価値基準に還元しようじゃないかと「へぇ」という単位を生み出した名企画がフジテレビの「トリビアの泉」。

【所見】これはテレビが流す害毒のようにも思えるが、私たちは日常の会話をよく反省してみる必要がある。たとえば夫婦の会話、親子の会話、ご近所との会話、職場での会話、友だちとの会話などに、どのくらいおカネの話題が出てくるか、と。筆者の友人の和美ちゃんという女性は必ず「それはいくらしたの?」と聞くのだが、その息子もよく同じことを聞く。彼らはテレビに毒されてもいるが、テレビは彼らに応《こた》えてもいるのだ。どちらがニワトリでどちらが卵なのか。

 大袈裟《おおげさ》にいえば、この症状は戦後日本人の価値観の喪失と大いに関係があるといえよう。

 なお、正統派ニュースでは報道無気力症とおカネ還元症の併発がよく観察される。物議を醸《かも》している話題(たとえば無駄な公共事業プロジェクト)なのに、それには触れず金額だけをサラリと紹介するケースである。

症例(2)
ランク付け症
――何でもかんでもランク(順位)に還元する

【症状】あるジャンルのいくつかの情報(ふつうは3〜100個。もっとも一般的に観察されるのは10個)を、とにかく順位付けし、最下位のものから紹介する。

【診断】フリップでランク表が出る場合に疑う。フリップが何枚もあって紙芝居のようにそれをめくっている場合は、この症例と断定してよい。

【発症しやすい部位】土日早い時間の情報バラエティ、音楽やアニメやなど特定ジャンルだけを扱うバラエティ。芸能ニュースやコーナー。

【影響】多くのランキングを、視聴者は自分とは違うとか、なんでこんなのが1位なんだと思いながら見ているので、実害はあまりないようだ。

【参考】古くは「ザ・ベストテン」、90年代には「はなきんデータランド」など、見るべきランキング番組も少なくない。順位付けはオリコン・チャートのように徹底すればするほど価値が生じる。

【所見】あるジャンルの情報が10個あるときに、何らかの基準で順位付けして紹介することの利点は、わかりやすく一覧できるというだけではない。順位の数字によって情報の重要性、エラさ、おもしろさ、バカさの度合いなどを同時に伝えることができる。

 視聴者の側にも、「一番と判定されるのはどれだろう? 自分の中ではこれなんだけど……」という興味が生じ、第10位から順位を上げていく紹介に自然引き込まれていくという仕組みだ。

 ただし多くの場合、判定基準は示されず、したがってたぶんいい加減な順位付けである。ADが順位をつけたり、手近な3人に聞いてつくったり、というわけだ。順位付けにスポンサーへのヨイショが反映することも珍しくない。

症例(3)
数字置換症
――巨大な数値を何か別な大きな数字に置換する

【症状】ある巨大な数値を紹介したいとき、そのままでは無味乾燥だしどのくらいの量か想像しにくいので、みんなが知っていると思われる富士山、霞が関ビル、東京ドームなどと比べてどのくらいと置換する。

【診断】富士山や東京タワーの高さと比べて、霞が関ビルを升にして、月までの距離の、東京ドームの何個分などのフレーズが出ればこれ。

【発症しやすい部位】役所や企業のPR発表をそのまま流す情報番組、ニュース。

【影響】「へぇ、霞が関ビルで何杯分のビールを日本人は消費するのか」と、わかった気になっている訳知りを増やす。

【所見】おもしろい例に、一万円札を東京―大阪間に並べた金額というのがあった。しかしこれ、お札を平面上に縦に並べていた。ふつう札というのは立体的に積み上げると思うんだが。

 で、お札でエベレストの高さまでとか、ビルを升にして何十杯分だとわかったとて、それって「すごくたくさん」という以外にどれほどの意味があるのか? 「成人男性1人あたり」と換算してくれたほうが、リアルで役に立つのでは。月を何往復ったって、行ったことないからよくわかんないわけよ。これも報道無気力症との合併症に注意。

症例(4)
パーセント病
――母数その他の重要情報を公表せずに統計のパーセント数字だけを紹介する

【症状】アンケート調査などで、ただパーセント数字だけを紹介し、サンプルについての情報(母数はいくつで、有効回答はいくつ、サンプルはどのように抽出したなど)を伏せる。

【診断】もっともらしい円グラフや棒グラフにn=389などと書いてあるか(一瞬しか出ないので正確な診断にはVTRが必要)、アナウンサーが「何人に電話調査した」と注釈を入れているか、調べる。%だけに終始しているのはインチキと疑っていい。得られたデータと描かれた円グラフが違うなどという病気も、VTRで診断がつく。

【発症しやすい部位】情報バラエティ、政治バラエティ、討論番組、情報ニュース。

【影響】ヘタを打てば、悪質な世論誘導につながる。とりわけ政治関連番組のデータは科学的な調査方法に則《のっと》って正確を期さなければ、視聴者のテレビ不信を招き、番組の存続すらも危うくする場合がある。

【所見】数値データは極めて簡明であるため、一人歩きしやすい。内閣支持率何%という統計数字がその典型だ。しかし、統計で得られるあらゆる数字は、「どのような調査方法で得られたのか」という情報と同時にもたらされなければ、まったく意味がない。

 よくあるのは、サンプル数が3人とか4人で「67%(または75%)の人が××だ」と強調するインチキ統計である。CMでもよく見かける。大都市の賃貸アパートが軒を並べる地域と自然豊かな農村で行政に対する要望をアンケート調査したら、結果はまるっきり異なるに決まっている。場所を伏せれば、好みのデータをでっち上げることは簡単だ。

 テレビ側にはそのようなインチキと思われない周到な準備が、視聴者側にはそのようなインチキを見抜くリテラシーが求められる。

症例(5)
データ露出症
――何でもかんでもとにかく数字データをたくさん表示する

【症状】そんなデータ、いったい何の参考になるってんだ? としか思えないような細かいデータを何種類も並べて、そこに情報がたくさんあるように見せる。

【診断】1画面あたりで同時に表示されている数値を観察する。3つ以上なら危ない。5つを超えたらこの症状である。

【発症しやすい部位】プロ野球ナイター中継、その他スポーツ中継。

【影響】単純に画面が見づらくなってウザッたい。一方、本来映像でとらえられるべきスポーツその他の感動が、めったやたらと表示される数字で阻害され、薄れてしまう。

【所見】どうもこの国では、「情報」とは数字、「情報化」とは数字に置き換えること、「付加価値」とはあることを数字で表現してみてそれを追加情報としてプラスすること、というとんでもない誤解があるのではないか。それをテレビに適用して視聴率を高めようというのは、なおズレた発想と見るべきではないのか。

 イチローが何打席連続ヒットを打ったというような情報は、一見するととてもすごいことのように思えるが、数学的・確率的にはそれほど珍しいことではない。野球の打者にとっては、ヒット、凡退、ヒット、凡退、ヒット……と代わりばんこの結果を残すほうが、はるかに難しい。黒ゴマと白ゴマを同数ガラスビンに詰めて振っても見た目はグレーにならず(均等には混じり合わず)、必ず黒と白のまだらになるのと同じ話だ。

 もちろん、今日は体調も絶好で球がよく見えている、この投手とは非常に相性がよいということはあるが、一方で、打率3割の打者が何打席連続ヒットを打つ確率というのは計算できるのだ。そのような数字を並べることにどれほどの意味があるかは、もっと吟味されてしかるべきである。

症例(6)
奇妙な加算症
――加算してはいけない数字を足して大きくみせる

【症状】天気予報が「土曜日の降水確率50%、日曜日の降水確率50%、だから今週末に雨が降る確率は合わせて100%」といったら(疑問に思わずに通り過ぎる人がいるかもしれないが)バカである。このように、足してはいけない数字を足して大きくする。

【診断】A+B=Cという表現が出てきたら、数字Aと数字Bはほんとうに足し算してもよいのか、立ち止まって考えてみる。

【発症しやすい部位】パーセント病の項を参照。

【影響】ただ間違えているならバカで済むが、わざとやっているのなら視聴者にとって有害である。

【所見】天気予報の例は、数学者ジョン・アレン・パウロスの著書『数字オンチの諸君!』(草思社)に著者が見聞した事例として紹介されている。実際の数字をより大きく見せて威張りたい広報が出す数字などにも、よく見られる。いつかNHKが地上波の視聴率とBSの視聴率を加算し「視聴率は何%!!」と誇らしげに語って、失笑を買ったことがある。気をつけよう。

症例(7)
奇妙な比較症
――比べても無意味な数字を比較して大小を判定する

【症状】クラブ移籍金と選手年俸、複数年契約金と単年度年棒など、もともと違う種類の数字であって、比較しその大小をいっても意味がない数字同士を比較しその大小をいう。

【診断】A>Bという表現が出てきたら、数字Aと数字Bはほんとうに比較してもよいのか、立ち止まって考えてみる。

【発症しやすい部位】パーセント病の項を参照。

【影響】奇妙な加算症の項を参照。

【所見】数字をただ比較したいのではなく、比較して片方を大きく見せたいわけだから、奇妙な加算症と同じウィルスによって発症すると考えてよい。

 難しいのはたとえば船の大きさや重さを示す単位。トン数、総トン数、純トン数、載貨重量トン数、排水トン数などがありそれぞれ意味が違うし、排水トン数は満載時か空かでも違う。こういう数字で比較するとおかしな結果になるなら、たとえば長さで比べるという工夫が必要なのだ。

症例(8)
テレゴング熱
――テレゴングなるNTTの電話投票サービスを使う

【症状】「阪神は優勝すると思うか」式の設問と「思う→0180-****1 思わない→0180-****2」というような選択肢(数字は電話番号)を表示し、電話投票の結果をリアルタイムで番組に流し、あれこれいう。亜種として、携帯電話への投票を促すものもある。スタジオと投票状況棒グラフの2画面構成で、棒グラフの伸びとそれに対するスタジオの反応を同時に伝える場合もよくある。

【診断】0180から始まる電話番号、または携帯サイトへのアクセス方法がスーパーで表示されたら確定。

【発症しやすい部位】公共放送スポーツニュース、深夜バラエティ、(自民党の圧力によって駆除されたが)かつての政治関連番組。

【影響】どうでもいい内容のアンケートの場合はお遊びで済むが、不用意に政治がらみで候補者の名前を出したりすると、公職選挙法に違反する場合や、自民党に怒鳴り込まれて企画が消滅する場合がありうる(というか、あった)。

【所見】テレゴングはNTTが提供する電話サービスで、マスメディアが設問に対する選択肢としてPRする電話番号へのコール数を自動的にカウント・集計し、結果を契約者(テレビ局または番組)に通知するもの。15分単位の利用で料金は5万7500円で、「話し中」はほとんど生じないそうだ。

 同じ視聴者が何度電話してもそれぞれを1本の電話と数えるから、重複や組織投票を避けることはできない。そもそも、なんでそんなつまんないセンスゼロの設問をするの、と思うことも少なくない。

 税込み6万円ちょっとで生のリアル感が演出できれば安いものという見方もできるが、テレゴングもまたすべての電話アンケートが持つ宿命的な問題から逃《のが》れることはできない。それは「この種の電話をかける人は、わざわざ電話をかけて自分の意見を伝えたい人であって、その結果得られるのは『世間一般の人びとはどう思っているか』ではなく、『わざわざ電話をかけて自分の意見を伝えたい人びとはどう思っているか』にすぎない」という事実である。

症例(9)
発表数字依存症
――役所や業界団体などの発表する数字を紹介し、ただそれだけで終わる

【症状】官庁や自治体などが発表する数字、アメリカ軍司令部が発表する数字、業界団体や企業が発表する数字などを、とくに吟味することなく、あたかも過去の事実または予定された事実であるかのように紹介する。そして、それ以上の検証をしない。

【診断】警察が発表する交通事故による死者数のように、根拠がハッキリしており検証が効く数字ではなく、すぐには検証しにくい数字――たとえば、10年間で経済波及効果何兆円、むこう3年間の普及予測台数、米英軍の空爆による目標撃破数などが出てきたら、この症状をまず疑う。

【発症しやすい部位】公共放送・民間放送を問わず定時のニュース、報道系の特集。

【影響】数値が正統派のストレートニュースで流れるため、世論を誤って誘導しやすく、ひいては政策を誤らせる恐れが強い。社会にとって極めて有害である。予後の経過は非常に悪い。

【所見】いうまでもなく「放送のデジタル化」で役所その他が流布する数字は、ほとんどこれであって、根拠のないデタラメな数字ばかりである。だから、流すときは「この役所のこの部署の誰某は『10年間の経済波及効果は何兆円といった』」と報じるべきで、「10年間の経済波及効果は何兆円である」と報じてはいけない。

 同様に、「米軍がイラク軍2000人を捕虜にした」ではなく、「米軍はイラク軍2000人を捕虜にしたと発表した」と報じなければダメなのだ。

テレビというものは、
視聴率もすきですが……

 GALAC式テレビと数字の病理解剖、いかがだっただろうか。

 論点やレベルが異なる項目を、むりやり9つの症例にまとめてしまっているから、やや乱暴な話といえないこともない。また、これ以外にも取り上げるべきテレビが扱うおかしな数字はある。だが、テレビに数字が氾濫していること、それも相当にいい加減な数字が跋扈《ばっこ》していることだけはおわかりだろう。

 ことは数字、さらに数学一般や統計や確率の話にも関連するから、どうにもすんなり頭に入らないという読者がおられるかもしれない。そんな方には、文中に紹介した『数字オンチの諸君!』が第一のお勧めだが、もう1冊、ダレル・ハフ著『統計でウソをつく法―数式を使わない統計学入門』(講談社ブルーバックス)も紹介しておく。

 最後に触れておかなければならないのは、テレビ→数字ときて誰もが思いつく「視聴率」なる数字についてである。テレビ局にいくと、黄色い紙に赤いや青の筆文字で「祝!! ○○(番組の名前) 視聴率△・△% 週間第1位」などと書いた紙がベタベタ貼ってあり、テレビが大好きな数字はやっぱり視聴率なんだな、と思わせる。

 視聴率には誤差があるから、17%の番組が8%の番組に比べて倍の人に見てもらったと喜ぶのはいいが、15・3%の番組が15・1%の番組を抑えたといって喜ぶのは、実は間抜けな話である。現実には負けているかもしれないからだ。そのような問題は必ずしも画面には現れないから、本稿では割愛した。

 今回指摘したいくつかの症例も、実は視聴率病という大きな病に起因する発疹《ほっしん》だったり、余病であったりするわけだろう。

 だが、これはまた別の話。いつか別のときに詳しく書くことにしよう。